あの人、勇者の物語にはいない。【AI翻訳】 作:ゼリ_Xerionic
「心配するな。道のことなら、私がちゃんと知ってるから」
昨夜、エスタが別れ際に残した言葉だった。
リースはニッシャの宿を出ると、朝から人でごった返す通りを歩いていく。だがその足取りには、いつもの活気など微塵もなかった。
足が自然と止まったのは、教会の前だった。朝の陽光を浴びて輝く石造りの尖塔を見上げながら、心は乱れていた。
……今度こそ、エスタを信じていいのか?
前回のことを思い出す。あの時もエスタは「ただの教会の廃墟だ」と言っていたのに、結果的に小さな教会を自分たちが廃墟にしてしまった。
(だからガイドブックには「教会の廃墟」って書いてあったのか)
エスタの声が、まだ耳に残っている。彼女は小さな声で呟いたが、確かに聞こえた。
それに、あの怪物と化した司祭たち……。
(データベースにさえ載ってなかった)
エスタが知らない言葉で毒づいていたが、あれは彼女も知らなかったはずだ。
(エスタが頼りにしてる記録だって、全部正しいわけじゃないんだな。それに、アンダーアイゼンは?)
エスタの軽い口調とは裏腹に、そこへ行くのは簡単じゃないはずだ。
だからこそ、前回以上に準備を万全にしなければ……たとえエスタがどれだけ自信満々でも。
朝の祈りが終わるのを待って、リースは教会の扉をくぐった。
レナに会わないよう必死に避けながら、壁に身を寄せて這うように師匠の調合室へ向かう。
扉を開けると、今日はいつもの湯気も立ち込めていない。
薬釜は空っぽで、主人は机で朝の飲み物をゆっくり味わっていた。
「おはようございます、グレイモア様」
「おお、リースか。今日はどうした?」
丁寧に挨拶すると、回転椅子がくるりと回る。
何日かぶりに聞く狐のような声は上機嫌で、明らかに暇そうだ。
リースは机まで歩み寄った。
「治療ポーションと解毒剤をください」
「おいおい、傷だらけで帰ってきた翌日にまた抜け駆けする気か?」
答えを求める口調ではなく、くすくす笑いが続く。
レナから報告を受けたのだろう。
この人なら「ドラゴンでも狩りに行く」と告げても止めないに違いない。
「で、今度はどこへ行くんだ?」
師匠の顔に、レナと訓練していた時と同じ楽しそうな光が宿る。
もしかして自分が見てくれている姿が楽しいのかと、リースは少しだけ疑った。
だが、他に頼れる人はいない。
「アンダーアイゼンです」
「わっはっはっ!」
グレイモアは手を叩いて大笑いし、リースは引きつった笑顔で応えた。
夢物語のような場所を口にすれば、笑われるのは百も承知だ。
だが、返ってきた言葉は予想外だった。
「リース、昨日はお前、伝説でしか聞かないルナリスの女神像を担いで帰ってきたな。今回も大いに期待してるぞ。アンダーアイゼンが公になったら、俺の夢が叶うんだ」
狐は立ち上がり、リースの肩に手を置いた。
いつもの狡猾な目ではなく、真剣な瞳だった。
「届くかどうかは知らん。だが俺がこの街に二年も閉じ込もってるのは、あそこを探すためだ。見つけたら、奥義の奥義を教えてやる!!」
肩に置かれた両手に力がこもり、まるで少年のような熱がこもる。
師匠の純粋な信頼に、リースの胸はまた熱くなった。
「はいっ!!」
「じゃあ、まず必要なのは……」
勢いよく頷くと、グレイモアはあちこちから品物を引っ張り出してきた。
「これを見てくれ」
細長い試験管を床に投げつける。
リースが悲鳴を上げたが、管は無傷だった。
「特別製のポーション容器だ。金槌で叩いても傷一つ付かん」
次に取り出したのは胸当てバッグ。
「こっちはワイバーンの皮製。一般的な魔法も弾き、普通の剣じゃ切れやしない」
グレイモアは自信たっぷりに笑う。
リースはただただ呆然とするばかりだった。
「グレイモア様、こんな貴重なものを……」
「貸しだ、貸し」
言いながら治療ポーションを詰め、容器をバッグに収めていく。
他にも色々詰め込み、最後に弟子へ手渡した。
「マリーナ女神とルナリス女神のご加護がありますように」
「はいっ!!」
リースは深く頭を下げ、マリーナの教会を後にした。
──夜遅く、北門近くの城壁。
リースは慎重に壁沿いを進む。
「遅い」
闇の中からエスタの声が響き、揺らぐ影から彼女が現れた。
「ごめん、準備に手間取って」
小声で謝ると、エスタは気にせず手を引いた。
一人しかいない、しかもやる気のない衛兵の横をすり抜け、北門へ。
北門は領主邸の玄関口で、貴族以外はあまり使わない。
そのため、こっそり抜けるには最適だった。
「シャドウズ」
短く呪文を唱えると、二人の姿は影に溶けた。
誰も気づかぬまま、北門を突破する。
北へ向かう道を進み、夜明け頃に三叉路へ。
左は王都ランドール、右はランタン市。
だがエスタはどちらにも曲がらず、リースの手を引いて正面の深い森へ突っ込んだ。
「エスタ、本当にこっちでいいの?」
「大丈夫。この道だよ。昔……ガイドブックで……いや、記録を読み込んで覚えてるから」
エスタは一瞬言葉に詰まり、立ち止まって振り返った。
「違う……想像で来た、ってことにして」
「エスタ……何か隠してるだろ?」
問いかけると、エスタは目を閉じ、大きく息を吐いた。
「ごめん。あるよ。でも、今は言えない……」
「わかった」
彼女の声は弱々しく、これ以上追及できないとリースは悟った。
しばらく無言で歩いた。
エスタの手はリースの手を固く握ったまま離さない。
それが申し訳なくて、リースは沈黙を破った。
「なあ、エスタ。アンダーアイゼンって、一体どんな場所なんだ?」
話題を変えると、エスタの表情が少し明るくなった。
「アイゼンって男が一人で建てた要塞で、ルナリス女神に賢者の加護をくれなかったことを逆恨みして作ったんだって」
言いながら、眼鏡を押し上げる仕草をする(眼鏡はかけてないのに)。
「そこには武器や魔術具が山ほどあって、三百年後に来る勇者のための『天境の橋』に備えてたらしいよ」
それを聞いてリースは眉をひそめた。
女神を恨むなら、なぜ世界を守るためのものを?
「じゃあ、女神像を下水とか最悪な場所に置いたってこと?」
エスタは少し考えてから答えた。
「着いたら合ってたってことになるんじゃない?」
彼女でさえ、女神像がそこにあるか確信がないようだった。
「見つからなくてもいいように、心の準備はしておこう」
「うん」
会話が途切れると、急に風景が変わり始めた。
空気が寂しげになり、森は荒廃していく。
「うわっ」
リースの足が何かに引っかかり、二人は立ち止まった。
見ると、鉄甲猪の白骨死体だった。
「これは……?」
「幻術だよ」
エスタは平然と言い、リースの手を引いて歩き続ける。
「アンダーアイゼンの周りは幻術で守られてて、誰も近づけない。でも私はルナリス女神の力を授かってるから、一般的な幻術なら看破できる」
「まるでルナリスの信者だけ通すみたいだな」
「さあね。三百年も前の術式だし、劣化してるのかも」
霧が濃くなるが湿気はない。
木々が揺れても風は感じない。
足元にはモンスターの死体が増え、人間の骨まで現れた。
一歩ごとに不安が募る。
(本当に罠だらけじゃないのか? エスタの記録と違ったら?)
でも今はエスタしか頼れない。
引き返せば、地面に転がるものと同じになるかもしれない。
「着いた」
エスタが霧を抜けると、まるで魔法の扉をくぐったようだった。
振り返ると、後ろは何かで遮断されている。
これまでの不安が馬鹿らしくなるほど、道中はあまりにも順調だった。
「何度見ても、痛い思い出が蘇るよねぇ」
エスタは片手で頭を覆いながら、目の前の異形の建造物を見上げた。
無骨な四角い要塞。
装飾は一切なく、屋根も窓も四角、ただ頂上に巨大な時計が付いているだけ。
高い柵の上には槍のように鉄の棒が突き出し、まるで首を晒すため。
鉄格子の門は内側から外が見え、濃密な魔力ドームが全体を覆い、正面の門だけが開いている。
「行こう」
エスタは迷わず鉄格子の門へ。
横に小さなレバーを見つけ、軽く操作して細く開け、リースに「V」サインを見せた。
「エスタ、どうしてそんな仕組みがわかるの?」
「え? 門の横に鍵があるのが普通でしょ?」
さらっと言って、先に進む。
今日の彼女からは、何かが抜け落ちている気がした。
「ほら、早く」
振り返って急かすエスタについて、リースは要塞の中庭へ。
門をくぐった瞬間、左胸に鋭い痛みが走った。
冷たく、寂しい感情が心を侵す。
「っ……!」
息が詰まり、右手を胸に当てる。
「おい、大丈夫かリース!?」
「平気……です」
無理に笑うと、エスタが支えてくれた。
痛みはすぐに引いたが、重苦しさと哀しみだけが残った。
「行きましょう」
二人で歩き出すと、今度は影のような人影がすれ違った。
リースは避けたが、エスタは気づかず素通りした。
「え……?」
「どうしたの?」
「エスタ、見えないの?」
「え? 何もいないけど」
周囲を見回すと、人間のような影があちこちで動き、何かを運んだりして消え、また現れる。
「人の影が見える……何かして消えて、また現れて……」
それを聞いてエスタは両腕を抱き、まるで勇敢な冒険者とは思えない様子になった。
「残された記憶か、あるいはアイゼンが残した記録……かも」
そう言うなら、なぜエスタには見えない?
「行こう」
リースが声をかけると、エスタは小さく頷き、再び歩き出す。
二人はアンダーアイゼンをさらに奥へと進んでいった。
リースにとっては驚異の連続だった。
重い扉が音もなく開き、通路の魔灯が近づくだけでぱっと灯る。
何度もすれ違う「影」を避けながらも、ここがどれほど凄い場所なのか、胸が震えるばかりだった。
「本当にすごいところだね、エスタ」
「でしょ? ここは“テクノロジー”だらけなんだから」
エスタはちらりとリースを見て答えるが、彼女自身はまるで当たり前のことのように平然としている。
「テクノロジー……って?」
聞き慣れない単語に、リースは首を傾げた。
「簡単に言うと、昔の記録で使われる言葉で、複雑な仕掛けや道具の総称みたいなもの。例えばあれ」
エスタは天井から吊るされた、奇妙な目玉のような球体を指差す。
「私たちが近づくと、魔力の波長や持ち物を瞬時に解析して、禁止品がないか判定してるの。問題なければ自動で扉を開ける仕組み」
彼女は人差し指を顎に当て、少し考え込む仕草をしてから、にこりと笑って続けた。
「つまり、アンダーアイゼン全体が、何百何千ものゴーレムを組み合わせた巨大な一つのゴーレムみたいなものなの」
「えっ……! そんなに大量のゴーレムを、一人で操ってるってこと!?」
思わず声が裏返る。エスタは小さく「ふむ」と鼻を鳴らし、からかうようにこちらを見た。
「……僕、小さいゴーレムを一つ立たせるだけでヘトヘトなのに」
恥ずかしそうに呟くと、エスタはくすっと笑った。
そして人差し指をぴんと立てて、得意げに説明を始める。
「普通のゴーレム制御だと、ずっと魔力を流し続けて細かく指示しなきゃいけないでしょ? まるで耳の遠い人に大声で命令してるみたいに疲れるし、精度も悪い」
リースがこくんと頷くと、エスタは満足そうに微笑んだ。
「でもここは違う。最初に『朝から晩までどう動くか』を全部書き込んでおくの。ゴーレムは生き物じゃないから、一度書いた通りに永遠に繰り返すだけ」
「書き込む……?」
「そう、“命令セット”って呼ばれるもの。完璧な一式を書いてしまえば、あとは魔力を供給するだけで動いてくれる。制御のための負担が劇的に減るの」
リースの目が輝いた。
「そんな便利な方法があるなら、なんで今は誰も……」
「それがね」
エスタは少し寂しそうに肩をすくめた。
「その“命令セット”の書き方自体が、もう完全に失われてるの」
夢がぽっきりと折れる音が聞こえた気がした。
「……あー……」
さらに探索を続け、行き止まりの暗い通路に辿り着く。
光も風もなく、魔灯すら点かない。
「ルミネイト」
エスタが自分の魔灯で照らすと、にやりと笑った。
「着いた」
床に、他の部分と色が違う金属板。
四角い板には指を差し込んで引き上げる穴が開いている。
隠す気などさらさらないようだ。
板を外すと、鉄の階段が下へ続いている。
エスタが振り返る。
笑顔はなく、黒い瞳は真剣そのもの。
唇を噛んでから、口を開いた。
「……行く前に、リース。本気で聞く。もしあなたが『強くて相応しい者』になったら……元の仲間、エンジェリカのところに戻る?」
声は氷のように冷たく、何の感情も含まれていない。
まるで「もうあなたとは終わりだ」と言わんばかり。
突然の問いに、リースは言葉を失う。
「エスタ……どうして?」
震える声で返すと、エスタはさらに詰め寄る。
「深い意味なんてない!! 答えろ!!」
鋭く、冷たく、容赦ない。
まるであの時、エンジェリカにパーティー追放された日の声。
(どう答えれば……)
(戻りたいと言えば、ここで縁を切られる)
(戻らないと言えば嘘になるし、同じく切られる)
(でも……どっちにしても、もう戻れない……)
エスタの圧力に、リースの瞳が震える。
頭の中は混乱の渦。
そして、ヴィクターに刻まれた傷が、無意識に口から零れた。
「戻れたとしても……僕には、もう資格が……」
「はぁ……もういい」
長い溜息とともに、エスタは目を閉じた。
圧力は消える。
彼女は顔を背けて、静かに続けた。
「覚えてる? 以前、私が『手遅れになる前に、会いたかった』って言ったこと。あれは……予言なの。ここから下は、あなたが戻れなくなる場所。死ぬか、別人になるか……曖昧だけど、もう関係ない」
「う……そ、そんな……」
リースは後ずさり、尻餅をついた。
冗談とは思えない真剣さ。
「あなたは帰れ。もっと強くなって、エンジェリカのところに戻れ。私にはできるって信じてる」
最後に振り返ったエスタの顔は歪み、涙が頰を伝う。
嗚咽を噛み殺すような声。
「友達でいてくれて……ありがとう、リース。三日後、教会でね」
短い詠唱。瞳が紫青く光り、エスタの姿は闇に溶けるように消えた。