今日は珍しく遅めの起床だった。
昨日は宝具のチャージから始まり、ギルベルト、黒金十字との模擬戦に『白狼の巣』の調査と行事がてんこ盛りだったこもあるのだが、何よりもマナ・マテリアルを吸うスライムの変異種との戦いが一番疲れた。
マナ・マテリアルはレベルの高い宝物殿に行けば行くほど吸収されていき、そのまま身体能力の向上などに繋がる。代わりに帝都など宝物殿と比べてマナ・マテリアルが薄い場所にいるとゆっくりではあるがマナ・マテリアルは抜けていき、たとえ肉体を鍛えていたとしても身体能力は落ちてしまうものだ。
例を挙げるとするならやはり探協の支部長、ガークさんだろう。
彼は過去にレベル7ハンターだったのだが、宝物殿を離れてからはレベル5程度のマナ・マテリアル量となっているはずだ。
そんなマナ・マテリアルを知覚できるレベルで吸われるという経験は皆無だった。力が抜けていく感覚というのは生物的な恐怖を覚えるものだったが、裏を返せばそれしか能力がないスライムでもある。
魔法が効かなかったのはその能力の副産物なのだろうが、それは今後調べれば良いことだ。
結局あのスライム———ぽよちゃんは持ち帰ってきてしまった。
建前としてはマナ・マテリアルを吸収するスライムなどとてつもなく危険であり、また今回の『白狼の巣』の異常に関する第一容疑者であるため。
本音としては俺にとってはマナ・マテリアルを吸うだけの能力は怖くなく、健気に近づいてくるぽよちゃんに少し———いや、多少愛着が湧いたため。
実際あの場で野放しにする選択肢はないし、連れて帰るか始末するかの二択しかないのは事実だ。今回の俺は連れて帰る選択をしたに過ぎない。
ただ対外的には超危険なスライムをどうやって飼うのかまだ説明ができないため、注意を払ってクランハウスに持ってきたつもりだったのだが———ぽよちゃんが俺のマナ・マテリアルを吸ったことに気を取られて、ルーダにうっかり見つかってしまった。
仮にも顔見知りなので「訳ありで誰にも知られちゃいけないやつだから、絶対に誰も言わないで」とお願いしたら凄い勢いで頷いてくれたから大丈夫だろうけど、知らない人だったらうっかり記憶を消していたかもしれない。
こんな危ないスライムを持ち込んでると知られたら帝国法に触れちゃうからね。
ちなみにエヴァにはちゃんと伝える予定だ。
こういうことはちゃんと伝えておかないと、もし何かあった時に困るからね。ハンターとして大成したいなら、困った時のアークとエヴァはしっかり抑えておかないといけない。
クライには———うーん、言っても言わなくても変わらない気がする。
というかこのぽよちゃん、ボス部屋に落ちてたカプセルに入ってた可能性が凄く高いんだよな。よく考えたら結界張った時にこんな感じの液状の何かが漏れ出ようとしていたし。
ぽよちゃんがどういうスライムなのかをクライが知っているのか、そもそもぽよちゃんをどうやって手に入れたのかは皆目見当もつかないつかないが、恐らくその全てに意味が生まれてくるのだろう。いや、俺と出会ったのだから意味はあった。
そして件のぽよちゃんは今、酒瓶の中に入っている。
俺がカプセルみたいなものを持ってるはずはなく、そもそもスライムの飼育方法が分からないため、せめてぽよちゃんが中に居るのが分かるような物には入れておこうと考えた結果だ。
面倒ではあるが、外に出る時や少し席を箱に入れて結界魔法で閉じ込めておけば一日やそこらでは出てこないと思う。
あとはシトリーと相談かな。
グーッと伸びをしていつもの旅支度を済ませ、クランマスター室へ向かう。
一日遅れてしまったが今日は万魔の城へ戻る日だ。
昨日ぽよちゃんにマナ・マテリアルを吸われていた俺だが、何度か吸われていくうちに抵抗できるどころか逆に吸い取ることもできるようになった。
もしかしたら、と思って試しに帝都の地脈から吸い取ろうとしたらできなかったため、あくまでぽよちゃんに吸われたら吸い返すことができる程度のものらしいが、最終的には取られた分の八割強を抜き返すことができた。
条件付きとはいえ、マナ・マテリアルを意図的に吸収することができるこの技術は間違いなく前代未聞だ。
どれくらい前代未聞かと言うと、仮にシトリーにこのことを伝えた場合、キラキラした目で「人体実験させてください!」と言ってくるレベルだ。
なにそれ怖い。
その情景が正確に思い出せてしまうから尚更だ。
少しだけブルーな気分になりながらクランマスター室の扉の前に着くと、中からクライとエヴァの話し声が聞こえてきた。
儀式的にノックだけして返事を待たずに中へと入ると、相変わらずぐでーっとしているクライと制服をピシッと着こなしたエヴァがいた。
俺の姿を見た瞬間、クライの表情が一気に明るくなる。
「あ! アルス! 良いところに来た!」
「……なんだよ」
「ガークさんが『白狼の巣』の報告を聞きたいんだってさ。今日『
「……ついでに報告しておいてってこと?」
「そうそう! ついでだし良いでしょ?」
「まあ、良いけど」
たしかに効率という面ではそれが一番良いのだろう。クライが言ったところで何も分からないし、そこで適当なこと言われる方がこちらとしては嫌なので了承しておく。
あとはクライがいなければエヴァにぽよちゃんのことを相談するつもりだったが、二人いるなら挨拶だけにしてさっさと行くことにするか。
「そういえばエヴァ、帝都でなにか動きとかなかった?」
「———ッ!! い、いえ……実はアルスさんからも地脈の調査を依頼されていたのですが、特に異常は見られませんでした……」
「……先にやってくれるなんて、流石はアルスだね」
念の為調べてもらったが、どうやら今のところは何もないようだ。エヴァの情報収集能力は冗談抜きでレベル7、レベル8相当に値すると思っている。これでよほどの事がない限りは万魔の城から帰ってきたら帝都が宝物殿に! なんて心配もないだろう。
「さらに詳しく調査します」
「あ、いや、大丈夫だよ大丈夫。気のせいだから、気にすることないよ、本当に」
「…………」
しかしエヴァは逆に何かがあると踏んだようでクライのことを訝しげに見ている。なんなら俺のことも訝しげに見ている。やめてくれ。
たしかにエヴァに労力を割かせたのは本当に申し訳ないと思っているが、俺もクライが変なこと言い始めたから念の為調べさせただけで他意はないんだよ。
「エヴァ、帝都には本当に何もないと思うよ……今は、と言っておくけど」
「そう、ですか……いや、今後も何も無いようにお願いしたいんですけど」
うーん、クライが帝都にいる限りは無理なんじゃないかな。
あまりエヴァには負担をかけたくないから何も言わないけど、思わず苦笑いを浮かべてしまった。
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「エヴァ、帝都には本当に何もないと思うよ……今は、と言っておくけど」
「そう、ですか……いや、今後も何も無いようにお願いしたいんですけど」
エヴァの言葉に、アルスはただ苦笑を浮かべるだけだった。
そんなアルスの反応を見て、エヴァは更なる調査をすることを決意する。
今さらクライが何処から情報を集めているのか、何処まで先を見ているのか理解しようとは思っていない。天才と呼ぶことすら烏滸がましい程の先見。千変万化とはよく言ったものだと、その二つ名がついた時にエヴァは手を叩いて納得したものだ。
誰もその神算鬼謀に触れることはできないのだと、そう思っていた。
「あ、ところでアルスは『白狼の巣』を見に行ったんだってね。どうだった?」
「ああ、クライのおかげで良い出会いがあったよ。ありがとう」
「何を言ってるのかは分からないけど、良い出会いがあったなら良かったよ」
「万魔の城から帰ったらクライにも報告するわ」
「うんうん、そうだね」
今の受け答えの意味をエヴァは何一つ分からない。
しかしどういう訳か、二人にはこれでしっかりと意味が通じているのだ。
先程の帝都の調査についてもそう。
アルスはクライが今後調査依頼を出すことを予想した上で、予めエヴァに調査依頼を出していた。そして恐らく、エヴァから返ってくる答えも分かっていたのだろう。
結果的に何も見つからなかったことが今回の正解らしいが、一般常識的な範囲内で頭が良いだけのエヴァには理解の外側にある。
あの神算鬼謀を全てでは無いとはいえ、推し量ることができるのがどれ程のことなのか。それは副クランマスターとして従事しているエヴァが身に染みて分かっている。
エヴァはアルスからクライの言葉の意図がどういうものかアドバイスを貰っている上で、全く推し量ることができないのだから。
幾度となくクライがボヤいている言葉があった。
———僕の事を分かってくれるのはアルスだけだよ。
凄く、胸が締め付けられる言葉だ。
しかしエヴァは副クランマスターとして、その言葉を真摯に受け止めなければならない。
クライは情報を出し渋る癖があるが、決して情報を落とさないわけではない。それをどれだけ拾いどれだけ役立てるかは拾った当人に委ねられているのだ。
そしてエヴァは全く拾うことができておらず、アルスは正確に拾い上げているだけの話。
悔しい———とは思えない。
あまりにも次元が違いすぎて。
「あ、そういえばいつもの奴も頼みたいんだけど」
「あー……何個だ?」
「15個だね」
「まあそんなもんか。それやったらすぐ万魔の城に向かうからな」
「探協の報告も忘れないでね」
「分かってるよ。良い感じに報告しとく」
事前情報を何も知らなければただの気兼ねない友人同士の会話だ。しかしこんな何気ない会話の中に幾つもの情報が紛れ込んでいることをエヴァは分かっている。
「それじゃあ僕はティノの様子でも見に行こうかな」
「ティノは何やってるんだ?」
「リィズと訓練場にいるみたいなんだ。やり過ぎないか見ておかないといけないし、少し
「……それってもしかして、白狼の巣に関係あるやつか?」
「———ッ!?」
「……よく分かったね」
これだ。
今の会話の流れに不自然さは何も無かったはず。
それなのにどうしてそんな確信めいた質問ができるのか。
会話の流れを追うなら、いつものやつ———恐らく宝具のことだろう———を15個頼みたい、つまりチャージして欲しいとお願いして、アルスが了承した。
次にティノの様子を見に行こうとして、リィズと訓練場にいること、そしてティノに
もしエヴァが理解した通りの流れで進んでいるのであれば、アルスがする質問として正しいのは「何を探しているの?」のはずだ。
仮に昨日の出来事を加味して『白狼の巣』に関係することだと気がついたとしても、それが確信に変わる要素はないはず。
何を以てその確信を得たのか、エヴァには全く理解が及ばない。
「まあな。ちなみにそれは俺やエヴァに言えるものか?」
「……いや、今はまだ言えないかな。絶対に言えないものでも無いから近いうちには言うと思うよ」
「なるほどな……ちなみにうっかり見つけてしまっても良いんだよな?」
「え? あー、うんうん、そうだね。そうしてくれるとありがたいかも。それじゃあ僕は訓練場に行くから、アルスは探協のこと頼んだよ」
席から立ち上がり、手をヒラヒラと振りながら出ていくクライにあいよーと呑気に答えて送り出すアルス。しかしクライが完全に出ていったのを確認した瞬間、大きく溜息をついた。
そのままクランマスター席に置いてある袋を掴んでソファーへと腰を下ろした。
「……お疲れですか?」
「うーん、そうだね。今まさに疲れたというか、これから疲れるというか……」
それも当然だろうとエヴァは思う。
あの神算鬼謀を読み解くことにどれだけの労力が割かれているのかエヴァには分からないが、少なくとも本来はエヴァがやらないといけないことをやらせてしまっているのだ。
それに加えて宝具のチャージ、さらにはこの後格上の宝物殿である『万魔の城』に戻るという。
その負担は一人のハンターが請け負っていいものでは無い。
「エヴァも悪いね。クライのこと任せちゃって」
「任せるなんてそんな……私はまたまだです」
そしてその一端はエヴァの責任でもあった。
クラン経営に関してはエヴァも滞りなく行えている自信はある。しかし副クランマスターはクランマスターであるクライの意向も汲み取れないといけない。むしろこのクランにおいては最も必要だとされる能力だと思う。
それをエヴァは、全く出来ていない。
こうやってアルスに全て丸投げしてしまっている現状が、責任感の強いエヴァにとっては許せないことだった。
「エヴァ、今何を考えているのかは分からないけど、君は間違いなくこのクランに必要だ。いや本当に、冗談抜きで」
「…………」
「何をそこまで落ち込んでいるのかは分からないし俺が力になれることは少ないけど、何でも聞いてよ。たぶんクライのことなんだろうけど、答えられる範囲で良いなら答えるからさ」
「……そういうことでしたら、一つだけ聞かせてください」
エヴァにはクライが見ている世界を見ることができない。それでも副クランマスターという立場である以上、アルスには確認しておかなければいけないことがある。
場合によっては、今すぐにでも調査に向かわせないと行けないかもしれないことだ。
「先程のクライさんの
「
何処か申し訳なさそうな表情を浮かべるアルス。
その様子から返ってくる答えはある程度想像がついた。
「……凄く申し訳ないんだけど、それは答えられないな。クライも言ってたでしょ? 今は言えないって」
「ですがアルスさんは何処か確信を持っているような気がしました。ある程度見当がついているのでは?」
「まあ見当がついてるというか……ほぼ確信はしている、かな。俺もその事で本当はエヴァに相談したかったんだけど、クライがああいうなら仕方ない」
「そう、ですか……」
なんでもないように言っているその姿が、逆にエヴァには得体の知れないものとして映っている。
手段も手法も全てが不明、神出鬼没の千変万化を完璧では無いとはいえ捉えている目の前の青年は、その二つ名である『千導』も千変万化由来のものとなっているために対外的には他のパーティーメンバーよりも格落ちだと思われている節がある。
事実として『先導』の二つ名を持っていた時でさえ、他のメンバーと比べて特徴のない影が薄い存在だった。
今思えばとんでもない話だと思う。
実力はレベル8の千変万化は勿論、英雄アーク・ロダンにも認められている帝都屈指の魔導師でありながら、その頭脳もまた神算鬼謀に追随する正真正銘の怪物。
圧倒的な実力よりも正体不明なもの程恐ろしいとはよく言ったものだ。
「まあ仮にも『白狼の巣』に行った訳だしね……あ、そうだエヴァ」
宝具のチャージをしている最中、アルスは何かを思い出したかのように懐から取り出した。
それはクルクルと紐に巻かれている紙。
紐を解いて、その中を見る。
「これ、は……?」
「これ『白狼の巣』周辺でちょっと気になった部分にマーカーを引いてある。色んな都合があって全部回れている訳じゃないけどね」
「!?」
「もう大丈夫だとは思っているけど……念の為エヴァに渡しておくから、エヴァが自由に使ってよ。誰に渡したって良いからさ」
気になった部分。
つまり、『白狼の巣』で今起きている異常についてのヒントとなる部分がこの紙に記されているということなのだろう。
アルスに先を読む力はない、らしい。
しかしこの姿を見る度に、実は神算鬼謀と近しいことは出来るのではないかと勘繰ってしまう。
「アルスさんは、その……今回の件、どこまで見えているんですか?」
「やめてよエヴァ。俺に先を読む力なんてないし、神算鬼謀でも何でもないんだから」
再び宝具のチャージに戻るアルス。
本人は否定しているが、毎回このように何かしらのヒントを落としていく姿を見ていると思ってしまうことがある。
神算鬼謀を読み解く者もまた、神算鬼謀ではないのかと。
これからアルスはチャージを終えた後に探協に報告、そしてその足で『万魔の城』へと向かうだろう。
つまりここからはエヴァが動く番だ。
「こちらでも詳細に調べてまいります。情報ありがとうございました」
「そんな大層なものでもないよ」
一礼をして、今後の指示を出すために背を向けたエヴァに対して、アルスは宝具をチャージをしながら片手でヒラヒラと手を振る。
アルスと話す時に、エヴァは毎回思うことがある。
「あ、これも念の為なんだけどさ」
「はい?」
「もしかしたら、えーっと……その周辺に魔物とかがいるかも知れないんだけど、もし出たとしてもハンターのレベル関係なしに迂闊に触らないようにね。凄く危険だから」
「!? ……肝に銘じておきます」
レベル3宝物殿に対する助言とは思えない程恐ろしい助言を背に、エヴァはクランマスター室を後にした。