自分が異質な嗜好の持ち主である事を、羽山美羽は自覚している。
「あら、こんちには。えっと、一緒の方は旦那さん、かしら?」
買い物帰りの道。家の前を掃除していた、近所の中年女性に挨拶と疑問の言葉を掛けられた。
恐らく、この女性には美羽の隣を歩いている人物が、大層な美形男性に見えているのだろう。
美羽は最近この地域に引っ越してきたばかりで、女性は美羽の家族構成をあまりよく知らない。美羽が三十代前半である事と、夫がいる事ぐらいしかまだ伝えていないからだ。その夫と顔を合わせるのは、恐らくこれが初めての筈。
「そうなんです。彼、ラヴァーズでして」
「あっ、そうなのね! どうりで大好きな俳優にそっくりだと思ったわ!」
にっこりと笑い、中年女性は納得したように冗談を言う。或いは本当の事なのかも知れないが。ラヴァーズの姿は人によって見え方が違うため、どう見えているのかは当人にしか分からない。
「ええ、ええ。そうなの? あらあら」
そして何やら相槌を打ち続ける。
美羽は何も言っていない。話しているのは傍にいる夫……ラヴァーズだろう。
だろう、という不確かな言い方なのは、美羽にはラヴァーズの声が聞こえていないため。無論、中年女性の言葉が聞こえているのだから美羽は難聴や失聴という訳ではない。
それでも夫であるラヴァーズの声が聞こえない。
聞こえる方がおかしいとすら思う。
美羽の目には、隣に立つ夫の姿は不気味な怪異にしか見えないのだから。
――――いや、夫、と呼んでいいのだろうか。
大きさは二メートルぐらいある、ように見える。老人のように背を丸め、頭部は前に突き出した姿勢だ。
身体はまるで蛆虫のよう。節足動物のような脚を腹側に八本生やしているが、この脚で歩く事はしない。蛆虫のような身体を波立たせ、這うように蠢く。人によっては見ただけで吐き気を催す動きに感じるだろう。
背中側には無数の触手が生えている。ミミズのように細いものもあれば、腕のように太いものもある。いずれも肉々しい外見で、縦横無尽に蠢く。
頭部は虫のそれ。甲虫の幼虫に似ているが、昆虫の顎は左右に開く。人間のように上下に開閉する顎を持つこの生物は、明らかに地球には存在しない種だ。
ラヴァーズの開く口から、言葉なんて聞こえない。精々薄気味悪い吐息ぐらいだ。何かを話しているようだが、妻である美羽には聞こえず、中年女性とは普通に語り合う。
「……………ふふっ」
それが、良い。
――――美羽は、人間に性的な感情を抱いた事がない。
何が理由かは分からない。単純に生まれついての癖なのかも知れない。特殊性癖持ちが全員、トラウマや洗脳をされている訳ではないだろう。それこそ生来の美しさから多くの男子を虜にし、数え切れないほど告白されてきたが、誰にも美羽の心は揺れ動かなかった。
それよりも、異形で、おぞましい化け物に惹かれてしまう。
虫の幼虫や、グロテスクな怪物が好きだった。そういうものに汚される自分が好きだった。だから今まで恋愛なんて出来ない、恋なんて叶わないと思っていた。好きでもない人となんとなく結婚するか、一人で生きていくかのどちらかしかないと――――
なのに、ラヴァーズは夢を叶えてくれた。
「■■■■■■」
夫であるラヴァーズが唸る。
声と呼べるようなものですらない。軟体質で、粘液がこびり付く、
まるで意味が理解出来ない。
それが興奮する。心が通じ合っていない、通じ合えないのが好みだ。話が通じ合ったら、化け物感が薄れて興ざめになってしまう。
まるで人間と異なる、いや、地球生命として逸脱した外見も最高だ。自分が何に穢されているのか、それすら分からないぐらい薄気味悪いのがとても好みに合う。こんな存在の嫁、いや、番になるなんて人間としての尊厳さえ踏み躙られているようではないか。
何もかもが、美羽にとって理想だ。
……そんな相手と交際どころか結婚しているなんて、世間に知られたら破滅どころではないだろう。もしかすると馬鹿な男達は、「化け物が好きなら俺はもっと好かれる筈」と考えて襲ってくるかも知れない。自分はおぞましい怪物が好みであって、悪臭漂う中年男性や、鼻息の荒い不衛生なオタクは普通に嫌いだ。人間が好きなんて一言も言ってないのに、勝手に解釈を広げてアピールしてくる……そういう読解力も理解力もない男を選ぶなんてあり得ない。
或いはそんな化け物より現実の男の方が良いと、教えようとする輩もいるだろう。全く忌々しい話だ。人の好みにケチを付け、誤りだと言ってくる事がどれだけ失礼か認識していない時点で話にならない。ご自慢のものを蹴り潰してやりたくなる。
だが、ラヴァーズが伴侶ならそんな心配はいらない。ラヴァーズの姿形は見ている者によって異なる。女性なら大抵美男子に、男性なら大抵美女に。己の理想の相手に見えるからこそ、外野からは何も言えない。それを打ち明けるのは己の性的嗜好の独白に過ぎないのだから。
勿論「異星人と結婚なんて」と言う者もいるが、そんなのは人間と結婚しても言われる話だ。ラヴァーズは既に地球人社会に溶け込み、日常となりつつある。ラヴァーズとの恋愛に文句を言うのは、外国人との結婚に文句を言うようなもので、昨今ではすっかり差別的な扱いと見做される。個人の感想は自由なので家族間や友人間で言うのは勝手だが、企業や政治家が言えば謝罪会見を開く事になるだろう。
お陰で、美羽は理想の相手についてあれこれ言われずに済んでいる。何も言われず、堂々とこの薄気味悪い伴侶を人に紹介出来る。性癖と社会生活のいいとこ取りだ。
なんて心地よいのだろう。
「ねぇ、奥さんはどう思う?」
悦に浸っていたところ、不意に話を振られた。
強いて問題を挙げるなら、夫と一緒だと話の流れが掴み難い事だろう。美羽にはラヴァーズの言葉は認識出来ないが、他人にはラヴァーズの言葉が分かる。どうやらラヴァーズの言葉さえも、姿形と同じで人によって聞こえ方が違うらしい。
今のように考え事をしていて、話の流れを追っていないとすぐに分からなくなってしまう。話し相手に失礼であるし、何か疑念を抱かれても面倒だ。
ただ、今回であれば誤魔化しようがある。
「あ、すみません……ちょっと、ぼーっとしていました」
「あら、体調でも悪い?」
「悪いといえば、そうですね。実は、あの……」
少し、言葉が詰まる。
夫との『夜』を思い出して、思考が一瞬そちらに塗り潰されてしまうがために。頬がほんのり赤らむ。
「妊娠、していまして」
その事実を堂々と明かせるのも、夫がラヴァーズだからこそだろう。
「あら! ごめんなさいね、こんなところで立ち話しちゃって」
「いえ。私もお話出来てよかったです」
「何かあったらどんどん頼っていいからね。愚痴ぐらいならいくらでも聞くし、お母さんとしても先輩だから!」
「頼もしいです。その時はよろしくお願いします。では」
軽く会釈をし、再び家路に就く。夫のラヴァーズは何か言ってるかも知れないが、美羽には分からない。
妊娠。
ラヴァーズと人間の間に子供が出来る事は、今や周知の事実である。特段妊娠が難しいという事はなく、ラヴァーズ側が『女性役』、つまり妊娠する側であれば一度の性行為でほぼ確実に妊娠するらしい。人間側が妊娠するとしても、一般的な男女カップルより妊娠率は高いとの研究結果が出ている。
そして産まれてくる存在は、必ずラヴァーズになるらしい。
人間側が妊娠する場合、ラヴァーズの身体が大型かつ高等なため、色々と負担が大きいが……先進国なら栄養面での問題はほぼなく、出産時のフォローや事故対応もラヴァーズから提供された高度医療技術によりほぼ解決した。リスクがないとは言わないが、ラヴァーズ来訪前の先進国よりは改善されているらしい。
美羽が母親となるのに、医療的な意味での問題はない。
――――ただし美羽に、その資格があるかは別だが。
「(ふふっ。楽しみ)」
一体何が産まれるのか。どんな子供が誕生するのか。
何を産まされるのか。
美羽の関心事は、その一点。勿論子供はちゃんと育てる。立派な社会人となれるよう躾をし、好き嫌いがないよう食事にも気を遣う。義務教育も受けさせるし、友達との交流も(悪い友達でなければ)制限するつもりもない。
しかし産まれてくる子がラヴァーズなら、その子は美羽の目にはどう見えるのか。果たして言葉は理解出来るのか。
そんな自分も、彼等は愛してくれるのか。
……最後の疑問については、考えるまでもない。
今でも自分の癖に合わせて愛してくれる夫が、このぐらいの事で見放すとは到底思えないのだから。