「そういえば、先輩って純粋な人間を見た事あるんですか?」
中央政府機関の一つ、極東支部にて。此処の官僚を務めるラヴァーズがそんな呟きを漏らした。
傍には先輩のラヴァーズがいる。先輩はPCを操作する手は止めず、話に乗ってくれた。
「ええ。私はこの星に降り立った、第一世代のラヴァーズですからね。当時は代表者の秘書官として、人間達の政府と会談をしたものです。その後地球に移住して、紆余曲折あってこの仕事に就きました」
「いいなぁ。私、同化後世代ですから見た事ないんですよね、純粋な人間。もういないのかなー」
「アメリカやヨーロッパなどのごく一部に、小さなコミュニティを維持していると聞きます」
「海外旅行はハードル高いなぁ……」
「国の枠組みとか、もうすぐなくなると思いますけどね。勿論物理的な距離は縮まりませんが、パスポートとかは廃止されるでしょう。お金をちゃんと貯めておけば旅行ぐらいは行ける筈です」
「まぁ、そっすね。言葉の問題もほぼないでしょうし」
先輩と後輩は淡々と、今の地球について語る。
既に『地球人』という言葉は、人間ではなくラヴァーズを指すようになっていた。
来訪時に八十億人だった人口は、今では二百億人まで増加。その九十九パーセントがラヴァーズで占められている。ラヴァーズの優れた言語能力によって言葉の壁は消え、文化の差異も失われつつある。今でも中央政府機関という世界各国の調整機関があるが、いずれは一つの、統一された地球政府が成立するだろう。
そして地球本来の支配者である人間は、今やほんの僅か。
純粋な人間は、今や反ラヴァーズコミュニティに属する者達だけ。彼等はラヴァーズによって物資や経済面での援助を受け、細々と存続している。コミュニティによって距離の取り方は様々だが……多くのコミュニティは、ラヴァーズの出入りさえも拒んでいた。
曰く、人間の純血が侵される、同化されて僅かな生き残りさえも滅ぼされる……との事。
ラヴァーズには理解出来ない考えだ。そもそもラヴァーズは人間を滅ぼすつもりなどない。いや、そもそもラヴァーズの認識では、人間は衰退なんてしていない。むしろ以前よりも繁栄しているとさえ思う。
「しっかし、私達と交配する事の何が嫌なんですかねぇ? 私達だってちゃんと人間の子なんですから、人間は繁栄してるって事になりません?」
「どうやら人間は純粋さに拘るようです。それと一般的に、交配すると自分の遺伝子が希釈されると思っているようですね。実際人間同士の繁殖でも、遺伝子の半分だけしか子供に受け継がれないようですし」
「へぇー。そうなんですか」
ラヴァーズにとって一般的な考えを持つ二人は、自らの生態に由来する価値観に従って話す。
――――ラヴァーズは、遥か昔から存在する生命体だ。
地球人は異星人と呼んでいたが、厳密には異なる。ラヴァーズは星々だけでなく、宇宙さえも渡る技術力を持ち合わせ、数多のマルチバースに進出していた。尤も、他の星出身という意味では、異星人でなんら問題ないが。ありとあらゆる環境・星に進出しており、ラヴァーズ自身自分達の版図を把握しきれていない。あまり興味がない、というのが正しいだろう。
そんなラヴァーズにも勿論起源はある。何処かの宇宙の、何処かの惑星で誕生した生物だ(あまりにも昔な上に文献記録がない時代なのでラヴァーズにも分からない)。そしてこの生物にはとある能力が備わっていた。
交配相手の遺伝子を、自らの遺伝子に『結合』するというものだ。
普通の生命体……例えば人間が子供を作る時、即ち受精時には、男女共に遺伝子の半分だけを渡す。正確に言うなら二本で一対の染色体のうち、片方だけを配偶子(精子や卵子のこと)に乗せ、受精時に合わせる事でまた二本一対の染色体を作る。これなら突然変異などを除き、次世代でも遺伝子の長さは変わらない。
ところがラヴァーズの配偶子は、親と全く遺伝子量を持つ。
しかもこの配偶子は、他種の配偶子を取り込む性質がある。取り込んだ後、他種の配偶子をバラバラに解体しながら解析。そこに含まれている遺伝子を取り出し、自分の遺伝子に接合する。
ラヴァーズはそうやって他種の遺伝子を、自分の遺伝子の中に組み込んできた。おまけにただ組み込むだけではない。バラバラにした配偶子から、取り込んだ遺伝子の『解読方法』を取得。これにより他種の遺伝子を発現させ、自分の体質として利用する事が出来るのだ。
この能力はラヴァーズを繁栄に導いた。新天地で、最も適した体質はどんなものか? それはその地に適応し、繁栄している生物の体質だ。ラヴァーズはこれら現地生物の体質を獲得し、新たな環境に素早く適応する事を可能とした。文明が発達して故郷の星を離れた後は、生まれた場所とは全く違う環境にも一世代で適応し、定着するのに役立った。
勿論地球でもこの能力は活躍している。ラヴァーズが地球で難なく活動出来たのは、過去に取り込んだ異星の生物の体質を利用したため。そして地球人の体質も利用した。今のラヴァーズは完全に地球環境に適応しており、病気や気候などで全滅する恐れはない。
「なら、尚更私らと交配した方が良くないですか? だって私達との間に出来た子なら、百パーセント引き継ぎますよ?」
「コミュニティ成立時にその点の説得はしたそうです。ですが、混ざりものになるとかいう理由で断られたとか」
「んー? 遺伝子の原型が保存されているんですから、良くないですか?」
「どうやら物理的なものではなく、概念的なもののようです。だからか人間は遺伝子ではなく血と呼んでいますね」
ラヴァーズは自らの遺伝子の『全体』が変化する事にあまり頓着しない。
根幹である、始祖から受け継ぐ遺伝子こそがラヴァーズの本体と認識している。その周りにどれだけ多くの遺伝子をくっつけても、ラヴァーズという種は揺らがない。地球に来たラヴァーズ達は過去に数多の異星生命体の遺伝子を取り込んでいて、本来の遺伝子なんて全体の一パーセントも占めていないが……それでも先祖の遺伝子がそのまま残っている以上、どれだけ混血しても自分達はラヴァーズだという考えだ。
その延長線上の考えで、取り込んだ遺伝子の子孫であるとも思っている。人間の遺伝子はラヴァーズ達に取り込まれ、全遺伝子から見ればほんの一部でしかない。だが、なんの欠損もなく丸ごと残ってもいる。だからラヴァーズは人間でもあり、その個体数が増えれば人間が増えた事と同じと思う。
そして遺伝子の増殖こそが、彼女達の認識する『繁栄』だ。
自らの遺伝子を増やす事こそがラヴァーズのアイデンティティ。文化や風習にはあまり頓着しない。外見や言語なども最初から重要視していない。だから現地の環境にも難なく溶け込める。地球人との交配をなんら躊躇わないのも、自分達の遺伝子は変わらずそこに存在するため。彼女達は気質からして、異種族に入り込めるよう進化してきたのだ。
無論いくら善意の塊で、文化に溶け込もうとする性質があっても、それだけでは上手くいかない。多くの知的生命体は『偏見』を持ち、異物の侵入を拒む。
その拒絶を乗り越える力も、ラヴァーズは持ち合わせている。
「兎も角、コミュニティに属する人間達は自分の純粋さを大切にしています。余計な事はしないように」
「しませんってば。でも、遠目に眺めるのも駄目なんですかね?」
「駄目です。あなたは周りに他種族がいない中で育ったから知らないでしょうが、我々の姿は他種族には魅力的に見えるのです。我々との交配を避けたい人々からすれば、姿を見せるだけで宣戦布告に等しい」
「……私ら、そんなに人間に似てます? 聞いた話では似ても似つかないと思うのですが」
「似てなくても、です」
ラヴァーズの『本当の姿』は、極めて複雑である。怪奇と称しても良いだろう。
何しろ人間の認知では正確に表現出来ない、三次元を無視した構造なのだから。いや、三次元に限っても、人間では情報の取りこぼしがあるぐらい複雑である。
ラヴァーズがこんな姿をしている理由は、過去に取り込んだ数多の遺伝子によるもの。というのもラヴァーズは他種の遺伝子を取り込み、その形質を発現させる性質があるが……この時
遺伝子にある情報を、一つ残らず作り出すのだ。一つ残らずとは文字通りの事。ありとあらゆる遺伝情報を発現させる。
普通ならそれは不可能だ。例えば「長毛の遺伝子」と「短毛の遺伝子」があった時、両方の形質を持つ事は出来ない。精々中間の毛が出来るだけ。
しかしラヴァーズなら問題ない。
彼女達には『確率的発現』という性質を持つからだ。これは複数の状態が確率的に存在し、特定の状態に定まっていないというもの。体毛の長さで例えれば、ラヴァーズは長毛である可能性が二十五パーセント、短毛である可能性が二十五パーセント、中間である可能性が二十五パーセント、無毛である可能性が二十五パーセント……とあらゆる状態が均一な可能性で存在している。
常識的に考えてあり得ないと言いたくなる状態だが、これは量子力学では珍しくないものだ。例えば原子の構成要素である電子は、原子の周りに確率的に存在している。観測などで確定するまで、その位置すら曖昧なのだ。このため電子の位置は電子雲という、ぼんやりとした色の濃淡で示す。
ラヴァーズも本来、その姿は電子雲のような確率的なものでしかない。ぼんやりと形や体色が定まっている。
ところが人間など、普通の生物にはこの姿が正確に捉えられない。確率的に幾つもの姿が重なり合っている状態はあまりにも情報量が多く、人間程度の情報処理能力では解析出来ないのだ。それでも情報自体は入ってくるので、何かが見えてくる。
この時、その個体にとって見たいものが見えてくる。
具体的には『好みの相手』。どんな知的生命体も見たいものを見たがる。不快な情報や興味のない情報を無視(というより処理しきれない)していき、より好んでいる情報のみを受け取ってしまう。
結果、ラヴァーズの姿が自分にとって理想的なものに見えてしまう。本来の姿の、ほんの一パーセントにも満たない上辺だけの姿に惹かれてしまう。
そうして他種族を魅了してしまえば、コミュニティに入り込むのは容易い。
「私達が近付くだけで、多くの生命体は無視出来ません。人間達が種の隔離を望む以上、それを尊重すべきです」
「分かってますって〜。あー、でも私も異種族と出会いたいなぁ。人間以外の生物も、大分減ってきまし」
ラヴァーズは種族の選り好みをしない。人型も、虫型も、魚型も、全て等しく愛せる。
人間以外の地球生命も例外ではない。牛や豚のみならず、昆虫や軟体動物さえも恋愛対象とし、遺伝子を取り込むために繁殖する。たとえ知性を持たずともラヴァーズの魅力には抗えない。あらゆる種族の望む情報……フェロモンや模様も兼ね備えているのだ。当然その後生まれるのは異種族の遺伝子を追加した、新世代のラヴァーズのみ。
ラヴァーズの魅力に抗えるのは、単為生殖をするバクテリアや、自発的に動けない植物ぐらいなもの。いずれ地球はそれらの生物のみが生き残り、単純な生態系へと変わるだろう。
ラヴァーズは博愛の持ち主であり、単為生殖するという理由で特定の生物を排除する事はしない。むしろ種の絶滅に心を痛め、しっかり保護する。だが変化自体には無頓着だ。自分達の遺伝子が世代単位で大きく変わるからこそ、変わりゆく環境、文化や風習の何が悪いのかを理解しない。遺伝子を取り込んだ時点で他種の末裔という認識になるので、交配した種が絶滅する事も気にしないのだ。
たとえ地球以外でも、その価値感は変わらない。
「そんなに異種族に会いたいなら、次の移民船に乗ればよいのでは? 新しく発見された星への移民が募集されてますよ」
「えっ! ほんとですか! 調べてきます! あ、お世話になりました!」
「早い早い。退職する気になるのが早い。あとそーいうのは業務時間外にやりなさい」
他愛ない会話をしながら、ラヴァーズ達は次の星に想いを馳せる。
これからも彼女達は誰かを愛し、これまで愛した者達の遺伝子と共に繁栄していく。
宇宙と、世界の全てを、彼女達なりの愛で包み込む時が来る日まで――――