宰相閣下の「運命の対」を探せと仰せですが、鑑定の水盤に映ったのは私でした ~共鳴した鑑定官は引退の掟なので、全力で隠します~   作:kuratn

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1. 水盤が、祝祭のように光りまして

 名前というものは、重い。

 

 名錘(なおもり)――星見の水盤に沈める、青銅の名札である。正式の名を一字も欠かさず刻む。一字でも欠ければ、水盤は別人と見なす。私は今朝もそれを彫っていた。彫っていたところへ、局長のオトマール様が白い顔で駆け込んできたのである。

 

「お……王命だ」

 

 いわく。独身のまま三十を迎えた宰相カシミール閣下の「(つい)」を、候補名簿百二十名の中から探し出せ。期限は次の星祭まで――ちょうど、一年。

 

 ここは王宮星見局、対鑑定室。私はグレーテ・ラングハイム、二十二歳。この国に十二人しかいない対鑑定官の、末席である。

 

 対――生まれつき結ばれた縁のこと。数千に一組の稀事で、確かめる手立ては星見の水盤しかない。二人の名錘を沈め、水が底から光れば、運命の対。光らなければ「不一致」。ほとんどの検分は沈黙で終わる。沈黙を正確に告げるのが、私の仕事である。

 

 その大役の主任に、私が指名された。理由は二つ、と局長は白い指を折る。検分の成績が局でいちばん正確なこと。家格が低くて、派閥の色がないこと。没落男爵家の娘なら、名簿のどの令嬢が光っても文句が出ない。

 

 人選の理屈が透けて見えるのは、考えものだと思う。透けて見えるくらい真っ当なのが、いっそう性質が悪い。

 

 午後、下命の謁見に呼ばれた。宰相閣下を、私は生まれて初めて視界に入れることになる。

 

 大広間の石の床は、春でも底が冷える。香の煙がまっすぐ立ちのぼり、陛下の声がその煙ごと揺らして落ちてきた。

 

「見つけよ。星見の水盤に、宰相の対を問う」

 

 御意、と頭を下げる。玉座の脇に、黒に近い髪の人が静かに立っていた。あれが宰相閣下。こちらを見もしない。整った目鼻立ちであるが、手帳を見つめる淡い瞳には鋭い知性が光り、なるほど、遠目にも切れそうな人である。

 

 礼の姿勢のまま、その一瞬――耳の奥で、りん、と細い音が鳴った気がした。卓の水差しが、ちり、と澄んだ音を返す。

 

 緊張である。そういうことにして、頭は下げたままにしておいた。

 

 夕。水盤の間に、独り。

 

 王命・貴人案件の定めで、着任の検分は二段になる。手順一、除斥(じょせき)対鑑定――対象者の名錘と担当者の名錘を沈めて、担当の私が閣下の対でないことを検める。利害の除斥というやつで、要するに形式である。形式の、はずである。

 

「名錘、よし。水温、よし。作法、よし」

 

 声に出して点呼をして、二つの名錘を静かな水底へ落とす。

 

 ――――水盤が、光る。

 

 祝祭のように、光った。いや、正確に検分しよう。光は水の底から立ちのぼり、波紋のかたちのまま天井の(はり)を金色に染め上げて、静まり返った部屋の中で、それはもう、盛大に。

 

 私は水盤の縁を両手でつかんだまま、しばらく動けなかった。膝の裏が冷たい。耳の奥で、昼間のあの細い音が、いまさら意味を持って鳴り直している。水面に映る自分の顔が、金色の光の中で、世にも間の抜けた表情をしていた。

 

 共鳴済みの鑑定官は、判明したその日に引退――百年の掟である。

 

 落ち着け。検分をしよう。三日前、前の案件の着任検分で、水は沈黙していた。未共鳴、資格に支障なし。そこからこの三日、私が新しく視界に入れた殿方といえば――謁見の間の、あのお方ただ一人である。星見局は離宮の奥の閑職で、私に陪席の経験はなく、閣下は就任から三年、一度も局へみえたことがない。つまり、間違いの入り込む隙が、ない。

 

 俸給は月に銀貨四十枚。弟の学費に十二枚、実家の母と妹に八枚、残りが下宿と私。頭の中で、弟の月謝の帳面がめくれる。妹の癖字の手紙が浮かぶ。この職は、私の勘定のすべてを支える柱なのである。

 

 それから――星の吉兆とやらに領地を賭けて、何もかも失くした父の背中も浮かんだ。星の巡りがよい年だと言われて、畑ごと賭けたのが父である。翌年、畑は人のものになり、その次の年、父は星になった。葬儀の朝の空は腹立たしいほど晴れていて、私は(しるし)を信じないと決めたのだ。徴を信じない。検分だけを信じる。そう決めて、この職に来たのである。

 

 徴が、また、うちを壊しに来た。

 

 指先が冷えていく。水盤の水は、春だというのに、真冬の泉の匂いがする。

 

 手順二、単独検分。作法なので、やる。私の名錘だけを、沈める。

 

 光る。

 

「…………ですよね」

 

 誰もいない水盤の間に、私の声だけが落ちた。

 

 ――カタ、と。

 

 回廊の扉が、微かに軋む。振り向いても、誰もいない。古い建物である。

 

 私は水盤に向き直った。深呼吸を、三つ。それから、宣言する。

 

「…………見なかったことにします」

 

 記録の資格欄。ペン先がインクを吸う音が、やけに大きい。この帳面に、私は五年間、正確なことしか書いてこなかった。沈黙は沈黙と、光は光と、あるがままに。それだけが、徴も星も信じない私の、たったひとつの拠り所だった――のに。

 

 ――支障なし。

 

 署名、グレーテ・ラングハイム。

 

 私の帳面に、生まれて初めての嘘が、一行。インクの乾く匂いが、いつもより長く鼻に残った。

 

 その夜、局長から言伝が届く。

 

 明日、閣下がご視察にみえる。

 

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