西暦20XX年9月18日午前2時47分。
日本・熊本県阿蘇地方中央部、阿蘇山。
世界最大級のカルデラを有する活火山は、古くより龍脈が集う龍穴として知られてきた。
現在では、日本最大級の防衛拠点の一つである『阿蘇防衛線』が築かれ。その姿を変えていた。
もしこの地が陥落すれば――九州はおろか、中国地方、四国、そして東日本にまで未曾有の被害が及ぶことになる。
それ故に、日本防衛隊九州方面軍はこの地に鉄壁の防衛網を築き上げた。
第一防衛区域に展開された広大な地雷原。
高さ五十メートルを超える巨大な第一防壁。
その後方には第二防壁が存在し、さらに九州各地には幾つもの防衛拠点が点在している。
人類は幾度となく侵略者の侵攻を退けてきた。
今回もまた、そのはずだった。
「次元湾曲率、急上昇!」
「侵食率三〇%を突破!」
「馬鹿な……出現は冬だったはずだ」
観測士の叫びが、第一防衛線から約三キロ離れた地点に停車していた移動式前線司令車両の空気を一変させる。
「裂け目の形成を確認!予測地点、阿蘇カルデラ中央部!」
「仕方ない…総員、第一種戦闘配置!」
司令官の命令とともに、車内の大型ホログラムモニターへと阿蘇山の観測情報が映し出される。
マップに複数の青い光点が表示される。
戦場に展開する全ての部隊は、ヘルメットに搭載された複合カメラとバイタルモニターによってリアルタイムで情報を共有していた。
「第一防衛区域、迎撃準備完了!」
「第一防壁の戦車部隊、戦闘準備完了!」
「航空支援部隊、到着まで五分!」
「機動装甲部隊の出動要請受諾されました!現地到着まで三十分はかかります!」
報告が上がる中、突如阿蘇カルデラの大地が激しく揺れ始める。
映像が切り替わる。
大地を引き裂くように、巨大な亀裂が姿を現した。
大地に走った赤黒い亀裂は、まるで生き物のように脈動を繰り返し、その規模を増していく。
地鳴りとともに地面が隆起し、舗装された大地を容易く引き裂いた。
やがて、それは巨大な口を開く。
「裂け目、出現しました!」
『裂け目』。それが人類側の呼称だった。
誰が、何のために造ったのか。何処へ繋がっているのか。その先に何が存在しているのか。
人類は未だ、その何一つとして知ることはない。
ただ一つ分かっていることは、その裂け目の先から現れる存在が、人類に牙を剥く侵略者だということだけだった。
数十年も戦争を続けている侵略者の正体は未だ掴めていなかった。
別次元の存在なのか。地球外生命体なのか。あるいは、人類の理解を超えた何かなのか。
長年にわたる研究を経た現在においても、判明していることはあまりにも少ない。
ただ一つ、確かなことがある。
龍穴がある場所で異常な活性化を見せた時、地上に『裂け目』が現れること。
そして、その裂け目から人類の敵『
『―――■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!』
異形の咆哮が戦場に響き渡った。
「アグレッサー出現!野獣型です!」
裂け目から最初に姿を現したのは、巨大な獣だった。
狼にも、獅子にも見える。
だが、そのどちらでもない。
全身を覆う皮膚は存在せず、赤黒い筋肉組織と太い血管が剥き出しになっている。裂けた口からは幾重にも牙が覗き、不規則に生えた骨質の突起がその巨体を覆っていた。
神話に語られる怪物……その表現こそが最も相応しい姿だった。
人類はそれを『野獣型』と呼んでいる。
「第一波を確認!野獣型、推定一万!」
「予定通りです!」
司令部内に僅かな安堵が広がる。
野獣型は、これまで幾度となく確認されてきたアグレッサーの一種だ。
脅威ではあるが、殺せないわけではない。
ドオオオオオン!
次の瞬間、轟音が大地を揺るがした。
「第一防衛区域、対地雷原起爆!」
裂け目から進軍を開始した野獣型の群れを巨大な爆炎が飲み込む。地中深くに埋設された対大型個体用地雷が次々と起爆し、その巨体を容易く吹き飛ばしていく。
肉片が宙を舞い、赤黒い血飛沫が戦場を染め上げた。
「第一波、約三割の撃破を確認!」
戦況マップに表示された赤い幾つもの光点が次々と消えていく。
だが、誰も驚きはしない。
これこそが、日本が数十年にわたり築き上げてきた阿蘇防衛線なのだから。
第一防衛区域。
第二防衛区域。
そして、高さ五十メートルを超える巨大な第一防壁。
幾重にも張り巡らされた防衛網は、これまで一度たりとも突破を許したことはなかった。
「第一防壁、砲撃開始!」
『全戦車部隊、撃ち方始め!』
ドオン!
轟音が阿蘇の大地を揺るがす。
高さ五十メートルを超える巨大な防壁の上では、数百両にも及ぶ多脚戦車部隊が一斉に火を噴いた。
主砲の
続いて迫撃砲部隊による面制圧が開始される。
空を埋め尽くすほどの砲弾が大地を抉り、野獣型の群れを蹂躙していく。
「敵右翼、制圧!」
「左翼も優勢です!」
「敵前衛の壊滅を確認!」
「このまま押し返せ!」
さらに、防壁内部に設けられた無数の銃眼から機関銃による掃射が始まる。
曳光弾が夜空を赤く染め、壁際まで接近した個体を次々と撃ち抜いていく。
鉄壁。まさに、その言葉が相応しい光景だった。
「航空支援部隊、戦場へ到達!」
夜空に轟音が響き渡る。
爆撃機編隊が阿蘇上空へと姿を現した。
「目標、敵中央集団!爆撃開始!」
『了解、爆弾投下』
爆撃機が無数の爆弾を投下していく。巨大な爆炎が大地を飲み込み、一瞬にして数百を超える野獣型がその姿を消した。
「敵の進軍速度、著しく低下!」
「敵戦力の三割以上を撃破!」
「このまま押し切れます!」
「よし!」
次々と入ってくる報告に、司令車両の空気は僅かに和らいでいた。
大型ホログラムモニターには、無数の赤い光点が映し出されている。その多くが地雷原によって消失し、残る個体も第一防壁からの砲撃によって数を減らしていた。
これまでと変わらない戦況だった。
敵の数は確かに多い。だが、人類には長い年月をかけて築き上げた防衛網がある。
野獣型は脅威ではあるが、人類が対処できない存在ではない。
今回もまた、阿蘇は守られる。
司令車両の誰もがそう信じていた。
――まだ、この戦いが今までの侵攻とは全く異なるものであることを、誰一人として知らぬまま。
「次元湾曲の更なる上昇を確認!」
突如として響いた観測士の声が、車内の空気を凍りつかせる。
「何だと?」
「裂け目の規模がさらに拡大しています!」
「敵増援か?」
「不明です! これまでに確認されたことのない反応を示しています!」
巨大モニターに映し出された裂け目は、先程までとは比較にならないほど激しく脈動していた。
まるで、その向こう側に存在する何かが、この世界へ無理矢理こじ開けようとしているかのように。
「敵影を確認!」
「識別を急げ!」
裂け目の奥から、巨大な影がゆっくりと姿を現す。
裂け目の奥から現れたのは、これまでの野獣型とは一線を画す巨体だった。
「重装型です!」
十メートルを超える巨躯。
全身を覆う硬質化した生体装甲は、まるで巨大な甲冑を纏っているかのようだった。その一歩ごとに大地が震え、周囲の野獣型がまるで道を譲るかのように左右へと散っていく。
人類はそれを『重装型』と呼称している。
「対大型個体用榴弾を使用しろ!」
『了解。対大型個体用榴弾、用意!』
戦車部隊が即座に照準を変更する。
『撃てぇ!』
轟音とともに放たれた砲弾が重装型の胸部へ直撃した。
爆炎がその巨体を包み込む。
『命中!撃破を――いや、待ってください!』
煙が晴れる。
そこに立っていたのは、胸部の生体装甲を僅かに損傷させただけの重装型だった。
「馬鹿な、効いていないだと…!!」
「上空に新たな敵影!」
「何!?」
無数の影が裂け目から飛び出し、夜空を埋め尽くしていく。
異形の翼を持つ怪物たちが、戦場の上空を舞っていた。
赤黒い筋繊維によって形成された膜状の翼が脈動するたび、宙を舞いながら不気味な音を響かせていた。
「飛行型です!」
「これほどの数だと!?」
これまで確認されてきた野獣型とは明らかに異なる存在。
大型個体と飛行個体の出現に、司令車両の空気が一変する。
「航空部隊へ通達!飛行型への警戒を!」
「第一防壁へ伝達!大型個体の迎撃準備を急がせろ!」
「対空部隊、迎撃開始!」
防空機関砲が火を噴く。
だが、飛行型は人類の想定を超える速度で戦場を飛び回り、対空砲火を掻い潜っていく。
「予備部隊を迎撃に回せ!機動装甲部隊到着まで持ち堪えろ!一匹たりとも防衛線を突破させるな!」
この時点ではまだ、人類側の優勢は揺らいでいなかった。
大型個体が現れようとも、防壁は健在だ。
飛行個体が現れようとも、防空網が存在する。
それらは想定外の敵ではあったが、人類の防衛網を脅かすほどのものではない。
少なくとも、この時までは。
「裂け目よりさらに敵影を確認!」
「何!?まだいるのか!?」
観測士が息を呑む。
「識別データに該当なし!」
「メインモニターへ映せ!」
裂け目の奥から、一つの影がゆっくりと姿を現す。
二本の足で立つ、その姿は人に酷似していた。
しかし、人間ではない。
赤黒い筋肉組織と血管を露出させながらも、その肉体は野獣型のような歪さを感じさせない。
それはまるで、死と破壊のためだけに創り出された芸術品だった。
そして何より異様だったのは、その存在感だった。
戦場の中央に立ちながら、まるで全てを見下ろしているかのような錯覚を覚える。
「人型?」
「初めて見る……」
「新種か?」
人型の異形は、ただ静かに戦場を見つめていた。
戦うわけでもなく、暴れるわけでもない。
ただ、その赤い双眸で戦場の全てを観察している。
「何だ、あれは……。」
司令官の呟きに答える者はいない。
次の瞬間だった。
「敵の動きが変わりました!」
「何?」
「野獣型の進軍ルートが変化しています!」
モニター上の無数の赤い光点が、一斉に同じ方向へと進路を変えていく。
「地雷原を避けているのか?」
「いえ、違います!」
観測士が戦況データを確認しながら叫ぶ。
「同じ場所へ集中的に突撃しています!」
轟音。
先頭を駆けていた野獣型が地雷によって吹き飛ばされる。
しかし、その後方の個体は止まらない。
二体、三体、十体――次々と爆炎の中へその身を投げ出していく。
「後続の個体が、先頭の死骸を利用しています!」
「何だと!?」
爆発によって抉られた大地を、赤黒い肉塊が埋めていく。そして、その上を後続の個体が駆け抜けていった。
「地雷の起爆率が低下!」
「そんなことがあり得るのか……」
これまでの野獣型は、本能のままに暴れ回るだけの怪物だった。
だが、今目の前で起きているのは、明らかに組織的な行動だった。
「あいつが統率しているのか?」
司令車両の誰もが、無意識のうちに戦場の中央へと視線を向ける。
そこには、未だ一歩たりとも動くことなく、戦場を見下ろす人型の異形の姿があった。
そして、その赤い双眸が静かに空を見上げる。
「何をしているんだ?」
「分かりません!おそらく爆撃機編隊の方向を――」
次の瞬間、人型の双眸が赤く輝いた。
「――ッ!?」
夜空を赤い閃光が切り裂く。その先にいた爆撃機編隊へと直進していった。
「爆撃機被弾!」
「そんな馬鹿な!対空ミサイルじゃないぞ!」
「何が起きている!」
メインモニターに、爆撃機のコックピット映像が映し出される。
『こちら第一航空戦隊!敵の攻撃を――』
赤い閃光が機体を貫く。
『うわあぁぁぁぁ!!』
激しいノイズとともに映像が途絶えた。
『第一航空戦隊、生体反応ロスト』
無機質な音声が司令車両に響く。
一機。また一機が轟音とともに爆撃機の機体が真っ二つに両断され、炎を纏いながら大地へと墜落していく。
「航空支援、壊滅しました…」
車内に動揺が走る。
これまでアグレッサーに航空戦力をここまで一方的に破壊された記録は存在しない。
さらに、人型の怪物はゆっくりと視線を下ろす。
その双眸が見つめていたのは、第一防壁上に展開する戦車部隊だった。
「まさか――!」
司令官の背筋を悪寒が駆け抜ける。
次の瞬間、赤い閃光が再び放たれた。
一両の戦車が爆炎に包まれる。厚さ数百ミリにも及ぶ複合装甲を容易く貫通した赤い光は、その内部を焼き尽くしていた。
「第七戦車中隊、被弾!」
「応答しろ!第七戦車中隊!」
『こちら第七――ぐあぁぁぁ!!』
通信は爆発音とともに途絶えた。
続けて第二射。第三射。人型の怪物は迷いなく戦車部隊だけを撃ち抜いていく。
『こちら第七戦車中隊!敵の攻撃は戦車だけを――』
モニターが爆炎に染まり、通信が途絶える。
『第七戦車中隊、生体反応ロスト』
「敵は主力火力を優先して攻撃しています!」
偶然ではない。
そこには明確な意思があった。
「まさか…知能があるというのか」
司令官は、静かに戦場の中央に立つ異形を見つめる。
『第一航空戦隊、生体反応ロスト』
『第七戦車中隊、生体反応ロスト』
『第三戦車中隊、生体反応ロスト』
無機質な音声が、前線司令車両の中に響き渡る。
誰も言葉を発しない。
大型ホログラムモニターに映し出されていた青い光点が、次々と消えていく。
航空優勢は失われた。
第一防壁最大の火力であった戦車部隊もまた、その大半が沈黙している。
「第一防壁の火力、五〇%を下回りました!」
「敵の損耗率は!?」
「三八%!しかし、敵の総数が多すぎます!」
司令官は歯を食いしばる。
人類が誇る防衛網は確かに機能していた。だが、それはこれまでのアグレッサーを想定したものだ。
「機動装甲部隊はまだか!」
「九州防衛軍所属第一機動装甲連隊、輸送ヘリによる空輸中!戦場到着まで七分!」
「中国地方防衛軍所属第二機動装甲旅団は!」
「到着まで十二分!」
「四国防衛軍所属第一機動装甲旅団は十八分です!」
まだだ。
あと七分。
九州所属の機動装甲部隊さえ到着すれば、第一防壁の穴を埋められる。
第二防壁まで持ち堪えれば、人類にはまだ勝機がある。
「敵の進軍速度は!」
「予測通りです! 現在の戦況なら、第二防壁への到達は十二分後!」
車内に僅かな安堵が広がる。
十二分あれば間に合う。
だが、その時だった。
「敵の行動パターンに変化を確認!」
「何だと?」
「野獣型が進軍ルートを変更しています!」
大型モニターには、無数の赤い光点が映し出されていた。その一部が、まるで何者かの意思によって導かれるかのように、一斉に進路を変えていく。
「防壁の火力が集中している地点を避けています!」
「馬鹿な!」
「さらに重装型を先頭に隊列を形成!後続の野獣型がそれに続いています!」
「そんなことがあり得るのか……。」
これまでの野獣型は、本能のままに襲い掛かってくるだけの存在だった。
それが今、防壁の弱点を突くように侵攻を開始している。
「敵の進軍速度を再計算!」
「了解!」
観測士の指がコンソールの上を走る。
数秒にも満たない時間が、何時間にも感じられた。
「結果は!」
「………」
「どうした?」
「……敵の行動パターンを反映した場合、第二防壁への到達予測時間を修正します」
「何分だ?」
「――五分です」
一瞬、誰もその言葉を理解できなかった。
「何だと?」
「第二防壁への到達まで、五分!」
「そんな馬鹿な!」
「野獣型の組織的な行動により、防衛網の突破速度が予測値を大きく上回っています!」
あと七分。
九州所属の機動装甲部隊が到着するまで七分。
そして、敵が第二防壁へ到達するまで五分。
間に合わない。
誰もが、その事実を理解した。
司令官は静かに拳を握り締める。
あと、たった二分だった。
その二分が、人類の命運を分けようとしている。
大型モニターには、なおも戦場の中央に立ち尽くす人型の異形の姿が映し出されていた。
まるで、この結末を最初から知っていたかのように、その赤い双眸は静かに第一防壁を見つめている。
「第一防壁より緊急通信!」
『こちら第一防壁西部戦線!敵の侵入を確認!』
大型モニターに映し出されたのは、防壁上で必死に応戦する兵士たちの姿だった。
機関銃の銃口が赤熱するほど撃ち続けているにもかかわらず、野獣型の群れは止まらない。
『撃て!撃ち続けろ!』
『駄目です!数が多すぎます!』
マイクから悲鳴や怒号、銃声が響く中、大地そのものが悲鳴を上げたかのような衝撃が防壁を襲う。
『重装型が第一防壁に到達!』
防壁上の兵士たちの顔から血の気が引いた。
十メートルを超える巨躯が、生体装甲に覆われた巨大な腕を振り上げる。
そして――。
轟音とともに、その一撃が第一防壁へと叩きつけられた。
巨大な衝撃波が防壁全体を駆け抜ける。
「損傷率一五%!」
「防壁に亀裂を確認!」
「馬鹿な!一撃だぞ!?」
高さ五十メートルを超える巨大防壁。
対大型個体を想定し、数十年の歳月をかけて建造された人類の英知の結晶。
その鉄壁を、たった一撃で揺るがしたのだ。
重装型の一撃によって、巨大な防壁が軋みを上げる。その隙を逃すまいと、野獣型が次々と壁面を駆け上がっていく。
『くそっ!上がってくるぞ!』
『機関銃座、全門射撃!』
無数の曳光弾が夜空を切り裂き、壁をよじ登る野獣型の肉体を撃ち抜いていく。
しかし、一体を撃ち落としても、その後ろから二体、三体と新たな個体が姿を現す。
まるで終わりがない。
『対大型榴弾、撃ち方始め!』
残存する砲兵部隊が一斉に砲撃を開始する。
数十発もの榴弾が重装型へと命中し、その巨体を爆炎が飲み込んだ。
『命中!今のうちに――!』
『待て!まだだ!』
爆炎の中から、一歩。また一歩。
何事もなかったかのように、重装型が姿を現す。
その生体装甲の一部は砕け散っていた。だが、その歩みが止まることはない。
「そんな……」
「嘘だろ……」
さらに、上空から飛行型が防壁上へと襲い掛かる。
鋭利な爪が兵士の身体を容易く引き裂き、断末魔の叫びが響き渡る。
『敵が防壁を突破します!繰り返す!敵が――』
激しい銃声と爆発音。そして、兵士の悲鳴。
『左翼の機関銃座が沈黙しました!』
『敵が防壁上へ侵入!』
『総員、白兵戦の準備を――ぐあぁぁぁっ!!』
兵士の絶叫とともに、映像が激しく揺れる。
ヘルメットカメラに映ったのは、異形の牙に喉元を食い破られる兵士の姿だった。
次の瞬間、映像は赤黒く染まり通信が途絶える。
『生体反応ロスト』
車内に、無機質な電子音声だけが響いた。
「第一防壁の損傷率、七五%!」
「右翼防衛線、崩壊!」
「左翼防衛線も突破されました!」
報告が次々と飛び交う。
誰もが理解していた。
第一防壁は、もう限界だ。
「機動装甲部隊はまだか!」
「九州所属第一機動装甲連隊、到着まで三分!」
三分。
あまりにも長すぎる三分だった。
「敵先頭集団、第二防壁まで残り三キロ!」
「何だと!?」
「予測よりさらに早い!敵の進軍速度が上昇しています!」
司令官は唇を噛み締める。
間に合わない。
機動装甲部隊の到着を待っていては、第二防壁にまで敵の侵攻を許すことになる。
「総司令部より入電!」
「内容は!」
「”第一防壁の放棄を許可する。第二防壁を死守せよ”とのこと」
ついに、その時が来た。
何十年もの歳月をかけて築き上げた阿蘇防衛線。その最前線たる第一防壁を、人類は自ら放棄しなければならなくなったのだ。
「………総員に伝達」
司令官は拳を握り締めながら、静かに命令を下す。
「――第一防壁を放棄する」
その言葉が告げられた直後。
重装型の巨大な腕が、再び第一防壁へと叩きつけられる。
高さ五十メートルを誇った人類の鉄壁は、轟音とともにその姿を崩していく。
「第一防壁、突破されました!」
絶望の報告が、車内に響き渡った。
阿蘇防衛線。
九州方面軍が数十年にわたり守り続けてきたその防壁は、この日、初めて敵の侵攻を許したのである。
「生存者は直ちに第二防壁へ撤退せよ」
「しかし、まだ防壁上に取り残された部隊が!」
「構わん!全軍に通達しろ!」
司令官は拳を強く握り締める。
阿蘇防衛線が築かれて以来、初めて下される命令だった。
「総員、第二防壁へ後退!」
司令部からの命令が戦場に響き渡る。
崩壊した第一防壁からは、黒煙が立ち上っていた。
「九州所属第一機動装甲連隊より入電!まもなく戦場へ到達します!」
「………一歩遅かった」
報告を受けた司令官は、静かにモニターへと目を向ける。
そこに映し出されているのは、第一防壁を踏み越え、第二防壁へと迫る無数のアグレッサーの姿だった。
これまでの侵攻とは明らかに違う。
野獣型は猟犬のように敵を追い立て、飛行型は空を支配する。
重装型は防壁を砕き、人型は戦場そのものを支配していた。
そして崩壊した第一防壁の上に、一体の人型アグレッサーが静かに佇んでいた。
その赤い双眸は、第二防壁を見つめている。
まるで、次なる戦場を見定めるように。
この日、人類は知ることになる。
これまでの侵攻は、ほんの前触れに過ぎなかったのだと。
そして、長きにわたる戦争の幕が上がったことを。
数か月後、この戦いの渦中へと身を投じることになる少年少女たちは、まだ知らない。
自らに待ち受ける運命を。