人族の生存圏は、かつての半分にまで縮小していた。
近年、大陸各地で正体の分からない異常な存在が確認された。
魔物なのかあるいは別の何かなのか。一部では魔王軍の魔物兵器ではないかという声も上がった。
各国が軍を動かした時には既に遅かった。
地図の上には、かつて人々が暮らしていた街や国の名が残っている。
だが、その多くはもう存在しない。
街は沈黙し、街道から人影が消え、故郷を追われた者たちが生き残った土地へ流れ込んでいる。
そして今もなお、戦火は広がり続けている。
人族の生存圏は、少しずつ削られていた。
人族は未知の敵に追い詰められていた。
それでも人々は、生き残るために戦い続けていた。
戦わなければならない。
そうしなければ、残された半分まで失う。
だからこそ、人族の
♢
大陸歴732年エルナの月。
アストレア王国、王城地下。
普段ならば王族ですら立ち入ることのない封印区画に、今夜だけは多くの人間が集まっていた。
巨大な魔法陣を中心に、幾重もの術式が床を覆っている。
その前に立つアストレア王国の国王は、静かに魔法陣を見つめていた。
隣には王妃、その後ろには第一王女と、第二王女。
さらに周囲を取り囲むのは、王国でも屈指の実力を持つ宮廷魔法師たちがいた。
今夜ここで行われる儀式について知る者は、ごく僅かだった。
勇者召喚。
異世界から素養のある者をこの世に呼び出す禁忌の術。
過去に魔王の侵略や世界滅亡の危機に瀕した時、召喚は成された。
素養のある者はいつしか勇者と呼ばれ、脅威を打ち倒した。
そうして勇者によって危機は去り、人族の世に平和が訪れたのである。
過去にもそういった事があった、という伝承がある以上、今回の危機にその手段を選ばないはずがない。
「準備は?」
「完了しております、陛下」
魔法師長が答える。
「古文書に残された術式を再構築しました。理論上は、問題ありません」
「理論上、か」
「……成功するのですか?」
王妃が小さく尋ねるが、魔法師長は首を横に振る。
「何が起こるかまでは、保証できません」
国王は魔法陣を見下ろす。
脳裏に浮かぶのは、失われた土地の報告だった。
落ちた都市。途絶えた街道。戻らなかった兵士。
正体すら掴めない異常な存在。
状況は悪い。悪すぎる。
人族が追い詰められた今、これに賭けるしかない。
「それでも、やるしかない」
国王の言葉に、誰も反論しなかった。
「始めろ」
「承知しました」
魔法師たちが一斉に動いた。
詠唱が始まる。
幾重にも重なった声が地下空間を満たし、床に刻まれた魔法陣が淡い光を帯びていく。
次第に光は強くなり、空気そのものが震え始めた。
魔力が渦を巻く。
「魔力充填、開始!」
「術式第一層、安定!」
「第二層、問題ありません!」
声が飛び交う。
魔法陣の中心へ、膨大な魔力が集束していく。
王妃は祈るように手を組み、その後ろでは二人の王女が静かに儀式を見守っていた。
真銀を溶かしたような銀髪を持つ第二王女――■■■■。
その瞳は、魔法陣から離れなかった。
やがて――。
「来ます!」
一際大きな地響きと共に、魔法陣から純白の光の柱が天を突いた。空間がねじれ、パキパキと凍り付くような音が耳を打つ。
その場にいた全員が息を呑む。
来る。
勇者が現れる。
そう信じた。
だが。
「……?」
光が収束していく。
それなのに、誰も現れない。
「召喚対象、確認できません……」
魔法師の声が震える。
「もう一度、術式を確認しろ!」
「確認しています!」
魔法師たちの間にざわめきが走る。
「どうなっている?失敗したのか?」
「まだです」
魔法師長が即座に答えた。
「術式は停止していません」
「では、何が起きているのです?」
王妃の問いに、魔法師長は答えなかった。
答えられなかった。
そのときだった。
魔法陣の中央で、空間が揺らいだ。
まるで水面に石を落としたように、何もない空間が波打つ。
光が消える。
やがてそこに、透明な平面が現れた。
「……何だ、これは」
魔法師の一人が呟いた。
誰も答えられない。
向こう側が見える。
まるで、そこに窓が開いているかのようだった。
第二王女――■■■■が、一歩前へ出る。
窓の向こうに広がっていたのは、見たことのない景色だった。
夜の街に無数の光。見上げるほど高い建物。
そして、地上を走る奇妙な光。
「街……?」
第一王女の声が漏れる。
だが、見慣れた街ではない。馬車がない。
街灯の代わりに、建物そのものが光っている。
「我々の王都より大きいかもしれません」
魔法師が答える。
突然、夜空を何かが横切った。
鳥ではない。
翼を持った鋼鉄の塊。
細長い機体が、凄まじい速度で夜空を駆け抜けていく。
「……鳥?」
誰かが呟いた。
その直後だった。
鋼鉄の鳥の翼の下から、何かが切り離された。
細長い槍のような物体が、白い尾を引きながら地上へ向かって一直線に飛んでいく。
閃光。次いで、遅れて届く轟音。
街の一角が爆炎に包まれた。
地上では人々が逃げ惑っている。
そして――地上から、別の何かが現れた。
人の姿をしている。
だが、人間ではない。
人より一回りほど大きな身体。
全身を覆う鋼鉄の鎧。
二本の脚で大地を踏みしめ、武器を構えている。
「騎士?」
第一王女が呟く。
鋼鉄の鎧は、炎の中を進んでいく。
その向こうから、さらに大きな影が姿を現した。
大地を揺らしている。
何本もの脚で地面を踏みしめる巨大な鉄の塊。
その背には、一本の大筒のような武器が据え付けられている。
炎が夜空を染める。
空と地上の両方で、それら鋼鉄のモノが、逃げる人々を守るように何かに向かって攻撃を続けていた。
そして、その先に――異形がいた。
「……なんだ、あれは」
魔法師長の声が震える。
自分たちの知らない怪物が、次々と戦場を駆けている。
■■■■は息を呑んだ。
恐ろしい。
だが、それだけではなかった。
彼女の視線は、鋼鉄の怪物ではなく、その向こうにいる人々へ向けられていた。
逃げる者。
戦う者。
傷つき、それでも立ち上がる者。
そこにいる人々もまた、自分たちと同じように何かと戦っている。
その事実が、胸に残った。
「……あの世界にも、戦争があるのですね」
王妃は黙って窓を見つめた。
「私たちだけではない、ということですか」
魔法師長が窓のような空間を観察しながら、慎重に答える。
「まだ断定はできません。ですが、少なくともあの世界には高度な文明と、何らかの武力が存在しています。おそらく、我々の知る世界ではないかと」
「何故このようなことが起こっている?勇者が現れるのではなかったのか?」
「分かりません。召喚術式そのものは機能しています」
国王が問いに、魔法師長は答えを出せないでいる。
「ただ……術式が何かを呼び寄せたことは確かです」
室内が静まり返る。
そんな中、■■■■が静かに口を開いた。
「もし……勇者がいるのなら」
全員が彼女を見る。
「殿下?」
「この世界にいる可能性も、あるのでしょうか?」
魔法師長は少し考える。
「は、はあ…否定はできません」
「そうですか」
■■■■は窓へ視線を戻した。
確証はない。
ただの可能性だ。
だからこそ、彼女は断言しなかった。
「……この窓は、向こうへ行けるのでしょうか?」
「現時点では分かりません。通過できるかどうかも、安全かどうかも不明です」
「そうですか」
王妃が娘を見る。
「まさか、行くつもりではないでしょうね?」
■■■■は少しだけ困ったように笑った。
「……はい」
「ダメよ!」
間髪入れず、第一王女が声を上げた。
「何を考えているの! あの世界が安全だという保証など、どこにもないのよ!」
「分かっています」
「ならば――」
「それでも、行く必要があります」
第一王女が言葉を失う。
「理由を聞こう」
そこへ国王が静かに口を挟んだ。低く、落ち着いた声だった。
「確かに、あの世界に勇者がいる可能性はある。今回の召喚と無関係だとも言い切れん」
国王は窓を見た。
「だが、だからといって、お前が行く理由にはならん。調査ならば人を出せる。勇者が見つかれば、使者を送ればいい。お前が行く必要はない」
「……いいえお父様」
■■■■は静かに首を横に振った。
「あの世界を知らないままでは、何も判断できません」
「何を知る必要がある?」
「すべてです」
迷いのない返答だった。
「向こうには、どのような人々が暮らしているのか。どのような国があり、どれほどの力を持っているのか」
窓の向こうで、鋼鉄の鎧の騎士が走り抜ける。
■■■■の瞳が、それを追った。
「そして……私たちを、どう見るのか」
誰も口を挟まなかった。
「もし、あの世界に本当に勇者がいるのなら、私たちはその方に協力を願うことになります」
「だからこそ、なおさら使者を送れば――」
「その方は、突然現れた異世界の使者から『あなたは勇者です。私たちに力を貸してください』と言われて、素直に受け入れるでしょうか?」
第一王女が黙る。
「私たちは、その方をこちらへ呼ぼうとしたのです。ならば、まずこちらから赴くべきです」
■■■■の声が、静かに響いた。
「召喚に立ち会った者が、自ら事情を説明する。それが、協力を願う側の礼儀ではありませんか?」
国王は何も言わなかった。王妃もまた、黙って娘を見ている。
「国王であるお父様が国を離れることはできません。お姉さまもまた、国内に残る必要があります。ならば、第二王女である私が行くべきかと」
■■■■は窓へ向き直った。
その向こうには、まだ見ぬ世界がある。
自分たちの知らない文明。
自分たちの知らない人々。
そして――まだ見ぬ勇者。
「……それが、お前の答えか」
国王の問いに、■■■■は真っ直ぐに父を見返した。
「はい」
迷いのない返事だった。
国王はしばらく黙っていた。
やがて、深く息を吐く。
「……分かった」
第一王女が目を見開いた。
「お父様?」
「■■■■の言うことにも道理がある」
国王は窓へ視線を戻した。
「勇者があの世界にいる可能性を考えるなら、まず我々があの世界を知らなければならん。何も分からぬまま、使者だけを送り込むわけにもいかない」
「では――」
「だがすぐではない」
国王は傍に控えていた宮廷魔法師へ顔を向けた。
「この現象が何なのかを解明せよ」
「はっ」
「何故このような形で術式が繋がったのか。向こう側との接続を維持できるのか。そして――安全に往来できる方法があるのか、その方法も探せ」
魔法師長が一礼する。
「承知いたしました」
「可能な限り早く調整しろ」
それから国王は、再び娘を見る。
「■■■■」
「はい」
「お前一人では行かせん」
「……」
「向こうがどのような世界か分からん。友好的な者ばかりとも限らない」
国王は淡々と告げた。
「調査隊を編成し、護衛をつける。魔術師も同行させろ。現地の記録を取る者も必要だ」
「ありがとうございます」
■■■■は深く頭を下げた。
「礼を言うのはまだ早い」
国王の声音が少しだけ和らぐ。
「これは許可ではなく、条件だ」
「……承知しています」
その横で、第一王女が小さく息を吐いた。
「……本気なのね」
「はい」
「そこまでして行くのですか……」
王妃は心配そうに娘を見つめた。
「これは、私たちが始めたことです。ならば、その先に何があるのかを知る責任も、私たちにあります」
静かな声だった。
だが、そこに迷いはなかった。
「もし、この向こうへ行く道があるのなら……」
■■■■は静かに言った。
「私は、あの世界を自分の目で見てきます」
それから一ヶ月後、異なる世界へと通じる道が繋がった。
勇者がその先にいる保証もない。
ただ、それが希望なのか。新たな災厄なのか。誰にも分からない。
それでも、第二王女と調査隊は未知なる世界へと足を踏み入れたのだった。
ファンタジー小説で恒例の異世界転移を逆にしてみました。
勇者召喚が上手く機能せず、代わりに召喚側が現地へ赴くパターンです。
第二王女の名前は、ネタバレ防止のため伏せております。