自宅の開け放たれた入り口。そこを境界線にして、わたしと派手なシスター服姿の少女は正面から向かい合っていた。
「幽霊さん?しっかりしてください!ネルですよ!世界樹教団の祭祀長のネルです!」
目の前の少女が、黙り込むわたしに語り掛ける。
「ネル…?………スピッキー…?」
わたしは錯乱しながら、小さく呟いた。
それは『人間』としてのわたしのイメージ通りのネルだった。
金髪で……琥珀色の目……飾りの多いシスター服を着ている少女が世界樹教団の祭祀長のネルであると、わたしは確信を持っている。
わたしの中の『トリッカル』の記憶が、それは、幽霊の能力による洗脳、幻覚で、正体はなりきり専門幽霊のスピッキーであると訴えていた。
人間としてのわたしの記憶が、たやすく惑わされたわたしに、正気に戻るよう諭している。
幽霊としてのわたしが、人間としてのわたしの自我と記憶に引っ張られ、初めて会う幽霊の少女を別の見たことのない少女として無理やり認識させられ、それを処理できずに悲鳴を上げていた。
わたしはこのエーリアスに来てからネルに直接会っていない。画面越しの姿しか知らないのに、その姿が無理やり今の視界に想起させられて、無理やり2次元画像を3次元世界に張り付けたような違和感が拭えないのに、それを無理やり問題ないかのように認識させられ、さらにそう思考を捻じ曲げれていることを自覚出来てしまっていて―――――
「ん゛~~~~~~~~~~……?」
実感のない呻き声が、わたしの喉から絞り出される。
わたしの特性が少女の能力と、想定外の相互作用を引き起こしてしまったのだろうか。
脳内が、あまりにも騒がしい。
一方で、いつの間にか暴発していた私の能力も、少女の中で異常を引き起こしていたようだった。
「あ~~!ネルの頭に変な概念を流し込まないでください!人間って何ですか?!スピッキーは知りません!うぅ……人間……人間…………はい、ネルは人間です!人間になります!……………ダメです……人間が何かよく分かりません…………スピッキーは人間にはなれません!」
わたしと同じように頭を抑えながら、少女が叫んだ。
確かに『トリッカル』でも、
体が思うように動かせず、わたしは少女と見つめ合ったまま、目が離せない。
視線を通じて、『人間』と『世界樹教団の祭祀長ネル』、という正常に処理できない情報が、お互いに行き交っていた。
意図せず互いに互いを発狂させ合っているような状況で、場が停滞してしまっている。
この状況は、とても良くない。
ぐちゃぐちゃな思考の中、わたしは問題解決のため、覚悟を決めた。
わたしは幽霊
わたしは幽霊
わたしは幽霊だ、もう人間じゃない。
所詮、
頭の中でそう唱えると、大事なものがボロボロと削れる感覚を代償に、心が落ち着いてきた。
続いて、リムとの訓練を活かして、蛇口のハンドルを捻るように、少女へと続く、自分からの情報の流れを絞っていく。
人間の知識に乏しいリムには理解できていなかったが、おそらく、わたしから相手に流れ、想起させられているのは、概念としての『人間』、もっと正確に言うと『人間性』とでも呼ぶべきものなのだろう。
まだ教主が居ないこの世界で、ヒトとしての人間を知っているエルフ達以外には、基本無意味な能力のはずだと考えていたが、妖精になりきっている上、他人の『アイデンティティ』を奪う特性ゆえか、スピッキーでは想定外の挙動を示したらしい。
これまで曖昧にしてきた、このエーリアスでのわたしの『アイデンティティ』を、『人間』の幽霊として、無理やり定義付けしてしまうと、どこか気分が楽になるのを感じた。
一方で、それは大切な何かを切り捨てる行為であるかのようで、心の中に寂しさが残っていた。
「せっかくネルが世界樹教団の祭祀にしてあげるため、勧誘しに来てあげたのに!どうしてこんな悪戯するんですか!エスピーはあなたがこんな意地悪さんだとは教えてくれませんでした!」
感傷に浸る間もなく、正気に戻ったスピッキーが涙目になりながら、わたしに叫んだ。
どちらも悪くない、不幸な事故と呼ぶべき状況だった。
だが、わたしがもっと慎重に動いていれば回避できたはずだ。
「うぅぅぅ……………」
罪悪感のせいか、それとも先ほどの出来事の負荷のせいか、わたしは耐えられず、扉にもたれ掛かり、崩れ落ちてしまった。
役に立たない能力しか寄こさない癖に、こういった『人間』的な生理反応を代償として支払わせるわたし自身の特性が憎い。
「…………大丈夫ですか~?」
気が付くと、スピッキーはすっかり大人しくなっており、倒れ込んだわたしの肩を優しく揺すっていた。
こういう時、平然と悪戯してくるのが一般的な幽霊だと思っていたが、そういえば彼女は幽霊の中でも異質な存在だった。
そのことを、改めて思い知らされる。
「そう言えばあなたは新米幽霊さんだとシェイディ様が言っていました~!ネルは祭祀長なので、新人には優しくしないといけません!」
そう言うと、スピッキーは小さな飴玉を取り出して、わたしの口に含ませる。
「ネルの好きなシナモン味のキャンディーですっ!」
「苦っ」
シナモンのスパイシーな苦みが口に広がり、思わず声に出てしまった。
しかし、彼女は気にしていないようで、ニコニコしたまま、わたしを家の中のソファベッド――ゴミとして捨てられていたのを拾ったものだ――に寝かしつける。
「ネルは看病をしますよ~!」
それがごっこ遊びのようなものだとしても、弱ったわたしには何よりも有難い。
わたしは涙を見せないように、ソファの背の方を向きながら、体を休めることにした。
少し時間が経過し、体の怠さが抜けてきた頃、サイズの合わないソファの上で、足をブラブラさせながら、わたしは目の前のスピッキーを見つめていた。
未だにスピッキーが、スピッキーではなくネルである、という感覚は抜けていない。
しかし、最初に顔を合わせたときほどの混乱はなく、度の合わない眼鏡を付けているくらいの症状に抑えられていた。
「ネルは神の言葉を伝えます!あなたは世界樹教団の名誉祭祀として認められました~!ネルと一緒に世界を支配しましょう!」
スピッキーは改めてわたしを世界樹教団の名誉祭祀に誘っていた。
そもそも、世界樹教団の役職名は祭祀ではなくて、司祭なのだが、まあそもそも司祭長のネルを騙っている時点でそのような問題は誤差だろう。
「えっと……お…お断わりします……」
わたしは遠慮がちに、断わりの言葉を告げた。
その言葉の理由は、ネルを騙っているからとか、世界樹教団が嫌いだからとかいうことではない。そもそも、スピッキーのそれはライフワークであると同時に、ごっこ遊びの一環でもあり、その行為には何の問題もなかった。
「なんでですか!?ネルのことが嫌いだからですか!?」
ショックを受けた顔のスピッキーに、わたしは申し訳なさを感じながらも、別の返答を頭の中で用意する。
「司祭はちょっと、荷が重い……です……。わたしじゃ啓示も受けられませんし、使徒から始めるのはだめでしょうか?」
この答えの半分以上が嘘だ。
正確には、司祭、しかも名誉司祭を名乗るようなことをして、あまり世界樹の注目を集めたくない、というのが理由であった。わたしの直感が、ここで形式だけでも司祭を名乗ったら最後、本当に何か啓示が降りてきかねない、と言っている。
生きるために必死になっていた結果、既に各地で色々と騒動を起こしてしまってはいたものの、未だ教主が来た時に備え、『トリッカル』のストーリーを捻じ曲げず、あくまでこの世界のモブとして、エーリアスの片隅でひっそりと生きたいという目標は捨てていなかった。
「本当ですか!ふふん……では、あなたは今日から世界樹教団のしと?です!」
パチパチパチ、と拍手をしながら、スピッキーは自身の新たな教団員を歓迎した。
「お名前をどうぞ~!ネルはそれを教団名簿に書きます!」
少し汚れたノートブックを取り出しながら、スピッキーはわたしに名前を尋ねる。
わたしには未だに名前がない。
エーリアス来訪直後は、ここで産まれる前の名前も記憶にあった気がする。だが、今になって頭の中を探してみても、もはや掠れた痕跡しか見当たらなかった。気が付けば、わたしが元人間であることの証明は、薄れた地球の記憶と何故か強く残る『トリッカル』の記憶だけになっていた。
「名前?まだ付けてもらってないんですか?」
同情したように、スピッキーがわたしに問いかける。
名前、名前か……
今まで呼ばれていたのは、おチビちゃんとか、幽霊さんとか、38番とか、しっかりとした名前ではなく、それ故にわたしは現実感を持たずにエーリアスを彷徨えていた。
ただ、そろそろ腹を括るべき時なのかもしれない。
適当に考えるのも難しいし、38番から取って……
「サヤ…………」
「サヤ、ですね!よろしくお願いします!サヤ!」
しっくりくるような、こないような自分の名前を呼ぶと、スピッキーはそれを楽しそうに復唱した。
「よろしく………スピッキー」
「ネル祭祀長です。ちゃんと呼んでください!」
わたしの返事に対して、ノートに文字を書き込みながら、スピッキーは不満を口にする。
言いなおそうとわたしが口を開いた瞬間、見慣れた仮面が壁を突き抜けてこちらにやってきた。
「あ!スピッキーも遊びに来てたの?それなら今日はゴミ拾いなんてやめて、あんた達2人であたしに夢の同時配信をしてみせてよ。ちょうど眠くなるお茶も持ってきているんだから!」
扉を使わずに壁から我が家へと侵入したエスピーが、怪しげなお茶をわたし達に見せびらかす。
「違います!今日はネルが世界樹教団の本部を案内する日なんです!」
スピッキーはエスピーへと抗議するかのように、ノートを振り回す。
一層騒がしくなってきた我が家だが、エーリアスの空気に少しずつ慣れ始めていたわたしには、それほど居心地の悪い空間ではなくなっていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます
たくさんの評価や感想の支えもあり、予定していた3部構成の前編を書き上げることができました
感想にはいつも目を通していますが、調子に乗って余計な伏線や設定を語ってしまいそうなので、返答は控えています……許してください……
次話から中編に入ります
後編までのプロットはありますが、色々な使徒を出したくなって予定より伸びる気がしています
主人公とは設定上、混ぜるな危険、となる組み合わせの使徒が複数いるのですが、その中に自分の好きな使徒が多く混じっているのが、辛い所です
そんな感じの話になると思いますが、もしよければ、今後もお付き合いください