わたしはサヤ。エーリアスで生きている、自認、元人間の、『人間』の幽霊。
どう頑張っても、自認、という但し書きが外れないのはむず痒いところだが、ゲームである『トリッカル』にあったような、図鑑や紹介文などで確かめられないのだからしょうがない。
そもそもここが本当に『トリッカル』で見たエーリアスの世界なのかも分からないし、人間としての自分の名前さえ分からないボロボロの記憶で、元人間を名乗って良いのかも分からない。
そんな分からないことだらけの世界でも、家を持ち、知り合いができ、生活基盤が整ってくると愛着も湧いてくるもので、少なくともわたしは、このエーリアスに産まれ落ちた直後よりは落ち着いた気分で生活を続けていた。
とはいえ、目の前の家の光景を見ると不満は尽きない。
ゴミを再利用したソファベッドは泥に汚れており、お世辞にも綺麗とは言えない。
テーブルは、適当なゴミをワイヤーで結んで作った即席のものだ。
その上のコップと皿は、ペットボトルを加工して何とかそれっぽく整えただけの代物である。
隣にあるのは、掘り当てたばかりの芋で、まだ泥を洗い切れていないため、部屋全体が土臭い。
現代社会の街で生きていた人間にとって、これは許容できる限界の生活環境だった。
そういうわけで、現在の目標の一つは生活の改善にあると考えている。
本当はエルフィンランドやモナティアムに移住し、発展したインフラをそのまま使って暮らしたいところだが、生憎その二都市では指名手配されている身の上、そうもいっていられない。
また、『トリッカル』の知識から、地下には魔女たちの街、ベリティエンがあることは知っていたが、そちらに関しては行き方が分からないため、選択肢に入れられなかった。
結局のところ、幽霊らしく、幽霊の沼でわたしは生きていくしかないのだろう。
当座の目標としては、立地は最悪でも、リムのようなお洒落な家にしていくことを考えていた。
現在の目標の二つ目、それは『トリッカル』のストーリーに影響を与えない範囲で、交友関係を広げていくことである。
『トリッカル』の世界には、破滅の危機が幾つかある。いつ『人間』である教主がこの世界に降り立ち、世界を救い出すのか分からない以上、ストーリーに影響を出して、世界を破滅に向かわせるわけにはいかなかった。
とはいえ、わたしの『トリッカル』の記憶は第一部までと限定的な上、最悪の場合、今いるここは、教主がやってこない、滅びの定めにあるエーリアスの可能性すらある。
できる限り情報を集め、エーリアスの現状を把握すること。そのためには、幽霊の沼に引きこもり続けるわけにはいかない。交流を深め、得られた知見を基に、他者や社会のために尽くすことは、人間性を満たす実に『人間』らしいあり方で、わたしの本質もまた、その志を肯定していた。
さらに、この世界にいるからには『トリッカル』の可愛い、しかし癖の強いキャラクター達と関わりたいという欲望も、その目標を後押ししている。
とはいえ、沼の外に出ていくには、装備も情報も不足していた。
幽霊の沼の外に出ないと綺麗な家財も、装備も、情報も、人間関係も手に入らない。
なのに、外に行くための装備も情報も足りていない。
「これは、すぐに解決するのは無理なのでは………?」
思わず独り言がこぼれた。
リムやスピッキー、その他の幽霊に頼り、時間を掛けて何とかしていくしかないのだろうか。
そのようなことを考えていると、ドンドンドンッ! と、突然ドアが外から叩かれた。
「スピッキー?……入っていいよ」
この沼でノックをするほど礼儀正しいのは、知っている中ではスピッキーだけだ。
また、部屋が騒がしくなるな、とわたしは考えながらも、来客に備えて椅子から立ち上がった。
そんなわたしの目の前で、扉がゆっくりと開いていく。
「初めまして、お客様~。私は公正な取引を重んじる優良行商人、シストでございます」
やってきたのは幽霊であるスピッキーには似つかない、角と羽を生やした竜族の少女だった。
「サヤさん、ですよね。ようやくお会いできました。今日は特別に、たくさんの素晴らしい商品を持ってきましたの!」
エーリアス全土を飛び回る悪質な闇商人、シストは胡散臭そうな笑顔のまま、手元の鞄の中をわたしに見せびらかした。
「まずまずの………いえ、素晴らしい仕上がりです…!」
ゴミから組み上げたクッション付きの椅子に腰掛けながら、目の前のシストがその出来栄えを褒め上げた。わたしの背丈も小さい方であるが、エーリアスの標準的な体型よりも小さい竜族であれば、それなりに椅子のサイズも合うらしい。
唯一、翼だけは椅子に収まらず窮屈そうにしていた。しかし、シストの大きな角と翼は、偽物の見せかけであり、押しつぶされていても本人に不快感はないのかもしれない。
「どうも………」
控えめに、しかし褒められた嬉しさで少し声を上擦らせながら、わたしが答えると、シストは無遠慮に家の中を見渡した。
「沼で壊れたエルフの機械を集めて、直している幽霊がいると聞いていましたが、このお家の端の………機械の山がそれでしょうか?」
「はい。まだ使えそうな道具を、直せないか試していて………」
エルフ工学について知識不足なわたしは、問題なく動くパーツ同士を組み合わせたり、偶然拾えた手回し発電機からバッテリーに再充電するくらいのことしかできていない。それでも、その程度の作業で動き出した道具は多くあり、その成果が、すでに山のように積み重なっていた。
「確かに動くことも確認できましたの」
ゴミの山から抜き取ったエルフ製のカメラを手に、シストが満面の笑みで頷いている。上機嫌に見えるが、わたしは彼女があくどい商売も辞さない行商人であることを知っているため、緊張しながら、次の言葉に向けて身構えた。
「これらの修理品を私に売却しませんか?代 わ り に、こちらの商品とお取り換えしますの!これはお得な取引ですのよ~、へへっ」
シストは鞄の中から、商品というには薄い、1枚の紙を取り出す。
「これは?」
「私が最近始めた、サブスク事業の契約書になります。なんと、たった1回の支払いで、以後私の店からは無料で、商品をお買い求めする権利が得られますの!」
わたしには読めない文字で書いてある契約書を見せながら、シストは早口で言った。
「わたしは文字が読めないから………」
「大丈夫、そういう時に備えたプランもありますから!この手元のカメラと引き換えに、私が契約書を読み上げるサービスも付けますわよ!」
勢いよく契約書を押し付けてきたシストを前に、わたしは、既にモナティアムで引っ掛かりかけた詐欺を思い出しながら、紙を突き返す。
「そんな!………今入会すれば、サヤ様が欲しがっているであろうキャンディーから家具まで、次回の私の来訪時に幾らでもお求めできましたのに!」
「次回の来訪日っていつ?」
悲しそうに訴え掛けるシストに、わたしは思い浮かんだ疑問を口にした。
「………明日かもしれませんし………10年後かもしれませんわね!……ちなみに、私が来訪した時以外、サブスクは無効ですので、サイン頂いた暁には、私を探しに来ないで、このお家でしっかりとお持ちください」
つまり、サブスクと言い張り、代価なしで直したエルフの道具を持ち逃げするつもりだったと、わたしは理解してため息をついた。ただ、しっかりと白状しただけ、エルフの詐欺師よりはマシなのかもしれない。
実際、いくら怪しい商人とは言えど、今のわたしは外部から商品や情報を持ってきてくれる伝手が他にないので、取引しない訳にもいかないのだ。
「他に何か売れる商品はないの?食べ物とか、家具とか、道具とか何でもいいから」
わたしがおずおずと尋ねると、気を落としていたシストの顔に笑みが戻った。
「それはもちろん!重い家具は持ってきていませんけど、道具やお菓子は色々用意していますの」
何処にこれだけの量が入っていたのか、鞄の中から色々なものが取り出され、わたしの家のテーブルや床に並べられる。
「これらのエルフ製の機械すべてと交換で、商品のうち3点のお買い上げ、という取引ではいかがですか?」
シストが、先ほどまで手に取っていたカメラを含め、十数個の道具を手に抱えながら提案した。
「それは流石に……安すぎない?数も釣り合ってないし、取引として不公平すぎる!」
エーリアスの相場を知らないため、何とも言えないが、修理した道具すべてを手放すほどの価値はないように感じ、流石のわたしも抗議する。
「あら。これは危険手当込みの商売ですのよ? 山奥と街中とで、商品の値段が同じになるわけがないじゃありませんか。仮にこの沼が本当に安全で、危険手当が要らないのであれば、私自身が機械を拾い集めて、売りさばいていますの」
シストの説明には、ある程度納得がいくところもあった。わたし自身、住人と環境、双方がもたらす幽霊の沼の危険性はよく理解している。わたしが直した道具も、薄汚れており、中古のいつまで動くか分からない代物だ。
とはいえ、まだ、ぼったくられている気がしてならない。
「と、とりあえず、いくつかは返して。例えば、道具5個で商品5つの取引はダメ?」
多少の損をさせられても、外部から商品や情報を持ってきてくれる商人は貴重だ。わたしは譲歩しつつも提案をした。元の世界では特別な品でもないカメラや電動扇風機などだが、もう少し粘って取引価値を高めたい。それで、沼のゴミからは手に入らないようなものを買えれば何よりだ。
「その数なら、商品は1つですの」
「4つじゃだめ?」
「相場から考えても、2つが限度ですわね」
「3つじゃないと取引はしない、と言っても?」
「私もここまで来て損するような取引はできません」
シストは想像以上に強情で、値切りに慣れていないわたしでは、どう切り崩せばいいか分からなかった。
「それでも……3つじゃないと取引しないから!」
頼む、折れてくれ、と願うわたしの心を察したのか、シストはため息をつく。
そして、鞄から新しい商品を取り出した。
「はぁ……分かりました。選んでいい商品は2つとして、もう1つ、これを特典に付けますの!」
シストの手には、黒光りする危険な道具、拳銃が握られていた。
「これは!」
「お買い上げ前に商品に触れるのはダメですよ」
慌てて手を伸ばしたわたしを、シストが諫める。
流石に本物ではなく、『トリッカル』でシストが使っているものと同じ玩具の銃なのだろうが、それでも、心細い世界において、銃の魅力は大きかった。
「フフッ……今の条件で取引をしたいのであれば、早めのご決断が必要ですのよ~」
「じゃあ、これと……これで!」
シストに促され、わたしは、物を運ぶのに便利そうなリュックと、非常食になりそうな瓶入りキャンディの詰め合わせを選び取る。その様子を満足そうに見つめると、シストは代金の代わりとして、わたしが直したエルフの機械を鞄へと詰め込んでいった。
「お買い上げありがとうございます。次回も、素晴らしい取引をしてくださいまし。では!」
そう言い残すと、特典の拳銃と商品を家の床に残し、シストは扉から飛び出していく。
静まり返った家の中。わたしの手の中には、このエーリアスで初めて得た、自分の仕事に対する報酬があった。玩具の拳銃、リュック、それに瓶入りキャンディという、あまり見栄えの良いものではなかったが、それでも自分の労働で手に入れたそれらは、わたしの目に輝いて映っていた。
なお、この取引がエーリアスでの相場(モナティアム以外)における、数十分の一以下という、想定外の不当な買い叩きだったと知るのは、しばらく後のことである。