「あっ、自己紹介がまだだった!ウイはここの近くに住んでいる霧雨の精霊!下にいるのは友達のカエルで、名前はエルだよ!」
自己紹介を受けるまでもなく、わたしの目の前にいる、可愛らしい黄色のレインコートを着たキャラクターのことをよく知っていた。自称、霧雨の精霊の彼女は、実際にはただの霧雨の精霊ではない。少なくとも『トリッカル』ではそう描写されていた。
ゲーム内では『エルダイン』と呼ばれる特別な使徒である彼女は、超常性溢れるエーリアスの住民の中でも、ひと際強力な、世界や記憶を書き換えるような特別な能力を有している。基本的には友好的な存在だが………
「エル!挨拶!」
「ゲコゲコっ」
ウイの言葉を受けて、すぐ下でウイを支える巨大な蛙のエルが、理解できない鳴き声でわたしに話しかけた。
会話の方針はまだまとまっていなかったが、ここで無視するのは無礼が過ぎるだろう。わたしのような幽霊が精霊に対して当たりが強いのは良くあることだが、さりとて、無邪気な彼女を傷つけたくはなかった。
「ぁ……さっ……あぅ……」
挨拶か自己紹介か、返す言葉に悩みながら口を開けたせいか、エーリアスに落ちてきた直後の頃のように、口の中で舌が上手く動かず、変な声を上げてしまった。
いや、単に悩んでいることだけが原因ではない。
正直に言うと、わたしは遥かに強い力を容易に振るうことのできる目の前の少女が少し怖かった。シェイディやリムなどの力もやはり強力で、わたしのことを滅茶苦茶にできるかもしれない。しかし、ウイの力はそれとはまた別格で、異色なものである。
「ゆ、幽霊のサヤです!」
「びっくりさせてごめんね☆!幽霊さんのため息が聞こえて飛んできちゃった!ウイにできることがあったら何でも言ってね!」
わたしの拙い、情報不足の挨拶に答える目の前の少女は、善良で、善意に溢れていた。それが、元人間のわたしにとってはとても怖いのだ。
「不幸の原因を、ウイの力で吹っ飛ばしてあげる☆!」
エーリアスに来てから、決して幸福とは言えない、大変な道のりを歩んでいるわたしの、不幸の原因はおおよそ一つだから。
もしわたしが、人間としての記憶も、『トリッカル』の記憶もないただの幽霊だったら、もっと幸福に、無邪気にエーリアスでの暮らしを謳歌できていたのだろう。エーリアスを彷徨っていた頃は頻繁に、そして最近では夜、眠りにつく時にふと考えてしまう。そんな想像を、目の前の少女に一言でも漏らしてしまえば、今のわたしは彼女の能力で『死ぬ』ことになるかもしれない。
不幸の原因である記憶をすべて失い、元人間の『人間』の幽霊から、『■■』の幽霊になったわたしは、きっと、わたしじゃない。
「下山するのに、荷物が重くて困っていたんです!」
幸いなことに、わたしの口からは
最近はエーリアスに居場所もでき、だいぶマシな生活を送れていたおかげだろう。放浪生活の最中にウイに出会っていたら、どうなっていたのか、あの時の自分のすさんだ心を想像し、背筋に冷や汗が伝った。
「それなら任せて! エル、出番だよ!」
言葉と共に、ウイが振るう巨大な四葉のクローバーが光り始める。
………………気が付くとわたしは蛙の、エルの背に乗っていた。
「ちっちゃい幽霊さん!ちょっと狭いけど、ごめんね☆!」
後ろから、ウイの両手がシートベルトのようにわたしを抑え込んでいる。幼い見掛けや衣装に反して、身長は大きいのか、わたしは抱っこされるような姿勢で抱えられており、気恥ずかしい。さらに、ウイのモチモチしたほっぺが頭にあたり、むず痒かった。しかし、そのおかげかエルが跳ねる振動で吹き飛ばされることもなく、安定した乗馬?…乗蛙を楽しむことができている。
「もうすぐ幽霊の沼に着くよ!」
「は……早っ……?!」
ウイの説明を受けて、わたしは驚愕した。太陽の角度を見るに、そう時間は経っていないはずなのに、目の前の景色はいつの間にか森から沼へと変貌を始めていた。
「こっちだね☆!エル!お願い!」
最低でも半日掛かることを覚悟していた旅路が、もう終わりに近づいている。
わたしも乗れるペットか友達でも探したほうがいいのかな?などと、ぼーっと考えているうちに、気が付けば自宅の前に着いていた。
「到着だよ!」
陰鬱な幽霊の沼に似合わない、元気いっぱいのウイの声が辺りに響き渡る。
「ウイは幽霊さんを…幸せにできた?」
ウイが、少し不安そうな声でわたしに尋ねた。
返す言葉は、もう決まっている。
「ありがとう!すごい助かったよっ!」
わたしは本気で感謝していた。感謝しないわけがない!
初の乗り物?での移動と、半日分の辛い道のりが消し飛んだ喜びで、普段よりも高いテンションでわたしはウイとエルに飛びついた。
「ゲコゲコゲコっ」
「エルが、どういたしまして、だって!」
エルとウイも楽しそうに飛び跳ねる。
そこで、わたしは下山の辛さの原因の一つであった、リュックが背中にないことに気が付いた。
「あれ?わたしのリュック……?」
「そうだった!エル!」
背中へ不安そうに手を伸ばすわたしを見て、ウイがエルに声を掛ける。
「ゲコっ!」
エルの舌が伸びると、口の中からわたしのリュックが出てきた。そのまま、ベチャッ、という水音を立てて、リュックはわたしの目の前に吐き出される。
「…………」
粘液に塗れた愛用のリュックを見て、わたしのテンションが少し下がった。
わたしは自宅の小屋の中にウイを招いて、何か御礼に渡せるものがないか見繕うことにした。
エルには小屋の外で待ってもらっている。
リュックをベタベタにされた恨みなどではなく、小屋の扉から、サイズ的に中に入ることができなかったのだ。
「カボチャとキャンディだったらどっちがいい?」
「ウイはキャンディの方が好き!」
わたしが報酬を尋ねると、ウイは飛び跳ねながらキャンディの方を選ぶ。エルの分も合わせて、数個渡すと、より楽しそうに飛び跳ねた。
「こんなに幽霊さんと仲良くできるなんて、幸せ☆!ちっちゃい幽霊さんも、ウイがもっと幸せにしてあげるね!」
上機嫌に、手元の四つ葉のクローバーをクルクルと回して光らせながら、ウイは声を上げる。ここまで楽しそうにされてしまうと、怖がっていた自分がバカらしくなり、思わず苦笑いが漏れる。
「また今度ここに遊びに来てもいい?」
「それは………」
ウイの質問に、わたしは一瞬口ごもった。
その質問はわたしの中の大きな矛盾に抵触している。エーリアスの住民と仲良くし、コネクションを結ぶことは今後の未来のためにも重要である。その一方で、それは『トリッカル』のストーリーに、間接的に影響を与えることになるはずだ。『トリッカル』内で重要なキャラクターであるが故に、ウイと必要以上に仲良くすることは、大きなリスクを抱えていた。
そんな理由で、目の前の友好的な相手を不幸にするべきなのだろうか?
「いいよ。ウイ、エルと一緒にまた来てね!」
不安を押し切るように、少し無理にテンションを上げて、わたしは答えた。
この程度なら、大丈夫なはずだ。そう心の中で自分に言い聞かせる。
「こんなに仲良くできた幽霊は初めてかも!」
「ゲコゲコっ」
ウイが楽しそうに笑い、小屋の外のエルも、それにこたえるように鳴き声を上げた。
「じゃあ、またね☆!ちっちゃい幽霊さん!」
ウイはエルに飛び乗り、少し傾き始めた太陽の元、精霊の山へと帰っていく。
わたしの目の前には粘液で汚れたリュックが残されていた。
「さて、日が暮れる前に綺麗にしないと……」
面倒な仕事が残されたものの、何処か幸せな気分を残したまま、わたしは井戸に水を汲みに行くため立ち上がり、歩き出す。
小屋の扉を開けると、足元には幽霊の沼ではめったに見られないシロツメクサが幾つか生えており、その全てが4枚ずつの小葉を揺らしていた。