エルフィンランドの街道の一角、ゴールデンレトリバーのような人懐っこい獣人の少女と、フードを深くかぶった怪しい少女の二人組が、道行く妖精たちにエシュールに託された魔法学校のチラシを配っていた。前者の獣人がバターで、後者はわたし、サヤである。
「あの~、もしよければ受け取ってください!」
「え?また、エシュールさんの魔法学校のチラシ?もう要らないよ~」
わたしは見知らぬ妖精の通行人にチラシを見せるが、呆気なく受け取りを拒否されてしまう。先ほどから、300枚とされたノルマの1割もチラシは消費できていなかった。
元々魔法が使える妖精たち相手に、魔法学校の需要を喚起するなどやはり難しいのだろう。正直、わたしはこの仕事を始めて早々に、ノルマの達成を諦めかけていた。その結果、やる気を失ったわたしの関心は隣で働く同僚の方に向けられる。
「バターはどうしてエシュールのパン屋に来たの?」
「それは…………」
わたしの質問を受けて、バターは考え込むように、宙を見上げた。
「あたしと別れた後、サヤは妖精王国に向かっていましたよね。だから一緒に遊べるかなと思って、友達と来たんです!でも、何処にもいなくて……エシュールさんに聞いたら、会ったことがあると言われました!そして、話を聞いているうちに生徒になることにされて……ハゥゥ………」
既にバターもこの不毛なアルバイトの様子を見て、魔法学校の生徒になったことを後悔しているのか、肩を落としながら説明してくれた。
「エシュール様の授業は難しいし、結局、魔法を使えるようになるためには資質がないといけないって言われるし………仕方ないから勉強していますが、もう嫌です………!」
相当に限界が近いのか、バターの口からネガティブな言葉が漏れている。
その言葉を聞きながら、わたしはこのイベントの発生原因が自分にあることを知り、頭を痛めていた。現在、バターの身に降り掛かっている災難は、本来はもっと後に起こる『トリッカル』でのイベントのストーリー、『メルト・ダウン バター』に極めて類似している。わたしとバターの面識、ただそれだけで、イベントの発生タイミングがここまで前倒しにするとは思ってもいなかった。このイベントが、今はまだ居ない教主が深く絡むわけでも、世界の危機に繋がるわけでもないのは救いだが、このような前例が生まれたというだけで、わたしには大問題である。
わたしの存在が、些細な行動が、まるでバタフライエフェクトかのように、わたしの知る『トリッカル』を捻じ曲げて行き、最終的に、変えてはいけないストーリーまで崩壊させ、世界を終わりに導くことさえある。そういうリスクを、責任を、今まさにわたしは噛みしめていた。
「サヤ、どうしましょう……?こんなチラシ配り、絶対に終わりません!」
バターの悲痛な声に、わたしの意識は現実に引き戻される。ここで生きる一人の幽霊として、いま目の前にある問題とも真剣に向き合わなければならなかった。
わたしの本音を言えば、ある程度はチラシ配りに食らいついて頑張り、ダメだったらそのまま一緒に逃げ出してしまえばいい、そう思ってしまう。
とはいえ、それでいいのだろうか。『メルト・ダウン バター』では、ストレスが限界に達したバターがブチ切れて、ストレスの原因となった相手を成敗して終わりとなる。その流れを改変して、何かが良くない方向に進んだらどうしよう。そう言ったことが頭から離れない。
「とりあえず、もう少しだけ頑張ろうよ!」
「ううっ………そうですね……」
時間稼ぎを兼ねて、わたしが中身のない元気づけの言葉を投げ掛けると、バターからは弱々しい返事が返ってきた。あまりにバターらしくない、辛そうな顔にわたしの心が痛む。
「チラシをどうぞ!」
「エシュールの魔法学校……新入生を募集中です…!」
二人の声が妖精王国の一角に響き渡った。それでも、チラシは全然受け取ってもらえない。それなりに、純粋さが欠けているわたしでも辛く感じるのだ。活発で無邪気なバターにとっては、ストレスの大きい環境なのだろう。隣で、彼女の声がみるみる小さくなっていくのが感じられた。
「チラシ……受け取ってください………」
泣きそうになっているバターから目を逸らすと、わたしは誰かの視線を感じて振り返る。そこには、すぐ近くの路地の陰からこちらを心配そうに見つめるエルフィンの姿があった。
わたしと目が合ったエルフィンが、こちらに歩み寄る。心配はしているのだろうが、おそらく、そこまで素直ではないエルフィンの口から出る言葉はバターを傷つけることになるだろう。『メルト・ダウン バター』では、そうだった。この後の展開を想像して、わたしの胸が張り裂けそうになり、視界が滲む。
「キャハハ!あなた達―――」
馬鹿にしたような笑い声から会話を始めようとしたエルフィンにわたしは抱き着き、その口を塞いだ。それは深い計画などではなく、本能的で偶発的な行動にすぎなかった。
目の前であんなにも自分に優しくしてくれたバターが傷つくのを、これ以上見たくなかった。自分と仲の良い二人がいがみ合うのも見たくなかった。自分もそろそろ、チラシ配りの辛さが限界に達していた。どの感情が一番の原因かは分からない。ただ、複数の感情が入り混じり、わたしの行動は出力されていた。
「んぐぐ………サヤ!やめなさい!…………私は女王なのよ!……………ちょっと、あなた達!?………泣いてるの!?」
抱き着いたわたしを容易に振り払いつつ、エルフィンが叫んだ。この身体になってから涙腺が緩んでいるのか、わたしの目からは涙が流れていた。目の前で起こるだろう辛い出来事を、起こると分かっていて止められないのは想定以上のストレスとなっていたのだろう。その上、自分から『トリッカル』のストーリーを変えに行くのはこれが初めてで、自分がしでかした行動の責任は重く、私にのしかかっていた。
釈明するならば、わたしはただ涙ぐんでいただけで、決して大泣きしていたわけではない。一方、目の前でエルフィンに抱きついて泣くわたしを見て、必死に耐えてきたバターの涙腺は完全に決壊し、えんえんと、激しく泣きじゃくっていた。
「もう!………泣かないでってば!」
泣いているわたし達に悪態や皮肉をつけるほど、エルフィンの性格は捻じ曲がっておらず、ただ、オロオロと背中を撫でて慰めるだけに徹していた。わたし達の涙に釣られたせいか、エルフィンも涙を浮かべており、街道の端で、抱き合って泣いている3つの影がそこにあった。
少し時間が経った後、裏路地には座り込んだ2つの人影と、その前に立って声を張り上げるエルフィンの姿があった。
「そもそも、あなた達!嫌なら嫌ってちゃんと断りなさいよ!」
「「はい……」」
エルフィンの言葉に対して、力なく、しかし一回泣いてスッキリしたのか落ち着いた声で、わたしとバターが返事をした。
「その場に私も居たんだから、言ってくれればいいじゃない!」
腰に手を当てながら、エルフィンが威厳の籠った声で続ける。しかし、わたしがエシュールに嵌められた時、エルフィンは買収されて助けてくれなかったような記憶があるのだが………
ジトっとした目でわたしが見つめると、もうその時の記憶はないのか、邪気のない顔でエルフィンは小首を傾げた。
「とりあえず、女王の友人にそんなことしないよう、エシュールには言っておくから、もうチラシ配りは止めて帰っていいわよ!」
「うぅ……ありがとうございます……妖精の女王様……」
久しぶりに女王らしい振る舞いができて機嫌がいいのか、エルフィンは高笑いしながら、残りのチラシを受け取って去っていく。
最終的に、わたしとバターの2人がその場に残された。
何かすべきことがあった気がするものの、先ほどの行為による動揺をまだ消化しきれておらず、頭は正常に働いていなかった。
「えっと………そういえば、無事に会えたわけだけど、どうしようか?」
「今日はもう疲れちゃって………でも、今度また遊びましょう!サヤの家にも連れて行ってください!」
わたしの問いかけに、少し元気を取り戻したバターが笑い掛ける。とりあえず、この笑顔を保てたことは、わたしにとって僅かな救いになっていた。信念を曲げ、物語の流れを自らの手で変えてしまった悔いは、未だに胸の重しとなって離れない。しかし、近い将来に後悔するようなことが起きるとしても、バターの笑顔のおかげで、少なくとも今この瞬間は正しいことをしたのだと、わたしは信じることができていた。
「さよなら!また会いましょう!」
去り行くバターに手を振りながら、わたしは逆に裏路地の奥に進んでいく。
今回、不完全燃焼で終わった『メルト・ダウン バター』だが、これで完全にイベントとして消えたとは限らない。ポジティブに考えれば、起こるべき時までイベントを延期することに成功した、と言えなくもないのだ。おそらく、近い将来、またバターのストレスが限界に達して、爆発することはあり得るだろう。その時にこそ、再び『メルト・ダウン バター』が始まるのだろう。
わたしは、裏路地の店を外から一軒ずつ眺めながら、目的の店を探して歩いていた。本来、『メルト・ダウン バター』にも関わるはずだった、ちょっと変わった妖精、マヨが経営するお店を訪問しようとわたしは考えていた。
「え~~っと……マヨの店……マヨの店でいいんだっけ?やっぱり、文字もちゃんと勉強しないと不便かな……」
『メルト・ダウン バター』が始まりかけた以上、特別な力を持ち、メインストーリーにも深く関わる、『トリッカル』ではココと名付けられる銃が収められているかを確認したい。まだ教主が来ていない以上、おそらくないとは思うが、念のため様子を見ておきたかった。もはや外見の記憶があやふやなので、一目見て分かる特徴があれば良いのだが………あったっけ?
そのようなことをわたしが考えていると、よそ見していたせいか、正面から来た妖精とぶつかってしまった。
「痛っ!」
わたしが相手の足を引っかけるような状況になってしまい、地味な外套に身を包み、紙袋を被った不思議な妖精が、転倒して苦痛の声をあげた。
「ごめんなさい!」
慌てて手を差し伸べて起き上がるのを手伝うと、紙袋にいくつか貼られたかわいらしいデザインのステッカーが、わたしの目に飛び込んでくる。
「ピコラ?」
気が抜けていたせいか、そのステッカーのデザインから連想される『トリッカル』のキャラクター名が口から飛び出てしまった。とはいえ、彼女こそ、バター以上に現在の妖精王国にいるはずがない存在だ。ピコラは妖精王国と交流が途絶えている魔女の国、ベリティエンにいるはずで、しかも、この後メインストーリーの黒幕となる魔女、フリックルの弟子である。
「え!?」
紙袋を被った妖精が驚きの声を上げる。当然だ、知らない人の名前で呼ばれたはずなのだから。いや、でもこのステッカーは間違いなくピコラに関係しているものだろうから、どこかで知り合った可能性もあるのか。そのような思考が、疲れた頭の中を駆け巡る。
一方、目の前の妖精の声には聞き覚えがあり、さらなる厄介ごとを告げる警告音が頭の中で鳴り響き始めていた。
「なんであたしの名前を知っているんですか!?それに、顔も隠していたのに!」
どうしてこうなった!?
天を仰いだわたしの前で、ベリティエンの女王補佐フリックルの一番弟子にして、エルフィンランドへの侵入者、魔女のピコラが紙袋を外して、キラキラした目でこちらを見つめていた。