喉の渇きでフラフラしながら、夜のエーリアスの森を進んで行く。
これまでの夜闇の探索とは異なり、今は目の前の巨大な炎が木立や地面を照らしており、木の根に脚を引っ掛ける心配もない。
「本当に何かの悪戯の仕込みとかじゃないんだろうな」
目の前を歩く炎の塊、イフリートが未だに警戒心を解かずに、こちらを振り返った。
「お願いします……喉が渇いて辛いんです……水が飲みたいんです……」
「いや、お前ら幽霊は別に大丈夫だろ」
何度訴えても、訝し気な視線は消えないが、一方で、近場の湧き水に連れて行ってくれるという言葉は嘘ではなさそうだった。
木々の奥から、水の流れる微かな音が聞こえている。
「ここだ。隙を見て俺を突き落とそうとしたりするなよ!」
イフリートが指し示す先には、崖の間からちょろちょろ流れ出す湧き水があった。
そこから、腕の太さほどもないような小さな川が下流へと流れている。
「そんなことしません!ありがとうございます!この恩は忘れません!」
頭を大きく下げて感謝を伝えると、すぐに崖からの水の流れに口を当てて、のどを潤した。
乾いた体に冷たい水が染み渡っていく。
「いや、幽霊からの恩返しなんて要らないからな」
そんなわたしの様子をドン引きしたような目でイフリートが見つめていた。
イフリートが立ち去った後、お腹いっぱいになるまで水を飲んで、そこからの記憶がない。
おそらく夜中、緊張しながら水を探して彷徨い歩いていたせいで疲れと眠気が貯まっていたのだろう。
目が覚めると、太陽はすでに朝日と呼ぶには高すぎるところまで昇っていた。
寝起きの顔を湧き水で洗い、手の平に汲んだ水を飲み込んでいく。
ようやく手に入れた無尽蔵の綺麗な水が体を潤していく。
次にやることは決めていた。
少し湧き水から離れ、開けた場所まで行くと、想像通り大きな目印を見つけることができた。
川の下流側の木々の間から、より一層デカい、天まで届くような大きな木が見える。
エーリアスの中心にして、世界樹教団の信仰の対象たる世界樹がそこにあった。
その根元には昨日出会えたエルフィン女王が治めるエルフィンランドがあり、また、ゲームの主人公たる教主が所属する世界樹教団の本部があるはずだ。
こんな森の中とは異なる文明化された都市にて、教主に保護してもらえれば、安定した生活が手に入るはずだ。
ゲームのストーリーへの干渉を考えると、少し気が進まないところではあったが、それでもモブの1員として紛れ込む程度のことは難しくないだろうと考えていた。
懸念点は、教主がどんな性格だとか、本当に教主がいる世界なのかの確認をイフリートにできなかったことだろうか。
流石に悪意を疑い、湧き水への案内さえ嫌がっていたイフリート相手に、追加の質問などする余裕はなかったのだ。
「よし!行くぞ~~!」
道中、食べ物など見つけられないかな、などと呑気に考えながら、わたしはエーリアスの森へと、再び足を踏み出した。
はい、私は遭難2回目の愚かな幽霊もちほっぺです。
おかしい……
ゲーム『トリッカル』では描写のブレこそあれ、エーリアス内の移動は長くても半日程度、それほどの旅路ではなかったはずなのに……
すでに太陽は頂点を過ぎて沈み始めており、それなりに長い時間歩き続けているにも関わらず、世界樹との距離は一向に縮んでいなかった。
森の中にはしっかりとした一本道があるわけではなく、藪や崖、川に阻まれ、全然思った方向に進めていない。
しかも、木々や藪の間に入ると世界樹の位置をすぐに見失ってしまうので、気が付くと明後日の方向に歩いていることばかりなのだ。
幸い、途中から川沿いに進むよう努力していたお陰で、少しは世界樹に近づけた気はする。
しかも、衛生面こそ気になるものの、常に喉を潤せる水が近くにあるのは有難い。
とはいえ、現状、すぐ先から川は滝になっており、崖を頑張って降りるか、遠回りするかの2択が求められていた。
本音を言うと、崖をそのまま降りたかった。
何故なら、崖のすぐ下、川辺の小さな木に赤い実が生っているのだ。
水でごまかしていた空腹を思い知らせるように、グーッと小さくお腹が鳴った。
滝の横の崖を見下ろすと、それなりの間隔で掴める場所があるように見えた。
意を決して、手を崖の縁に掛けて、脚を下ろして、足場で体重を支える。
そのまま、2つ目、3つ目と取っ掛かりを掴んで、降りていった。
思ったよりも、足場や取っ掛かりとなる岩やツタの間隔が広く、かなり苦しい作業になった。
腕の疲れを感じて下を見ると、まだ3分の2以上の高さが残っていた。
そこで、これまで歩く距離や降りる崖の高さの過酷さを、無意識に、未だに人間基準で考えていたことに気が付かされた。
少し焦りながら掴んだツタの下、あるはずの足場には今の身長では届かず、一気に体重が片手に掛かってしまう。
あ……
ブチっとツタが千切れて、体が宙に投げ出された。
伸ばした両手が宙を掴み、重力に引かれて身体が下に落ち始める。
重い頭が下を向き、石が転がる河原がすごい勢いで近づいてくるのが見えた。
そして、すさまじい痛みと衝撃が頭を駆け巡り、視界に火花が散って、意識を失った。
目が覚めると、空は暗くなっており、星と細い月が僅かな光で地上を照らしていた。
エーリアスの住民特有の頑丈さのおかげで、血すら出ていない頭をさすりながら、すぐ横の川に口を付けて、喉を潤す。水の摂取だけでは耐えられない位になった空腹が、胃を苛む中、崖を下りる前に見つけていた赤い実のことを思い出した。
川沿いの目立つ位置に、1つだけ残されていた実をむしり取るとズッシリとした重さが腕に伝わる。
空腹に急かされながら、わたしは果実に齧り付いた。
ガリッ
食べ物からは通常しないような音がして、固い中身が歯に痛みを与えた。
必死の思いで崖を降りて、手に入れたそれは腹を満たすことのできる食べ物ではなかった。
不自然な木との接着箇所から、意図的に、おそらくいたずら目的で仕掛けられたものであると推測できてしまい、その悪意のこもった事実に呆然とした。
早く家に帰りたい。
人間として、街で暮らす日々に戻りたい。
身体は痛いし、お腹は空いているし、寒いし、辛い。
ヨロヨロと川岸を歩くわたしの上で、空が白み始めていた。
歩き続けて、ようやく見つけた人影にわたしは縋りついた。
「あの!食べ物を分けてください!!」
もはや恥を捨てて、頭を地面にこすり付ける。
ゲームのキャラクターとしては見覚えのない、モブの獣人と思われる住民たちが何人か集まってきて、こちらを訝し気に見つめていた。
「あ…怪しい……」
「見かけない顔だよね」
「一昨日のリンゴ泥棒ってこいつじゃない?」
幽霊というわたしの種族への不信感もあってか、誰一人、助けの手を差し伸べてくれる様子はない。
それどころか、徐々に雰囲気は険悪なものになってきた。
「捕まえて村長に突き出そう!」
「泥棒!」
「逃げたぞ!武器持ってきて!」
全力で逃げ出すも、土地勘がないため、どちらに行けばよいかも分からない。
結局、偶然見つけた木の洞の中に逃げ込み、ガタガタと震えることになってしまった。
しばらく待って、わたしを探す声は遠ざかっていったが、この世界で初めて向けられた明確な敵意と武器の切っ先への恐怖から、すぐ外に出る気にはなれなかった。
周囲の様子を伺うため、こっそりと洞から顔を出した瞬間、待ち構えていたかのような視線と正面からぶつかり、恐怖で喉が引きつった。
「かくれんぼしてるの?あたしもかくれんぼ大好きです!」
尻尾を振り回しながら、犬の獣人の少女がこちらを見上げていた。
先ほど追いかけてきた住民たちと異なり、敵意のない目に、安堵のため息をつく。
エーリアスの世界の中でも数少ない純粋な善人、バターがそこにいた。
わたしは慌てて、指を口に当てて、声を抑えるようにお願いして、少女を洞に招き入れた。
「こんにちは!いい隠れ場所ですね!教えてくれてありがとうございます!」
まったく声量は抑えてくれなかったものの、バターは素直に洞の中に入ってきてくれた。
「2人で隠れるのも楽しいです!今度はあたしとあたしの友達ともかくれんぼしませんか?」
「そ……そうだね……。機会があれば……」
正直、騙しやすく言いくるめやすい性格から、食料を要求しやすいと推測して呼び寄せたのだが、楽しそうに話し続けるバターを前に、中々話を切り出せない。
結果として、またお腹が空腹で鳴り出してしまった。
「お腹が空いているんですか?これ、一緒に食べます?」
バターの懐から、缶詰が取り出された。
ガリガリ、とその蓋が開けられると、空腹に沁みる、ジューシーな肉の匂いが鼻についた。
「ありがとう……ありがとう……」
無作法にも手づかみではあったが、この世界に来てから初めてのまともな食事に、思わず目頭が熱くなった。
口いっぱいに広がる塩気が、おいしさを引き立てており、忘れられない一食になった。