幽霊の沼の住民は基本的に自分本位である。自分が楽しければそれでいい、そんな本能に忠実な面々が好き勝手やっているので、他の種族が寄り付かなくなるのもよく分かる。しかし、先日訪れたエルフィンランドやベリティエンのように、他の種族の都市でも日々様々な騒動が起きているのがエーリアスだ。慣れてしまえば、幽霊の沼での暮らしも悪くない……と思いたい。
例えば、今わたしは寝起きで、ソファベッドから体を起こしたところだが、目の前には招いた覚えのない
「おはよ~」
不法侵入に対して申し訳なさそうにするわけでも、開き直って敵意を見せるわけでもなく、赤黒い髪の幽霊は、何食わぬ顔でわたしに声を掛けた。
「メゾン、おはよう」
眠気まなこを擦りながら、わたしは声を返す。彼女の不法侵入はもう2回目で、それほど驚くようなことではない。むしろ、『安息』の幽霊として、先住者を気にせず、色々な場所を我が物顔で自宅扱いするだけのメゾンは、まだマシな方の侵入者である。もっとやりたい放題する幽霊も多くいる。ただ、彼女たちについても本能なのだからしょうがない。
ある意味、皆が本能のまま好き放題に振舞っているというのは、気が楽な部分もある。わたしは抱えている記憶や体質などの問題もあり、エーリアスでは明らかに浮いた存在だったが、ここでは誰も気にしない。未だにこの沼で馴染めている気はしないものの、幽霊たちとて互いに分かり合って仲良くしているわけではないと理解してから、心が軽くなっていた。
「はい、今日の朝ごはん」
メゾンが出してくれた皿の上の皮を剥いただけの芋は、彼女が用意したものではなく、昨日わたしが丹精込めて仕込んだ貴重な食材だった。少しずつ、調理方法を試しながら食べようと思っていたのだが……まあ、いいか。
生のまま出された丸い芋を齧ると、強いえぐ味と刺激が口に広がった。メゾンも私と同じように芋を齧り、顔をしかめる。
「まず~い!」
勝手にわたしの食材に手を付けた挙句、メゾンは大きな声で文句を言った。とはいえ、わたしの感想も全く同じである。茹でれば少しマシになるのだが、それでもまっとうな食事とは言えない。
「もっと美味しいものにしようよ~!」
「ちょっと待って!それは駄目!」
立ち上がったメゾンが、大事に隠していたお菓子の箱の方へ向かうのを見て、わたしは慌てて制止した。わたしの日々の楽しみとして取っておいたものなのに!
メゾンからなんとか箱を奪い取ったものの、わたしが起きる前につまみ食いされていたらしく、既にキャンディーの数が減っていた。
わたしは泣いた。
これだから幽霊は……!先ほどまでの幽霊への高評価を改めながら、わたしは口直しのキャンディーを舌の上で転がす。前回の訪問時は逆にお菓子の持ち込みをしてくれていたから、これでプラマイゼロだろうか。自宅扱いで家事や物資調達をしてくれる反面、好きに家財を使われてしまうので、評価が難しい。しかし、これから追い出すよりは、お菓子を食べられた分、家の片付けや掃除をしてもらった方がいいだろう。
お菓子や高価な道具、そして拳銃といった大事な品々を手元のリュックに退避させ、わたしはメゾンを家に置いたまま、日課の芋堀りに向かうことにした。さきほど食材を無駄遣いしてしまったため、早急な調達が必要なのである。
「いってらっしゃ~い!」
外へ出て振り返ると、メゾンが無邪気に手を振ってわたしを見送っていた。結局、幽霊の本能に従って動く彼女たちに悪意はないのだ。そこも、わたしが幽霊の沼を過ごしやすいと思う理由ではあった。
「いってきます」
作業を終えて家に帰ればもう新しい自宅を見つけて姿を消しているかもしれない、奇妙な同居人に手を振り返して、わたしは沼地に足を踏み出した。
芋掘りはもう慣れたもので、それっぽい葉を見つけ次第、小さなシャベルで周りを掘り起こし、芋の塊をてこの原理で持ち上げて収穫していく。食事の必要性が薄い幽霊たちに忌避された不味い芋は、あちこちに貴重な手つかずの食料として残っていた。
とはいえ、もう少しまともなものを食べたいところである。本当に食用かも分からない、芋のような何かではなく、肉や魚、果物が食べたい。そのようなことを考えていると、みるみるお腹が空いてきて、人間の頃に食べていた、もっとまともな料理の数々が味を伴って脳裏によみがえる。
ハンバーガーが食べたい。ラーメンが食べたい。寿司も、ステーキも、牛丼も食べたい。とにかく故郷の……エーリアスに来る前に食べていたものが、無性に食べたくなった。自分で作れるだろうか。いや、ステーキ位ならまだしも、手の掛かる料理を一から作るには技術も知識も足りないだろう。モナティアムに忍び込めれば、それっぽいものは食べられるかもしれないが、伝手はない。
「ふっふっふっ、そうやってお芋を掘り続けていると、お芋の主、この沼地の王様の呪いで底なし沼に引きずり込まれ、二度と出られなくなるんだぞぉ……!」
突然わたしの背後から、ゆったりとした口調で誰かが話しかけてきた。沼に突き落とされてはたまらないので、わたしはすぐに飛びのき、背後を振り返る。私の心配をよそに、その幽霊はただ、作り話でこちらを怖がらせたいだけのように見えた。
「沼が怒りで震えているぞぉ……。沼の王が、掘ったお芋の代わりにお菓子を捧げろとおっしゃっているのだぁ……!」
桃色と灰色のツートンカラーの髪を震わせながら、幽霊は全身で、沼の奥に居るのであろう、未知の存在の恐ろしさを表現している。ここはなんでもありのエーリアスだ。その幽霊がどんな性格なのかを知っていなければ、わたしは騙されて、もっと警戒を強めていたかもしれない。しかし、わたしは彼女のことを知っていた。
「し、新入りの幽霊……!このバロン様の警告を無視すると、大変なことになるんだぞぉ……!」
ウサギのぬいぐるみで顔を半分隠しながら、人形好きのほら吹き幽霊、バロンは、迫真の演技でわたしを脅していた。
※サトイモなど、生の芋は有毒な場合があるため、絶対に真似しないでください。……念のため。