頭が痛い。
意識を取り戻すと、引き裂くような痛みが頭に走った。
単純な衝撃によるものとは違う、重い痛みだ。
最期に見た、銀色の液体のことをわたしは思い出す。
あれは水銀だろう。そして、池のように張られた水銀という情報から、自身が落ちた場所がどこであったか理解できた。おそらくここは水銀に縁のある龍族、銀の龍族を名乗るヴィヴィの寝ぐらだ。わたしは彷徨っているうちに精霊の領域を外れ、龍族の領域に足を踏み入れていたらしい。
「ようやくお目覚めですか」
答え合わせをするかのような特徴的な声音で、わたしの頭上からヴィヴィの呟きが聞こえた。
「まったく……最近の精霊は礼儀も知らないのですわね。このヴィヴィアーナ・アルゲントゥムの巣を荒らした挙句、挨拶も謝罪もないとは」
ヴィヴィの言葉に返事をしたいものの、痺れが全身に広がっており、わたしの身体は思った通りに動いてくれない。
薄目を開けると、ボヤけた視界から、わたしが片手を掴まれて洞窟の中を引き摺られているのだと分かった。あまりに雑な運び方に、わたしは指先でヴィヴィの手を叩いて抗議する。
「あらあら、弱々しい抵抗ですわね。わたくしの銀の権能を前に、何ができるというのでしょう?………ああ、わたくしの家を滅茶苦茶にすることは、できていますわね」
ヴィヴィの見つめる先で、追加の落石が凄まじい音と共に水銀の浅い池に降り注いでいた。あのまま落ちた場所で倒れていたら、わたしは落石の下敷きになっていただろう。気絶したわたしが引き摺られた先はヴィヴィの家の横穴のような場所だった。どうやら落石の危険から遠ざけるために、わざわざ運び込んでくれたらしい。とはいえ、その意図が純粋な善意のみでないことは、その顔を見ればすぐに分かった。
「あ゛…あぅ………くしゅんっ!」
謝罪の言葉を発しなければと思うのだが、舌が動かないし、くしゃみが止まらない。水銀の池から離れて多少はマシになっているが、それでも体調は万全とは言えなかった。普通の幽霊であれば、透けるなりして対処はできるのだろうが、どうやら『人間』の幽霊であるわたしには、水銀の有毒性が風邪のような症状として強く現れているようである。しかし、世界樹の加護がなければこの程度の症状では済まなかったことを考えると、まだいい方だと言える。
「ふぇ……くしゅんっ!……いったいどのくらい眠っていたのかしら?……ダイヤモンドも一体何をして……はくしょんっ!……こんなのを竜族の領域に侵入させるなんて!」
一方のヴィヴィも自身とその住処の有毒性で、くしゃみを繰り返していた。落石の危険のない洞窟の片隅で、二人してくしゃみを繰り返す不毛な時間が流れる。そんな中、ブツブツと呟くヴィヴィの前で、徐々にわたしの身体は自由を取り戻しつつあった。右手を掴まれて宙釣りのまま、わたしは口を開く。
「すみませんでした!…本当に……ごめんなさい!家を壊すつもりじゃ……くしゅんっ!」
わたしの第一声は謝罪であった。これは本心であり、すべて事実である。わたしにとっても自分の家は大事だし、荒らされれば嫌な気持ちになるだろう。そして、ヴィヴィの住処と分かって意図して壊しに来たわけでもなかった。
「おや、謝罪の言葉くらいは理解できるようですわね。それで、あなたは何の精霊で、名前は何と言うのかしら?」
ヴィヴィの問い掛けに、わたしは口ごもる。彼女はエーリアスの住民の中でも特別な記憶と知識を持つ『エルダイン』である。わざわざ『人間』の幽霊という言葉を発しようものなら、どのような反応が返ってくるか分からない。
「サヤ、と名乗らせてもらっています。産まれたばかりの幽霊………いや、闇の精霊で、テーマはまだ分かっていません」
空中でぺこりと頭を下げながら、わたしは無難な回答に徹した。そもそも、『人間』の幽霊という自身の立ち位置を打ち明けた相手がまずいないので、そこは誤魔化しても大丈夫なはずだ。
「はぁ……起源の分からないちっちゃな精霊、だなんて、お母様は相変わらずロクでもないことを続けているみたいですわね」
わたしの言葉を受けて、微かな声でヴィヴィが呟いた。嫌悪感のこもる言葉の矛先は、わたしよりも遥か先に向けられているように感じられる。『トリッカル』の記憶が示す情報と変わらずに、このヴィヴィの恨みの先も、エルフを除く各種族にとっての生みの親であるエーリアスの創造主、世界樹なのだろう。遥か昔に世界樹に見捨てられた内の一人として、ヴィヴィは殺意に等しい恨みを、その生みの親に向けている。そのはずだ。
「そろそろ長い眠りから起きる頃合いでしたので、先ほどの謝罪に免じて、わたくしを無礼な方法で起こしたことは許して差し上げましょう。とはいえ、わたくしの巣を汚した償いは、別にきっちり頂戴いたしますわね」
「はい、あの……」
少し機嫌を直したヴィヴィに向かって、わたしは口を開く。それを止めるように、周囲の雰囲気が変わり、頭痛が酷くなった。
「あら、聞きたいことは確認できましたから、もう眠っても構いませんわよ。わたくしはこれから、ダイヤモンドとお話することがありますから。オーホッホッホッ!」
ヴィヴィが自身の権能で空気中に水銀をバラまき始めたのか、わたしの身体が痺れ、痛みを訴え始める。わたしを引き摺って歩き出したヴィヴィの行き先は、竜族のトップ、ダイヤモンドの竜族であるダーヤの宮殿だろうか。その後……彼女は何をするつもりなのだろう。そんなことを考えているうちに、わたしの意識はまた薄れていった。
痛みが残る頭を手で抑えながら、わたしは目覚めた。ゆっくりと瞼を持ち上げると、雨雲の合間から覗く太陽が目に入る。ここは地上か。家を出た時と変わらない太陽の高さから、洞窟で彷徨い、気絶しているうちに、気が付けば一日以上が経過していたのだと理解できた。
さらさらと顔に掛かる霧雨が心地よい。わたしは草むらに横たわり、ぼーっとしていた。しかし、意識を失う直前の光景を思い出し、一気に意識が冴え渡る。
ヴィヴィを起こして、怒らせてしまった。本来はこの時期に目覚めるはずのない存在であり、世界樹に大きく関わる重要な人物、それがヴィヴィである。さらに、彼女は『トリッカル』において目覚めた直後、モナティアムへと襲来し、バイオテロであるかのような大惨事を引き起こす。そういうイベントがあることを思い出した。
「やっちゃった………」
わたしがぽつりと呟いた通り、それは過去最大級のやらかしだった。まだ教主もいない、各種族の連携も取れていないこの状況で、モナティアムをヴィヴィが襲撃する。そのようなことになった場合、何が起こるか、どこまで被害が出るのか分からなかった。
知っているイベントが変わる度に、わたしの知っている知識が役に立たなくなり、本来あるはずだった縁が千切れていく。それがわたしにはとても辛く感じられた。さらに、今回の問題は、ヴィヴィの水銀の能力の被害規模が読めないところにもあった。元々世界樹を枯らすつもりで暴れるヴィヴィの行動は、最悪の場合、世界の終わりを、そうでなくとも、モナティアムにて不可逆で致命的な被害を及ぼす可能性が高いのだ。
「起きないと……」
痛む身体を起こすと、持っていたリュックなどが全てなくなっているのに気が付いた。家を壊した代償としては安いものだが、装備のない状態で山を下り、『トリッカル』のイベント通り、ヴィヴィが向かうであろうモナティアムに向かう余裕はない。
「あ、目を覚ました!竜族の子がサヤを放り捨てて、どこかに行っちゃったから、様子を見ていたんだよ!」
この騒々しい声はナイアだろうか。振り返ると、すぐそばの湖から出てきた水の大精霊、ナイアがこちらに手を振っていた。
「ぴゅーぴゅー」
ナイアはからかうように、水鉄砲の水を私に振りかける。あいにく喉が乾いていた私は、それをありがたく頂戴することにした。しかし、差し出された水を手に汲んで飲んでいたら、なぜか少し引かれてしまった。解せない……
「ちっちゃい幽霊さんだ☆!」
さらに、別の声がわたしに掛けられる。顔を上げると、霧雨の精霊であるウイが、いつものように蛙のエルに乗っかって、目の前にいた。
「リュックを拾って来たよ!」
投げ渡されたのは完全に失われたと思っていたわたしのリュックである。慌てて中を見ると色々と物色された様子はあったがすべてのものがそのまま残されていた。お気に入りのリュックなど、愛用品が戻ってきて、わたしは喜びの声をあげる。
「ありがとう。嬉しいよ!」
「ウイも役に立てて、嬉しい!」
わたしの言葉に、ウイも飛び跳ねながら答えた。装備も整い、身体の調子も戻ってきたことで、少しずつ、わたしの中にも余裕が戻り始める。そこで、わたしはリュックの中に詰めておいた、精霊たちへのプレゼントの存在を思い出した。
「そういえば、イフリート様とは無事に会えました。介抱してくれたお礼も兼ねて、これを」
わたしはリュックから綺麗なフルーツ飴を取り出し、二人と一匹にそれぞれ渡す。
「ありがと~!今後も貴重な幽霊の友達として、イフリートとも仲良くね!」
「ゲコゲコッ」
「美味しい!エルもありがとうだって!」
わたしの周囲から、楽し気な声があがった。シストの商品から頑張ってお菓子を選定した甲斐があり、想像以上の反応にわたしは安堵する。
「これから山を下りてエルフの街に行きたいんだけど、迷わないように途中まで一緒に付いてきてもらってもいいかな?」
わたしはウイに声を掛ける。ここで、途中まで、というお願いにしたのには重要な意味があった。ウイとヴィヴィの間には同じ『エルダイン』として深い関係性があり、不用意に合わせたくなかったのだ。
「ウイにまかせて☆!」
上機嫌なウイの裏で、焦る私の心臓は、未だに激しく鼓動を刻み続けていた。
エルフによって作られたビル群と外界とを隔てている、モナティアムの出入り口へとわたしがたどり着いた頃には、既に日が沈み始めていた。
ゲートの向こうの街並みは平穏そのもので、ヴィヴィが襲来したとは思えない。途中で追い越してしまったのかとも考えたが、わたしが気絶していた時間も考慮すると、その可能性は低いように思われた。
ゲートには数人のエルフの兵隊がおり、こちらをチラチラと覗いている。その顔には何故かサングラスのようなものが付けられているが、ヴィヴィの襲撃に対する防護措置とは考えにくい。水銀中毒の被害は当初、バイオテロとして対処されていたはずであり、サングラスというのはその対策として不釣り合いだった。
そこで、冷静に考えて、ようやく自分が焦りすぎていたことに今更ながら気が付いた。そもそも、ヴィヴィが起きたタイミングもシチュエーションも異なっているのだ。『トリッカル』のイベント通りに、行動を起こすはずがない。外への関心というヴィヴィの根源が変わらないのであれば、いずれモナティアムに辿り着くだろう。しかし、そこまでの流れは、完全に元のストーリーから捻じ曲がり始めたこのエーリアスにおいて、わたしには見当がつかなかった。
そろそろ、『トリッカル』のストーリーに固執し続けるのを、諦めるべき頃なのかもしれない。わたしはそう思った。わたしという異物がいる以上、ここはわたしの知るエーリアスになり得ないのだろう。もしくは、多数の並行世界が描写される『トリッカル』において、ここはゲームとは別の世界だと思った方がいいのかもしれない。
そんなことを考えていると、わたしは自身の背後に気配を感じ、振り返る。
「やあ……久しぶりだけど、あたいの顔はまだ覚えているかな?」
そこに居たのは鎮圧班隊長のカンナだった。モナティアムで行くあてもなく、食べるものも、寝る場所すらもなかったわたしを、カンナが助けてくれたことを決して忘れるはずがない。
「も、もちろんです。カンナ隊長、あの時はありがとうございました……」
「はぁ……それは良かった。で、今日はモナティアムに何をしに来たんだ?」
返事をするわたしの前で、カンナがため息をついて尋ねた。その顔には、他の隊員と同様のサングラスのようなものがある。
「バイオテロを行うかもしれない危険人物がモナティアムに来るかもしれないんです!まだ、街に異常はありませんか?」
わたしの言葉を聞いて、カンナはさらに深くため息をついた。
「あたいはあんたが悪意を持って暴れるような奴じゃない、あの一件も、市長殿が何かしたせいだろうと思ってはいるんだけどね………」
そこまで言って、カンナは口ごもる。そこで、わたしは自分の周囲を、鎮圧班のエルフ達が巧妙に隠れて、包囲していることに気が付いた。
「申し訳ないけれど、指名手配犯として大人しく捕まってくれないかな?ちなみに、あの変な能力はこの市長殿の新発明品、特殊バイザー越しだと効かないだろうし、無駄な抵抗はやめてくれよ」
カンナがどこか優しさをにじませながらも、厳しい口調で言った。どうやらわたしはトラブルの連続で気が動転し、まだ冷静さを欠いていたようだ。
そういえば、わたしも、モナティアムにとってはテロリストの一人だった。