エーリアスは、狭いようでいて広い。
外の世界、地球の常識から考えれば、徒歩で踏破できる距離で済むエーリアスは狭いと言えるだろう。しかし、いざ歩く身としては、モナティアムから幽霊の沼へと向かうだけで、半日掛かりの移動が必要となり、とても広く感じられてしまう。これは、おそらくエーリアスにやってこなければ中々実感しにくいことのはずだ。
代わり映えのしない緑の森を左右に眺めながら、わたしはひたすら街道を進み続ける。暇を持て余したわたしは、漠然と、今のエーリアスの状況を頭の中で整理し始めていた。
『トリッカル』のメインストーリーの通りに進行するのであれば、妖精王国では砂糖不足などの問題が積み重なった結果、反乱の火の手が上がることになるはずだ。反乱の切っ掛けとなった砂糖不足はエルフの工作によるものだった。しかし、この世界において、砂糖不足は度々発生しているものの、エルフ側の混乱もあり工作が継続せず、未だ反乱には至っていない。
獣人の村はアニマル缶によって混乱している。こちらもエルフの工作によるもので、知能を下げる怪しい薬と供給者の偽装で、妖精王国との諍いを招くものだった。しかし、この世界ではエルフ側の混乱で問題が大きくなっておらず、また、村長も黒幕がエルフであるとすでに気が付いているようである。
精霊たちも、『トリッカル』のメインストーリーではエルフ達と度々衝突する様子を見せていた。これはエルフ達の普段の振る舞いに加え、シェイディやフリックルの誘導が原因だったはず。この世界でも、エルフとの諍いはあり、風の大精霊であるシーラの動きも怪しい。しかし、未だ種族間の全面衝突には至っていないように見える。
魔女たちはそれぞれの思惑で、地上の支配をねらっている。これはこの世界でも同じようだが、妖精王国の反乱が発生しないこと、エルフ達が裏切ったことで、中々計画が進行せずに苦しんでいるようだ。特に魔女同士の争いもあり、指揮を執るフリックルは苦労しているように見える。
では、竜族たちは―――
「おやおや、またわたくしの前にあなたが現れるとは。この世界も狭いものですわね」
考え事をしながら歩いていたわたしに、道端から声が掛けられた。
「あ、ヴィヴィ……!?」
思わず声を漏らすわたしの前で、銀の竜族、ヴィヴィが羽をパサリと開く。
「オーホッホッホッ、わたくしの名前程度は覚えられる頭をお持ちのようですわね」
笑い声をあげるヴィヴィであったが、わたし視点、何を目的に道端にいるのか分からない。もしかして、前に言っていた、巣を汚した償い、とやらを取らせるためにわたしを探していたのだろうか。わたしは足を止め、警戒の姿勢を取りながら、ヴィヴィに向き直った。
「家を壊した代償を取りに来たの?」
「何のことかしら……?ああ、わたくしのお家を壊した代償のことですわね。あなたを気絶させた時点で償いをさせたものだと思っていますが……追加で代償を支払いたいのであれば、好きにしてもよろしいですわよ」
尋ねるわたしに対して、ヴィヴィは興味なさげに言った。
「わたくしは道の様子を見ていただけですから」
ヴィヴィはそう続けながら、興味深そうに、わたしが先ほどまで歩いて来ていた妖精王国とモナティアムを繋ぐ街道を眺めている。車を走らせるため、エルフ達が整備したであろう立派な街道である。ヴィヴィが眠りにつく前はなかったのであれば、興味を持つのも分からなくはない。
しかし、それでも、ヴィヴィがそのためだけに道端に佇んでいたとは思いにくい。パサパサとヴィヴィが軽く羽を動かす度に、宙に浮く水銀の剣が、太陽を反射して眩しく輝いていた。
「くしゅんっ!」
水銀が揮発して漂っているせいか、わたしは思わず、くしゃみをしてしまう。ヴィヴィはそんなわたしに追撃を入れる訳でもなく、黙って道の先で枝を広げる、一本の大きな木を眺めていた。
「仮に明日、あの木が枯れて、この世界が滅びゆくとすれば、あなたはどう思うかしら?」
ヴィヴィに尋ねられたわたしは、黙り込む。目の前の世界樹を枯らすことこそがヴィヴィの目的であることを考えると、仮の話ではなく、明日、そのための何らかの計画を実行するつもりだったとしてもおかしくはない。
しかし、その覇気のない顔からは、本当に明日、世界の破壊を実行するようには思えなかった。わたしの知っている『トリッカル』の流れとは別の状況下でヴィヴィを起こしてから、もう一日以上が経過している。その間、外の世界に出たヴィヴィがどんなものを目にして、どんなことを思ったのか、もはやわたしには分からなかった。
「この世界の中で、あの世界樹の庇護のもと新たに生まれたエーリアスの住民。あなたであれば、わたくしの気持ちの整理を少しは助けてくれると思ったのですが……」
わたしの関知しないどこかで、一つのイベントストーリーとして語れそうなくらいの経験をしてきたのあろう。ヴィヴィの顔には、隠しきれない疲れと迷いが滲み出ていた。
おそらく一度創造主に捨てられ、この世界に外からたどり着いたヴィヴィにとって、自身をエーリアスの住民と定義することはできず、未だ敵地にいる気分なのだろう。しかし自身の居場所ではないと思っていても、他の住民たちと関わる度、突き放しきれずに摩耗していく。その在り方は、外の世界から来たという自己認識を持つ私と、どこか似通っているのかもしれない。
「ごめんなさい。よく分からない……です」
わたしの口から、明確な答えを発することはできなかった。真にエーリアスの住民と言ってよいか分からないのはわたしも同じで、この世界の未来への想いを、住民を代表して語って良いのか分からなかったのだ。
言葉の代わりに、ヴィヴィの横に立ってわたしは世界樹を眺めることにした。最近、あまり直視していなかったその大きな木は、エーリアスの中央で存在感を主張し続けている。この世界に生まれ落ちた翌日に、精霊の山の森からその姿を拝んだ時と、その時に感じた頼もしさが、懐かしい。
隣で黙り込んだわたしを、ヴィヴィは一瞬不審げに見つめたが、追い払うことはしなかった。おそらく、わたし達の心は通い合ってはいない。それでも、黙って黄昏のなかに身を置きたいという思いだけは、一致していたのだろう。
大きな声で会話する不審な竜族と幽霊の組み合わせを、道往く妖精が不審そうな顔で眺めている。
意外なことに、当初は沈黙が支配していた道端で、いつしか会話が花咲いてしまっていた。
「なるほど。理解できましたわ。異世界からの襲来者、エルフと言いますのね。……ふむ、この情報はわたくしの計画にも役立ちそうですわね」
エルフに関する説明を聞いたヴィヴィが、最後にポツリと呟いた言葉を、わたしは聞かなかったことにした。
「この道をまっすぐ行くとモナティアムで、そこの先を曲がって、妖精王国を迂回すると幽霊の沼に着くんです」
わたし自身、まだエーリアスの地理に詳しくはないのだが、ヴィヴィはこちらの拙い説明に、真剣に耳を傾けてくれている。途中の相槌から察したのだが、どうやらヴィヴィは竜族の長であるダーヤと十分に話し合わず、エーリアスの最新の情報を確認せずに地上に出てきてしまったらしい。ごまかしていたが、道端で立ち止まっていたのも、新しい道に戸惑い、迷っていたからのようだ。
「あの遠くに見える高い塔がその……くしゅんっ!……モナティアムなのですか?」
「そうです。……でも遠いので、今日はもう行かない方がいいんじゃないでしょうか?」
エーリアスの現状について、わたしから説明を受ける中、ヴィヴィはモナティアムに興味を持ったようだった。しかし、わたしはそれを遠回しに引き留め続ける。水銀に侵される機械だらけのモナティアムは、ヴィヴィと相性が悪すぎるからだ。前日のエレナの話もあり、以前よりは気楽に構えられているものの、厄介な大事件を避けられるものなら避けたい気持ちは変わらなかった。
「背が小さく、空も飛べないあなたと一緒にしないでくださいまし」
ヴィヴィは宙に浮いてこちらを見下ろしながら、そう言った。空に浮いて高さこそ稼いではいるが、竜族であるヴィヴィとわたしの背の高さはそこまで大きく変わらないと思うのだが。ただ、それはセンシティブな話題かもしれないのでわたしは別の話題に誘導する。
「幽霊の沼とかどうですか!色々個性豊かな方々がいますし、わたしの家もありますよ」
「はぁ!?先ほどまでの説明でわたくしが見に行きたくなるとお思いですの?厄介な住民たちに、汚い泥。わたくし、見て分かるように綺麗好きですのよ!」
何とか幽霊の沼を行き先として提案してみたが、ヴィヴィには敢え無く断られてしまった。いよいよヴィヴィのモナティアム行きを止められないとなれば、ヒルデに事前の警告くらいはしておくべきだろうか。
その時、重い足音がこちらに近づいてくるのが耳に入った。それは、ヴィヴィも同様だったようで、わたしに向けていた顔を、道の方に巡らせる。
「ヴィヴィ」
短く名前を呼んだ竜族は、煌めく角を揺らしながら、こちらに歩み寄る。
「ダイヤモンド……」
ヴィヴィの呟きよりも先に、わたしはその特徴的な装いから、その竜族がダーヤであると理解できていた。しかし、世界樹教団の使徒になっているわけでもないこの時期に、ダーヤが気軽に外に出てくることはないはずで、何か理由があるに違いない。
「勝手に外へ出て行ってから、丸一日戻らないから心配していたのよ。そうしたら、案の定、道に迷っているようだから……」
「オ~ホホホ、わたくしが道に迷う訳がないでしょう。ダイヤモンド。わたくしはこの幽霊に求められて話し相手になっていただけですのよ!」
心配そうに声を掛けるダーヤに対して、ヴィヴィは声を張り上げて迷子になっていたことを否定した。両者の視線がわたしに集中する。ヴィヴィの視線からの圧力に負け、わたしは黙って首を縦に振り、肯定した。
「そうだったの。それは申し訳なかったわ」
ヴィヴィの説明を素直に受け入れ、ダーヤは軽く頭を下げた。
「はっくしょん!……うぅぅ……」
焦って水銀を平時より多く撒き散らしてしまったのか、ヴィヴィはくしゃみを繰り返している。
「ヴィヴィ、起きたばかりのあなたには教えることが沢山あるの。もしよければ、一回、竜族の領域に戻りましょう?」
「序列一位のダイヤモンド直々に地上へと連れ戻しに来て、わたくしが断るとお思いですの?」
ダーヤの言葉を受けて、ヴィヴィは素直に地下へと戻ることを承諾した。これで、少なくとも数日の間はモナティアムも無事でいられるはずだ。
「あなたもありがとう。サヤ」
ダーヤが最後にわたしへ掛けた言葉に、驚かされた。わたしは名乗ったことはなかったはずなのだが。その様子を見て、恥ずかしそうにダーヤは顔を伏せた。
「その、変なものが入っていないか、あなたの荷物を探る必要があったのよ。そこで、持ち歩いている契約書の類なんかも目に入って……」
ダーヤの説明で、ようやく洞窟から外に放り出された時に、物色されていた荷物の謎が解けた。仮にヴィヴィに漁られていたのであれば、機械類が水銀に侵されて壊れているはずなので、わたしは違和感を覚えていたのだ。
「くしゅん!……今日は色々と説明、助かりましたわ。小幽霊。」
最後に、ヴィヴィも尊大な態度は崩さないままであるものの、感謝の意をわたしに伝えて、去っていく。後には、水銀中毒で頭が痛くなり始めた『人間』の幽霊が一人、取り残されていた。