モナティアムから自宅へ帰り、数日が過ぎた頃。
強風に晒された幽霊の沼にて、外に出る訳にもいかず、わたしは自宅に引き籠っていた。
我が家は老朽化した小さな小屋を転用したものであり、あまり丈夫とは言えない。
今日のように風が強い日は、ギシギシと家全体が軋む音を立てて、今にも壊れるんじゃないかと怖くなってしまう。
今日は週に一度のポーシャーの治験の日だが、ここまでの悪天候の中、いつもポーションを届けに来るシストは、本当に我が家を訪れるのだろうか。
そんなことを考えていると、家の扉をノックする音が聞こえてきた。
「はい、ちょっと待って……今開けますから……!」
わたしは扉の外の誰かに声を掛け、ソファから身体を起こす。入口の扉を開け放つと、そこにはいつもの偽物の大きな角を付けた行商人ではなく、帽子を被った桃色の髪の魔女、ポーシャーが居た。
「おお……。シストの言っていた通り、狭い家ね」
4畳半ほどの狭い室内を見渡して、ポーシャーが呟く。シェイディから家を与えられた当初は、自分のサイズには十分広いくらいに見えていた。しかし、現在、家具や私物が増えた室内は、わたしから見ても狭く感じられる。
ポーシャーは家主の了解を得るまでもなく、平然とわたしの家に足を踏み入れる。何らかの魔法のおかげか、その帽子や衣服はほとんど嵐の影響を受けていないように見えた。
「あら、薔薇を育てているなんて、お洒落なところもあるのね」
まだ花を付けている訳でもないのに、その正体を見抜いたポーシャーが、近くの鉢植えの上の葉を優しく撫でる。嵐がやってきたため、室内へと退避させたそれは、前日にブランセから分けて貰った青い薔薇の苗であった。
こういった大事なものが増えるにつれて、部屋の中は狭くなっていく。
「ポーシャーさんが直接来るなんて……なんで?」
「それは……」
わたしの疑問の声に、ポーシャーは一瞬、口ごもった後に、言葉を続ける。
「会いに来たくなったから、なんて答えじゃダメ?」
それだけ好かれているのであれば嬉しいのだが、信じてよいのだろうか。
「私、小さい子は好きなのよ」
そんなことを言いながら、ポーシャーはわたしの頭を撫でてくる。本当に好きで大事にしているなら、治験の対象にはしないのではないだろうか。そんなわたしの疑問を察したのか、ポーシャーは持ってきた鞄から、ポーション瓶を取り出した。
「今日は無害なものしか持ってきていないから安心していいのよ」
「その無害って……誰にとっての話ですか?」
これまでの数回の治験で、それなりに酷い目に遭っているわたしは、ポーシャーの言葉を信用できずに疑念を伝える。
「………誰にとってのかしらね?」
案の定、ポーシャーはわたしの質問をはぐらかした。不満げなわたしを無視して、ポーシャーは瓶を掲げて見せつける。
ポーション瓶の中身は、空のように見えた。
「これは、気体のポーション?」
「中身が空なだけよ」
わたしの質問をあっさりと流した後、ポーシャーは辺りを見渡したかと思うと、井戸水を貯めていた水瓶に目を向ける。そして、井戸水を移して、ポーション瓶を満たした。
「これは何だと思うかしら?」
「水ですよね」
ポーシャーの質問に、わたしは見えたままの結果を答える。実際には、変なトリックか魔法で、こっそり何かを加えているのではないかと疑っていたが、その瓶の中身をポーシャーが実際に飲み始めると、考えが変わった。ここまで来るのが大変で、喉が渇いていたのだろうか。
「喉が渇いていたわけじゃないのよ。あなたに、無害な水だと見せたかったの」
ポーシャーの説明に続いて、わたしは瓶に残った水を飲まされたが、当然、喉が潤うだけだった。困惑するわたしに、ポーシャーは数本の小瓶を見せつける。
「多くない……?」
「契約において、数の指定はしていないでしょ。それに無害なものばかりだからいいじゃない」
わたしの抗議の声を抑え込みながら、ポーシャーは次のポーション瓶をわたしに押し付けた。
「効果は?」
「いいから早く飲んでちょうだい」
完全に動物実験されるモルモットのような扱いだが、ポーシャーの無害との言葉を信じて、わたしは一気に瓶の中身を飲み干した。
「苦い……それだけ……?」
「う~ん、味はちゃんと効果はあるみたいね。効能と副作用はだめ、と」
ポーシャーの口ぶりからすると、このポーションは失敗作なのだろう。それからの数本分も、味以外は思ったような効果が出ないようで、ポーシャーは不満そうにしている。
「最後にこれね。副作用で一時的に目が見えなくなるはずだけど……」
渡されたのは透明な液体が入ったポーションだった。一時的に盲目になるのは無害の範疇なのだろうか。しかし、これまでの治験よりはマシなポーションであるので、躊躇せずにわたしはその液体を飲み干した。
「この盲目ってどれくらいで治るんですか?」
「もう少ししたら治るわよ」
家の中、ポーシャーがメモを取る音だけが響いている。
「幽霊にも安定して、味と効能、副作用が機能するポーションを作りたいのよね」
独り言であるかのように、ポーシャーが呟く。
「あなたでは幽霊に影響が出にくいポーションを試していたの。でも、うまく行かないみたいね」
効果は薄いとはいえ、現在の副作用や、過去の治験の結果を見ると、有害なポーションは十分効いていたように思われるが、ポーシャーは満足していないらしい。
「効果はありましたよ……?」
「それは、事前にどんな効果か説明したものだけよ。しかも、実際の効果とは別のものを言った時でさえも、宣言通りの効能や副作用が出てしまっていたのよね」
つまり、それはどういうことだろうか。わたしの疑問をくみ取ってくれているかのように、ポーシャーはしたり顔のまま、言葉を続けた。
「つまり、あなたは思い込みの効果で本当にその効能や副作用があるかのように振舞っているということ。そういう性質の幽霊なのでしょうけど……。やっぱりちゃんと目の前で見ないと駄目ね」
「いや、今も副作用で目が見えないけど……」
わたしは現在の症状を基に、ポーシャーの説明に反論を試みる。プラシーボ効果という偽薬でも、思い込みで効果が出てしまう現象はある。しかし、今まさにわたしは目が見えなくなって―――
「最後のポーションはさっきそこで汲んだ、ただの水よ」
ポーシャーの言葉と共に、わたしは今、
気持ち悪い。
ポーションの効果とは無関係に、不快感が胸の奥を熱くする。
「あなたが何の幽霊かは知らないけど、まるで妖精や魔女であるかのようなポーションの効果をシストは報告してきたわ。でも結果は滅茶苦茶。味は問題なく治験できているけど、幽霊にも効果を示すもの以外は効能も副作用も駄目みたい」
そして、最後に一言、付け加えた。
「演技が上手い幽霊だから、シストも騙されていたみたいね」
「………演技」
苦々しいわたしの呟きを聞いて、ポーシャーが困った顔をする。以前の事故とあわせて考えると、わたしの本質はただの幽霊で、人間らしさはほとんど演技、物真似でしかないのだろうか。そうなのであれば、息苦しさも、喉の渇きも、すべて幻肢痛のようなものに過ぎないのかもしれない。
「ごめんなさい。自覚していなかったのね、まあ、幽霊だし、そういうこともあるわよ」
「そうですね……」
ポーシャーのフォローに対して、わたしは小さな声を返した。
震える身体とは裏腹に、意外とわたしは冷静に、その新情報を受け入れられている。新たに分かったことも、結局は『人間』の幽霊としての自己認識を揺るがすものではない。むしろ、幽霊としての自分の性質が分かったことで、出来ることが増えて良かったのかもしれない。そう思えるのは、今の自分をわたしが受け入れつつあるからこそなのだろう。
「今後も、私の夢のポーション完成のために、幽霊の被検体として協力してくれるかしら?乗ってくれれば、今まで通り、お小遣いやらポーションのセールなんかの特典も付けてあげるわよ」
一区切りついた治験のようだったが、ポーシャーはいまだに、その被検体としてわたしを求めているようだった。わたしはメリットとデメリットを秤にかけて考える。そもそも、そんな特典を貰った覚えはなく、デメリットしか思い浮かばない。しいて言えば、行商人としてシストが定期的にやってきてくれること位がメリットである。
「そういえば、お小遣いって何ですか?貰ったことありませんけど」
ポーシャーの、今まで通り、という言葉が頭に引っかかり、わたしは尋ねた。
「え?治験から逃げ出さないよう、お金を渡していたでしょう。シストを……通じて……」
途中で途切れたポーシャーの説明は、わたし達の疑念の先が一致していることを物語っている。わたしは怒りよりも、シストの逞しさに尊敬の念を覚えていた。わたしもそれくらい、好き放題してでも頑張るべきなのかもしれない。
メリットが複数追加され、わたしの心は定まった。
「特典を直接貰えるのであれば、まだ治験バイト、頑張ります!」
わたしはポーシャーの提案を受けることにした。何しろ、銃という名の鈍器を投げるくらいしかできない無力なわたしにとって、ポーシャーのポーションは重要な護身具になる。お金も武器も手に入る、割のいいバイトである。また、見かけが小さくて良心の呵責に訴えやすいせいなのか、まだ、ポーシャーにはそれほどひどい目に遭わされていないというのも、理由の一つであった。
「それなら、今後の治験のために、あなたの身体を測るからこっちに来なさい」
強引に、しかし優しく、ポーシャーはわたしを掴まえて引き寄せる。ちなみに、提案を断らなかった理由の最後の一つは、断られたポーシャーが強引に何かしようと思っても、抵抗できないから、であった。
ひ弱な幽霊であるわたしに、上位魔女に匹敵するポーシャーの相手は務まらないのである。
人形のようにわたしが扱われている中、今度はまた来客が来たのか、ドンドンドン、と誰かが強く家の扉を叩いた。家が軋む音の中でもよく聞こえるノックは、焦るように、何度も繰り返されている。
強風の中、来客をこのまま待たせるわけにもいかないため、わたしはポーシャーを振り払い、家の入り口の扉に向かった。
複数人の話し声がする。いま扉を開けたら、絶対に面倒なことが起こる。そんな虫の知らせが、私の頭の中で警報を鳴らす。
開け放った扉の先には、想像よりも多くの人物が集まっていた。
「ほら、私が言った通り、ここがサヤの家じゃない!」
扉が歪む位、強く叩いていたエルフィンが大きな声をあげている。
「女王様。さきほども幽霊に絡まれたばかりなのに、この者は信用できるのですか?」
となりで警戒心をあらわにしてこちらを見つめているのは、直接会うのは初めてだが、世界樹教団の司祭長のネルだろう。
「うぅ……女王様に着いていかず、反乱軍側に居れば、こんなところまで来なくて良かったのに……」
不満げに呟いているのはエシュールで、妖精はその三人だけだった。その隣には、泥だらけのエルフが突っ立っている。
「サヤ殿、その……市長殿が精霊に誘拐されてしまい……支援を要請してこいと……」
あまりに力ない言葉だったため、一瞬理解できなかったが、そのエルフはモナティアム鎮圧班の班長、カンナだった。
「地上が騒がしくなってからヴィヴィが居なくなってしまって。こちらに来ていないかしら?」
続いて、マイペースに竜族の長、ダーヤがわたしに尋ねる。
「このエーリアスを包む暴風にシェイディが絡んでいないはずがありません。私は『秩序』の幽霊として、止めに行きます。でも、嵐の中、こんな古い小屋にいたら危ないので、サヤは一先ず、私の自宅の塔に避難しませんか?」
最後に、亜空間から顔を覗かせたリムが、わたしに避難を促した。その言葉通り、より一層強くなった風は、とうとう私の家の屋根を引き剥がし始める。家の異変に気が付いたポーシャーが、慌てて外に飛び出してきた。
現実逃避気味に目の前の集団から目を離し、自宅の方を振り返っていたわたしの目の前で、大事な我が家が音を立てて壊れていく。
「わたしの家が!」
小さな幽霊の悲しい叫び声が沼に響き渡る中、無情にも家は完全に倒壊した。
「えっと、大変な時にごめんね。でも、あたちのこと、見えてるよね」
集団の最後の一人が、小さくも、風の音の中でも良く通る声でわたしに話し掛けた。
もう元から考えていたプロットの終盤まで来ており、そろそろ引き伸ばしてきたメインストーリー シーズン1の回収をしたいと思います
ずっと秘密の倉庫に閉じ込められたままだと、ベリータも可哀想なので……
教主抜きで騒動の同時発生だけど、まあなんとかなるでしょう
終盤とは言え、トリッカルらしく派手なバトルとかもない、これまでの主人公の行動や交流の集大成となる、長いエピローグのような位置づけになります
シリアス気味な内容で間延びさせたくないため、最後まで連日投稿できるよう頑張ります