これはエーリアスに辿り着いてから見た、何回目の朝日だろうか。
昨夜、ゴミ捨て場から引っ張ってきたビニールシートと古いバスタオルの隙間から、眩しい光が入ってくる。
ベッド代わりにしていた公園の長椅子から身を起こすと、今までの睡眠よりも、体の疲れが取れているのを実感した。そういえば、これがエーリアスで初めての、寝具に包まれての睡眠だった気がする。
意識が覚醒するにつれて、いつものように、キュウッと胃が空腹を訴えた。
しかし、今日はいつもとは違う。いくら不味いとはいえ、昨夜カンナにもらった宇宙食の残りがあるのだ。
味気ない朝食をとりながら、ゴミ箱から拾って洗ったペットボトルをコップ代わりに、美味しい水をグイッと飲む。
その瞬間、まるで文明社会に戻れたような感覚に包まれた。
いや、違う。
これは全然、文化的な生活ではない。
エーリアスに来てからの日々で、麻痺していたが、こんな生活を続けていてはだめだ。
お仕事をして、お金を稼ぎ、自分の力で家と食べ物を手に入れる。
その決意を持って、わたしはモナティアムの喧騒へと足を進めた。
わたしの目の前にはスーツをしっかりと着た、エルフの姿があった。
場所はモナティアムのモノレール駅の前で、わたし達の背後を多くのエルフ達が行き交っている。
「もう一度、業務内容を説明する必要はありますか?」
「いえ、大丈夫です!」
エルフのマネージャーに聞かれ、わたしは元気よく返事をした。
モナティアムに出て、日雇いの仕事が欲しいと路上で声を掛けていると、あっさりと就職先が決まってしまった。
仕事先は自販機の飲料と食品の入れ替え。単純労働だが、出来高制で、何よりも廃棄分の一部を後でもらえるというのが魅力的だ。
「では、こちらの契約書にサインか拇印を」
マネージャーに促されるままに、わたしは指に朱肉を付け、そこで動きを止めた。
「あの……文字が読めないので、読み上げてもらってもいいですか?」
「ええ!全然問題ないですよ!むしろ、是非!読み上げさせてください!」
わたしがお願いすると、マネージャーは笑顔で契約書を読み上げてくれた。
エルフは英語混じりの文字を使うため、一般のエーリアスの原住民よりは、わたしの方がまだ理解できていそうではあったが、それでも念には念を入れる必要がある。エルフは裏切りの種族、どんなところに罠があるかは分からない。
とはいえ、聞いた範囲では怪しい所はないように思えた。
そこで、わたしは再度指を朱肉に浸し――――――
「こんな名前の会社がモナティアムにあるとは、聞いた覚えがないのだが」
後ろから突然、誰かが声を出した。
ビクッとして振り返ると、そこには昨夜以来2回目となる、ヘイリーの顔があった。
「それに、契約書の文章と先ほど読み上げた際の説明に僅かな違いがあるようだな」
ヘイリーはずいっとスーツ姿のエルフとわたしの間に割り込みながら言った。
「ヘ、ヘイリー様……なんで?」
エルフのマネージャーは冷や汗をかきながら、目を丸くしてヘイリーを見つめている。
「この幽霊の少女に昨夜は迷惑を掛けてしまったからな。謝ろうと探していたのだ」
「そ……そうですか……あの!私は用事が出来てしまいましたのでここで失礼させて頂きます!」
ヘイリーが淡々と話しかけ続けると、マネージャーは慌てて契約書を握り潰し、どこかに走り去ってしまった。
「嘆かわしいものだ。周辺の種族との友好関係は何よりも大事だというのに……。同属のエルフが迷惑を掛けた、そちらも併せてお詫びしよう」
改めて、ヘイリーはわたしに向かって深々と頭を下げる。
「頭を上げてください!そこまでされると、気まずいです」
わたしがそう言っても、ヘイリーは頭を下げたままで、困ってしまった。
そこで、涼しい場所に移動しようと提案して、ようやく頭を上げてくれたヘイリーを、近くの屋内へと案内することにした。
涼しい場所、と言っても私たちが移動した先は、コンビニのイートインスぺ―スであったが、互いにお金のない身の上なので、しょうがない。
「私はヘイリー。エルフ軍先鋒将校のヘイリーだ。幽霊の少女よ。あなたの名前を教えて欲しい」
ドン、とテーブルに手を置き、ヘイリーが丁寧な口調で、声を上げた。
「ヘイリーさん、ですね。すみません。わたしはまだ名前がなくて……」
わたしは返事をしながら、流石にそろそろ名乗るための名前が欲しいな、と思い始めていた。
しかし、どのようにセンスのある名前を選べばいいか分からない。そもそも、仮に私が本当に、幽霊こと闇の精霊だとして、どのような概念を司る精霊なのか、そういったことさえ、今に至るまで全く分かっていないのだ。
「なるほど、では幽霊の少女という仮称をそのまま使わせてもらうべきだろう」
ふむ、と顎に手をやってから、ヘイリーは言った。
その様子を見ながら、わたしは密かに感動していた。威厳のある声や立ち振舞いに加え、背の低い自分に合わせて椅子から降り、顔の高さを合わせて話してくれる優しさ――そうしたカリスマの源である所作を直接見られたのは、エーリアスに来られたからこそだろう。
「幽霊の少女よ。詫びの品としてはつまらないものだが、これを受け取って欲しい」
「これは!」
ヘイリーが差し出してきたのは、ごく普通のコンビニ弁当であったが、一方で、それはここ数日わたしが切望していた元の世界のご飯でもあった。
「しょ、賞味期限切れの廃棄弁当などではないぞ。ちゃんと支給金で買ったものだ」
こちらを見つめるヘイリーの目は真剣で、同時にぐーっという情けない音がそのお腹から鳴っている。
「あの、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。ブロック食なら今は幾つか持ち合わせがある」
わたしの心配を余所に、カバンから無味の宇宙食を幾つか取り出し、ヘイリーはテーブルの上に並べていった。
しかし、その目は美味しそうな匂いを漂わせるコンビニ弁当の方に向けられている。
「わたし、ブロック食の方も幾つか欲しいので、半分ずつ、交換して食べませんか?」
そもそも、昨日の詫びとしては、カンナからすでに幾つか食料を貰っているという負い目もあり、わたしは弁当の半分をヘイリーに返すことにした。
「本当にいいのか!?」
やはり、たまにしか食べられない贅沢なお弁当に未練があったのか、ヘイリーは笑顔になって食いついた。
「はい!一緒に食べた方が、美味しいですし」
わたしも思わず笑顔になって言葉を返す。
お米と海苔の組み合わせが美味しい和風仕立てのお弁当を、コンビニの電子レンジで温めてホカホカの状態にし、2人で仲良く分け合って食べた。久しぶりに食べた故郷の味で、生き返った心地がする。
食後、エルフの電子レンジの使い方を教えてもらったり、モナティアムの地理を解説してもらったりして、先ほどの詐欺の記憶が吹っ飛ぶような楽しい時間を過ごしていると、ヘイリーの後ろに人影が現れた。
人影はヘイリーの手を抑えながら、優しく声を掛ける。
「ヘイリー。楽しそうにしているところ申し訳ないですが、そろそろ病院に戻りましょう」
黒髪をポニーテールにまとめ、手には緑十字のカバンを持つ特徴的な姿から、すぐにヘイリーの主治医のヒルデだと分かった。
「放せ!」
突然、ヘイリーが大声を上げ、店中の視線がわたし達に集まる。
「その注射はなんだ!何をする!」
「注射器なんて向けていません!今はまだ……。とにかく今は休みましょう!」
騒ぐヘイリーをヒルデが必死に宥めようとする。
「ごめんなさい。幽霊さん。後ろから見守っていたのですが、段々とヘイリーの話の辻褄が合わなくなってきていたため、ドクターストップを掛けさせてもらいました」
ヘイリーを抑え込みながら、背後のわたしに対してヒルデが話しかける。
「捕虜にするくらいなら私を殺せ!!」
「もう!ヘイリー!…………すみません。難しいかもしれませんが、これを見て嫌いになったりしないであげてください。ヘイリーも…本当に楽しそうだったので……もし次があれば………ヘイリー!お願いしますから暴れないで、落ち着いてください!」
ヘイリーとヒルデの姿が、外に消えていくと、コンビニの中に平穏が戻った。
ため息をつきながら、コンビニバイトのエルフが倒れたテーブルと椅子を直しに来る。
そして騒動の中心地にて、衝撃的な光景にキョトンとしたまま、わたしは1人取り残されていた。