翌日、わたしは既に日が高く昇りつつあるにも関わらず、公園の芝生で横になり、ぼんやりとしていた。
あれだけ決意を固めていた就職活動を放棄しているのは、騙されかけた昨日の就職斡旋詐欺と、ヘイリーの狂気への衝撃だけが理由ではない。
結局のところ、モナティアムにおいて、質は悪いものの衣食住が全て揃ってしまったことが一番の原因だった。
ゴミ箱を方々漁れば、未開封の賞味期限切れの食べ物は手に入るし、きれいな水も街中にたくさんある。住居については、一度確保したビニールシートハウスがある程度のプライバシーを保ってくれており、それらがわたしのやる気を大きく損なっていた。
自堕落な生活に陥っていることは分かっている。
しかし、今の生活に心地よさと安心を感じていることもまた事実だった。
長閑な公園の道を忙しそうに早足で駆け抜けていくエルフの向こうで、獣人たちが楽しそうに自販機を蹴り倒して、中身を取り出していた。
仕事中なのか、真剣な目で東屋の裏からあたりを探るエルフのすぐ横では、小さな炎の形をした精霊がベンチに腰掛け、わたしと同じようにのんびりと公園を眺めている。
まあ、こんな生活もいいのではないか。
記憶が確かであれば、エーリアスではエルフなど一部の種族を例外として、ロクに仕事をせずに遊び暮らしている住人も多くいるはずだ。
ふと、視線を感じた。
さきほど東屋の裏にいたエルフが、今度は近くの道を歩いていたが、今もこちらを鋭く見つめている。
わたしはれっきとした外来種の不審幽霊であるため、訝し気な視線を向けられるだけなら、ごく自然なことだろう。問題はそのエルフの着用している、周辺の文明レベルに似合わない鎧にあった。
『トリッカル』の知識が、そのエルフがモナティアムの諜報組織の一員、ローネだと伝えていた。
「こ、こちらエージェント、ローネ!監視対象から逆に監視されています!」
こちらにも聞こえるくらいの音量で、無線に向かって本人も名乗ってしまっているので、わたしの推測は合っているようだ。とはいえ、ローネ自身は危険な存在というわけではない。
問題はエルフの諜報組織に監視対象とされた理由の方だ。
一昨日の人間騒動だろうか。ただ、あれは何の問題もなく、ヘイリーの勘違いという形で解決したはずだと認識している。
モナティアムにとっての外来種ということが問題なのであれば、同じ公園で暴れている獣人たちや、ベンチで休む精霊が対象にならないのはおかしい。
気が付くと、道の向こうへと歩いて行っていたはずのローネが、今度は自販機の裏からわたしを監視していた。もはやこちらを見ていることを隠すつもりはないようで、無線で何かを話しながら、時折こちらを見ては、また無線機に向かう、そうした行動を繰り返している。
『トリッカル』で見たようなコミカルな動きに、つい緊張が解けてしまった。
それにしても、ちょうどポカポカとした陽気に眠気を誘われていたというのに、厄介ごとか……。
そう思いながらも、わたしのまぶたは自然に落ちていく。
暗転していく視界とともに意識も遠のき、最後には深い眠りに落ちていった。
目が覚めると、公園の芝生はどこに行ったのか、わたしは人工的な白いタイルのようなものの上に寝転がっていた。
タイルを指で突くと弾力があり、柔らかい。まるでそのままベッドになるような快適さに、もうしばらく眠りたいと体が訴え掛けたが、それを理性で捻じ伏せ、わたしは起き上った。
数歩も歩くと、透明のガラスのようなものに行く手を阻まれる。どうにも目の前のガラスはわたしの四方と頭上を覆っているようであり、そこでようやく、自分が何処かに拉致されたことに気が付いた。
ガラスの向こうに動く人影があり、顔を近づけて覗き込むと、あちらも同じようにこちらを覗き込んできた。
手を振ると、ブルーグレーの長髪を揺らす、可愛らしい小さな少女が手を振り返してくる。
《ピピッ、被検体38番のミラーテストにおいて一般的な外来種に劣るスコアを計測》
機械的な音声がスピーカーから吐き出され、ようやくわたしはガラスの向こうの少女が鏡に映る自分だと理解した。
言われてみれば、水面やビルの窓にぼんやりと映っていた自分の姿そっくりではあったが、これまでじっくり眺める機会もなかったことから、すぐに判別できなかったのだ。
周囲を見渡すと、自分を覆う透明な壁の周りに、さらに鏡の壁が配置されている不思議な部屋に閉じ込められていることが分かった。どちらを向いても、新しく生まれ変わったわたしが、こちらを見つめている。
これまで無意識に避けていた、すっかりと変わり果てた自分の姿を見ると、自己認識が揺らぎ、急に心細くなった。不安そうな顔をした少女が、目の前の鏡からこちらを覗き込んでいる。
《対象の自己認識能力および知能指数に関するスコアを下方修正》
幸い、失礼なことを言う人工音声が部屋に鳴り響いてくれたおかげで、気持ちを切り替えることができた。
「ここはどこ?」
《モナティアム市庁舎です》
「ここから出して」
《権限がありません》
「あなたは誰?」
《モナティアム中央AIです》
現状を理解しようと幾つかの質問を繰り返すうちに、わたしはおおよその状況と、自分がまだモナティアムにいることを理解した。
市長により独裁的な管理がなされるモナティアムで、このようなことができる人物は限られる。
《待たせたね。幽霊さん。いや、被検体38番》
私の予想への答え合わせかのように、モナティアムの最高指導者、エレナの声が室内に流れた。
《ふふっ、試作版幽霊捕獲装置は正常に機能しているようだね。流石あたし。眠い中、頑張った甲斐があった》
エレナは楽しそうに声を上げる。
「ここから出して!」
《ああ、いいぞ》
ダメで元々のつもりでわたしは尋ねたが、意外な答えが返ってくる。
《あたしの目的さえ果たせればね!》
その目的が何か、わたしには分からず、身構えた。
わたしが元人間だと言うことが、何らかのエルフの超技術でバレたのか。
または、わたしの秘めた謎の力が解明され、モナティアムの脅威と認識されたのか。
《ヘイリーと君は一体何を企んでいるのか、教えてもらおうか》
「え?…そっち!?」
思いもよらないエレナからの質問に、わたしはポカンと口を開けた。
《え?…じゃない!君はモナティアム市街地でヘイリーと組んでテロを起こした翌日、2番地のコンビニで秘密の会合を開いていただろ。諜報班からの報告があったんだ。ヘイリーの奴、あたしを出し抜いて、クーデターでも起こす準備をしているのか?》
早口で垂れ流されたエレナの妄想は、身に覚えのないものだらけだ。
寝不足の最高指導者はさらに言葉を続ける。
《君が何を約束されて協力することにしたのかは知らないが、ちゃんと自白してくれれば、あたしも悪いようにはしないさ。………では、どんな計画なのか、教えてくれよ》
「な、何も知らない……」
何を聞かれても、本当に私は知らなかった。『トリッカル』の知識を駆使しても、そもそもヘイリーはそんなことをする性格ではなく、これは完全にエレナの妄想か、諜報班からの情報工作に違いない。
しかし、それを証明する方法をわたしは持ち合わせていなかった。
《言う気にならないのであれば仕方がない、このまま捕獲装置のテストを続けることにしよう。気が変わったら、すぐにあたしを呼んでくれよ。………あ、ちなみに、必要なものがあればそこのAIに話しかけるといい》
そこまで言い切ってエレナは通信を切ったようで、沈黙が部屋に広がる。
これからどうしようか。
「あの、お腹が空きました。トンカツ味の宇宙食とお水をください」
とりあえず、わたしはAIに対して声を掛けてみることにした。
《ピピッ、宇宙食と水を提供》
機械音声が流れると同時に、床の隙間から見慣れたパッケージと水入りのペットボトルが飛び出してくる。
宇宙食の袋を開けて口に含むと、ゴムのような無味の固体が口に広がった。要求した味付きのものではなかったが、まあ、お腹は膨れたから構わない。
正直に言って、賞味期限切れの食品をご飯として、ビニールシートで寝ていた時よりは、まだマシな状況に思えた。自分の知っているエレナであれば、捕まってはいても、そこまで無茶な実験をわたしにしてくることはないだろう。
しかし、そこまで考えて、ここがわたしの思っている通りの『トリッカル』の世界ではない可能性にも思い至ってしまった。
エーリアスには『死』はないが、それでも、残酷な結末はたくさんある。この世界のエレナが、そういう扱いをわたしにする可能性は決してゼロではないだろう。
逃げることも視野に入れ、強度を確かめるために透明な壁を手で軽く叩くと、それだけで体に痛みが走る。
《ピピッ、障壁展開中、抵抗しないでください》
エレナの技術は確からしく、幽霊の身体を壁が弾くようだ。
わたしはそもそもそんな技術は持ち合わせていないものの、幽霊たちが得意とする透過や空間跳躍なども、対策されているのだろう。
詰んだ。諦めよう。そんな言葉が頭に浮かぶ。
目の前の鏡に映るわたしは、情けない顔をしていた。
本当にこれで良いのだろうか。折角エーリアスに来て、ほとんどのキャラクターと面識を得ることもなく、モナティアムの奥でモルモットのように飼われる末路で良いのだろうか。
出来る限りのことをして、諦めるのはそれからにしたい。
ぼんやりとしながら前を見つめると、鏡の中の少女と目が合い、さらにその向こうの何かと視線が交差した。
両目を通して、ドロドロと熱い何かが頭の中に流し込まれ、意識が蕩けていく―――
そういえば、わたしは『人間』なのだから、対幽霊の障壁に阻まれているのはおかしいのではないか。
そう思って、一歩踏み出すと、ホログラムを掻き分けるように透明な壁が崩れ、わたしは容易に障壁の外へと到達してしまう。
―――気が付くと、障壁を抜けてわたしは鏡の壁のすぐ目の前に立っていた。
《ピピッ、エラー、エラー、エラー、被検体38番が逃亡しました》
手で鏡の壁を強く叩くと、脆い素材で作られていたせいか、呆気なく崩れ去る。
壁の先からは、薄暗い廊下と、部屋の中に向けて仕掛けられたカメラやスピーカーが姿を現した。
割れた薄い鏡は、実際にはマジックミラーだったようで、廊下の方に移動してから振り返ると、割れずに残った部分からも元の部屋の中の様子がよく見えた。
《ちょっと!どういうことなんだ?試作捕獲装置は失敗か?被検体の幽霊はどうなった!?》
慌てて戻ってきたのか、エレナがスピーカーの向こうで叫んでいる。
《種族タグ、エラー。幽霊の被検体は建物内に存在しません》
《いや、廊下の監視カメラに映っているだろ。このポンコツ!まったく、アメリアさえ居れば……もういい、あたしは鎮圧班を頼る》
AIとエレナのやり取りを背に、気を取り直したわたしは、廊下の奥に見える階段へと駆け出した。
廊下を抜けた視界に、上る階段と下る階段の双方が同時に飛び込んでくる。どちらに行くか悩み、わたしの足が止まった瞬間、下の階から武装した数人のエルフが駆け上がってきた。
「「「そこで止まれ!」」」
エルフ達の手の、大口径の銃器がこちらに向けられる。恐怖で見開いた私の目に、一人のエルフの目が捉えられた。
「きゃぁーーーーーーっ!!」
突然、発狂したかのような大声を出し始めたそのエルフが、見当違いの方向へレーザー銃を撃ち込み、生じた煙がわたしの姿をエルフ達から覆い隠す。その隙を活かして、わたしは階段を使って上の階へと駆け上がり、逃走を図ることにした。
少し前まで静かで平穏だったモナティアムの市庁舎は、今や混乱とパニックの渦に飲まれていた。
それを引き起こしているのは、明らかにわたしだった。
武装したエルフ達が近くでわたしを探し回っていたが、こちらの姿を見失っているようだ。わたしは体格の小ささを利用し、机や観葉植物、乱雑に置かれた荷物の影を伝って、逃げ続けていた。
利用しているのは体格だけではない。
幽霊としての恩恵なのか、どうやら私は、目が合ったエルフに人間の幻覚を見せたり、人間を想起させたりするような、よく分からない不思議な能力があるらしい。ぼーっと見つめるだけで発動するその力は、逃走劇において強力な武器として機能した。
一方で、明らかに非戦闘員な事務職員と偶然目が合っただけで能力が暴発し、人間に対するPTSDを引き起こさせ、号泣させてしまうような心が痛む事故も起きていた。わたしは逃げ出したいだけで、ここまでの騒動を引き起こしたいわけではない。
中途半端で、制御もできないこの能力を、わたしは嫌いになり始めていた。
「市長様!!またテロリストを見失いました!!」
《ロビーでパニックを起こした職員が無差別発砲を続けています!応援願います!》
「人間っ……人間が私たちを掴まえに来たんです!もう終わりです!」
《PTSD!PTSD!》
人間へのPTSDを発症し、当初、エルフ達はすっかり組織的な戦闘能力を喪失していた。しかしながら、わたしの方も膨大な人数のエルフを相手に市庁舎から抜け出す余裕はなく、徐々に追い詰められていく。
《まったく、相手はただの幽霊、そして人間に見えるのはただの幻覚だろ。一般職員はPTSD発症者の保護を、鎮圧班は階段を抑えてから各階をゆっくり捜索していくだけでいい。あいつはどうやら壁抜けもワープもできないみたいだからな》
特に、無線越しに遠隔で、冷静に指示を出し続けるエレナが厄介で、気が付くと私は袋のネズミだった。
「居たぞ!」
わたしに武器を向けながらエルフが叫んだ。ちらっと近くの窓の外を見ると、地上ははるか遠くにあり、飛び降りるには高すぎる階層であることが分かった。
《よし、全員あいつと目を合わせるなよ…………やあ、幽霊さん。中々の大冒険だったみたいじゃないか》
追い詰められて、逃げるのを諦めたわたしを前に、エレナがスピーカー越しに話しかける。
《別に捕まえて取って食おうというわけじゃない。大人しく捕まってさえくれれば、外来種向け刑務所での最高で快適で文化的な生活が君を待っているんだぞ》
こちらを説得しようとするエレナの声を聴きながら、わたしは絶望していた。
わたしの短慮と厄介な能力によって、ここまで事態が拗れてしまった以上は、大人しくこの街に住み続けるという選択肢は残っていないだろう。
仮に今後、刑務所から解放されるとしても、獣人の村、エルフィンランド、モナティアム、それぞれのコミュニティを追われて、わたしは何処に行くというのだ。
楽しみにしていたエレナとの会話も、もはや危険な能力を持つ幽霊相手の余所余所しいものに成り果てていた。
とりあえず、本能は未だに逃走することをわたしに望んでいる。
《私達の間には不幸な行き違いがあっただけで、まだ仲良くすることはできるはずさ。ほら、何か要求があるなら…………幽霊さん?なあ、それはやめた方がいいって!》
エレナの言葉を聞き流しながら、目の前の椅子を掴んで背後の窓へと力いっぱい振り下ろすと、パリンという澄んだ音と共に、新鮮な空気が室内へと流れ込んできた。
エーリアスには『死』がない。つまり、どれほど高い場所から飛び降りるとしても、私が気にするべきなのは、落下直後に気絶しないこと、すぐに起き上がって逃げだすこと、それだけだ。
《味付きのブロック食も用意するから!ヘイリーなんて裏切ってあたしに付けばいいだけだろ!》
エレナの声を背に、わたしは窓から飛び出した。
重力に引っ張られ、わたしは急降下する。
すさまじい風切り音とともに、コンクリートの地面がみるみるうちに迫ってきた。
衝撃と痛みを覚悟していたものの、何も起こらない。
私の身体が真っ暗な空間をすり抜けながら、減速していく。
突然、ドサッと乱暴に、わたしの身体が地面に投げ出された。
仰向けに倒れた背中には、コンクリートの固さではなく、柔らかい土の感触がある。
続いて、泥とカビの匂いが、わたしの鼻を突く。
キョロキョロと辺りを見渡すと、あるはずの市庁舎や周囲のビルはなく、捻じれた木と、わたしを上から見つめる二つの人影が目に入った。
「産まれてから1週間も経っていないのに、エーリアス中で事件を起こし続けるなんて、センスのある最高の新人じゃない。ヒヒッ。それに、最後のエルフ達の慌てよう!あれは最高のショーだったわ。あたいが褒めてあげる」
笑いながら、白髪に髑髏の髪飾りを付けた少女が言った。
「はぁ……見ていて危なっかしい、困った子ですね。私たちが空間を裂いて回収しなかったら、どうなっていたことか」
同じく髑髏の髪飾りを付けた、もう一人の少女は心配そうな顔をしながら言った。
「あたいはシェイディ。あんた達、幽霊のまとめ役よ。シェイディ様と呼びなさい」
「私はリム。幽霊のまとめ役のまとめ役。ま、とーめんの間はリムと呼んで」
2人は自己紹介をしながら手を差し出し、倒れたままのわたしを引っ張り上げてくれる。体を起こした私の前には、どこまでも続く沼地が広がっていた。