「ほら、あたいについてきな」
シェイディが手の中の鎌を振りながら、わたしを沼地の奥へと案内した。
その後ろを、リムとわたしがゆっくりと着いていく。
「どうして助けてくれたんですか?」
わたしが尋ねると、リムとシェイディは顔を見合わせた。
正直に言うと、リムは兎も角として、自分勝手が基本の幽霊、特にその中でも問題児として扱われがちなシェイディがわたしを助けた理由が分からない。
「その方が面白そうでしょ。あの異邦人たちにあそこまで面白い悪戯を仕掛けたんだもの。ねえ、次は何を見せてくれるの?」
シェイディ楽しそうに答えた。
「私達は少し前から、あなたのことを探していました。見つけた時にはあんな騒動を起こしていて……まあ、幽霊の本能ですから、しょうがないかもしれませんが、あまり種族間のバランスが壊れる悪戯は見掛けたら止めざるを得ません」
逆に、リムの方はジトっとした目でわたしを見つめながら、淡々と答える。
わたしは大人しく生きようとしていただけなのに、シェイディとリムの双方から、傍若無人な幽霊扱いをされて心外極まりない。
とはいえ、あの騒動はそう捉えられても仕方がなかった。
「あなたが産まれた日、世界の均衡が微かに揺らいだのを感じました。そしてエルフ達の街での騒動でも……」
リムは少し声を低くして続ける。
「そう、どうしても、あなたと会っておきたかった」
こちらを見つめるリムの後ろで、シェイディが嫌そうな顔をした。
「そう、どうしても。騒動だけに……ププッ」
リムは真剣な顔で重要そうな話をし始めたかに思えたが、突然話が脱線し、わたしは唖然とさせられた。
そういう癖がリムにはあると知ってはいたが、急な温度差に、反応が追い付かない。
「やめて!将来が楽しみな新人のセンスが腐っちゃうでしょ!……ねぇ、おチビちゃん。こいつの話は聞かなくていいからね」
わたしはシェイディによって、1人で笑い出してしまったリムから引き離されてしまう。
「ほら、この小屋。あんたのお家にいいんじゃない?」
リムの話の続きが気になっていたものの、話題を変えるように、シェイディは遠くに見えてきた小さな小屋を指差した。小屋のサイズは4畳半ほどで、人間が住むには狭かったが、今の自分にとってはそれなりに使いやすそうに思えた。
「お家……」
わたしは思わず呟いた。
確かに、壁や扉の一部に穴が開き、天井には雨漏りの痕もあったが、中はしっかりと整理され、いつでも住めそうな状態が保たれている。
小屋の中で、ぼーっとしていたわたしに、突然、暖かそうな毛布が投げ渡された。
「この毛布は……?」
「おチビちゃんへのあたいからの新居祝い。面白いショーも見せてもらったし、これくらいはあげないとねぇ」
喜びを隠せない顔で毛布を見つめるわたしに、シェイディはヒヒッと笑って答えた。
「シェイディ様………!ありがとうございます!」
「ヒヒヒッ」
頭を下げて感謝の言葉を伝えると、追加の笑い声が返ってきた。
「なら、私からは……」
一方のリムは大きな鎌を振り上げ、何もない床に振り下ろす。
鎌の刃がひらめいた跡には、世界の裂け目のような次元の傷が残されていた。
リムはその裂け目に手を差し込み、何かを取り出していく。
「これはどうですか?」
リムの手には、袋一杯のマカロンがあった。
「食べ物ぉ?妖精じゃあるまいし、あたい達にはそんな沢山のお菓子、あっても嬉しくないでしょ」
シェイディは小馬鹿にしたように呟いたが、わたしにとって、食料の存在は何よりも有難かった。
「リム様!ありがとうございます!」
マカロン入りの袋を受け取りながら、わたしは大声で感謝の言葉を伝える。
「はい、こっちはレモンティー。さっきから、お腹が鳴っていたから……。私たちはあまり食事が必要ないけれど、もしかしたら、あなたはちょっと特別な幽霊なのかもしれない」
さらに、レモンティーが入っているらしいボトルをわたしに手渡すと、リムはこちらを優しく見つめながら呟いた。
わたしはグーグー鳴り続けるお腹が恥ずかしくなり、思わず俯いてしまう。
「レモン……レモン…………レモンティーが入ったいれもん……」
リムが発した言葉を受けて、小屋の室温が数度下がったような気がした。
この突然リムの会話に挟まれるダジャレにはどのように対応するのが正解なのだろうか。
贈り物への感謝を込めて、わたしが無理をして作り笑いを浮かべると、リムは狼狽えた。
「違うの!そんな強張った笑顔を浮かべないで!本能でつい言っちゃうだけなの!」
必死に釈明するリムにため息をつきながら、シェイディがわたしの手を握る。
「じゃあ、次はあたいが近くの井戸の場所を教えてあげる」
リムに対抗するように、シェイディがわたしを小屋の外、近場の井戸へと案内してくれた。
気が付くと、もう辺りは暗くなり始めていたが、まもなく来る夜を越すことに対して、初めてなんの不安も覚えることなく、わたしの足取りは軽かった。
目が覚めると、そこには昨日と変わらず、古い木の板が張られた天井があった。
これが、わたしの家の天井。
きっと、これから何度も見ることになるはずの天井。
わたしは寝転がりながらのんびりと上を見上げていたが、暖かな毛布のせいで、また眠りに引き込まれそうになってしまう。
チラっと横を見ると、穴の開いた壁から、僅かに光が漏れ出していた。
もう、日が昇っているのだろう。
流石に、初日から寝すぎるわけにはいかないと思いなおし、わたしは体を起こした。
いつ新人相手に近所の幽霊たちが挨拶に来るか分からない上、性格に難のあることが多いと言われる彼女たち相手に、隙を晒し過ぎるのも怖い。
わたしは昨夜のうちに瓶に汲んでおいた水で顔と体を洗い、床に座ると、昨日リムに貰ったマカロンとレモンティーの残りを取り出した。
甘酸っぱいレモンティーとひたすらに甘いマカロンを交互に口へ運ぶと、舌の上で味が弾け、段々と元気が湧いてくる。
昨夜は暗くてよく見えなかったため、外の景色を見たくなり、扉を開ける。
そこには、澱んだ泥の臭いを含んだ風が吹き荒ぶ、底知れぬ沼地が広がっていた。
この新しい家の立地に不満がないと言えば嘘になる。
しかし、エーリアスで初めて手に入れた我が家という存在の安心感は、立地の悪さを遥かに上回る価値を持っていた。
扉を閉じて、家に戻ろうとした瞬間、背後に気配を感じた。
「小さいお家。そしてシェイディ様が言っていた通り、本当にあなたも小さいのね!」
振り返ると、宙に浮かぶ猫型の椅子の上、紫色の髪とドレスを揺らしながら、少女がわたしを見下ろしていた。
「こんな子がモナティアムでシェイディ様を唸らせるような面白いライブをしたなんて、本当なのかしら?」
ふむ、と顎に手を当てながら、少女が疑問を口にする。
わたしは昨日のモナティアムでの騒動を、シェイディが言うような、楽しく面白いものとは思えていないため、押し黙った。
「そういえば自己紹介をしていなかったわね。私はアリス、『運命』の幽霊。よろしくね」
アリスは相変わらず、椅子の上からわたしを見下ろしながら言った。
「よろしく……お願いします。それであの……」
わたしも挨拶を返してから、いつものように口ごもる。
「シェイディ様から聞いてるわよ。まだ名前も、何の幽霊かも決めていないんでしょ。おチビちゃん」
それよりも、とわたしのプロフィールには何の興味がなさそうに、アリスは続けた。
「この反応、私が一番乗りってことでいいのかしら?ねぇ、あなたの運命、占ってみない?」
アリスは楽しそうにわたしに尋ねる。
基本的に、幽霊は好き勝手に、迷惑を考えずに悪戯をし続ける種族だ。
アリスの場合は占いにかこつけて、悪い未来予知の結果を真偽問わず伝えることで、相手を驚かせて楽しむことを趣味にしている。
逆に、それさえ分かっていれば、その悪戯そのものは大した脅威にはならないはずだ。
「いいですよ」
「じゃあ、始めるわね」
わたしが承諾すると、アリスは宙に浮かぶカードを手に集めると、それらを突き出した。
「好きなカードを3枚選びなさい!」
アリスの言葉に従い、わたしはカードを適当に3枚選ぶ。
その絵柄をこちらに見せることなく、アリスはふむふむと頷きながら、カードを眺め始めた。
「捻じ曲がった木。鮮やかな朱色の石。風で吹き飛ぶ家」
おそらく、通常のタロットにはないオリジナルのカードであろうそれらを、アリスは読み上げた。
「意味は?」
アリスの悪戯は時として本当の予知になる。それが『運命』の幽霊としての能力。参考までに、その結果を聞いておきたかった。
「う~ん。どうかしら?私、少し喉が渇いちゃったかもしれない。フフ……」
アリスの目がチラチラと床に置かれたレモンティーの残りに向けられている。
「ぐぬぬ………」
さほど飲み物が重要ではない普通の幽霊と違って、わたしにとってそれは命に等しい貴重品だった。幸い、井戸に行けば飲み水は汲める。だが、文化的で人間らしい生活の最後の一線を担っているこの美味しいお茶を、わざわざ彼女に渡すのは心苦しい。
「はい、どうぞ」
しばらく悩んで、わたしはアリスの予知を優先することにした。
「わぁ~!美味しい!」
「それで、結果を教えてくれない?」
レモンティーの残りを飲み干し、笑顔になったアリスに問い詰める。
「なんだかビビッときたわ!このままだとあなた、木の根に足を引っかけて転んで、赤い石に頭をぶつけて大変なことになるのよ!」
「風で吹き飛ぶ家は?」
適当な彼女の言い方に、少し不信感を抱きながらわたしは尋ねた。
「嵐か何かで家が吹き飛ぶんじゃない?いずれにしても不吉!不吉よ!」
おそらくレモンティー1杯分の価値もない解説に、わたしはそっとため息をついて、アリスを追い返した。
その後も入れ替わり立ち替わり幽霊の来客があったが、たび重なる悪戯と称したトラブルを機に、わたしはしばらく寝る時以外、自宅を離れて姿をくらますことを決意した。