「これは『朝に地下鉄の改札を過ぎて、エレベーターを上った先にある駅直結商業施設で友人を待ち合わせする女子高生の周りからとることができる成分』と、『プールの授業が終了した4限目に、少し湿らせた髪を触りながら飛行機雲を目で追う女子中学生のうなじから落ちた水』を遠心攪拌し発酵させてできるクスリじゃ!」
「おおっ!」
十分に金が末端へ行き渡っていないせいで、第1化学実験室は異常なほど蒸し暑かった。
この世界は弱肉強食であり、大した実績もなく人数もいない科学部に与えられているものは、ほとんどの設備がどこから持ってきたのかもわからないお古だ。
つい数日前クーラーが天国へと羽ばたき、僕とハカセは絶賛地獄めぐり中。
「これを鼻から吸うように使えば、胃や腸で吸収されて血液に溶け込み、全身を巡って病気の原因や患部に作用することで効果を発揮する万能薬になるんじゃぞ~!」
「お~!」
よく熱中症のたとえで、卵を脳に喩え、生卵を熱してゆで卵にしてしまえば元に戻すことはできないという。うん、よく言われるだけあって完成度が高い。熱中症の危険性をわかりやすく教えているなぁと感心してしまう。
この気温だと僕らの脳も地獄温泉の中で熱へ当てられ、立派な温泉卵として150円。もしくは牛乳と砂糖をまぜ、地獄蒸し焼きプリンとして400円で店頭へ並ぶことになる。
「ほら、今から吸うぞぉ~」
「おお」
ハカセはいつの間にかシーシャの本体を設置し、僕に見せたクスリへ火をつける。
ボウルへ乗せて、口をすぼめるようにしてつけていた。そのまま深呼吸をするように吸って、転がし、吐き出す。
ボゴボゴと音が鳴り、ハカセのめはくるくると焦点があっていない。
「あ~やべ、クラクラしてきた。青春と絶対に相容れる存在へなれないという事実がキマるぅ~^^」
「何やってるんですか先輩!?」
「なにって、説明したとおりだけど……」
「whatじゃなくて、why!もっと言うとserious?」
「それは……インターネットで女子学生のそういうのが万病に効くってみたからじゃ」
「ヤクをキメてその感想出す奴が言う言い訳じゃないよねそれ。本心で思ってないとそんな言葉でないから」
「あー!やめるのじゃ~!」
ハカセから無駄に豪華な見た目のシーシャパイプをひったくる。
すると、「かえせー」とうなりながら取り返そうとしてくるので、”指導”を行うとキュウと音を鳴らして彼は大の字で倒れた。
日はまだ南から動こうともしない。
夏休みが中旬に差し掛かった今日この日。僕はなんでこんなに酷暑の中、シーシャと遠心撹拌機の片づけをしているんだろう。実験室の窓から外を見ると、サッカーや野球の練習風景が見える。遠目から見ても、目標へ向かって青春をしている彼らの姿はまぶしく映る。
これもすべて地面でゴロゴロとしている女、葉加瀬優香のせいだ。ああ、原因は高校に入学したあの日。
まず初日がいけなかった。中学がパッとしなかったから、高校では青春を過ごしてやろうという色気づいたのが悪い。
あの勧誘の時の風景が思い出される「君、新入生だねぇ」「科学部なんだけど入らないかにゃ?」「石楠花明日香くんか。アスカって呼ぶねー」
僕は初対面の女の子に下の名前で呼ばれて、正気を保っていられるほどの精神力を持ってなかったんだ。
部活動の勧誘でかわいらしい子についていくと、あれよあれよという間に科学部への入部が決まった。勧誘に見事引っかかってしまうのは問題ない。大の問題はついていったのがこの女生徒だったということ。
チマっとした、ゆるふわお嬢様。見た目はかわいらしいが、その素性はとんでもマッドサイエンティスト。本当に人間かすらも怪しい。別の星から来たといわれても私は信じてしまうだろう。
一番初めの被害にあったのは5月の半ば。部活の仮入部期間が終わり、新しい部活に入りなおすのが難しくなったころ。試してみてと渡された薬を一錠飲むと音が出た。全身から。
ドラム人間になった僕は泣きながら下校をしたものだ。家に帰ると治った。
こんなことがしょっちゅう続く。発光したり、感覚が3000倍になったり、角が生える、二重人格になったこともあったな……。入学してからたったの数か月。その間に僕はびっくり人造人間だといううわさが立つのは必然。そしてつい最近気が付いてしまう。信じたくないけど、そう思わずにはいられない事実。
いつのまにか居場所が科学部しかない……。
そう思って葉加瀬先輩に問い詰めてみた「先輩のせいで僕ぼっちになってませんか?」と。すると答えはすぐに帰ってくる。「計画通りだにゃあ」
何かしらの影響で耳が生えた彼女はサムズアップを見せる。僕はあの日、初めてドロップキックをした。
ありがとうお父さん、お母さん。あなたたちの息子は強く育ちました。
うん、これは堂々高校生活デビューの失敗。
正真正銘のバケモンにつかまってしまったのだ。退く場所もないので、葉加瀬先輩のモルモットとして生活をする日々。最近の流れ星への願いはこの化学室からの脱出になった。中学の時みたいに無病息災や出会いなんて祈ることは一時中止です。
シーシャを解体して清掃を行う。なんで先輩がこんなものを持っているのかは遠い所へ置いといて、説明書を見ながら解体していく。
「うー、あちゅい」
「じゃあ何か作ってくださいよ。変な薬なんかじゃなくて」
死んだカエルみたいに地面へへばりついていた先輩が立ち上がった。こっちまで来て手伝ってくれれば、ハイジがクララの一歩を喜ぶように、僕も感激するのだけどそうはいかない。ぐったりガエルがぐったりゾンビにジョブチェンジしただけ。
「私は創薬の基礎しか出来ないしわかんない!」
「なんだかよくわからないですけど、ダメそうってことがわかりました……」
葉加瀬先輩は見せつけるようにキンキンの清涼飲料水を飲んで、僕の片づけが終わるのを待っている。
「先輩も手伝ってくださいよ」
「ダメダメ~。そういうのは後輩の仕事って昭和の時代から決まってるからさ」
「今はコンプラに厳しい時代です。僕が訴えたらどうするんですか」
「なはー!それは困っちゃうかも。ポカリの偽物上げるから許してよ」
「……手伝いもお願いします」
「特別ね!ちょおっとだけだよ」
こんな感じで夏休みもたまには登校する。部活動で部室を持っている以上、少しは活動しておかないといけないらしい。
太陽がまだ元気なうちに先輩を自転車に乗せて駅まで届け、その日はすぐに床へ着いた。少しばかりだが体を動かしたおかげか、眠気はすぐに僕の意識を刈り取って……
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朝か……。
じりじりと焼かれるような不快感を感じて意識が浮上する。
カーテンを閉めずに寝たので窓から朝の日差しが差し込んでいる。温かいなんて可愛らしいものならよかったんだけど、虫眼鏡で光を集められているみたいな刺激だ。
しびれを感じる。腕を枕として使ったまま眠りに落ちた時みたいに、びりびりと電気が流れているような感覚。もう動かなくなってしまってるんじゃないかという不安。腕だけじゃない。不快な感覚は体全身に走っていた。
金縛り?
深呼吸をしようと意識すると、動けない……が、少しずつ。人差し指の先。つま先の一部。睫毛の生え際。少しづつだが揺れているのがわかる。こんなことになるのは初めてだ。次は血の巡りを意識してみる。心臓から新鮮な酸素が送り出されるように、太い動脈を確かに動いて、枝のように分岐する。全身が酸素でいっぱいいっぱいになったとき、また体を動かしてみる。次は手首が動いているのがわかる。重い瞼が開くと光がまぶしくてたまらない。深呼吸して最後は筋肉を意識するゆるんだ体に電気信号を与えて、縮める、緩める。びりびりとしていたしびれはある程度収まり上体を起こす。
血の流れや筋肉の動きのイメージをしていた時点で違うと感じていた。今持っている“カラダ”はいつものそれじゃない。
「お、女の子になってるぅうう!?」
声も!?
喉を触ると大きく膨らんでいた山は失われ、平野が広がっている。最近焼けて赤黒くなっていた肌は真っ白。唇へ手を触れれば、毎日メンタームを塗っていたカサカサなものはない。やわらかくてドキドキするそれだ。
立ち上がってみれば機能の違いは明らかにわかる。
ああ、これどうなってるの……?
しなやかなからだ、いつもより少しだけ高い背。窓から差す異常に小さい点の日差し。
ん?なんだかおかしくないかな。太陽の光って面で当たってくるものだよね……。
光線の先を見ると一人のちっこい影が虫眼鏡をつかって僕のほうへ太陽光を集めていた。不審者が私の家を覗いているけど、それをしそうな心当たりは?
カチンときた。あの人は一度しっかりと叱っておかないといけない。こんな大変なことをして、責任を取らせないといけない!
思い立ったら即実行が私のポリシー。窓を開け放って思いっきり叫ぶ!!
「火事になっちゃうでしょうがぁ!!!!!!!」
小一時間叱りました。家が燃えたらどうするの!
「……ごめんなさい」
「先輩、朝ごはん食べました?」
「食べてないです……」
「健康に悪いから食べたほうがいいっていつも言ってますよね。自分はやりたい事させて、私の言うことは何も聞いてくれないんだから」
「うにゅう?今主語が私になってたぁ?」
「あれ……?」
「脳にも影響があるのか、それとも体に引っ張られているだけか考える余地がありそうだよ」
さっきまで反省モードだったのに素早いシフトチェンジだ。もう一度お叱りが必要かな?
「で、先輩。この体のこと、まだ説明受けてないんですけど」
「美少女製造のオクスリ!」
「はあ、そんなのいつ……」
何の情報もなし。昨日そんなものを飲まされた覚えはない。昨日は部活中ヤクを決めてたのは先輩だけ。ご飯だって私が家で作ったものしか食べてない。他は、ええと……。
「……ポカリもどき」
「えへっ!」
「ふん!」思いっきり腕を振りぬく。
「いったぁあああああ!!!」
また葉加瀬印の薬にやられてしまった。この人は私の体を何だと思ってるんだよ。モルモットより使い勝手よくて、片付けなんかもしてくれる便利な人間とか?ひどすぎる!私はこの人が社会へ出る前に、まともな人間になるよう教育しないと。
「はい、じゃあ戻してください。いつも解毒剤的なのありますよね」
「解毒というより拮抗剤じゃよ」
先輩は鈍く様々な色へ変わり続ける、試験管に入った謎の液体を手渡してくれた。
きったねえ色。絶対に飲みたくないなぁ。何が入っているかなんて聞いたら後悔しそうだから絶対に聞かない!鈍い光出してるなんて薬としてありえないわ。
ちらちらと葉加瀬先輩のほうを見ると、きらきらおめめで私を見る。きっと実験の結果が見たくて仕方がないんだろう。とっても癪だが仕方ない。栓を抜いて思いっきり呷る。
「あ!これ粘度が高い!ゆっくり口に向かって落ちてる!」
だんだんと迫ってくる発光体を私は口で受け止めるしかない。
「オ゛ッ、まず……」
「まだまだ10%も飲んでないよぉ~」
おい!なんでこんなドブみたいなもの飲まされないといけないんだよ!あ、先輩!試験管振らないでぇ!許容量を超えた劇物がぁ!
やっやめろォ!
「うーん、治らないね」
「おい!何てことしてくれるんですか!」
「うーん、モルモットでやったときは成功したんだけどなぁ」
あ、人体実験が最初じゃないんだ。先輩に倫理観が残っていて関心を覚えられる。
「時間経過で戻るとかはないんですか?」
「実験の時は1週間放置したけど戻らなかったよ。うーん、何か同時に摂取したものとか。遺伝子上の関係とかありえそうな説はたくさんあるねぇ。ま、最速で戻してあげるよ」
「当然です!ああ、その間どうしよう……」
いま私は15年以上連れ添ってきたボディーから何もかも違う女の子になってしまった。ロボットアニメで機体を乗り換えるのとはわけが違う。某麦藁の海賊が羊の船を乗り換えるものより号泣もの。ん?でもあれは半年も乗ってないんだっけ。なら私の体にはもっと泣いてもらわないと。
千思万考のうちに多くの不安が湧き出る。治らなかったら?戸籍は?身分証は?将来は?
ぐるぐるぐるぐる。不安が巡る。こんなに不安や現実に押し迫られると倒れそうになるんだ。足元が揺れているみたいに感じるんだ。
「あ、それは任せてよ。学校行ってもいいし、ひとまずの身分証も用意してあげるねぇ~。名前何がいい?」
「え?そんなことできるんですか?」
「むっ、私のことなんだと思ってるの」
「本当に頭がおかしいマッドサイエンティスト」
「……失礼だにゃあ」
「間違ってないですよ」
夏休みまでに体治るといいなぁ……