地味な力が結局一番強い。(バトルしない現代異能成り上がりもの) 作:現代作品もっと流行ってほしい委員会
30歳まで童貞なら魔法使いになれる。
芳田太(よしだ・ふとし)は中学生のころ、その手の話を笑って聞いていた。三十歳の誕生日を迎えた今日も、別に信じてはいない。
ただ、魔法の代わりに残業だけが待っていたら、少しは損をした気分になると思う。
午後五時五十六分。
太は会社のトイレにいた。
個室の便座へ座り、スマートフォンの時計を見る。あと四分。六時になったら席へ戻り、パソコンを落とし、上司の円藤(えんどう)に声をかけられる前に出る。
誕生日だからといって予定はない。祝ってくれる相手もいない。だからこそ、特に会社でアピールはしていない。
画面を消した。
17:56
時計だけが視界に残った。
太(ふとし)はスマートフォンをもう一度開いた。画面にはホーム画面が出ている。視界には時刻が残ったままだった。
瞬きをする。目をこする。灰色の仕切り板を見る。数字はそこに貼りついているのではなく、視線の少し手前に浮かんでいた。
「……何だ、これ」
消えろ、と思うと消えた。
出ろ、と思うと戻った。
17:56
数字は進んでいない。さっき見た時刻のままだ。
鑑定。
何も起きない。
ステータス。
何も起きない。
便器も壁も太の能力値を教えてはくれなかった。
表示できたのは、見た数字だけだった。
太は数字の下へ文字を置こうとイメージしてみた。
定時まで四分。
白い文字が現れた。
考えた文章が勝手に出るわけではない。頭の中で一度、文字の形にする必要がある。位置をずらす。小さくする。閉じる。もう一度開く。
同じ文が残っている。
保存もされている。
魔法というより、視界の中に置けるメモ帳だった。
(チートには程遠い。異能とか魔法というには地味すぎる)
それでも、何もないよりはいい。
時計を見直して表示を更新する。
17:59
あと一分で定時だ。
そう思うと、外で足音がした。
太は表示を閉じて個室を出た。
洗面台には真留山(まるやま)がいた。
太より二つ上だが、入社時期はほとんど変わらない。先輩というより、少し年上の同僚だった。
真留山は鏡を見ながら前髪を直していた。顔色が悪い。目の下も黒い。
「お疲れ」
「ぉ疲れさまです」
「そろそろ6時か、定時ダッシュ?」
「……まあ」
「正直でよろしい」
真留山は笑って、また鏡を見た。
太は手を洗いながら、前月の真留山を思い出した。
それを視界の端に貼り付けてみる。
会議室から出てきたところ。ネクタイを緩め、電話を耳へ当て、別部署の人間へ空いた手で合図を送っている瞬間の画像。映像はノイズが走るようなものではないが薄い。顔の判別はできるが、記憶から視界に転写したドアに貼られていた紙の文字は読めなかった。
見ていなかったものまでは出ないらしい。
表示を閉じたところで、真留山が言った。
「こっちは先月よりはましになったけどね」
「まだ残ってますよね」
「前までなら終わってたんだけどね。人が減った分はそのままだから」
トイレから出て作業フロアに戻る途中の自販機に寄り、真留山はスマートフォンをかざした。
「新人来たし、そのうち楽になるだろ」
「でも最初は……」
「戦力にはならない、だろ? まあ分かってるけどそりゃしょうがないさ」
ガシャン、と取り出し口に落ちた缶コーヒーを取り出す。
「作業増えて、新人も見ないといけないが同時に来るのは多少思う所あるけど、誰かがやらなきゃいけないし、そろそろ給料ドカッと上げてほしいもんだよな」
真留山はそこで話を切った。お前も何か買う?というジェスチャー。
太は首を横に振った。NISAを始めてから自販機は基本使わないことにしている。
「そう」
缶のプルタブが開く。
真留山は一口飲み、顔をしかめた。
「最近の微糖って結構甘いよな」
「……缶コーヒーは飲まないので」
「ほーん」
先月の障害対応で、原因を突き止めたのは別の人間だった。だが、関係部署を走り回り、作業を割り振り、翌朝の方針までまとめたのは真留山(まるやま)だった。
専門知識なら太の方が上だ。実務能力も、それほど差はないと思っている。
それでも真留山は、気が付いたらリーダー的な立場になろうとしていた。
太は何も言わなかった。
言うことも思いつかなかった。
「戻るか」
「はい」
二人で職場へ戻った。
席には上司である円藤銀一(えんどう・ぎんいち)がいた。
逃げ切れなかった。
「真留山。ちょっと来い。……芳田、お前もだ」
会議スペースには新人の比奈森咲(ひなもり・さき)も呼ばれていた。
円藤は印刷した作業一覧を机へ置いた。
「明日本番だろ。今日中に対象を固める」
円藤は3人を見回して言葉をつづけた。
「真留山は中心になってたので分かってると思うが、先月のシステム更新後、一部の帳票で旧形式と新形式が混在した。特定条件のデータだけ表示が崩れる。明日の本番作業で直すが、対象漏れがあれば作業を止めるか、もう一度日程を取ることになる」
今日中にやる理由はあった。
理由がある仕事は断りにくい。
「真留山は最初に別バッチの結果確認。先月見てるから分かるな」
「はい」
「芳田は自分の作業終わってるんだろうから手伝え。増えた帳票のフロー処理だ。他チームだがこれは触ったことあるだろ。手順どおりでいい」
「……はい」
「比奈森はまだよくわからんだろうから芳田に引っ付いてフロー処理だけ見ておけ」
「はい」
「んで残りは帳票照合。二百件」
円藤の言葉に真留山は、げ、と声を出した。
「これは各作業が終わり次第で全員でやれ。たぶんそれが一番早い。帳票確認が一番かかると思うが問題起きなきゃ合流して9時前には終わるだろ」
「「分かりました」」
円藤は真留山へ一覧を渡そうとした。
「……僕がやります」
普段の太らしくない言葉だった。それでも意図せず口に出ていた。
口に出したあとで、太は全員がこちらを見ていることに気づいた。
真留山は缶コーヒーを持ったまま止まっている。円藤は一覧を渡しかけた姿勢のままだった。
「芳田が?」
「はい」
「フロー処理はどうすんだ」
「いや、その」
先月から残業が多い。今日も顔色が悪い。別バッチは真留山でなければ判断しにくい。
頭の中には全部あった。
だがどれを先に出せば話が伝わるかが上手く組み立てられない。
「フロー処理は、誰でも」
「さすがに新人一人にゃまだ任せられんだろ」
「そぅじゃなくて」
円藤が眉を寄せた。
真留山が、んー、と少し考えた後、一覧を横から受け取った。
「すみません、円藤さんも手伝ってもらえますか? 帳票は芳田、俺はバッチ。円藤さんはフロー処理。早く終わったら帳票の確認に合流」
円藤は少し考えた。
「……芳田、二百いけるか」
「ひゃぃ、いけます」
「じゃあそれで。俺の仕事はあと30分くらいで終わる。そしたらフロー処理始めるから比奈森は資料見とけ」
話は終わった。
席へ戻る途中、真留山が資料で太の頭をポンポンと軽くたたいた。
「さっきは急にどうしたん?」
「……顔色が悪かったので早く終わった方がいいかなと」
「あー、まあそうね……」
真留山は一度目のあたりを片手でもみ、ひとこと残して席に戻った。
「でも助かった」
帳票は二百件。
旧形式の画像と修正後の出力を見比べる。文字、罫線、項目位置。ほとんどは一致確認だが、仕様変更による正しい差分も混ざる。自動比較では毎月変わる数字部分など余計な差まで拾うため、最後は人の目が必要だった。
一件目を開く。
金額の書かれた確認用のExcelを開き、旧帳票を見る。新帳票を開く。戻る。もう一度見る。
ディスプレイが狭くて一度に全部は表示できない。
帳票2枚を横に並べて見比べてデザインを見て、Excelに切り替えて金額を見てチェック欄を入力する。地味に切り替えが手間だった。
自宅ならディスプレイが二枚ある。
そう思った瞬間、視界の右へ旧帳票が出た。
慌てて物理ディスプレイにはExcelと新帳票に配置変更。視界に追加されたディスプレイには旧帳票。
画像は動かない。クリックもスクロールもできない。だが、キャプチャとしては使えた。
一致。
二件目。
旧帳票を視界へ残し、新帳票を開く。
一致。
三件目。
文字位置にずれ。仕様書を確認。正しい差分。
画面を切り替えないだけでかなり速い。
視界に追加したディスプレイは一枚だけなら大きく表示できる。二枚目を出そうとすると一枚目が消えた。いずれせよ操作できずに表示だけなら一枚しか意味が無いが。
太は一件終えるたび、確認欄へチェックを入れた。
そのたびに、耳の奥で小さく音がした。
ピロン。
手が止まる。
もう一件終える。
ピロン。
自分の好きなゲームのステータスアップの音だった。
実際に音が鳴っているわけではない。周囲は誰も反応しない。
消そうと思うと消えた。
もう一度出すこともできた。
太は少し考え、音を小さくして残した。
十件目。
今度は少し高い音が二つ続いた。
ピロピロリン。
思わず今入力した確認欄を見る。
変わったところは何もない。
作業を続ける。
ピロン。
ピロン。
十件ごとに、ピロピロリン。
最初は子どもっぽいと思った。
三十件を越えたころには、次の特殊音まで進めたくなっていた。
作業に没頭してしばらく経ち、あと何件だろう。
そう思うと、視界の隅へ小さいディスプレイが表示され文字と数字、数字に対応していると思われる横棒が出た。
最初は出せなかった3つ目のディスプレイだ。
確認済み 90
残り 100
能力が帳票の意味を理解しているわけではない。一件ごとに付けたチェックを数えているだけらしい。
少なくとも今は。
だが能力は成長するようだった。
残り百。
残り五十。
仕事が面白くなったわけではない。特に今回のような単純作業を残業でいきなりやることになった場合は。
それでも数字が減り、音が鳴るたび、一区切りだけ先へ進みたくなる。
残り十。
ピロピロリン。
残り三。
ピロン。
残り二。
ピロン。
残り一。
最後の帳票へチェックを入れる。
ピロピロリン。シューッ、ジュワッ。
残り 0
数字が一度だけ大きくなり、細い光が視界の端を走った。中央へチェックマークが出る。
完了
設定した覚えはなかった。
(能力は無意識を反映している……?)
だが、気分はよかった。
チャットを真留山に送るとすぐに返信が届いた。
『終わった?』
『一次照合完了。例外候補12件です』
『早いな。こっちはあと5分。先に投げて』
時刻は午後七時三十分。
通常なら八時過ぎくらいまでかかる見込みだった。
円藤へ進捗を伝えると、どうやらフロー処理も終わったようだった。
「……早いな」
円藤がそう言うと、横にいる比奈森はひどく緊張した顔をしていた。円藤は言葉が強いので新卒が2人で作業するのは大変だったかもしれない。
「……真留山の確認が終わって、問題がなければ終わりでいいぞ」
円藤はそれ以上言わなかった。
真留山の確認が終わったのは七時四十五分だった。
『問題なし。助かった』
『お疲れさまです』
『今日は本当に早いな』
『たまたまです』
太はパソコンを落とした。
会社を出たのは午後七時五十分。
定時退社には失敗した。
それでもたぶん能力のおかげで四十分は取り戻した。
電車の座席へ座り、太は視界へ今日のメモを開いた。
文字を書ける。
閉じても残る。
見た画面を一枚だけ映せる。
チェックした回数を数えられる。
音を鳴らせる。
完了時には、勝手に光まで出た。
視界へ情報を出しているだけのはずだった。
なのに、音が鳴ると次へ進みたくなった。十件ごとの音が近づくと手を止めたくなくなった。完了表示を見たときには、どうでもいい帳票作業で妙に満足した。
表示は情報でしかない。
だが、情報の出し方で自分の動きは変わった。
真留山の顔が浮かんだ。
何年か前は自分とそれほど評価が変わらない男だった。
しかし人のフォローに回ることが増え、気が付いたらちょっとしたリーダーのような役割になっていた。
ふと夕方の校庭が一瞬だけ浮かんだ。
白線の薄いトラック。
他に誰もいないのに、走っている背中。
今思い出した理由は分からない。
太は一度目を少しだけ長く瞑った後、メモを閉じ、スマートフォンを取り出した。
証券アプリを開く。
どうやら能力は情報に関わる物らしい。
だとすれば。
明日、一番上がる銘柄。
視界へ出そうとする。
何も出ない。
一週間後の値段。
出ない。
上がるか下がるかだけでも。
白い線が視界の中央へ集まった。
頭の奥を内側から押された。
スマートフォンの文字が二重になる。車内アナウンスが遠ざかる。
存在しない答えを、何かが無理に作ろうとしていた。
やめろ。
目を閉じても線は残った。
閉じろ。
消せ。
胸が激しく鳴る。息が浅い。指先が冷たい。
このまま続けたらまずい。
スンッ
そう思った瞬間、その「まずい」だけが消えた。
心臓は速いままだった。
手も震えている。
なのに、怖くない。
太は目を開けた。
白い線は消えていた。
窓に映った顔は青い。身体はまだ危険だと訴えている。恐怖だけが、さっきまであった場所から抜け落ちていた。
目を閉じる。
目を開く。
現実には存在しない、ディスプレイよりさらに小さい角丸のポップアップを出してみる。
1つ、2つ、3つ、4つ‥‥…。
画像もない、文字だけの情報量なら1000個は出せる確信があった。
一度息をはき、再度吸ってから思いつくものを連鎖的に表示させていく。
ポコっポコっという心地よい効果音とともに。
「視覚補助」「記憶とのリンク」「仕事の効率化」「現状役に立つ状況は限定的」「ステータス表示?」「情報取得←まだ不可能」「この能力は成長する」「まだ手にしてから数時間」「音とエフェクト」「出そうと思っていなかった」「無意識を反映?」「オンオフ切り替え可能」「明日消える可能性」「他に能力を持っている人間はいるのか」「大いなる力には大いなる責任」「家まであと2駅」「大いなるというにはささやかな力」「オーバーヒート」「怖さ」「恐怖感の鎮静化」「オバロ的なやつ?」「単なる情報へのアクセスだけじゃない」「視覚=脳で処理」「脳=情報を処理」「脳=身体をコントロール」「自分が本当に欲しかったもの」「お腹すいた」「誰に与えられた?」「「代償」はあるのか?」「暴走のリスクは?」「弱い状態から成長するなら低リスク?」「地味な力が結局一番強い」「一番操作するべきもの」
チートと呼ぶにはできることはあまりに弱くて限定的だった。
火も出せず、空も飛べず、傷もいやせず、およそ魔法と呼べるようなものではなかった。
だが、もしかしたら現代社会で役に立つのはそんな分かりやすい能力ではないのかもしれない。
太は視界のメモを開いた。
一度書きかけて、消した。
もう一度書く。
「自分のやる気を、操作できるか」
過去作読み込ませて文体再現してって言ったらAIぽさ結構消えてビビりました。