ある夜。
浜谷は自宅のアパートで、ベッドに寝転がりながらスマホを眺めていた。
特にすることもなく、動画を見たり、SNSを眺めたり。
そんな時だった。
ピコン。
通知が鳴る。
「ん?」
画面を見ると、原町中央店スタッフのグループチャット。
投稿者は――茂田。
「茂田さん?」
何気なく開いた浜谷だったが、その文章を読んだ瞬間。
「…………」
固まった。
『さっき顔面を壁に強打して前歯が半分折れました。
午前中歯医者に行くために麻美さんに急遽代わってもらって、歯医者終わり次第出勤します!』
「えええええええええ!?」
静かなアパートに浜谷の声が響き渡った。
「前歯!? 半分!? 顔面を壁に強打!?」
情報が強すぎる。
しかも文章の最後が妙に明るい。
浜谷は思わずスマホを持ったまま起き上がった。
「何があったら顔面から壁いくねん……」
事故だろうか。
転んだのか。
何かにぶつかったのか。
心配しながら画面を見ていると――
ピコン。
今度は茂田から浜谷への個人チャットだった。
「なんや……?」
開く。
『調子乗ってダンスしてたら壁に顔面ぶつけて前歯欠けた!』
「えええええええええええええ!!!」
尚更だった。
「何してんねん!!!」
事故ではなかった。
ダンスだった。
しかも、調子に乗っていた。
浜谷はすぐに返信する。
『大丈夫なんですか!?』
返事は早かった。
『大丈夫ニダ!』
「前歯半分ない人のテンションちゃうやろ……」
浜谷は天井を見上げた。
翌日。
浜谷は阿佐野店への応援勤務。
一方の茂田は、午前中に歯医者へ行き、そのまま原町中央店へ出勤する予定になっていた。
そのため二人が顔を合わせることはない。
阿佐野店で仕事をしていた浜谷だったが、ふと昨夜の出来事を思い出した。
「……茂田さん、前歯どうなったんやろ」
「え?」
近くにいた古坂が振り向く。
「何の話?」
「昨日、茂田さん前歯折ったらしいですよ」
「え!?」
古坂が目を丸くした。
「知らないんですか?」
「知らないよ!」
「あ、そっか。原町のグループチャットか」
古坂は今や阿佐野店のスタッフ。
当然、原町中央店のスタッフ用グループチャットには入っていない。
「どうしたら前歯折れるの?」
「顔面を壁に強打したらしいです」
「え、大丈夫なの!?」
「それが……」
浜谷は少し言いづらそうに続ける。
「調子乗ってダンスしてたら壁に顔面ぶつけたらしくて」
「…………」
古坂が固まった。
「千歌ちゃん何してんの?」
「俺も全く同じこと思いました」
心配ではある。
だが、原因を聞くと何とも言えない。
「今日歯医者行ってから原町に出勤するらしいです」
「元気だね……」
「元気すぎるんですよ」
そして、その次に茂田と一緒になった勤務日。
浜谷は出勤してくるなり茂田を探した。
いた。
いつもの茂田である。
「おつかれさまぁ〜ず!」
「茂田さん!」
「なに?」
「大丈夫でした!?」
浜谷は真っ先に茂田の口元を見る。
一方の茂田は、あれだけの事件があったとは思えないほどケロッとしている。
「大丈夫大丈夫!」
「いや、前歯半分折れたんですよね!? 歯医者でどうしたんですか?」
「なんか!」
茂田は勢いよく身振り手振りを交える。
「ガーッてやって、ドーッてやって、ビカーッってなった!」
「え?」
浜谷は固まった。
何ひとつ分からない。
横にいた古坂も首を傾げる。
「ガーッて?」
「そう!」
「ドーッて?」
「そうそう!」
浜谷も確認する。
「……ビカーッ?」
「そう!」
「治療の説明が全部擬音なんですけど」
「でも今は、ほら見て!!」
茂田がニッと歯を見せる。
キラーン。
「…………」
浜谷と古坂が茂田の前歯を凝視する。
昨日まで半分欠けていたとは思えない。
「元通りだ……」
浜谷は感動すら覚えた。
「医学すげぇ……」
「でしょ?」
茂田は満足そうに笑った。
すると古坂が、茂田の手元に気づく。
「千歌ちゃん、それ何食べてるの?」
「ん?」
茂田の手には――硬い醤油煎餅。
ボリッ。
バリッ。
ボリボリ。
「硬い醤油煎餅ボリボリ食べてるニダ」
「えー、すごい……」
浜谷は目を輝かせた。
つい先日まで前歯が半分なかった人が、今日は硬い醤油煎餅をボリボリ食べている。
現代医学、恐るべし。
「そんな綺麗に治るんですね……」
「ガーッてドーッてビカーッだからね!」
「そこは相変わらず分かんないですけど」
浜谷は改めて茂田の前歯を見る。
そして、なぜか少し考えた。
「……僕も前歯折ってみようかな」
「絶対やめて!!」
古坂の声が店内に響いた。
「なんでそうなるの!?」
「いや、こんな綺麗に治るなら一回くらい――」
「治るから折っていいわけじゃないから!」
「確かに」
「確かにじゃない!」
茂田はその横で、また醤油煎餅をボリッ。
「歯は大切にするニダ!」
「一番説得力ないですよ!」
浜谷は即座にツッコんだ。
「てめぇの歯をガザガシガァー、茂田千歌です」
「何を言ってるんですか!」
あれだけ大騒ぎした前歯事件。
結局、茂田の前歯は元通り。
そして浜谷の中には、歯医者と茂田の胆力への謎の尊敬が残った。
「……医学すげぇ」
「だからって折らないでね?」
古坂は最後まで念を押した。