原町中央店。
カウンター。
浜谷と川原が並んで立っていた。
店内は比較的落ち着いている。
浜谷がふと。
「川原さん」
「はい?」
「√5の覚え方、覚えてます?」
「√5?」
「はい」
川原は少し考える。
「富士山麓オウム鳴く、でしたよね」
「そうです」
「でも、なんで急に?」
「いや」
浜谷は首を傾げる。
「意味わからなくないですか?」
「…………」
川原も考える。
富士山麓。
オウム鳴く。
「確かに」
「でしょ?」
「なんで富士山の麓でオウムが鳴いてるんですかね」
「そこなんですよ」
「誰が考えたんでしょうね」
「謎ですよね」
そんな。
本当にどうでもいい会話をしていた。
その時。
二人の目の前を藤屋が通る。
浜谷が藤屋を見る。
「ふじさんって、いつも真面目ですよね」
「そうですね」
「ほんま尊敬しますわ」
藤屋は黙々と店内を巡回している。
「仕事も丁寧ですし」
「分かります」
その瞬間。
藤屋の足が。
ツルッ。
「うわっ!」
「ふじさん!?」
「藤屋さん!?」
藤屋が床に倒れた。
浜谷と川原が慌てて駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
「藤屋さん!」
藤屋はゆっくりと身体を起こした。
顔が。
真っ赤だった。
「……大丈夫」
「ほんとですか?」
「うん……」
恥ずかしそうに俯く藤屋。
浜谷がホッとする。
「よかったぁ……」
しかし。
川原が気づいた。
「ふじさん」
「ん?」
「腕……」
藤屋は。
片方の腕を押さえていた。
浜谷の表情が変わる。
「ふじさん、腕大丈夫ですか?」
「…………」
藤屋は自分の腕を見る。
そして。
小さな声で。
「折れたかも……」
「え」
浜谷。
川原。
二人の顔が固まる。
「ええええええええ!?」
一気に大騒ぎ。
「ちょ、ふじさん!動かさないでください!」
「ふじさん、立てます!?」
「たぶん……」
「無理しないでください!」
二人は慎重に藤屋を事務所まで連れていった。
事務所。
高崎がいた。
「どうしたの!?」
「高崎さん!」
浜谷が飛び込んでくる。
「ふじさんが!」
「藤屋さんが?」
「腕折れたかもしれません!」
「え!?」
高崎が藤屋を見る。
「どうしたの?」
「転んで……」
「どんな転び方したの?」
「えっとですね!」
なぜか浜谷が前に出る。
「ふじさんが歩いてたんですよ!」
「うん」
「そしたら!」
浜谷が両腕を使って再現する。
「バーッと!」
「バーッと?」
「グワーってなって!」
「グワー?」
「ツルッと!」
浜谷が身体を傾ける。
そして。
「ボキッです!」
「…………」
高崎が。
吹き出した。
「ちょっと!」
浜谷が驚く。
「高崎さん!笑い事じゃないですよ!」
「ごめんごめん!」
「ふじさん、腕折れてるかもしれないんですよ!?」
すると。
「ふふっ」
「…………」
浜谷が止まる。
藤屋だった。
腕を押さえながら。
笑っている。
「ふじさん?」
「ごめん、浜谷くん」
「え?」
高崎と藤屋が顔を見合わせる。
そして。
高崎が笑顔で言った。
「ドッキリでした!」
「…………」
浜谷。
川原。
「ええええええええ!?」
藤屋が普通に腕を動かす。
「大丈夫。折れてないよ」
「え!?」
「なんともない」
「じゃあ、さっきの!」
「演技」
「『折れたかも……』は!?」
「演技」
浜谷は口を開けたまま固まる。
「演技うまぁ」
川原が高崎を見る。
「もう!高崎さん!」
「ごめんって!」
高崎が笑う。
「でも、ちゃんと意味があるんだよ」
「意味?」
「もし店内でお客さんが転んで、骨折したかもしれないってなったら、どうするか」
「…………」
「その時にちゃんと対応できるかの確認」
浜谷が藤屋を見る。
「じゃあ……」
「うん」
「最初から?」
「最初から」
「マジかぁ……」
浜谷は胸を押さえる。
「めちゃくちゃ心配した……」
「ごめんね」
「いや、無事ならいいんですけど……」
浜谷は自分の腕を見る。
「もうサブイボ立ちましたよ!」
「サブイボ?」
高崎が首を傾げる。
川原も。
「なんですか、サブイボって」
「え?」
浜谷が二人を見る。
「サブイボですよ」
「だから、それが何?」
「言いません?サブイボ!」
その時。
事務所の奥から声がした。
「関西やな」
全員が振り返る。
「大倉さん!」
この日。
原町中央店を巡回していた。
エリアマネジャーの大倉だった。
「サブイボっていうのはな」
大倉が高崎と川原を見る。
「関西で鳥肌のことや」
「そうですよね!」
浜谷が嬉しそうに言う。
「俺だけ変な人みたいになってましたよ!」
「浜谷くんも関西やもんな」
「そうなんですよ!」
川原が笑う。
「なるほど」
浜谷はまだ納得いかない顔で藤屋を見る。
「それにしても、ふじさん……」
「ごめんって」
「ほんまに折れたと思ったんですからね!」
「浜谷くんの『バーッとグワーってツルッとボキッ』は面白かったけど」
「忘れてください!」
再び。
事務所に笑い声が響く。
そして。
川原が何かを思い出した。
「あ」
「なんですか?」
「さっきの話」
「さっき?」
「√5」
「ああ」
川原が藤屋を見る。
そして。
浜谷を見る。
「富士山麓オウム鳴くじゃなくて」
「はい?」
「ふじさんにサブイボ立つ、でしたね」
「…………」
浜谷は少し考えた。
「うまい!」
「いや、うまくはないやろ」
大倉が即座に言った。
「えぇ!?」
藤屋が笑う。
高崎も笑う。
川原も笑う。
浜谷だけが。
まだ少し。
サブイボを立てていた。