阿佐野店。
浜谷は密かに焦っていた。
「…………ない」
工具棚の前。
浜谷は、なるべく平静を装いながら工具箱の中を確認していた。
ドライバー。
ニッパー。
プライヤー。
六角レンチ。
「…………ない」
ペンチが。
ない。
ついさっき。
メンテナンスで使った。
間違いなく使った。
そして。
作業が終わったあと。
工具棚へ戻した。
……はずだった。
「どこや……」
小さく呟く。
しかし。
大っぴらに探すわけにはいかない。
もし。
ペンチをなくしたことが。
みんなに知られたら。
「…………」
浜谷の頭の中に。
最悪の未来が浮かんだ。
―――
茂田が腕を組んでいる。
『琉くん!何やってるニダ!』
「す、すみません!」
『工具は大事にしないとダメニダ!』
「はい……」
続いて。
古坂。
悲しそうな顔で浜谷を見る。
『浜谷くん……』
「古坂さん……」
『失望した……』
「そんな……!」
さらに。
樋口。
『浜谷くん』
「樋口さん……」
『頼りにしてたのに……』
「樋口さぁぁん!」
そして。
最後に。
細井。
『浜谷くん』
「細井さん……」
細井は浜谷から目を逸らす。
『浜谷くんなんて、もう知らない……』
「え」
『原町でやってれば?』
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
―――
「浜谷くん?」
「うわっ!」
振り返る。
樋口が立っていた。
「どうしたの?」
「な、何でもないです!」
「今、すごい顔してたけど」
「何でもないです!」
「そう?」
樋口は不思議そうな顔をしながら去っていった。
浜谷は胸を押さえる。
「危なかった……」
特に。
最後の妄想が。
致命傷だった。
「細井さん……」
「何?」
「うわぁ!」
今度は細井だった。
「な、何でもないです!」
「今日の浜谷くん変だよ?」
「いつも通りです!」
「そう?」
細井も去っていく。
浜谷は額の汗を拭った。
「まずい……」
早く。
ペンチを見つけなければ。
浜谷は店内を歩く。
さっき作業した筐体。
ない。
カウンター。
ない。
倉庫。
ない。
工具箱をもう一度。
ない。
「どこ置いたんや……」
記憶を辿る。
メンテナンスをした。
ペンチを使った。
作業が終わった。
工具棚へ戻った。
そして。
「戻したよな……?」
確かに。
戻した。
ような気がする。
「いや、絶対戻した」
だとしたら。
なぜない。
「…………」
工具棚の前で浜谷の顔が青くなる。
まさか。
本当に。
消えた?
その時。
「浜谷くん」
「はい!?」
大澤だった。
「ちょっとどいてもらっていい?」
大澤の手には。
ペンチ。
「…………」
浜谷の目が見開かれる。
「ペンチ……」
「うん」
「それ……」
「さっき使ってた」
「大澤さんが?」
「うん」
大澤は工具棚へペンチを戻す。
カチャ。
「…………」
浜谷は。
ペンチを見つめた。
あった。
なくしていなかった。
自分はちゃんと工具棚へ戻していた。
そのあと。
大澤が別の場所で使っていただけだった。
「…………」
全身から。
一気に力が抜ける。
助かった。
茂田に怒られない。
古坂に失望されない。
樋口にも見放されない。
そして。
細井から。
『原町でやってれば?』
とも言われない。
「よかったぁぁぁぁ……」
浜谷がその場にしゃがみ込む。
大澤が浜谷を見る。
「どうしたの?」
「大澤さん……」
「何?」
浜谷は立ち上がる。
今。
大澤の背中に。
真っ白な翼が見えた。
気がした。
「天使……」
「は?」
「大澤さんが天使に見えます……」
「何言ってるの?」
「ありがとうございます!」
「私、ペンチ使ってただけだけど」
「ありがとうございます!!」
浜谷は天を仰ぐ。
ペンチはあった。
大澤は天使に見えた。
そして。
今の浜谷の心は。
まさに。
天にも昇るような心地。
「ペンチ……」
浜谷は工具棚を見る。
「エンジェル……」
大澤を見る。
そして。
天井を見る。
「ゴートゥーヘブン……!」
「浜谷くん」
「はい?」
「大丈夫?」
「大丈夫です!」
少し離れた場所。
樋口と細井がその様子を見ていた。
「何してるんだろ」
「分かんない」
浜谷は。
そんな二人の視線にも気づかず。
工具棚のペンチを見つめていた。
ペンチ!
エンジェル!
ゴートゥーヘブン!