阿佐野店。
朝。
浜谷が出勤すると。
事務所には矢水がいた。
「おはようございます!」
「おはようございます」
浜谷は荷物を置き。
制服に着替える。
そして。
インカムを装着した。
電源を入れて。
店内へ向かう前に。
ボタンを押す。
『おはようございます!』
事務所に。
浜谷自身の声だけが響いた。
「…………」
矢水が浜谷を見る。
「浜谷さん、今なんか言いました?」
「え?」
「インカムの電源ついてます?」
「ついてますよ?」
浜谷は自分のインカムを見る。
ちゃんと電源は入っている。
「おかしいな……」
そして。
矢水を見る。
「…………」
「何?」
「矢水さん」
「はい」
「インカムの耳、ついてませんよ!」
「え?」
矢水が自分の耳を触る。
何もない。
インカム本体だけ腰につけていた。
「あ! ほんとだ!」
「そりゃ聞こえないですよ!」
矢水は笑いながらイヤホンを耳につけた。
「やだぁ!ごめんなさい!」
「大丈夫ですよ!」
朝から。
少し不安だった。
開店後。
浜谷がクレーンゲームコーナーを巡回していると。
景品を持った矢水がやってきた。
「浜谷さん、これどこだっけ?」
「それなら向こうの台ですよ」
「あ、そうだった」
矢水が歩いていく。
しかし。
数秒後。
浜谷の横を再び通過した。
「…………」
「矢水さん」
「はい?」
「そっちじゃないです」
「あれ?」
「向こうです」
浜谷が指を差す。
「あっちか!」
「今、僕が言いましたよね!?」
「聞いたんだけどね」
「じゃあ、なんで反対に行ったんですか!」
矢水は笑いながら方向転換した。
しばらくして。
カウンター。
茂田が書類を確認している。
古坂と樋口も近くにいた。
そこへ矢水がやってくる。
「これ、茂田さんに渡してって言われたんだけど」
茂田が顔を上げた。
「誰に?」
矢水が止まる。
「…………」
「矢水さん?」
「誰だっけ?」
「そこ忘れたら一番ダメニダ!」
古坂が笑う。
「誰から預かったの?」
「ちょっと待って。思い出すから」
樋口も笑いながら言った。
「渡す相手は覚えてたんだ」
「そこは覚えてる」
「半分だけ完璧」
「完璧ではないニダ!」
そこへ浜谷が戻ってきた。
「何してるんですか?」
古坂が答える。
「矢水さんが、誰から預かったか忘れたって」
「またですか」
「またって何よ」
矢水が浜谷を見る。
「朝から結構やってますよ!」
「そんなに?」
「イヤホンつけずにインカム聞こえないって言ってました」
茂田が吹き出した。
「矢水さん!」
「朝はまだ頭が起きてなかったの!」
樋口が言う。
「今は?」
「起きてる」
その時。
矢水が持っている書類を見て。
細井が言った。
「あ、それ私です」
全員が細井を見る。
「さっき矢水さんに、茂田さんへお願いしますって渡しました」
矢水が指を差した。
「そう!細井ちゃん!」
「忘れられてたんですか、私?」
「ごめん!」
「結構喋りましたよね!?」
「喋った!」
「そこは覚えてるんですね!」
笑い声が広がった。
午後。
今度は矢水が景品の入れ替えをしていた。
浜谷が横を通る。
「矢水さん」
「どうしたの?」
「今度は大丈夫ですか?」
「何が?」
「何か忘れてないですか?」
「大丈夫」
「本当に?」
矢水は自信満々に頷いた。
「ちゃんと確認したから」
「なら安心ですね」
浜谷が立ち去ろうとする。
「あ、浜谷さん」
「はい?」
「私、何確認したんだっけ?」
「知らないですよ!!」
近くにいた細井が吹き出した。
古坂も笑っている。
「まいっちゃうね、瑠璃子先生」
「先生じゃないよ!」
矢水が笑う。
浜谷は首を横に振った。
「矢水さん、今日絶好調ですね」
「何が?」
「天然が」
「天然じゃないから!」
「イヤホンなしでインカム聞こうとした人が言ってますよ」
「朝のことまだ言うの?」
そこへ茂田が通りかかった。
「矢水さんー!」
「何?」
「インカム聞こえてるニダ?」
矢水は耳を触る。
イヤホンは。
ちゃんとついている。
「聞こえてる!」
「成長したニダ!」
「朝から何も成長してない!」
阿佐野店。
仕事はきちんとこなす。
頼まれたこともやる。
だけど。
たまに何かが抜けている。
そんな矢水に。
今日もみんな。
まいっちまうのであった。