阿佐野店。
ある日の午後。
カウンターで細井と話していた浜谷が、どこか自慢げに言った。
「細井さん」
「何?」
「僕、大学でフランス語やってるんですよ」
「へえ」
「…………」
浜谷が細井を見る。
「反応薄くないですか?」
「だって大学生なんだから、そういう授業もあるでしょ?」
「もうちょっと『すごーい!』とかないんですか?」
「すごーい」
「棒読み!!」
細井が笑った。
「じゃあ何か喋ってみてよ」
「フランス語ですか?」
「うん」
「えー……」
浜谷は考える。
授業ではいろいろ習った。
挨拶。
数字。
簡単な会話。
文法。
しかし。
いざ突然喋れと言われると。
何も出てこない。
「…………」
「浜谷くん?」
「ちょっと待ってください」
「本当に勉強してる?」
「してますよ!!」
浜谷は必死に記憶を探った。
そして。
「あ!」
思い出した。
「トワ・エ・モア」
「何それ?」
「僕、これ好きなんですよ」
「どういう意味?」
浜谷は少し得意げになる。
「私とあなた」
「へえ」
「なんかいいでしょ?」
「急にオシャレだね」
「フランス語ですから!」
そこへ樋口がやってきた。
「何の話?」
「浜谷くんがフランス語自慢してる」
「自慢じゃないですよ!」
「何て言ったの?」
樋口に聞かれ。
浜谷はもう一度。
「トワ・エ・モア」
「意味は?」
「私とあなたです」
「へえ」
今度は古坂もやってきた。
「何?」
「浜谷くんがフランス語喋れるんだって」
細井が言った。
「だから話が大きくなってる!!」
「喋ってみて」
「古坂さんまで!?」
「せっかくだから」
浜谷は少し照れながら。
三度目。
「トワ・エ・モア」
「どういう意味?」
「私とあなた」
「それしか知らないの?」
「他にも知ってますよ!!」
その声を聞いて。
矢水もやってきた。
「何盛り上がってるの?」
「浜谷くんのフランス語講座」
樋口が言った。
「いつから講座になったんですか!」
「先生、お願いします」
矢水が笑う。
浜谷は完全に引くに引けなくなった。
「だから……トワ・エ・モア」
「私とあなた」
細井が先に答えた。
「あっ!細井さん覚えた!」
「もう三回聞いたからね」
「優秀な生徒ですね」
「先生が一個しか教えてくれないから」
「他にもありますって!」
その時。
高村がやってきた。
「みんな集まってどうしたの?」
「あ、高村さん」
浜谷が振り返る。
「今、フランス語の話してたんですよ」
「フランス語?」
「僕、大学で勉強してるんです」
「あら、すごいじゃない」
浜谷の顔が明るくなる。
「ほら!!」
細井を見る。
「これですよ!僕が欲しかった反応!」
「よかったね」
「細井さんも見習ってください!」
高村が笑う。
「何か覚えたの?」
「はい。いろいろありますけど」
浜谷は少し得意げに。
「僕が好きなのは『トワ・エ・モア』です」
「トワ・エ・モア?」
「私とあなた、って意味です」
「素敵ねえ」
「ですよね!」
ようやく。
浜谷が求めていた反応が返ってきた。
しかし。
その横で細井が。
高村を見る。
「百合枝さん」
「何?」
「百合枝さんだったら、ユリ・エ・モアですね」
「…………」
浜谷が細井を見る。
樋口が吹き出した。
古坂も笑う。
矢水も意味を理解して笑い始めた。
高村だけが首を傾げる。
「ユリ・エ・モア?」
細井が説明する。
「百合枝さんと、あなた」
「ちょっと待ってください!」
浜谷が割って入る。
「そんなフランス語ないですよ!」
「でもユリ・エ・モア」
「百合枝さんの『ユリ』を無理やり入れただけじゃないですか!」
高村が笑う。
「あら、私のフランス語?」
「違います!」
「いいじゃない。ユリ・エ・モア」
「高村さんまで気に入らないでください!」
古坂が高村を見る。
「なんか似合ってる」
「似合うとかあるんですか!?」
樋口も笑う。
「オシャレじゃん」
「元の言葉はオシャレなんですよ!」
「ルリ・コ・モア」
矢水が言った。
「増やさないでください!」
「トミ・コ・モア」
古坂。
「応用しないでください!」
「ホソ・イ・モア」
細井。
「名字になった!」
「絵菜だと語感悪いからね」
「レ・ミ・モア」
引く
「語感悪すぎる!!!」
高村は楽しそうに笑っている。
「私、フランス語できるようになった気分」
「高村さん、それフランス語じゃないですから!」
「浜谷くんが教えてくれたんじゃない」
「僕が教えたのはトワ・エ・モアです!」
「似たようなものじゃない?」
「全然違います!!」
しばらくして。
それぞれ仕事に戻った。
浜谷もクレーンゲームコーナーへ向かう。
その途中。
後ろから細井の声がした。
「浜谷くーん」
「はい?」
振り返る。
細井は高村の隣に立っていた。
そして。
高村を指差す。
「ユリ」
次に。
浜谷を指差す。
「エ・モア」
「もうええわ!!」
阿佐野店。
浜谷が大学で学んだフランス語は。
この日。
一つだけ。
妙な形で。
みんなの記憶に残った。