阿佐野店。
朝。
いつもと。
少し空気が違った。
「…………」
高村がクレーンゲームを確認している。
いつもより。
念入りに。
「…………」
茂田も店内を見回している。
いつもより念入りに。
そして大倉まで。
朝から阿佐野店に来ていた。
「ここ、もうちょい見といた方がええな」
「そうニダ」
浜谷はその様子を見ていた。
「今日、なんかあるんですか?」
茂田と高村が浜谷を見る。
「来るニダ」
「誰がですか?」
高村が答えた。
「事業部長」
「事業部長?」
「栃木さん」
「…………」
浜谷はまだ会ったことがなかった。
一方。
矢水はいつも通りだった。
「今日、栃木さん来るんだ」
「矢水さん、余裕ですね」
「私、午前までだから」
「逃げる気だ!」
「逃げるんじゃないよ!」
矢水が笑う。
「勤務が終わるだけ!」
そして。
昼前。
「じゃあ、お疲れ様でした!」
「お疲れ様です!」
矢水はいつも通り帰っていった。
浜谷がその背中を見る。
「いいなぁ……」
「何が?」
細井が聞く。
「何でもないです」
そこへ。
樋口がやってきた。
「浜谷くん、栃木さん初めてだよね?」
「はい」
「私も初めて会うの!それで、噂の話なんだけど」
樋口が少し声を落とす。
「怖いらしいよ」
「え?」
細井も反応する。
「怖いんですか?」
「厳しいって聞いたことある」
「…………」
浜谷と細井が。
顔を見合わせた。
浜谷は店舗のパソコンを見る。
事業部のチャットを開いた。
栃木から。
過去に送られているメッセージ。
『どこの店も展開方法がいい加減なブースがありますね』
「…………」
次。
『連休なのに景品がないなんてことがあるんですか?』
「…………」
さらに。
『ミスした時は次回以降ミスしないための改善案を提出してください。適当なこと書いてれば即刻突き返しますので。』
浜谷が。
ゆっくりスマートフォンを下ろす。
「怖ぁ……」
「怖ぁ……」
細井と重なった。
文章しか知らない。
顔も知らない。
声も知らない。
だからこそ。
想像だけが膨らんでいく。
「めっちゃ厳しそうじゃないですか」
「ね」
「ブース見て、ここダメって言われたらどうします?」
「直すしかないでしょ」
「僕、直接怒られたら泣くかもしれないです」
「その時は見ててあげる」
「助けてくださいよ!」
その頃。
大澤がスマートフォンを確認していた。
「栃木さん、今原町を出たって」
空気が変わった。
「来るニダ!」
「いよいよだね」
大倉が時計を見る。
樋口と大澤は。
交通情報を確認する。
「今、混んでる?」
「この辺がちょっと混んでますね」
「じゃあ……」
原町から阿佐野までの移動時間。
道路の混雑状況。
現在時刻。
二人が計算する。
「このくらいじゃない?」
「たぶん、その辺ですね」
「なんで事業部長の到着予想してるんですか!」
浜谷が言う。
「心の準備だよ」
「必要ですけど!」
そこから。
阿佐野店は。
さらに慌ただしくなった。
高村と細井はクレーンゲームのガラスを拭く。
「ここも」
「はい!」
キュッ。
キュッ。
樋口と大澤は景品の位置を確認。
「ここ、もう少し前かな」
「そうですね」
展開方法も。
もう一度確認する。
浜谷も。
クレーンゲームを巡回していた。
その時。
「あ」
足が止まる。
「取れてる……」
クレーンゲームの部品が。
一つ外れていた。
「なんで今日なんだよ!」
浜谷はすぐに工具を取りに急足で向かった。
よりによって。
事業部長が来る日。
よりによって。
もうすぐ来る時間。
「頼むから直ってくれ……!」
工具を使う。
部品を戻す。
動作を確認する。
「よし!」
直った。
「間に合った!」
浜谷は工具を持って。
急いでバックヤードへ向かう。
しかし、工具棚が散らかっていたため、片付ける。
「ちゃんとしておいた方がいいよな…」
「これ戻して……」
その時。
インカムから。
茂田の声が聞こえた。
『栃木さん帰ったよー!』
「え!?」
浜谷が固まった。
「帰った!?」
急いで売り場へ戻る。
そこには。
いつもの阿佐野店。
栃木の姿は。
もうなかった。
「え、来たんですか?」
細井が振り返る。
「来たよ」
「いつ!?」
「浜谷くんが裏に行ってる間」
「そんなピンポイントで!?」
浜谷は辺りを見る。
本当に。
もういない。
「どんな感じでした?」
「普通に挨拶したよ」
細井が答える。
茂田と大倉にも挨拶をして。
店内を軽く確認して。
そして。
そのまま帰っていったらしい。
「え……」
浜谷は朝からの出来事を思い返す。
いつも以上に念入りな巡回。
ガラス拭き。
景品の手直し。
展開方法の確認。
交通情報。
到着時刻の予想。
そして。
突然の修理。
あれだけ。
身構えていたのに。
「僕、見てもいないんですけど」
「タイミング悪かったね」
細井が笑う。
「で、どうでした?」
浜谷が聞く。
細井は少し考えて。
言った。
「意外と普通のおじさんだった!!」
「マジですか!?」
朝から。
勝手に膨らませていた。
怖い事業部長の姿。
それは。
浜谷の頭の中だけに存在していた。
「じゃあ、僕は何に怯えてたんですか……」
「事業部チャット?」
「文章って怖いですね……」
細井が笑う。
襲来。
事業部長。
阿佐野店総出で。
その時を待ち構えた。
しかし。
浜谷にとっては。
襲来したことすら。
確認できないまま。
事業部長は。
サクッと帰っていった。