原町中央店。
「…………」
浜谷が、明らかに疲れていた。
店内を巡回している。
仕事はしている。
呼ばれれば普通に対応するし、接客にも問題はない。
ただ。
いつもの浜谷に比べて、明らかに元気がなかった。
それに気づいた川原が声をかける。
「浜谷さん、最近疲れてません?」
「疲れてます」
即答だった。
「やっぱり」
近くにいた石村も浜谷を見る。
「ちゃんと寝てる?」
「……一応」
「何時間くらい?」
「昨日は三時間くらいです」
「寝てないじゃないですか」
川原が呆れる。
「何してるんですか?」
「大学ですよ。最近、研究が忙しくて」
浜谷は小さく欠伸をした。
「卒業研究なんで仕方ないんですけど、データの処理が全然終わらなくて」
「大変ですね……」
「まあ、こればっかりはやるしかないです」
浜谷は笑った。
けれど。
その笑顔にも、どこか疲れが見える。
少し離れたところから、その様子を茂田が見ていた。
最近の浜谷は、ずっとこんな感じだった。
勤務。
大学。
帰れば研究。
また大学へ行って、勤務。
冗談を言うことはある。
誰かの話を聞いて笑うこともある。
それでも。
腹の底から笑っている姿を、最近あまり見ていなかった。
「琉くん」
「はい?」
「無理しすぎないようにニダ!」
「ありがとうございます」
浜谷はいつものように答えた。
その日の勤務も終わった。
夜の浜谷のアパート。
パソコンの画面には、研究で集めた大量のデータ。
「…………」
浜谷は机に向かっていた。
数字を確認する。
入力する。
また確認する。
「終わらん……」
座椅子の背もたれに身体を預ける。
眠い。
疲れた。
でも、やらなければ終わらない。
再び画面へ向かおうとした時。
スマートフォンが震えた。
「ん?」
茂田からだった。
メッセージが一件。
そして動画が一つ。
『元気出すニダ!』
「……なんだ?」
浜谷は動画を開いた。
画面に映ったのは。
緑色のうさぎのぬいぐるみ。
「…………」
うさぎが揺れ始めた。
そして。
『げ〜んき〜を〜だ〜す〜ニダ〜♪』
「…………」
茂田の声だった。
「ふっ」
開始数秒。
もうダメだった。
緑のうさぎが、茂田の声で歌っている。
しかも。
操り方が妙に雑だった。
首が。
完全に座っていない。
歌に合わせて左右へ揺れるたび、うさぎの頭がガクン、ガクンと倒れる。
『琉く〜ん♪げ〜んき〜を〜♪』
「ちょっ……!」
浜谷が笑い始める。
その時。
うさぎの手らしき部分が、横に置いてあった小さなマイクにぶつかった。
ゴトッ。
マイクが倒れる。
『あっ』
動画の中から茂田の素の声。
数秒の沈黙。
『ふふっ……』
茂田まで笑い始めた。
『ちょっと待って、倒れたニダ……ふふふっ!』
うさぎの首は相変わらずガクガクしている。
マイクは倒れたまま。
そして茂田は笑って歌えなくなっている。
「ハハハハハ!!」
浜谷も耐えられなくなった。
机に突っ伏す。
「なんやねんこれ……!」
動画はまだ続いている。
『げ……元気……ふふっ……元気出すニダ……!』
「無理無理無理!」
久しぶりだった。
息が苦しくなるほど笑ったのは。
研究のことも。
溜まったデータも。
明日の予定も。
その数分だけは、全部頭から消えていた。
動画が終わる。
画面には再び。
大量の研究データ。
けれど。
さっきまでとは少し違って見えた。
浜谷は茂田へ返信した。
『ありがとうございます。死ぬほど笑いました』
すぐに既読がつく。
『笑ったならよかったニダ!』
浜谷はまた少し笑った。
翌日。
原町中央店。
「茂田さん」
「なにニダ?」
「昨日の動画、なんだったんですか?」
「元気出た?」
「めちゃくちゃ元気出ましたけど」
川原が反応する。
「動画?」
石村も浜谷を見る。
「何の動画?」
浜谷はスマートフォンを取り出した。
「見ます?」
「見たいです」
「ちょっ、琉くん!」
「ダメニダ!」
「じゃあ!」
「『げ〜んき〜を〜だ〜す〜ニダ〜♪』」
浜谷が急に歌い出す。
川原が吹き出した。
「何それ!」
石村も笑う。
「病んでる?」
「琉くん、やめるニダ!」
昨日まで。
疲れ切っていた浜谷。
今日も大学へ行けば、卒業研究が待っている。
忙しさが消えたわけではない。
寝不足だって、すぐには解消しない。
それでも。
今日は昨日より、少しだけ笑えていた。
その理由は。
首の座っていない。
歌う緑のうさぎ。
そして。
それを操りながら、自分まで笑ってしまった店長。
ほんの数分のくだらない動画が。
疲れ切った浜谷を救ってくれた。
茂田さんの緑のうさぎは。
この日だけは確かに。
浜谷の救世主だった。