ある日の朝礼。
原町中央店のスタッフが事務所へ集まる。
いつもなら「おつかれさまぁ〜ず!」と元気よく始まる朝礼だったが、この日は少し違った。
茂田は一枚の書類を手に、いつもより静かな表情をしていた。
「今日はみんなに話があります。」
その一言で、事務所の空気が張りつめる。
浜谷は思わず背筋を伸ばした。
茂田はゆっくりと口を開く。
「来月から、私――阿佐野店へ異動することになりました。」
一瞬、音が消えたようだった。
「……え?」
浜谷の声が漏れる。
高崎は目を丸くし、藤屋は言葉を失う。
相馬と武藤は顔を見合わせ、古坂は思わず聞き返した。
「店長……原町中央店を離れちゃうんですか?」
石村は何も言わず、じっと茂田を見つめている。
その中で、一人だけ落ち着いている人物がいた。
山神だった。
「おぅ。」
浜谷は思わず振り向く。
「山神さん、驚かないんですか?」
山神は短く答える。
「昔な。」
「俺も阿佐野店にいた。」
「……えっ?」
さらに続ける。
「千歌ちゃんも阿佐野だった。」
浜谷たちはさらに驚いた。
「そうなんですか!?」
茂田は少し照れくさそうに笑う。
「店長になる前は、阿佐野店で働いてたんだ。」
「冠には、その頃からお世話になってる。」
山神は小さくうなずく。
「昔の話だ。」
そのやり取りに、浜谷は胸の奥がざわついた。
(知らない時間が、こんなにあるんだ……)
茂田はそれ以上は語らず、書類を閉じた。
「詳しいことは、また後で話すね。」
それだけ言って、朝礼は終わった。
⸻
朝礼後。
休憩室はその話題でもちきりだった。
「阿佐野店って、隣のお店だよね?」
高崎が言う。
石村がうなずく。
「ああ。車ならすぐだ。」
「同じ事業部でも、一番付き合いの多い隣店だな。」
浜谷は少しだけ安心する。
「遠くへ行くわけじゃないんですね。」
「そうだな。」
石村は続ける。
「ただ――毎日顔を合わせるとは限らなくなる。」
その言葉に、浜谷の胸が少し締めつけられた。
古坂もぽつりとつぶやく。
「店長がいない原町中央店なんて、想像できないなぁ……。」
相馬も静かにうなずいた。
「みんな同じ気持ちだね。」
⸻
昼休み。
浜谷は思い切って茂田に声をかけた。
「店長。」
「阿佐野店って、どんなお店なんですか?」
茂田は少し遠くを見るように笑う。
「原町中央店とは、ちょっと雰囲気が違うかな。」
「でも、いいお店だよ。」
「私にとっては、原点みたいな場所。」
浜谷はうなずく。
「そうだったんですね。」
茂田は一瞬だけ言葉を選ぶようにしてから、ふっと笑った。
「……まだ、全部は話してないけどね。」
「え?」
「続きは、閉店後に。」
それだけ言うと、茂田は仕事へ戻っていった。
浜谷はその背中を見送りながら、胸のざわつきが消えないのを感じていた。
(まだ何かある……?)
⸻
閉店後。
再び全員が事務所に集められた。
朝と同じ書類が、茂田の手にある。
「朝の話だけど。」
「途中までしか言ってなかったね。」
スタッフ全員が息をのむ。
茂田は一度、全員の顔を見渡した。
そして、ゆっくりと口を開く。
「正式な辞令は――」
一拍、間を置く。
「原町中央店と阿佐野店の、兼任店長です。」
「……え?」
浜谷は理解が追いつかない。
次の瞬間。
「えぇーーーっ!!」
事務所中に驚きの声が響いた。
高崎は思わず笑い出す。
「びっくりしたぁ!」
石村は額に手を当てる。
「最初からそこまで言ってくださいよ……。」
武藤も胸をなで下ろす。
「安心したぁ……。」
相馬もほっとしたように笑う。
「これからも店長と働けるんだね。」
古坂は目を潤ませながら言った。
「本当に良かった……。」
浜谷もようやく笑顔になる。
「朝からずっと不安でした。」
茂田は少し照れくさそうに笑った。
「ごめんね。」
「でも――」
「原町中央店も、阿佐野店も、どっちも大切なお店だから。」
「両方、ちゃんと見ていきたい。」
山神が静かにうなずく。
「おぅ。」
「千歌ちゃんならできる。」
その一言に、茂田は柔らかく笑った。
「ありがとう、冠。」
浜谷はそのやり取りを見ながら思う。
(やっぱり、この二人には長い時間がある。)
(だから、こんなに信頼し合ってるんだ。)
そして同時に、新しい目標が胸に芽生えた。
(いつか、自分も――)
(誰かにそう言ってもらえる存在になりたい。)
原町中央店の新しい毎日が、静かに動き出した。