ある日の朝礼。
営業前の事務所で、茂田がスタッフを見渡した。
「そういえば琉くん。」
「教育実習って、そろそろだっけ?」
名前を呼ばれた瞬間、浜谷の肩がわずかに揺れた。
胸の奥がきゅっと締まるような感覚と同時に、どこか高鳴るものもある。
「……はい。」
少しだけ間を置いてから、浜谷はうなずいた。
「来週から一か月間、地元の学校で教育実習があります。」
言葉にすると、現実味が一気に増す。
楽しみな気持ちと、不安が入り混じって、声がほんの少しだけ硬くなる。
「なので、その間はお休みをいただきます。」
「よろしくお願いします。」
スタッフ全員が浜谷の方を向いた。
その視線を受けて、浜谷は一瞬だけ息を飲む。
――ちゃんとやれるだろうか。
そんな思いが頭をよぎる。
高村が優しく微笑んだ。
「いよいよなんだね。」
「頑張ってきて。」
その柔らかな声に、浜谷の肩の力が少し抜ける。
矢水も明るく続ける。
「浜谷さんなら、きっといい先生になりますよ。」
「……ありがとうございます。」
自然と、少しだけ笑顔が戻る。
樋口は少し寂しそうに口を尖らせた。
「一か月もいないのかぁ。」
「シナモンの話する相手がいなくなる……。」
その一言に、事務所がふっと和やかな笑いに包まれる。
浜谷も思わず吹き出し、緊張がほどけた。
細井も笑いながら言う。
「浜谷くんがいないと、ちょっと寂しいね。」
古坂は静かにうなずいた。
「でも、自分の夢のためだもんね。」
「しっかり勉強しておいで。」
その言葉に、浜谷の胸がじんわりと温かくなる。
――応援してくれてる。
浜谷は深く頭を下げた。
「ありがとうございます。」
その声には、さっきよりもはっきりとした決意がこもっていた。
⸻
その日から浜谷は、引き継ぎを進めていった。
担当しているメンテナンスの巡回内容。
気になっている機械。
最近対応したエラー。
一つひとつ、思い出しながら丁寧にノートへ書き込む。
「ここはちょっとクセがあるから……」
「この台は最近調子が悪くて……」
ペンを走らせながら、頭の中で何度も確認する。
――ちゃんと伝えないと。
――自分がいなくても困らないように。
その思いが、自然と手を動かしていた。
まとめたノートを大澤へ渡す。
「浜谷さん。」
「ここまで書いていただいてありがとうございます。」
大澤はページをめくりながら、感心したように言った。
「一か月くらいなら大丈夫です。」
「安心して行ってきてください。」
その言葉に、浜谷の胸にあった小さな不安が、すっと軽くなる。
「……お願いします。」
思わず、ほっとしたように息を吐いた。
⸻
昼休み。
休憩室で古坂と並んで昼食を食べる。
少し静かな時間の中で、古坂がふと口を開いた。
「浜谷くん。」
「学校の先生って、小さい頃からの夢だった?」
浜谷は箸を止め、少しだけ視線を落とす。
記憶をたどるように、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「はい。」
「ゲームセンターで働くようになって、人と関わる仕事ってやっぱり楽しいなって思ったんです。」
少しだけ笑みを浮かべながら続ける。
「だから教育実習も、ちゃんと頑張りたいです。」
――でも。
心の奥では、小さな不安がまだ消えていない。
――ちゃんと教えられるかな。
――生徒とうまくやれるかな。
そんな思いが、ふとよぎる。
古坂はその表情を見て、優しく微笑んだ。
「浜谷くんなら大丈夫。」
「お客様にも後輩にも優しいもん。」
「きっと生徒にも伝わるよ。」
その言葉が、まっすぐ胸に届く。
浜谷は少し照れくさそうに笑った。
「……ありがとうございます。」
不安の中に、確かな支えができた気がした。
⸻
閉店後。
帰る支度をしていると、茂田が浜谷を呼んだ。
「琉くん。」
その呼び方に、浜谷は少しだけ背筋を伸ばす。
「教育実習も接客と同じ。」
「相手のことをちゃんと見て、相手の立場になって考える。」
「それができれば大丈夫。」
静かで、でも力強い言葉だった。
浜谷は一瞬だけ目を伏せる。
――自分にできるだろうか。
けれどすぐに顔を上げ、大きくうなずいた。
「はい。」
「頑張ってきます。」
その声には、不安と同じくらいの覚悟が宿っていた。
茂田はいつもの笑顔で言った。
「一か月後、また元気な顔を見せて。」
「阿佐野店のみんなで待ってるから。」
その言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。
浜谷はもう一度深く頭を下げた。
「行ってきます!」
声は少しだけ震えていたが、その奥には確かな前向きさがあった。
こうして浜谷は、一か月間の教育実習へ向かうため、地元へ戻ることになった。
不安もある。
でも、それ以上に――やってみたいという気持ちがある。
阿佐野店で学んだことを胸に、新たな挑戦が始まろうとしていた。