朝。
浜谷は目を覚ますと、何気なく「あー」と声を出した。
「……あ゛ー。」
思わず自分で驚く。
声がひどくかすれていた。
喉が痛いわけではない。
咳も出ない。
熱も測ってみたが三六・五度。
体調は普段と何も変わらない。
「なんだこれ……。」
少し気になったが、仕事はできそうだ。
浜谷はいつも通り支度をして、阿佐野店へ向かった。
⸻
「おはようございま……す。」
事務所へ入った瞬間、全員の動きが止まった。
茂田が目を丸くする。
「琉くん、その声どうしたニダ?」
「朝起きたら……こんな感じで……。」
ガラガラとかすれた声が事務所に響く。
矢水は思わず口元を押さえた。
「えっ、びっくりした!」
高村も心配そうに近寄る。
「熱ある?」
「ないです。」
「喉痛い?」
「全然です。」
「咳は?」
「出ません。」
大澤も顔をのぞき込む。
「体調は?」
「普通です。」
「じゃあ今日は無理しないで。」
「はい。」
そのやり取りを聞いていた細井は、浜谷の顔を見ながら必死に笑いをこらえていた。
「……。」
「細井さん?」
「ご、ごめん……。」
「心配なんだけど……。」
「その声だけは……ふふっ。」
浜谷は苦笑いした。
「笑わないでくださいよ。」
「だって、昨日まで普通だったじゃん。」
「自分でもびっくりしてます。」
⸻
営業が始まった。
「いらっしゃいませー。」
浜谷はいつものように挨拶をする。
しかし。
「い゛ら゛っしゃいま゛せ゛ー。」
あまりにもガラガラな声だった。
近くにいた矢水は吹き出してしまう。
「ふふっ!」
「ご、ごめんなさい!」
「その声は反則です!」
高村まで笑ってしまう。
「浜谷さんが喋るたびに笑っちゃう。」
「本人は真面目なのに。」
浜谷は照れくさそうに頭をかいた。
「そんなに変ですか?」
「かなり変。」
細井が即答する。
「なんか別人みたい。」
⸻
しばらくして、お客さんに呼び止められる。
「店員さん。」
「はい。」
ガラガラ。
お客さんは少し驚いた表情を見せたものの、すぐに用件を伝える。
「景品が取りづらくて。」
「かしこまりました。」
浜谷は景品を手直しし、お客さんへ一礼する。
「ありがとうございます!」
対応が終わると、後ろで見ていた茂田が笑っていた。
「接客は完璧ニダ。」
「でも声だけ別人ニダ。」
「もう勘弁してくださいよ。」
浜谷も思わず笑う。
⸻
昼頃。
事務所で休憩していると、大澤がのど飴を差し出した。
「これ。」
「ありがとうございます。」
「治るかは分からないけど。」
「気持ちだけでも。」
浜谷は笑顔で受け取った。
「いただきます。」
すると矢水が話しかける。
「そういえば浜谷さん、カラオケ行った?」
「行ってません。」
「応援で叫びすぎた?」
「叫んでもいません。」
細井が笑う。
「じゃあ寝てる間に誰かと喧嘩した?」
「夢の中でですか?」
事務所は笑いに包まれた。
浜谷も苦笑いするしかない。
「原因が本当に分からないんですよ。」
⸻
午後。
メダルコーナーで、小さな男の子が浜谷に声を掛けた。
「お兄さん。」
「はい。」
ガラガラ。
男の子は目を丸くする。
「お兄さん、ロボットみたい!」
その一言に、近くのお母さんまで笑ってしまう。
浜谷も照れ笑いを浮かべた。
「今日はちょっと声の調子が悪いだけなんだ。」
「そうなんだ!」
男の子は納得したようにうなずき、元気よく走っていった。
⸻
閉店後。
片付けを終え、事務所へ戻る。
茂田が浜谷を見て笑った。
「朝より少し良くなった気がするニダ。」
浜谷は声を出してみる。
「……あ゛りがとうございま゛す。」
まだガラガラだった。
それを聞いた全員がまた笑う。
「全然治ってない!」
「やっぱり面白い!」
浜谷は肩を落とした。
「だから笑わないでくださいって。」
すると大澤が穏やかに言う。
「笑ってるけど、ちゃんと心配してる。」
「明日も治らなかったら病院ね。」
「はい。」
浜谷はうなずいた。
みんなに笑われた一日。
でも、その笑顔の裏には心配してくれる気持ちがあることを、浜谷はよく分かっていた。
「明日には治ってるといいな。」
誰にも聞こえないくらい小さなガラガラ声でそうつぶやくと、浜谷は少しだけ笑顔になった。