ブラックハウリング   作:P-PEN

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Nice to see you again

 

 

 

 

 月明かりすら遮断された湾岸区画の深夜、ひっそりと佇む巨大な密輸倉庫の陰に、一人の少女が潜んでいた。

 

霧鎌(きりかま)メグ。138センチメートル、34キログラムというあまりにも小柄な体躯を包むのは、古風な仕立ての雅な和装である。その和装に相応しく背筋を真っ直ぐに伸ばし、顎を小さく引いている。

 

 すう、と小さく息を吸い込み、メグは気配を断った。今回の依頼は、新興の中華系呪詛犯罪組織『黒曜九頭竜(ヘイヤオ・ジウトゥーロン)』の流通拠点を襲撃し、妨害者たちを排除することだ。

 

 倉庫の裏口には、二人の見張りが立っていた。この組織特有の麻薬と呪詛によって痛覚を無くした改造兵士である。その瞳は怪しく濁り、口元からは独特の薬物の臭気が漂っていた。

 

 この有様でも、キョンシー兵はただ暴れるだけでなく、大陸武術の身体操作を脳に直接呪詛で焼き付けられており、無駄のない極めて鋭い踏み込みと打撃を繰り出し、知覚範囲も通常の人間より広い。

 

 (見つからずにすり抜けるのは無理か)

 

 決断するとメグは音もなく地を滑るようなすり足で、闇に紛れて接近する。

 

 「誰だ――」

 

 見張りの一人が違和感を覚えた瞬間には、すでに手遅れだった。

 

 言葉を発せないメグの代わりに、帯から引き抜かれた精錬黒不浄刀が冷徹に風を切った。漆黒の穢れを帯びた刃が美しい半月を描き、一人の首筋を深く駆け抜ける。

 

 もう一人が慌てて懐の銃に手を伸ばそうとするが、メグは一撃目の勢いを殺さぬまま流れるように踏み込み、刀の柄頭をその顎へと正確に叩き込んだ。

 

 ゴキリ、と骨の砕ける音が響き、脳を揺らされた男が崩れ落ちる。その刹那、メグは着物の袖からもう一本の穢れの刃を突き出していた。自ら編み出した秘剣「袖の下」である。無防備になった男の胸元へ容赦なく穢れを突き刺し、その心臓を呪詛で侵して完全に沈黙させた。

 

 わずか数秒の戦闘。

 

 メグは乱れた着物の合わせを片手で整え、刀の血を軽く払う。まだすべてが付け焼刃ではあるが、まずは綺麗に片付いた。自分の年齢には重い鉄扉を押し開け、倉庫の内部へと潜入していく。

 

 しかし――その防壁は、薄暗い倉庫の奥で「それ」を目撃した瞬間に、音を立てて崩壊することとなる。

 

 ――コツ、と場違いに軽快な靴音が、鉄筋の床に響いた。

 

 「あは、やっぱり。なんか薄汚い子犬の匂いがすると思ったら、おチビじゃん」

 

 暗がりの向こうから歩み出てきたのは、十六歳ほどの少女であった。首元には出力を制限する首輪を嵌め、こちらの神経を逆なでするような薄笑いを浮かべている。

 

 

 ケリー・F・ハウンド。

 

 その顔、その声、その舐め腐った視線が網膜と鼓膜に届いた瞬間、メグの思考は真っ白に弾け飛んだ。視界の端が、急速にドス黒い赤に染まっていく。頭の奥で、何かがぶちりと音を立てて千切れた。

 

 脳裏をよぎるのは、前回の屈辱的な記憶だ。手も足も出ず一方的に叩きのめされ、無力な人形のように弄ばれ、蹂躙されたあの敗北。尊厳を徹底的にすり潰されたあの凄惨な拷問の痛みと、惨めさ――。

 

 言葉の出ない喉の奥で、血の味がした。歯の根が噛み合わないほど奥歯を固く噛み締め、メグはケリーを睨みつけた。

 

 恐怖? 怯え? 逃走本能?そんなものは、今この瞬間に沸裂したどろどろの殺意によってすべて焼き尽くされた。

 

 (殺す。殺す。殺す。殺す殺す殺す殺す――ッ!!)

 

 言葉にならない叫びが、胸の内で狂暴な炎となって吹き荒れる。身体が怒りで激しく打震えた。両拳は着物の袖をちぎらんばかりに固く握りしめられ、爪が掌に食い込んで朱い血を滴らせる。

 

 前回の雪辱を果たす。この目の前の化け物の余裕ぶった面皮を剥ぎ取り、その首を跳ね落として泥の中に叩き落としてやる。

 

 メグは返り血のついた黒不浄刀の柄を、指骨が白く浮き出るほどの力で握り直した。

一歩、足を踏み出す。すり足のしとやかさなど、もうどこにもない。床のコンクリートを削り取るような、狂暴な踏み込み。

 

 声を出せない少女の口元が、憤怒によって歪む。射殺さんばかりの凶暴な視線をケリーの首元へ固定し、メグは弾丸のごとき速度で、一直線に死の刃を手に飛び込んでいく。

 

 対するケリーは、構えすらもしなかった。ただ退屈そうに髪を弄り、終始舐め腐った視線でメグを見下ろしている。それもその筈、かつてメグを蹂躙した時と今のケリーでは首輪に許可されている力の規模が違う。かつて一般の祓魔師程度の最小限にまで絞られていた頃ですら、ケリーはひと筋もの手傷を負う事は無かったのだ。

 

 「いいよ、お掃除ついでに遊んであげる。おチビの牙が、少しはマシになったか査定してあげるからさ」

 

 その言葉が、メグの頭の導火線に火をつけた。間合いを瞬時に詰め、ケリーの首筋へ向けて容赦のない一撃を放つ。死角からの、速度を重視した鋭利な斜め一文字。

 

 ケリーはその場を動かず、彼女の手首から伸びたチェイン《グレイプニル》が、最小限の電磁誘導によって跳ね上がり、黒不浄刀の側面に優しく触れさせる。《グレイプニル》に付与された物理的な力は弱いはずなのに、完璧な角度とタイミングで放たれたその衝撃は、メグの刀の軌道をわずかに狂わせる。刃はケリーの髪一筋かすめることなく、虚しく空を切った。

 

 (――まだ! 動きは、見えている!)

 

 メグの唯一の武器は、殺人鬼の血がもたらす驚異的な記憶力と模倣のセンスだ。

今、ケリーが刃を受け流した時の、独特の重心の移動。電磁の力を骨格に伝えるための、わずかな肩の引き方。それを脳内で一瞬で反写しにし、自身の肉体で再現する。ケリーの足さばきをそのまま完璧に模倣し、狂った軌道から強引に軸を修正して次の一歩を踏み出そうとする。

 

 勝てる。相手の技を盗み、その懐へ――。

 

 そう確信した瞬間、ケリーの目が三日月のように細められた。

 

 「あはは!直線的ねぇ。それ、私のマネの真似(レプリカのレプリカ)だよ?」

 

 ゾッとするほど冷徹な声だった。メグが模倣して踏み込んだまさにその瞬間、ケリーはメグの重心がわずかに前へ傾く瞬間のブレを、メグが動くよりも先に看破していた。

 

 ケリーは、メグが真似た足さばきの構造的な弱点を完全に理解した上で、さらにその先を行く、滑らかで無駄のない体捌きを展開したのだ。

 

 メグが踏み込んだ場所には、もう誰もいなかった。視界から魔女の姿が消える。

 

(しまっ――)

 

 声の出ない口を歪ませた瞬間、視界の真横からケリーの手が伸びてきた。掴まれたのは、メグの着物の襟元。

 

 「人間ってさ、怒ると力は出るけど、身体の使い方がすごく雑になるんだよね。お勉強になった?」

 

 耳元で囁かれる嘲笑。次の瞬間、メグの肉体は人類の解剖学的に最も抵抗しにくい方向へ、最小限の力で斜め下へと引っ張られた。

 

 遠心力と引力の完璧なコントロール。抵抗する間もなく視界が天地逆転し、メグの身体は強烈な衝撃とともに、倉庫の冷たいコンクリートの床へと叩きつけられた。

 

 「ッ――!!!?」

 

 背中を襲う激痛と、肺から強制的に押し出される空気。音にならない悲鳴とともに、手から滑り落ちた黒不浄刀が乾いた音を立てて床を転がっていく。

 

 視界が歪み、口内に広がる血の味にむせ返るメグの顔のすぐ前に、ケリーの靴底がゆっくりと降り立った。

 

 屈辱と憤怒で全身を震わせ、泥まみれになりながら見上げるメグに対し、ケリーは首輪を嵌めたまま、どこまでも退屈そうに髪を指で弄っていた。

 

 出力のハンデを負ったままで、純粋な知性と戦術の最適化(タクティクス)だけで、メグの全力を冷酷にいなしてみせた怪物。

 

 「もっと怒ってよ、おチビ。そうやって不格好に足掻いてくれた方が、観察甲斐があるんだからさ」

 

 見下ろす魔女の瞳に映っていたのは、メグへの恐怖も敬意もなく、玩具を観察する無機質な好意だけであった。

 

 

 

 

 

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