雲一つない天蓋で、高く昇った太陽だけがさんさんと輝いていた。
明るいと言えば聞こえは良いだろうが、こと彼においては、狩人においては、そうと限った話ではなかった。
狩人というのはこの、のどかな平原の上で両目を押さえ、横に倒れたまま両足をばたつかせている黒づくめの男のことである。
「AH BLOODY'ELL!!! AH, OH CURSE IT!! I'M BLIND!!!! AHHHHHHHHHHH!!!!」
察せられる通り、機嫌は良くない。
狩人は狂人である。わけもわからぬままに獣を、もとは人たるそれを狩る腕に迷いは無く、しかし少女一人の死に涙を流し、人形ちゃんに愛着を見せ、かと思えば理性の残る人々を教会へ導いたのと同じ手で罪なき娼婦とその赤子を殺し、臍の緒を奪い取った。
狩人は上位者である。上位者の臍の緒を貪り、立ちはだかるもの悉くを狩り、気づけばイカとなっていた。
だが人形ちゃんに抱っこをしてもらえたのでそれで良いと納得し、暫くはそのままの姿で過ごした。
数年程が経ち、人だった頃の姿を真似られるようになると、狩人は上位者としての姿に戻れなくなった。
狂人といえど──あるいはだからこそ──彼は上位者とて人の思考を捨てきれず、ゆえにそれに縛られたのだ。
要するに、狩人は狩人なのである。
これはこれで人形ちゃんを抱きしめられる。なにより私は人なのだ。
そう言って特段悩むことも無く、狩人は再び人としての生活を享受した。
人形ちゃんとただ静かに過ごすだけの時間を除いても、余暇などいくらでもあった。
従軍経験を持つ彼はもとより技術と筋力の両者において優れていたが、もはや血質も神秘も、極められるものは全て極めてしまったのだ。
ただ聖杯ダンジョンを自作して遊ぶこともあった。別世界の狩人と関わることも好んだ。ある時は手伝い、ある時は手伝われ、そしてある時は死闘に溺れた。
そんなある日p3umyztuでうっかりワープ罠を踏んでみたらこれである。
月の下で数年を過ごし、薄暗い聖杯ダンジョンを松明で照らしてきていたところに突然、春の正午の直射日光を真正面から浴びたのだ。失明していないことが奇跡だろう。
やっと目が慣れてきた狩人。額に右手を掲げたまま、目覚めるようにゆっくりと目を開いていく。
幸い、獣や狂人、上位者の類は居ないようで、目をはっきりと開けられるようになるまでの数分の間にも襲われることはなかった。
狩人は立ち上がると両膝に手をつき、そしてあまりにも長い溜息をついた。
久しぶりに太陽を見られた感動は両目を潰されかけた激痛で完全に吹き飛んでいる。啓蒙まで突然滝のように流し込まれたのだ。まったくたまったものではない。
ぽうぽうと聞き覚えのある音が、すぐ真横から。見れば灯りがあった。使者たちは目を包帯で覆っている。憐れなことだ、光を大切にな。
手馴れた手つきで灯し、辺りを見渡す。遥か遠くに霞んで並ぶ白と灰色の山々、青く輝く巨大な湖。生命全てを祝福して足元からどこまでも遠くまで輝く緑。
……うむ。絶対にヤーナムではないな。狩人は確信した。
まずもって、ヤーナムならば本物の空が映っている筈である。ロマは殺した筈なのだから。
それがどうだろう、この天蓋は。まるでボウルの内側に絵の具で落書きをしたようである。
驚くべきはその精巧さである。落書きとは間違いかもしれない。これは寧ろ、ヨハネス・フェルメールの絵画にあたる類の代物である。本物よりも本物らしいのだ。
ロマと同等か、もしかするとそれ以上の何かが居るのだろう。狩人は確信した。上位者となっていなければ全くもって気が付かなかっただろう。
この状況に至って、狩人はしかし悲観どころか歓喜さえする様子を見せていた。この男が好奇心と探索欲に抗うところなど、そうそう見られるものではないのだ。
何が起ころうと、せいぜい死ぬだけである。一体何を恐れることがあろうか。
少し歩いて小さな丘を越えてみると、道に出た。ただっ広い草原に、どこへともなく獣道が続いている。
ふと、背後から唸り声と僅かな熱気。振り返る。真っ黒な四肢と胴体、そしてその両手の握る黒い棒までが狩人の目に映った。見上げてようやく顔が見れたが、仮面で覆い隠されていた。
少し中腰になっているが、それでなお二メートル半よりさらに一回り程もある巨躯。
顔の左にある白と赤の塊は限界まで熱せられた斧頭であり、そこでようやく狩人は怪物の握りしめているものが戦斧であることに気が付いた。
「……To whom have I the honour of speaki──」
肩から左腰までを両断する軌道。斧が振り下ろされると同時に狩人は前へと傾き、そして──消えた。少なくとも、怪物の視界からは。怪物が困惑するも一瞬、左脚の激痛に唸る。背後である。
ノコギリ鉈。並べられたそれは刃というよりか鈎爪であり、ノコギリとは名ばかりに柔らかく弾力のあるものを巻き取り、削り取る為の代物である。
ふくらはぎ、尻、背筋。鋸歯の届くあらゆる場所をでたらめに削り取る。仕掛けを起動させ、刃が展開する勢いを遠心力として上乗せして怪物の骨を叩き斬る。
その度噴き出す鮮やかな赤が、灰と黒の狩装束を重く濡らしていく。
「あれはっ!」
「人が襲われてるぞっ!」
背後から聞こえた若年と幼子の声を気に留める者はなく。振り向きざまの薙ぎ払いが狩人を襲った。脇を潜るようにして再び躱す。
怪物がそのまま力を込め始めると、狩人はしかしその眼前でうろちょろと足踏みをし始めた。
「回るつもりだ! 逃げて!」
必死に駆け寄りながら叫ぶ青年は遠い丘の上。怪物のあらゆる筋肉が跳ね、縮み、斧の重量と遠心力を衝撃として投げ付ける。少年が手を伸ばす。間に合わない。
だが刹那、爆発する怒鳴り声。声の主は散弾銃で、狩人の左手に握られて、閃光を噴いた反動を腰で殺されていた。
面として、衝撃として殴りかかる水銀弾。それは重心を前傾させる寸前、ほんの一瞬だけ安定を失った怪物の上半身を突き飛ばし、その巨体を跪かせたのだ。
無防備にも曝け出される腹と胸。狩人がおもむろに腕を引いたのも一瞬──怪物の腹に、躊躇なく突っ込んだ。肩を跳ねさせる幼女。少年が思わず足を止める。
激痛に叫ぶ怪物。腹の中で手に触れたもの全てを握り締めると、右肩を渾身の力でぶつけて突き放す。引きずり出される内臓は絡み合い、傍目には粘液を帯びた触手のようにすら見えた。
怪物は立ち上がろうと弱々しく右の掌を空に掲げたと思えば、しかしと言うべきかやはりと言うべきかすぐに力尽きて地面へ落とした。
「……大丈夫?」
第一村人発見! 狩人が振り向くなり視界いっぱいに広がる美麗な顔面。少し強張っている。
金髪を額にかけた顔には幼げがあり、それでいてどこか達観した色があった。黒を基調とした異邦の装束から、引き締まったくびれのあるミルク色の腹と、その中央下にちょこんと開いた臍が丸出しになっている。
性別は不明。だが後ろで編んだ長髪としなやかな体つきを見るに、恐らくは女性だろう。顔もどうも中性的である。
となりでぎゃあぎゃあと喚いている幼児が浮いていたが、それしきのことで今更驚く狩人ではなかった。嘘である。少し啓蒙を得た。
襲ってくる様子はない。奇跡的に、この狩人はこういった際に話を行おうと判断できる程度には理性的であった。
枯れた羽根の三角帽、その先端あたりをつまみ、気持ちほんの僅かに持ち上げる。
「I beg your pardon, sir. Could you spare a moment?」
……反応が無い。
「Forgive me, but I am in a state of utter bewilderment. Pray, what is the name of this place──」
「How the fuck are you speaking English?」
F、何だと。凄まじい罵倒と、幼げのあるものの確かに男性のそれと分かる声に目を丸くする狩人。
酷い訛りで、恐らくは米国のそれだと察した。マスクを下ろし顔を見せる。敵意は無いと伝えると、青年は何かを察したような様子を見せた後、こう言った。
「What year was it the last time you checked the calendar?」
「Pardon, what?」
「The year. What do you think it is?」
狩人の夢において時間に意味は無く、故にカレンダーなど久しく見たことが無かったため、狩人は十秒ほど悩む必要があった。低い唸り声を上げ、苦虫を噛み潰したような顔で答える。
「……1898?」
「Nope」
違ったようである。その場にしゃがみ込んだ青年の隣に座ると、いくつかの話をしてもらえた。
「Yharnam……Sorry, I think I'm not that good at geography」
「No, no, no problem. At all, indeed. Not your fault」
まず、狩人は自身が「モンド」なる国に居ることを知った。テイワットと呼ばれる大陸にある七つの国の内の一つである。
「月」か。狩人は怪訝そうに少し目を細めた。その名から察してドイツの植民地なのかとも聞いたが、違うとあっさり返された。どうやらそもそも地球とは別の星なのだそうだ。
ならばどうして地球を、英語を知っているのかと尋ねてみると、彼自身も別の世界から来たことを伝えられた。
別次元に飛んでいるのなら、なるほど別の星にも飛ぶこともあるだろう。多分。あまり深く考えることもせず納得する狩人。
「おい! 聞けって! さっきからなにもごもご話してるんだよ!」
「ああ、ごめんパイモン。でも──」
「すまない。少し話が立て込んでしまった」
!? 首のちぎれんばかりの勢いで狩人の方へ顔を向ける二人。最初からそう話せよ。困惑するパイモン。母国語が通じるのならそれに越したことはないだろうと狩人が返す。
パイモンと呼ばれる女児の喚き声を聞いているうちに再び啓蒙を得ると、いつの間にか話せるようになっていたのだ。なんとも都合の良い話である。
「えっと、じゃあ、これからはこう話せばいいのかな」
「是非ともそうしてもらいたい。あまりこちらの言語を押し付けるのも無礼だろう」
自身の名を忘れていたために、彼は狩人と名乗るほかなかったが、少年の方も旅人と名乗っていたため特段警戒されることもなかった。
ただしそれは名前に限った話である。先ほど全員が立ち上がってから旅人とパイモンの視線が自身の右手に釘付けになっていることに気付く狩人。
旅人から見ればこうである。灰色のロングコートに三角帽をかぶり、つい先ほどまで黒い布で口と鼻を覆っていた、実に目元しか露出していない全身黒づくめの──ほぼ間違いなく別世界、大英帝国の住人──が、左手に大型の散弾銃を握り、なにより右手に包帯の乱雑に巻かれた巨大なノコギリを垂らしている。
分厚いそれは両刃であった。上段から振り下ろした際相手に当たる部位は鋭利そうな海老鉈となっており、その反対側には悪意の塊のような形状をした鋸歯が並んでいた。
一つ一つが小指の第二関節まで程ある歯の数々は木材を切断するためのそれではなく、明らかにずっと柔らかい何かを巻き取る為の鉤爪状をしている。
絶対に、まともではない。旅人、その真名を「空」という彼は当然すでに確信していた。善人か悪人か、勝てるか、勝てないか。そもそも今目の前に居る存在は人間なのか。
まだ何も分からない。だがどちらにせよ、これがまともな者の得物であって良い筈が無いのだ。
「……それ、何に使うの?」
しばらくの沈黙を、旅人が破った。パイモンはその背中に隠れている。
「もちろん、武器だ。扱いやすいので、よく使っている」
肩を竦めて狩人が答える。旅人がゆっくりと溜息をついたその時。おもむろに狩人が武器を持ち上げる。咄嗟に片手剣を構える旅人。
がしゃんっ。火花と共に、武器が「折り畳まれた」。長い持ち手と同じく長い刀身のつなぎ目、小さな円形の部位。火花を散らしたのはまさにその内に隠された変形機構、「仕掛け」である。
「驚かせてしまったなら謝る。だが、うっかり貴公にぶつけてしまってはいけないだろう」
……なんか目が輝いている。不思議そうに眉間にしわを寄せる狩人。パイモンを背中に隠したまま、旅人は切れ目の入った椎茸のような目で狩人の得物、ノコギリ鉈を見つめている。よだれすら垂らしている。
理由は至って単純。いくら数百の歳を重ねようと、旅人は男の子である。そして男の子は、こういう変形する武器が何よりも大好きなのである。フィッシュル皇女物語にもそう書いてある。
触ってもいいかと震える声で聞かれた。無論、狩人には断る理由も無かった。
震える手で旅人が手を伸ばした時、ふと、狩人の動きが止まった。丘の向こう、暗い森を見つめている。唸る低い声に釣られて旅人まで振り向いた。
旅人が中段に構えるなり、全員が息を呑む。そうして、森の闇より、遂に三つ四つの影がゆっくりと現れた。
「……ふう、なあんだ、脅かすなよ!」
「犬か……」
パイモンに続いて旅人まで胸を撫で下ろす。ただ犬たちは野生化しているようで、彼らが牙を見せると旅人は再び構えることとなった。おまけに数も見えているだけで七を超えている。
あまり傷つけたくはない。勝手に去ってくれると良いのだが。睨み合いの中、パイモンは旅人の後ろにへばりついている。
緊張に負け、犬たちがとうとう吠え始めたのに応じて、旅人は助けを求めて横に目をやり──誰の目にも華麗な五度見を決め込んで背後へ視線を移すこととなった。
「えっあっ、えっ」
「おい!! 逃げたぞあいつ!!」
無駄にフォームの整った狩人の背中がみるみる内に旅人たちの目に小さくなっていく。旅人を素通りしていく犬たちが視界に乱入して、同じく小さくなっていく。
「AH GOOD HEAVENS!! AH GOOD HEAVENS!!」
凄まじい怒号のおかげで、表情は見えずともその剣幕は伝わった。そうこうしているうちにコートの裾に噛みつかれ、仰向けに引きずり倒される狩人。犬たちが群がっていく。
「な、なあ旅人。あれ、大丈夫なのか?」
「あんなに動けるんだよ。いや助けはするけど、べつに大したこと──」
「AHHHHHHHH!!!!!!!!!」
「ごめんやっぱ大したことあるかも!」
血相を変えて旅人が即座に駆け付け、片手剣を振って適当に追い払う。鋭い風を剣に纏わせ、左から右へと水平に一振り。いくつかの旋風を飛ばす。
旅人は彼らを殺す必要を感じなかった。実際、軽く傷を付けられると犬たちはそそくさと逃げ帰っていった。
息を整えた旅人が狩人の方を見やるなり、「Oh……」と尖らせた口元に拳を当てた。パイモンは絶句している。
まず真っ先に顔を噛まれ、砕かれたのだろう。まるで芝刈り機を押し付けられたようで、原型を留めていない。血を吸った黒いマスクに白い歯がいくつか乗っていた。
だが何より酷いのは腹部である。完全に開かれ、めちゃくちゃに食い荒らされている。あとたった今パイモンの吐瀉物が混ざった。
そんな様子なので、狩人がのっそりと上体を起こした際にどれだけの声量で二人が叫んだかは想像に難くないだろう。
「え、っと……大丈夫、なの……?」
「お、お前ぇ……ゾンビだったのか!?」
声帯が食い破られていては話も出来ない。悪態すら付けぬまま、狩人は顔面にぶら下がった右目を摘み、それで自身の状態を確認した。
起き上がった瞬間ぼとぼとと流れ落ちる臓腑と吐瀉物。パイモンの表情についてはもはや表す必要も無い。
ズボンの右ポケットに掌を突っ込んだ狩人が取り出したのは、赤黒い液体の詰まった太い小瓶。先端に生えているこれまた太い針を、狩人は勢いよく自身の太腿に突き立てた。苦い顔を浮かべる旅人。
するとどうだろう、みるみるうちに傷口が塞がっていくではないか! 腹部が塞がると同時に、飛び出していた内臓も千切られた。念のためもう二本ほど輸血液を使った頃、狩人はもうすっかり元気な様子を取り戻していた。
「見苦しいところをすまない」
狩人の言葉に、旅人は静かに頷くのみであった。あんまり詳しく聞きたくなかったのだ。パイモンは既に串焼き肉を頬張っていた。大したものである。
ゼンゼロ×ブラボの方をメインに書くつもりなので投稿頻度は低めになると思います。