個性『何もない』 作:I love you
翌日。雄英高校1年A組のカリキュラムは、何事もなかったかのように消化されていく。
午前の座学を終え、やってきた午後の時間。それは、生徒たちが最も心待ちにしていた特別授業だった。
「私が!! 普通にドアから来た!!」
ドカン、と教室の扉が開かれ、眩いばかりの金髪と圧倒的な筋肉を誇る巨躯が飛び込んできた。言わずと知れた平和の象徴――オールマイトだ。
「すげえええ! 本当に教師やってんだ!」
「銀時代のコスチュームだ! 鳥肌立つぜ!」
教室が沸き立つ中、私は美少女の擬態を崩さず、静かに彼を見つめていた。
オールマイト。世界最強のヒーロー。
彼の放つ圧倒的な生命の正気とでも呼ぶべき光芒は、私のような歪な怪物の存在を根底から否定するかのようだった。彼の前に立つだけで、皮膚の裏側にある赤黒い肉が、威圧感に押されて僅かに縮み上がるのを感じる。
「さて、今日のヒーロー基礎学はこれだ!」
オールマイトが提示したのは、『BATTLE』と書かれたカード。
「屋内対人戦闘訓練!!」
クラスのボルテージが最高潮に達する。
「そして! それに伴い……これだ!」
壁から、番号が振られた複数のラックが押し出されてくる。
「入学前に出してもらった個性届と要望に沿って発注した『コスチューム』!! 着替えたらグラウンドβに集合だ!」
「「「はーーーい!!」」」
◇
更衣室で、私は自分に与えられたラックを開けた。
中に納められていたのは、純白のドレスコートのようなデザインのコスチュームだった。一見すれば、可憐な少女の魅力を引き立てる美しい衣装だ。
だが、その実態は違う。
(……うん、完璧ね)
私は周囲の目を気にしながら、個室の更衣ブースに入り、衣装を身に纏う。
実は、このコスチュームは雄英のサポート企業に作らせた本物の衣服ではない。私は発注時、特殊な生体繊維を用いて、私の肉体変形に追従・同化する衣装というコスチューム案を提出し、実際のコスチュームは私自身の肉の一部を変色・硬化させて自前で作り上げている。
腕を巨大な刃に変形させようが、肉を肥大化させようが、この衣装は私の皮膚の一部なのだから絶対に破れない。衣服すらも私の擬態の一部。人間らしさを装うための、完璧な檻だ。
グラウンドβに集合した生徒たちは、各自の個性溢れるヒーローコスチュームに身を包んでいた。
「格好から入るってのも大切なことだぞ少年少女! 自覚するのだ! 今、君たちはヒーローなのだから!」
オールマイトが胸を張り、笑い声を響かせる。
その中で、私の姿を見た男子生徒たちから、小さな吐息が漏れた。
白を基調とした洗練された装い。夜の闇のような黒髪と白磁の肌、そして純白のコート。まるで戦場に降り立った一輪の花のような儚さを演出している。
「人皮さん、すっごく可愛い……!」
麗日お茶子が目を輝かせて駆け寄ってくる。
「ありがとうございます、麗日さん。麗日さんのコスチュームも、丸みがあってとても素敵ですよ」
私は口元に可憐な微笑を浮かべ、完璧にヒトを演じ切る。
だが、そんな会話の途中、ふと視線を感じた。
視線の主は、鳥のような頭部を持つ少年――常闇踏陰だった。
彼の肩口から、影のような意志を持つ個性:ダークシャドウがぬっと顔を出す。しかし、ダークシャドウは私の姿を見た瞬間、ギャッと短い悲鳴を上げた。
「……? どうした、ダークシャドウ」
常闇が不審そうに肩の影を撫でようとするが、ダークシャドウは怯えたように震え、常闇の身体の中へ逃げ込もうとする。
「い、嫌だ……あいつ、違う……! 生きてない……! 人間じゃない、化け物だァ……!!」
「なっ……何を取り乱しているのだ! 落ち着け!」
ダークシャドウの怯えようは尋常ではなかった。
生物の生命や精神の揺らぎを敏感に感じ取る影の個性に、私の皮膚の裏側にある「 何もない 」の異質さが捉えられてしまったらしい。
「何か、ごめんなさい……私が、少し怖がらせてしまったかしら?」
私は申し訳なさそうに眉をひそめ、首をかしげてみせた。
常闇は慌てて首を横に振る。
「いや……すまない、人皮さん。我が影が非礼を働いた。お気に病まないでくれ」
「ふふ、いいのよ」
私は優しく微笑む。だが、内心では冷や汗をかいていた。やはり、野生的な勘や特殊な知覚を持つ相手には、私の擬態は完璧とは言い難い。
「さあ! チーム分けだ!」
オールマイトの声が響き、訓練の説明が始まった。
今回の訓練は、ビル内に隠された核兵器を巡る、ヒーロー組とヴィラン組に分かれた2対2の屋内戦。
ヴィラン組は核兵器を防衛するか、ヒーロー組を時間内に全滅させれば勝ち。ヒーロー組は核兵器を回収するか、ヴィラン組を捕獲すれば勝ち。
くじ引きの結果、私が配属されたのはチームI。
ペアとなったのは、奇しくも先ほど私に怯えていた、常闇踏陰だった。
そして、私たちの対戦相手(ヴィラン組)として選ばれたのは、チームB――切島鋭児郎と、瀬呂範太のふたりだった。
「よろしくね、常闇くん」
「……うむ。不甲斐ない姿を見せたが、足引っ張りはせん。よろしく頼む」
常闇はまだダークシャドウの動揺を引きずっていたが、凛とした態度で頷いた。
「第1試合はチームA(緑谷・麗日)vs チームD(爆豪・飯田)! 他の者はモニター室へ移動!」
緑谷と爆豪の、激甚を極めた壮絶な戦闘が繰り広げられた第1試合が終わり、ビルの一部が崩落するほどの熱狂が去った後、いよいよ私たちの番(第3試合)がやってきた。
私たちは『ヒーロー組』。相手の切島と瀬呂は『ヴィラン組』として、5階建てのビルの最上階に核兵器を設置し、待ち構えている。
「作戦はどうする、人皮さん」
ビルの潜入ルートの前で、常闇が尋ねてきた。
「そうですね……切島くんの硬化も、瀬呂くんのテープも、狭い屋内では非常に強力です。ですが、私の肉体変形なら、どんな狭窄地帯でも正面から突破できます。私が前衛を務めますので、常闇くんはバックアップをお願いできますか?」
「……承知した。影の索敵で敵の位置を探ろう」
「お願いします」
ビルの中へと一歩足を踏み入れた瞬間、私の中で戦闘モードのスイッチが入った。
皮膜の下で、膨大な肉がギチギチと音を立てて高密度に圧縮されている。無数の目が皮膚の裏側で蠢き、全方位の空気の振動、温度、臭いを感知し始める。
(個性と見られる範囲で、処理する)
それが今回のミッションだった。
◇
ビル3階の廊下。
静寂が支配する吹き抜けの空間に辿り着いた時、頭上から一気に影が落ちてきた。
「もらったぁ!!」
豪快な叫びとともに、天井の陰から躍り出てきたのは、全身を岩のようにゴツゴツと硬化させた切島鋭児郎だった。
彼の硬化した拳が、容赦なく私の顔面――正確には、顔面を模した部位へと叩きつけられる。
「人皮くん!!」
後ろから常闇の悲鳴のような制止が飛ぶ。避けられない完全な不意打ち。硬化された男の拳が、私の顔面にクリーンヒットした。
ドゴォンッ!!!!
重苦しい打撃音が廊下に響き渡り、衝撃波で周囲のガラス窓が激しく振動した。普通の少女であれば、頭部が吹き飛ぶか、重度の脳揺れを起こして即死するレベルの一撃。
しかし――。
「……え?」
切島が、目を見開いて硬直した。
私の顔は、1ミリすら動いていなかった。
叩きつけられた切島の拳の衝撃は、私の皮膚の裏側にある
ダメージゼロ。痛覚すらない。
「な……なんだこれ……!? カチカチの拳で殴ったのに、手応えが……まるで、巨大な沼を殴ったみたいに……!?」
切島が慄き、後ずさりしようとする。
私は、無表情のまま彼を見つめた。
人間の男が全力で殴ってきたというのに、私の「皮」は破れもしなければ、傷一つついていない。
(……あ、いけない)
私は慌てて、後から衝撃で吹っ飛ばされた振りをして、一歩だけ後ろに足を引いた。
「っ……! すごいパンチですね、切島くん。でも、私の肉体は非常に高密度で、打撃の衝撃を吸収してしまうんです」
可愛いらしい声でそう言い訳を添えるが、切島の額からは冷や汗が噴き出していた。彼の野性的な直感が「今のはそういうレベルの話ではない」と叫んでいるからだ。
「切島! 後ろに引け! 俺が拘束する!」
廊下の奥から、瀬呂範太が両肘から大量のセロハンテープを射出してきた。粘着性のテープが、私の両腕と胴体を一瞬でぐるぐる巻きにし、壁へと固定する。
「よし! 拘束完了――」
「常闇くん、今です」
私は動じずに言った。
「なっ……!?」
次の瞬間、私の背後から常闇のダークシャドウが飛び出した。
「行け、ダークシャドウ!」
「う、うわあああ! こいつの近くは嫌だけど、敵なら話は別だぁ!!」
ダークシャドウが漆黒の爪で瀬呂のテープを切り裂き、そのまま瀬呂の身体を抑え込む。瀬呂は「うわ、マジかよ!」と声を上げながら、あえなくキャプチャーテープで拘束された。
「瀬呂! クソっ、なら俺が――」
切島が再び距離を詰め、右拳を引き絞る。
それを見つめながら、私は左手の先端を静かに変形させた。
皮膚が裂け、内側の硬質化した肉が、鋭利な針の形状へと変化していく。
技を解き放つ、その直前。
私の口から、人間の声帯では不可能な、機械的なノイズを交えた冷徹な声が漏れた。
「hello?」
シュッ!!!
視認すら不可能な速度で放たれた肉の針が、切島の足元のコンクリート床を貫いた。
ドガァン! という爆発音とともに、床が蜘蛛の巣状に砕け散り、突き刺さった針から無数の肉の繊維が爆発的に広がって、切島の足を瞬時にガチガチに固定・拘束した。
「うおっ!? 足が……動かねぇ!?」
切島が必死に足を抜こうとするが、アブノーマリティの肉でできた針と繊維は、硬化された力でも破ることはできない。
私は捕縛された切島に向かって、ゆっくりと歩み寄った。
そして、右腕を持ち上げる。
衣服の袖を模倣していた肉がドロリと解け、内部から赤黒い筋肉組織が圧縮されて現れる。太陽光を拒絶するような、巨大で禍々しい2メートルの『肉の刃』。
あらゆる物体を切り裂くためだけに存在する、極大の暴力。
「………goodby」
技を繰り出す前の、定形フレーズ。
私の口から発せられたその言葉は、もはや人間の言葉ではない、無機質な怪物のノイズだ。
振り下ろされる、巨大な刃。
「ひっ……!?」
切島の顔から血の気が引き、死の恐怖に体が強ばる。
ズザァァァンッ!!!!
刃は、切島の首筋の数ミリ手前でピタリと止まった。
しかし、振り下ろされた風圧と衝撃波だけで、切島の背後にある厚さ数拾センチのコンクリート壁が、真っ二つに両断され、豪快に崩落した。
ガラガラガラ……! と音を立てて崩れ去る壁。吹き抜ける風。
「………………」
切島は、開いた口が塞がらないまま、自分の目の前にある異形の刃を見つめていた。全身の毛穴から冷や汗が吹き出し、歯の根がガチガチと鳴る。
彼が固まっているうちに捕獲テープを巻き付ける。
「……ヒーロー組、勝利!!」
モニター越しに見ていたオールマイトの、少し引きつったアナウンスがビル内に響き渡った。
「あ……ごめんなさい、切りすぎちゃいました」
私は瞬時に右腕の刃をほどき、ドロドロとした肉の流れを経て、再び可憐な美少女の手へと戻した。破れたように見せていた白い袖を、一瞬で元通りに再構築する。
「切島くん、怪我はありませんか? 脅かしてしまってごめんなさいね」
私は可憐な笑顔を浮かべ、恐怖で動けない切島に手を差し伸べた。
だが、切島はその手を取ることができなかった。彼は目の前の美少女ではなく――その奥に潜む、底知れない怪物の影、その片鱗を感じ取っていた。
「あ……ああ……大丈夫、だ……」
引きつった笑いを浮かべるのが精いっぱいの切島。
後ろでバックアップしていた常闇も、崩壊した壁と私を見比べながら、ゴクリと生唾を飲み込んでいた。
(……なんだ、あの技は。あの圧は……。ダークシャドウが怯えるのも無理はない。彼女の奥には、何か恐ろしいものが潜んでいる……)
◇
「……見事な勝利だ! だが……」
モニター室に戻ってきた私たちを迎えたオールマイトは、いつもの爆発的な笑顔を浮かべつつも、その瞳には隠しきれない困惑と警戒の色を浮かべていた。
プロヒーローとして、数多のヴィランや危険な個性を見てきたオールマイト。彼の豊かな経験をもってしても、人皮被という少女が発揮した異質さは説明がつかないものであった。
特に、切島の全力の殴打を顔面に受けて微動だにしなかった耐久力。
そして、壁を一瞬で粉砕したあの肉の刃から漂う、尋常ではない殺気。
「人皮少女! 君のパワーと柔軟性は素晴らしい! だが、周囲の被害や相手に与える精神的圧迫には、もう少し配慮が必要かもしれんぞ!」
「はい、オールマイト先生。加減が難しくて……以後、気をつけます」
私はしおらしく首を垂れ、反省してみせた。
クラスメイトたちの反応は様々だった。
「すっげえ……あの切島の硬化を無視して、壁ごと切り裂くなんて……」
「かっこいいけど……なんか、ちょっと怖くなかった?」
「あの可愛さで、あのパワーはギャップがありすぎるだろ……」
恐怖と感嘆が混ざり合った視線が、私に集まる。
爆豪勝己は、腕を組んだまま壁にもたれかかり、殺気立つような眼光で私を睨みつけていた。
(ちっ……胸糞悪い女だ。なんだあの不気味な強さは。デクといい、あの女といい……俺をコケにしやがって)
私は彼らの視線をすべて受け止めながら、心の中で静かに息を吐いた。
(また、やりすぎてしまったかしら)
人間に同化し、ヒーローとして認められるために力を発揮したはずなのに。力を示せば示すほど、周りの人間との間に見えない壁が築かれていく。
私は胸元に手を当てた。
擬態の下で、2メートルの赤黒い肉が、どくんどくんと歪な脈動を打っている。
「 Nothing There 」――何もない。
私にはもはや性別も、人間としての心臓すらない。
どれだけ美しい皮を被ろうと、どれだけヒーローの言葉を模倣しようと、私は怪物だ。
(私は……
心の中でそう呟いた。私は再び完璧な笑顔を貼り直し、クラスメイトたちの輪へと戻っていく。
私が、人である為に。