綾小路清隆の独白。
様々な練習の日々を重ね、体育祭開始まで残り一週間となった。
心地よい風が吹き、暑かった気温は見る影もない。
(体育祭当日も過ごしやすい気候になると良いな)
そしてそんな気候だからこそ、オレ達はジャージに着替えてグラウンドに来ていた。
今日中に参加表を提出しなければならない。だからこそ最終確認として各種目の出場者に変更が無いかをテストする事にした。
「おい他のクラス、偵察してるぜ?」
池の言葉を聞き、校舎を見ると教室から幾らかの視線を感じた。
「全部のクラスに見られてるな」
敵の戦力を確認する、グラウンドなんて目立つところでやるのだから監視されるのは当然だった。
…だが得られる情報は何が得意か、運動が出来るかだけだ。
この体育祭の本質は『参加表』の内容だ。それさえ知れれば他クラスの攻略は完了したと言えるだろう。普通に考えればそんな重要な参加表、それが他クラスに回る事など在り得るはずはない。
──Aクラスを除いて。
確かに参加表は重要だがリスクがある。それは入れ替えだ。
2枚作製した参加表を入れ替える事で、今持っている参加表は紙くずになってしまう。
つまり信用するか、しないか。それはクラスのリーダー格の判断に委ねられている。
「ねぇ綾小路くん」
「どうした、何かあったのか」
「貴方、なんで櫛田さんの参加表を信じるのかしら?」
あの日オレと堀北は櫛田を問い詰めた。
***
オレは放課後、堀北と今後の方針を離す為に教室に残り作戦会議を行おうとしていた。
用を済ませ、教室の扉を開く。すると堀北ともう1人の人影があった。
クラスの人気者である櫛田だ。今日は何人かと遊びに行くと聴いていたので意外な人物に少し驚いた。
櫛田桔梗。
縁の下の力持ち、彼女をオレはそう評している。コミュニケーション能力は無論の事、学力や身体能力も高水準。そして恵まれた外見を持つ非の打ち所がない人物だ。
だが、彼女は闇を抱えている。人気のない場所で暴言を吐く姿、オレを見つけた際の彼女の顔だ。あの二面性は彼女がDクラスである理由の一つになっていそうだった。
入学して少し経った後、オレは櫛田の本性を目撃した。あの日櫛田は竜崎への罵詈雑言を吐いていた。
理由は分かりやすい。彼女の二面性をバラされそうになったからそれだけの話だった。彼女からすればクラスの人気者という立場が崩れる弱点でそんな弱みを知る人間を嫌わない方が不自然だった。
「あ、綾小路君…」
堀北が焦りながら詰め寄って来たので話を聞けば櫛田が参加表を入手したとの事だった。
堀北にある程度説明をしていたらしいがオレは今来たばかりなので最初から説明してもらう事にした。
「竜崎くんってクラスで良く思われてないらしいんだ」
「そうだな」
軽く頷き肯定する。そのあまりにもの態度に櫛田は苦笑いした。
「あはは。随分とすんなり納得するんだね」
「彼には殆どの生徒が煮え湯を飲まされてる、それは周知の事実よ」
「そっか。それで私はAクラスの人にこう言われたの」
「竜崎くんを陥れたいからこの参加表を流して欲しいって」
その発言に驚きはなかった。竜崎から裏切り者が居るという情報を得ていたからだ。
「成程ね。クラスを裏切るなんて行為が不快なこと以外、筋は通っているわ」
「そうだな。竜崎が一番クラスに貢献している筈だが…」
「うーん、それに関しては私も分かんないな。力になれなくてごめんね?」
申し訳なさそうに眉を寄せ謝る櫛田。一方それを向けられた堀北は不機嫌だった。
恐らく気が付いているからだろう、自身が嫌われている事に。それを感じさせない寸分違わない態度の櫛田が凄いだけなのかもしれないが。
「一つ訊いてもいいかしら?」
「うん?なにかな」
ふぅと深く息を吐いた後に覚悟を決めたのか、切れ長な瞳を櫛田に向けて言葉を発した。
「貴女はクラスを裏切っているの?」
ドストレート過ぎてオレは絶句した。確かに気になってはいたがもう少し聞き方というものがあるだろう、そう抗議するような目で堀北を見たが無視された。
「わ、いきなり凄い事を言うんだね」
「貴女が私を嫌っているのは知っているわ」
「えー?そんなこと無いけどなぁ」
「誤魔化しても無駄よ。私が一番理解している事だわ」
櫛田は堀北を嫌っている、それは事実だろう。嫌われるだけの態度を堀北はしていたのだから。現に櫛田以外の生徒にも堀北は好まれていない。
確信を持っている堀北の態度に櫛田は濁す必要がない事を悟ったのか、本心を覗かせた。
「…うん、私と堀北さんは確かに仲が良くないね」
「なら当然これが偽の情報だと疑うのは仕方がないのではなくて?」
「そうだね、それは私も否定できないかな…」
「正直半信半疑だ。確かに堀北はヤバい奴だし人に冷たいし、孤独と孤高を履き違えているが…」
「綾小路君、あなた死にたいのかしら?」
「事実だろ」
「いいえ、不確かな評価よ」
熱を感じさせない目でこちらを冷ややかに見下す視線だった。
「あはは、2人は仲が良いんだね?」
「そうだろう?これいつもの流れなんだ」
「櫛田さんも冗談を言うのね?こんな友人の1人も居ない人の言う事なんて信じない方が良いわ」
「…お前がそれを言うのか?」
もはやコントとしか言えないぐらいの自虐だったが、当人は気が付いていないらしい。
そして冗談で言っていないようなので本気なのだろう。
その言葉の応酬により一層笑みを深めていた櫛田は、真剣な顔をして言葉を吐き出した。
「でも、一つだけ言わなきゃいけないことがあるんだ」
「何かしら?」
空気が重々しくなり、流石のオレも少し身構えた。
…長くも短い空白の時間を迎えた後、櫛田は──
「私はDクラスの皆と一緒にAクラスを目指したい。これだけは本心だよ」
と、告げた。
それはいつもの明るい彼女からは考えられないほど、感情の抑揚が無い声色だった。
堀北は何も言わない。ある意味本人からそう言われたのだ、取り敢えずは信じる他ないだろう。
「成程な。オレもAクラスには上がりたいから気持ちは分かるぞ」
「なら態度を改める事ね。何処かの誰かさんは捻くれているからクラスに積極的に協力知れくれないから」
「オレは捻くれ者じゃない。ただ長いものに巻かれる小心者だ」
「…ふん」
言い合うのも面倒になったのかそれを最後に堀北は口を閉ざした。
***
…という経緯なわけだ。
オレはそれを踏まえて櫛田の持ってきた参加表を利用する事にした。
仮にこれがダミーであろうと堀北が苦しむだけだ。それはそれで好都合だった。
アイツには壁が必要だ、自分の無力さを知るというのも必要な過程だ。
「決心して話してくれたんだ。堀北は信じないのか?」
「…違うわ、櫛田さんの問題じゃない。貴方も分かってるでしょ」
「竜崎、か?」
「そう。彼が何か仕込んでる、そうとしか思えない」
「なら何が考えられるんだ?」
竜崎ならやりかねない、その言葉に納得は出来る。勝つための戦略を思いついている、と思うのが自然だ。何もない。ただ竜崎も完璧ではなかったのだろう、そう楽観的に考える事は愚かだ。
無人島で完勝した後竜崎が言っていた言葉も気がかりなのだろう。
『思考を止める事を私は悪いとは思わない、それにより救われることもあるのだから』
というものだ。
あの言葉には考え続ける事を望むような、人間の可能性を見たがっているような意味が込められている。と、あの場に居た殆どの人間が感じたはずだ。
だからこそ、それを提唱する竜崎が思考放棄なんて真似はしないと堀北は言っているわけだ。
「偽物の参加表を流してそれに乗ったクラスを倒す?とか」
「だが、それは不可能だ。何せ参加表は入れ替えられる」
「2枚あるからこそ意味がない、そう言う訳ね?」
「あぁ。確かにポイントは消費するがそこまで痛手ではない」
「…じゃあ綾小路くんは何が目的だと思うのかしら?」
「さぁ」
「さぁ?まさか貴方、勝つ気が無いの?」
単刀直入に堀北はそう言ってきた。確かにオレの言葉は無責任でしかない。
だが、これには理由もある。
「こっちも最悪は参加表を入れ替えればいい。何処かの誰かさんのお陰で資金は充分ある」
「…ムカつくけど正論ね。ただ参加表の入れ替えは当日の朝まで、猶予はそこまで無いわね」
所詮変えるだけで不利状況も変わる。2種類しか提出できないにしろ、戦略の練りようはあった。
その言葉に納得は出来たのか堀北はそれ以上の追及はしなかった。そして周りに目を向けると不愉快そうに鼻を鳴らした。
「…それにしても不躾ね」
「誰だって他クラスの情報は欲しい、誰の運動神経が良いのか。それぐらいは当たりを付けたいはずだ」
まぁ、仕方がないことだろう。体育祭まで残り僅かな時点で練習機会を減らす方が愚かだ。
「…そうね、情報はあるに越したことは無いわ」
「だからこそ竜崎たちのクラスもこちらを見ているんだろうな」
「本当に面倒ね」
「けど練習はしなきゃいけないぞ」
「…はぁ」
その溜息と同時に、湿度を持った風がオレたちを覆った。
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ケヤキモール。
現在は放課後で、帰りの学生たちが今日最後に思い出を作ろうと数多く利用する場所。
その施設の一つであるカラオケに2人の人間が居た。
隣の部屋から僅かに聞こえる流行りの歌、渋いマイナーの曲。
だがそんな賑やかな周囲とは、真逆でこの部屋は静かだった。
「で、首尾は?」
黙って目の前の人間が苦しむ様を見るのも愉しいが、そろそろ限界だと感じた龍園は視線を向けた。
「…」
無言で龍園の対面に座っている人間、櫛田は封筒を手渡した。
それを受け取ると龍園は封を破き、中を確認する。
彼はそれをじっくりと眺めた後。ソファに身体を預け、不敵に笑った。
「確かに受け取った」
「Aクラスの参加表を渡す、その代わりDクラスは狙わない。だったよね?」
櫛田と龍園、関わりの無いと思われている異質な組み合わせだった。
だが、当人たちは浅い付き合いではない。龍園という人間はどこまでも勝ちの為の手段を選ばない人間だ。利用できる存在は利用する。
竜崎という圧倒的な壱が居る以上、他クラスと手を組み包囲網を作りたがるのは自然だった。
「あぁ、お前らみたいな雑魚より大物を狙いたい。俺らしいだろ?」
「はぁ、馬鹿みたいだね」
櫛田はそれに呆れたように息を吐いた。そして目の前に置かれた飲み物をゆっくりと口に含む。
「クク。気の強い女は嫌いじゃないぜ?俺のものにしてやろうか」
「…アンタみたいなのはお断り」
櫛田の身体を嘗め回すように視線を向けた龍園に、不愉快そうに櫛田は身を捩った。
「それで龍園くん、契約は満了でいいのかな?」
「あぁ。ご苦労だったな桔梗」
「…キミは名前で呼ばないで欲しいなぁ」
「クク、裏が出てるぞ」
「……」
目的が無ければこんな人間と交流なんて持ちたくもない、そう考える櫛田は無言で睨みつけた。だが、龍園はそれすらも好みだと言いたいのか笑みを深めるだけだった。
「それでそれを葛城君のクラスにも渡すわけ?」
「そのつもりだ。アイツとは無人島以降も世話になってるからな」
「あぁアンタがぼろ負けした試験ね」
「……」
やられっぱなしでは気が許さなかったのか、櫛田は龍園に痛いところを突く。それに普段なら回る口を閉ざした龍園。櫛田は内心ざまぁみろと笑みを浮かべ、満足した。
「ま、私はどっちでも良いかな。竜崎が苦しむなら何でもいいし」
「本当に怖い女だぜ。もうお前の仕事はない、さっさと帰れ」
「あっそ。じゃあ頑張ってね」
その言葉を最後に櫛田は部屋を出て行った。
残されたのは龍園ただ一人。にも拘らず部屋から出る気配はなかった。
この中で方針を練るためだ。彼は得られた情報を思い出し、整理し始める。
「これは本物だ、だが二枚あるうちの一枚」
封筒の中に入っていた参加表は一枚だけだった。今回の体育祭では二枚ある、つまりこれだけ知るだけでは出場者を把握したとは言えない。
「だが、分かるぜ竜崎。お前の策はな?」
無人島での屈辱的な敗北。
あれはスポットを確保しているふりをしてリーダーだと証明するという認識の裏をかいた作戦だった。スポットを確保できるのはリーダーだけだとあの場の人間が認識していた。だからこそ意表を突かれた。
(…なら今回の体育祭もアイツは策を巡らせている筈だ)
「考えられるのは二種類の参加表を上手く使う事だ」
一つは順当に能力でメンバーを決定、もう一方は希望者が好きなように決める。それならば参加表を入れ替えれば一枚が漏れようと問題はない。
そして龍園が手に入れた参加表は希望者で決めた方だった。体育祭を練習しているAクラスを偵察していた際にクラスの能力は見定められた。それとは真逆のメンバーが書かれている。
つまり本番は能力で定めた勝ちを取りに行く正統派な作戦。
「なら、俺らはそれを読んで能力が高い奴に雑魚をあてがえば良い」
簡単な話だ。Dクラスでは出来なかった捨て駒作戦を龍園のクラスは出来る。
龍園はCクラスを掌握している。だからこそ勝てれば文句を言っても封殺できる。
「もう俺は後がねえからな」
龍園は無人島で葛城と契約したお蔭で毎月ポイントが入って来るが、戦果として挙げれるのはそれだけだ。
仮に暴力で支配していなければそこまで問題は無かった。だが、恐怖で従わせているからこそ戦果を挙げれない王は失墜する。これが失敗すれば終わる事は彼自身が一番理解していた。
「最悪はあの女に任せるしかないな…」
そう呟いた声には少しの期待が込められていた。
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遂にその日がやって来た。
長い一日であろう体育祭の開幕。少し前に願っていた過ごしやすい気候だった為、少し嬉しかった。
ジャージを身にまとった全校生徒が行進を終え、開会式を行う。
「よし、良いところ見せて今度こそ彼女を作るぜ!!」
浮つく人間が出てくるのも当然だろう。体育祭という大きな行事、この学校でオレ達は普通とはかけ離れたイベントしか出来ていなかった。やっと来た学生らしさを感じさせるイベントは生徒たちの気持ちを高ぶらせていた。
(オレも少し楽しみだったしな。初めてのイベントワクワクする)
開会式で開会宣言を行われ、数人の大人が動き始めた。それにつられて周りを見れば、見物客の姿をチラホラと居た。時折笑顔や手を振る様子が見られることから、純粋に楽しむ目的であることが察せられた。
一方で教師たちは無感情で並んでおり、医療従事者と思わしき人の姿も見えた。
無人島と同じく万全の態勢だった。この学校は生徒を競わせるが、変なところで真面だった。
「綾小路君、今日は大丈夫かしら?」
「もう当日だ。楽しむしかないぞ」
「えぇ、そうね。なにも無ければ良いのだけど」
「あぁ」
最初に行われる100メートル走で使用すると思われる結果判定用のカメラが準備されていた。誤審や曖昧な結論を避けるという事だろう、だからこそ白黒つけれる競技しか無いのかもな。
「もう始まりそうよ?私たちも移動しましょう」
観察しているうちに待機時間が終わっていたらしい、生徒たちが動き出していた。
オレは気持ちを入れ直し返事を返す。
「分かった」
──もう、最初の競技が始まろうとしていた。