目の前にある地下鉄の看板を見上げながら、ここまで無事に辿り着けたことに安堵する。当初の話では四十分ほどかかると聞いていた道のりも、大量の荷物を抱えながらも三十分ほどで到着することができた。
『ヤツらには視力がない』
ノアから得たその情報が、それだけ有益なものだったということだろう。
それまで大幅に距離を取って迂回していたらしいユリさん達。新たな情報を元に無駄な迂回をやめると、移動時間を十分近くも短縮することができたようだ。
「予定していた時間よりもだいぶ早く着いたな」
そう告げながら安堵の息を漏らしたユリさんは、ぐるりと私達を見渡すと笑顔を浮かべる。
「誰一人欠けることなく帰ってこれて良かった。……さ、笑顔で帰還だ。皆が待ってる」
その言葉にそれぞれが反応を示すと、それを確認したユリさんは目の前の扉をノックする。二回、三回、二回と扉を叩くと、ガチャリと開錠の音を響かせて開いた扉。その先に控えていた四、五十代ほどの男性二人に軽く挨拶を済ませると、ユリさんを先頭にして階段を降りてゆく。
足音だけが静かに響く中、ユリさんとニッピーが照らしているライトだけを頼りに進んで行く。天井から垂れ下がっている壊れた照明は、どうやら長いこと送電されていないようだ。おそらく、あの施設以外は電気の供給が途絶えているのだろう。そんなことを考えながら階段を降り切ると、見慣れた駅構内へと歩みを進める。
(……まるで別の駅みたい)
所々が崩れ落ちて閑散としたその有様は、私が知っている駅とはまるで違って見える。毎日のように通学のために利用していたこの駅は、いつも沢山の利用客達で溢れていた──。そんなつい最近の記憶を思い浮かべる。
駅構内からホームへと足を進めると、そこから線路へと降り立ったユリさん。その背中を追いかけるようにして、奥へと続くトンネルの中を歩いて行く。数分もしない内に少し開けた場所へと出ると、淡い光に包まれた空間から漏れ聞こえる数人の話し声。
「──ここが俺達の拠点だ」
そう告げながら後ろを振り返ったユリさんは、ニッコリと微笑みながら言葉を続ける。
「皆に紹介したいから付いて来てくれるか?」
「はい」
頷きながらそう答えると、無言で頷いたノアとともにユリさんの背中を追いかける。
「──! ああ、皆おかえり! ほら、ユリさん達が帰ってきたぞ」
「え? ……あ! おかえりなさい。皆無事だったみたいで良かったわ」
「ああ、ただいま。食料と医薬品も無事に確保できたから、当面の間は安心してくれ」
「それは良かった。きっと皆も喜ぶよ」
「皆……外は危険なのに、行ってくれて本当にありがとう」
そんなやり取りを背後から見守っていると、私とノアの存在に気付いた六十代ほどの男性が口を開いた。
「……ところでユリさん、その子達は?」
「調達先のスーパーで、たまたま一緒になったノアとエヴァだ」
その言葉に促されるようにして一歩前へと踏み出ると、緊張で少しだけ乾いた口元から小さな声を絞り出す。
「エヴァです、よろしくお願いします」
「……少しの間世話になる」
「ああ、こちらこそよろしく」
突然現れたよそ者二人に警戒するでもなく、優しい笑顔を浮かべる男性。ただでさえ物資が不足している中、新たな人員が増えるのは厄介だろうに……。
煙たがれることを予想していた私は、その態度に少しだけ戸惑った。
「皆にも二人を紹介しておきたいから、ここに集まるように伝えてきてくれないか?」
「ああ、わかった」
ユリさんに言われて立ち去ってゆく男性。そんな男性の後ろ姿を眺めていると、優しく肩を叩かれて振り返る。
「外は大変だったでしょ? さ、こっちに座って休んでちょうだい。あなたもね」
五十代ほどの女性に促されるようにして、ノアと二人で手近にあった瓦礫に腰を下ろす。そんな私達に向けてお茶の注がれた紙コップを差し出した女性は、私達が受け取ったのを確認すると穏やかな笑みを浮かべる。
「ベラさん、少しの間二人を頼んでもいいか? 俺達は物資の整理をしてくる」
「ええ、わかったわ」
そんなやり取りをユリさんと交わし終えると、再びこちらに向き直った女性。
「私はベラよ、二人ともよろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
「こちらこそ世話になる」
そんな私達の返事を受けて、より一層目尻の皺を深めた女性は柔和な笑みを浮かべる。
「ずっと二人で外を彷徨っていたの?」
「いえ、そういうわけでは……」
そんな言葉を返しながらも、チラリとノアの様子を
ノアと出会ったのはつい今朝方のことで、それまでノアが一体どこで何をしていたかなんて私には分からない。改めて考えてみると、なんとも不思議な関係だ。
「そう……。じゃあ、今までどこで身を隠していたの?」
「……政府の施設に保護されてました。そこでノアと出会って……外に出て、ユリさん達に出会ったんです」
「まあ、そうなのね。それは大変だったわね……」
「……?」
「バケモノの襲撃に遭ったと聞いたわ。怖かったでしょう? 無事で良かったわ」
「……? あ、いえ……」
何か勘違いでもしているか、ベラさんの言っている意味がいまいち分からない。
(もしかして、襲撃ってノアのこと……?)
そんなことを思いながらも、黙ってベラさんの言葉に耳を傾ける。
「襲撃に遭ったのは昨日よね。もしかして、それからずっと外にいたの?」
「え? ……私が外に出たのは今朝ですけど……」
「そう……。じゃあ、それまでは施設で隠れていたのね、可哀想に」
「…………。あ、はい……」
よく分からない話にそんな言葉を返しながらも、紙コップに注がれたお茶で喉を潤す。もしかしたら、私が保護されていた施設とは別の施設があるのかもしれない。女性の話を聞いていると、そんな考えが脳裏に思い浮かぶ。
あれだけの設備が整った施設だ。他にいくつか同じような施設があってもおかしくはない。
「このコミュニティにもね、施設から逃げて来た男の子がいるのよ」
「──! その子は今、どこにいる?」
それまで黙って話を聞いていたノアは、相変わらずの無表情ながらもベラさんにそう尋ねる。
「え? あの子なら……ほら、あそこの電車の中にいると思うわよ」
そう言って奥にある脱線した電車を指差したベラさんは、こちらに向き直ると小首を傾げる。
「もしかして、知り合いなの?」
「その子の名前は?」
「アララギよ」
「…………そうか」
表情こそ特に変化はなかったものの、その名前を聞いてどこか落胆した様子のノア。おそらく、彼が探している十三歳の少年とは別人だったのだろう。そんなノアを見て、何故だか胸の奥がキュッと締め付けられる。
一体誰を探しているのかは不明ながらも、きっとその人物はノアにとって大切な存在なのだろう。それだけは、彼の様子から見てなんとなく分かっていた。
出会った当初は、ただの襲撃犯にしか見えなかったノア。だけど、ユリさん達と出会った時には、高い戦闘力を持っていながらも無差別に人を殺めるようなことはしなかった。そんな彼が、研究施設職員はなんの
今思い返してみると、あの施設は少し異様だった。保護とは名ばかりで、部屋に閉じ込められて日に何度も検査を受ける毎日。死ぬことばかり考えていた私は、そんなことすら大して気にも留めてはいなかったけど……。
「…………」
チラリとノアの様子を盗み見ると、紙コップに注がれたお茶に視線を落とす。
(もしかして、私はノアに助け出された……?)
そう考えてみると、あの場で私だけ殺されなかったことにも納得ができる。
バケモノに襲われた時だって、危険を
「……っ、ぐす……」
「……! まあ、よっぽど外が怖かったのね……。もう大丈夫よ、ここは安全だから」
そう言いながら優しく背中を撫でてくれるベラさん。その手がとても温かくて、より一層涙が溢れてくる。
この一日だけで、私はノアに生かされ、ユリさん達に出会うことができた。とうの昔に忘れていた他人との触れ合いに、戸惑いながらも嬉しさが込み上げる。
こんな私でも、生きてていいのだろうか──?
長年抱えていたそんな疑問に、やっと答えが見つかるような気がした。
◇
広場に集まった皆との挨拶を済ませると、調達してきた物資の整理の手伝いをする。
当初懸念していた私の考えとは裏腹に、優しく迎え入れてくれたコミュニティの人達。ベラさんをはじめ、沢山の大人達が私達を気遣ってくれる姿には、まだ少し慣れなくてなんだか戸惑ってしまう。
「……大丈夫?」
「うん、平気」
そんな私を気遣ってか、先程から時折そんな声を掛けてくれるカミーユ。
「…………。もしかして、具合が悪いんじゃない?」
「……え?」
その言葉にハッとして顔を上げると、不安気げな瞳を小さく揺らしているカミーユと視線がぶつかる。そのすぐ奥に目を向けてみると、カミーユの隣で作業をしていたノアまでこちらを見ている。
「……ちょっと疲れてるのかも」
そう告げながら薄く微笑むと、心配そうな顔を見せるカミーユ。
「ツバキさんに見てもらったら?」
「ううん、大丈夫」
「本当に……?」
「うん、ありがとう」
相変わらず心配そうな表情を浮かべるカミーユは、仕分け作業をこなしながらもチラチラと私の様子を
ただでさえ何の役にも立たない私が、皆の足手まといになるわけにはいかない。そんなこと思いながら、高熱で気怠い身体のまま熱い呼吸を繰り返す。
「──スイ達が帰ってきたぞ!」
そんな声のした方を振り返って見てみると、二十代前半らしき女性を先頭に、こちらに向かって歩いてくる五人の男女の姿が目に入る。そのままユリさんのもとへ合流すると、なにやら言葉を交わし合っている五人の男女。
そんな光景を少し離れた場所から眺めていると、こちらを振り返ったユリさんが口を開いた。
「ノア、エヴァ。ちょっとこっちに来てくれるか?」
「……ああ」
「はい。……カミーユ、ちょっと離れるね」
「うん。気にしないで」
そんな言葉を残してユリさんのもとへと近付くと、五人の男女に向けて私達を紹介し始めたユリさん。
「この子達がノアとエヴァだ、皆よろしくな」
「私はスイよ、よろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「二人ともよろしくな。物資の調達も手伝ってくれたって聞いたよ、ありがとう」
「……ああ。こちらこそ世話になる」
「私達の班は物資調達ができなかったから、本当に助かったわ」
「いえ、私は特に何もしてないので……」
「そんなことないわ。食料をここまで運んでくれたんでしょ? ありがとね」
そう言って優しく微笑んでくれるスイさん。そんな彼女を前にして、どう反応すべきか分からない。こうして人から感謝されるだなんて、一体いつ振りのことだろうか……? ノアと出会ってからというもの、戸惑うことばかりが増えてゆく。
その後も次々と挨拶を交わしながらも、告げられる感謝の言葉にじんわりと胸が熱くなる。
「へ〜、これが刀か……二刀流なんて凄いな。これでバケモノを倒したんだろ?」
「…………」
ノアの背中にある刀をマジマジと見つめながら、興味深げにそんな話を始める二十代らしき男性。
「口の中から頭を貫いたんだって?」
「……ああ、そうだ」
「マジかよ……。あんなバケモノに近付くなんて命知らずだな」
そんな話で盛り上がっている男性を他所に、ユリさんに向けて口を開いたスイさん。
「ねぇ、ユリさん。レン達はもう帰ってきてる?」
「いや、まだみたいだ」
「そう……」
「心配するな、日没までまだ少し時間はある。きっとそれまでには帰ってくるさ」
「……そうよね」
ユリさんの言葉に笑顔を浮かべるスイさん。だけど、どうやらその不安は完全には拭い切れていないようだ。どこか暗い表情を浮かべるスイさんを見て、そんなことを思う。
おそらく、それだけ大切な人なのだろう。そんな存在の人がいることに、なんだか少しだけ羨ましく感じる。私には、それだけ大切に想う人もいなければ、想ってくれる人もいないから──。
先ほどまで感じていた胸の温かみがスッと引いてゆくような感覚に、胸元を押さえて顔を俯かせる。
「……具合が悪いのか?」
そんなノアの声に視線を上げてみると、相変わらず感情の読めない表情のノアと視線がぶつかる。確かにその表情は何一つ変わっていないけど、こうして改めて見てみると彼の瞳はとても優しい気がする。
「ううん、大丈──」
「──アララギが倒れた……! 凄い高熱なんだ! ツバキさん、今すぐ来てくれ!」
そんな言葉とともに、焦ったようにこちらに向かって走り寄ってくる四十代ほどの男性。
(アララギ……)
確か、施設から逃げ出して来たらしい十歳の少年だ。
数分前に挨拶を交わした時には、風邪をひいているとかでかなり辛そうな様子だった。そんなつい先ほどのやり取りを思い返す。
「……わわっ、わかりました!」
慌てた様子で医療キットを抱えたツバキさんは、男性の背中を追いかけるようにしてワタワタとしながら走り去って行く。そんな二人の背中を静かに眺めながら、ふらつく身体を必死に堪える。
ここで私まで迷惑をかけるわけにはいかない。
「大丈夫、具合は悪くないから。ちょっと疲れただけ」
「…………そうか。無理はするな」
「うん、ありがとう」
やっぱり彼は優しい。今まで素直に受け止めることのできなかった言葉も、こうしてありのままに受け入れみるとよく分かる。ノアの言葉は、出会った時から私を気遣う言葉ばかりだった。
それがなんだか無性に嬉しくて、私はノアを見上げると薄く微笑んだ。