「アララギの様子は?」
電車内から出てきたばかりのツバキさんを見つめながら、心配そうな表情を浮かべるユリさん。そんなユリさんに応えるようにして、小さく横に首を振ったツバキさん。
「……かなり悪いですね。今朝
「意識も戻らないのか?」
「はい。それより、ちょっと気になることがあって……」
「気になること?」
「見てもらった方が早いですね。ちょっと来てくれますか?」
「ああ、わかった」
コクリと頷いたユリさんを伴って、再び電車内へと戻ってゆくツバキさん。そんな二人の姿を見送ると、付近に集まっていた人々は不安げな表情を浮かべる。
「一体、どうしちゃったのかしら……」
「昨日はあんなに元気だったのにな」
「施設がバケモノに襲われた時、一人でこの近くまで逃げて来たんだろ?」
「いや、母親も一緒だったらしいぞ」
「……そうなの?」
「いやいや、母親なんて一緒じゃなかったぞ」
「施設内ではぐれたきり、行方がわからないって聞いたわ」
「可哀想に……。まだ十歳でしょ? 母親が恋しいでしょうね……」
「早く良くなるといいな」
「……そうね」
そんな言葉を残して次々とこの場を離れてゆく人々。このままここにいても、きっと何の役にも立たない──おそらくそう考えたのだろう。それは私だって同じだ。
そう判断すると、クルリと背を向けてその場を後にする。特にこれといった当てもなく広場を見渡すと、その先に見えてきた見覚えのある横顔。焚き火を囲むようにして、黙々と夕食作りをしているノアとカミーユ。私はそんな二人に近付くと、空いていたノアの隣に腰を下ろした。
「私にも手伝わせて」
こう見えて、料理だけは得意だったりする。とはいえ、こんな荒廃してしまった世界では、料理といってもただ缶詰を温めるだけ。そんなこと、私でなくとも誰にでもできる簡単な作業だ。
(本当に、どこまでいっても私は役立たずね……)
ノアから差し出された缶詰を受け取ると、大鍋に中身を注ぎ足してグルグルとかき混ぜる。焚き火で温められたビーフシチューは、暫くするとクツクツと音を立て、トロリとした濃厚なソースからは食欲をそそる匂いが香り立つ。
「……
たまたま通りかかったのか、クンクンと鼻を嗅ぐ素振りを見せるニッピー。そのまま吸い寄せられるようにして焚き火に近付くと、カミーユの担当している大鍋を覗き込む。
「おい、カミーユ。焦がすんじゃねぇぞ」
「……え!? は、はいっ」
慌てるカミーユを見て、堪らずプッと吹き出すニッピー。どこかに運ぶ途中だったのか、大きな段ボールを抱えたままカミーユのすぐ隣にドカッと腰を下ろす。
「ばーか、ビーフシチューは焦げねぇよ」
そう告げながら悪戯っぽい笑みを浮かべたニッピーは、得意気な表情を見せると片側の口角をニヤリと吊り上げる。
「…………」
「…………」
「…………」
「おい。何とか言えよ」
無言の私達が気に食わなかったのか、露骨に眉間に皺を寄せるニッピー。
「…………。ビーフシチューも焦げる」
「……あ?」
「煮込み過ぎたら鍋の底が焦げる。そしたらビーフシチューも焦げ臭くなる」
「へ、へぇー。……って、別に知ってたけどな!」
「…………」
「…………」
「…………」
どうやら知らなかったのはニッピーだけだったようだ。ノアに料理の知識があるなんて少し驚いたけど、きっと普段からサバイバル生活でもしているんだろう。なんとなく、そんな姿を想像してしまう。
一人、森の中で料理をしているノアの姿を思い浮かべると、なんだかおかしくて思わずクスリと声を漏らす。
「あっ! おい、今俺のこと笑ったのか!?」
「……ごめんなさい」
「ごめんてなんだ! やっぱ俺のこと笑ったってことか!?」
「……わっ! ちょ、やめてください! なんで僕!?」
「うるせぇ! お前が隣にいたのが悪い!」
「そっ、そんなぁ……!」
胸ぐらを掴まれたカミーユは、そのまま激しくグングンと左右に身体を揺すられる。
「こ……ここ、焦げちゃいます……! ビーフシチューが……っ!」
「……焦げたらこいつに食わせればいい」
「なんだと!?」
「だっ……、だから何で僕!?」
ノアの発言のせいで、更に激しく身体を揺すられるカミーユ。そんな気の毒な彼を見て、申し訳なく思いながらも自然と笑みが溢れる。
「──あら、楽しそうね。料理の方はどう? もうすぐ出来そうかしら?」
すぐ近くでお皿を取り分けていたベラさんは、私と視線を合わせるとニッコリと微笑む。
「あ、はい。もういつでも食べられます」
「なら良かった。ちょうどユリさん達も来たみたいだし、お皿に盛り付けちゃいましょうか」
言われて見てみると、ユリさんとツバキさんがこちらに向かって歩いている。そんな二人の姿を確認すると、ベラさんから差し出されたお皿を受け取る。
「大所帯だから大変よね。手伝ってくれてありがとね」
「……いえ」
大したことなどしていないのに、こうして感謝されると胸の奥がじんわりと温かくなってゆくのを感じる。そんな確かな温もりに小さく微笑むと、受け取ったお皿にビーフシチューを盛り付けてゆく。
そのまま広場に集まっていた人達に盛り付けたお皿を配ってゆくと、最後に合流したユリさん達にもビーフシチューを手渡す。
「……わぁ! 今日はビーフシチューなんですね! ビーフシチューなんて久しぶりです」
そう言って嬉しそうに顔を綻ばせたツバキさんは、盛り付けられたお皿を受け取ると手近にあった瓦礫に腰を下ろす。そんなツバキさんの行動を目で追ったイリスさんは、既に食べ進めていた手を止めると口を開いた。
「アララギの容態は?」
「……良くないですね」
イリスさんからの質問にそう答えると、途端に暗い表情を浮かべるツバキさん。そんな二人のやり取りを近くで見ていたユリさんは、受け取ったばかりのお皿を瓦礫の上に置くと、その場に集まった人々に視線を向ける。
「皆、ちょっといいか? アララギのことで話したいことがある。そのまま食事しながらでいいから聞いてくれ」
そこまで告げると、一度大きく息を吐いたユリさん。
「アララギなんだが、見たところかなり状態が悪い。おそらくただの風邪ではないだろう。これはツバキの診断だが、実際に目にした俺もツバキと同じ意見だ」
ユリさんのその言葉に、途端にざわつき始める人々。
「風邪じゃないって、じゃあ一体何の病気なの?」
「それが分からないんだ……」
横に首を振りながら一瞬顔を伏せたユリさんは、すぐにその顔を上げると言葉を続ける。
「アララギの右腕に小さな黒い斑点のようなものがあった。おそらく病気の症状の一種だと考えているんだが、その原因が特定できていない。何か、この症状について心当たりのある人はいないか?」
「黒い斑点……?」
「そんなもの知らないわ」
「……もしかして、感染したりする病気なの?」
「感染するなんて……じゃあ、ここは危険ってこと?」
そんな不安げな声が上がる中、ドクドクとうるさく鳴り響く私の鼓動。
「感染する病気だと決まったわけじゃない。ツバキの診断だと、その可能性は低いとのことだ。少なくとも、空気感染するような病気ではない」
ユリさんのその言葉に、ホッと胸を撫で下ろす人々。とはいえ、依然としてその病名は分からない。
「あの……関係があるかどうかはわからないけど、施設で注射されたって言ってたわ」
「注射……? 一体なんの注射だ?」
「それがね、本人もよく分かっていなかったみたいで……何かの予防接種らしいんだけど。その注射が原因でできた痣とかじゃないかしら? ほら、うっ血しちゃったとか」
そんな女性の言葉に対して、小さく横に首を振ったユリさん。
「ツバキの診断だと、痣の類いではないらしい。──他に何か、アララギから聞いてる人はいないか?」
「俺は何も聞いてないな……。お前はどうだ?」
「俺は会話したことすらほぼないよ」
「……私も知らないわ」
口々にそんな声が上がる中、戸惑いと不安の入り混じった空気がその場に流れる。病名さえ特定できない状況に、きっと誰もが不安を感じているのだろう。
だけど、私だけは違っていた。アララギの症状やその境遇を聞いて、得体の知れない恐怖心が一気に押し寄せてくる。左腕に触れた右手にギュッと力を込めると、顔を俯かせて熱い呼吸を繰り返す。
「そうか……。何か思い出したことや気になることがあれば、些細なことでもいいから教えてくれると助かる。食事中に悪かったな、皆ゆっくりしてくれ」
その言葉を合図にして重い空気も消え去ると、徐々に談笑し始める人々。そんな中、空いていたニッピーの隣に腰を下ろしたユリさん。
「そういえば……。エヴァ、君は施設にいたんだったよな?」
突然の声にビクリと肩を震わせると、俯いていた顔をゆっくりと上げてみる。その先に見えてきたユリさんと視線が絡まり、カタカタと小さく震え始める口元。
「…………はい。今朝、ノアに会うまでは……」
「予防接種って何のことか分かるか?」
「…………。分かりません」
その場に居合わせたノアやカミーユ、ニッピー達からも視線を向けられ、思わず口から出てしまった嘘。おそらく、その予防接種とは空気感染の予防注射のことだろう。
当初は気にもせず聞き流していた職員達の言葉も、きっとそのほとんどが嘘だったに違いない。現に、外ではこんなにも沢山の人達が普通に暮らしているのだから。
だとしたら、あの注射の中身は一体何だったのだろうか──?
「そうか。せめて発熱の原因が分かればいいんだが……」
私の返事を疑うことなく受け入れたユリさんは、小さく息を吐きながら暗い表情を浮かべる。そんなユリさんの姿に後ろめたさを覚えると、静かに顔を俯かせて冷や汗を滲ませる。
注射の中身はよく分からないにしても、あの注射の目的は予防接種なんかではなかったはずだ。だとすると、この高熱も黒い斑点も注射が原因の可能性が高い。
そうは思っても、その事実を認める勇気がない。カタカタと震える両手をギュッと握りしめると、人知れず得体の知れない脅威に怯える。
(一体……、私はあの施設で何をされてたの……っ?)
そんなことを今更考えたって答えなど出るわけもなく、食事もそこそこにその場を後にした私は、一人、静かな電車内で身体を縮こませた。
「あんなに死にたがってたくせに……」
ポツリと小さく独りごちると、矛盾した自分の感情に失笑する。
確かに私は死にたがっていた。死にたがっていたはずなのに──。そんな事を考えながら
「ねぇ、ツバキさんを呼んできて」
「どうした?」
「アララギの様子が変なのよ」
「目が覚めたのか?」
「そうじゃなくて……、顔になんか変な模様が出てきたのよ。なんだか普通じゃないの」
「模様って?」
「これよ……、ほら」
ここからではよく見ないものの、そんなやり取りをしながらアララギを覗き込んでいる様子の二人。
「……! なんだよこれ……! これじゃまるで……っ」
そこまで言って、声を詰まらせてしまった男性。
「あのバケモノの……鱗、みたいでしょ?」
「っ。……ああ」
「…………」
「ツバキさんに知らせてくる」
「うん、お願い」
そう告げて走り去ってゆく男性。そんな二人のやり取りを黙って眺めていた私は、先程耳にしたばかりの言葉を
(鱗……バケモノの……鱗……っ。それが浮き出て……きた……?)
やっぱり、職員の言っていた空気汚染は本当だったのだろうか? それとも、あの注射が原因なんだろうか?
わけも分からない状況に、ただただ不安と恐怖だけが押し寄せてくる。
「──アララギは!?」
そんなユリさんの声と共に現れたツバキさんは、私のすぐ目の前を走り抜けると奥にいるアララギの方へと駆け付ける。
(どうしよう……っ、どうしたら……)
パニックと高熱で、もはや思考すら上手く回らない。
「──おい」
フラフラとふらつく肩を掴まれて顔を見上げると、私を見つめるノアの瞳と視線がぶつかる。
「具合が悪いのか?」
「……っ、……」
途端に溢れ出てきた涙で顔を歪ませると、カタカタと震える口元から懸命に声を絞り出す。
「注射……っ、外は空気汚染されてるって……」
思うように上手く思考がまとまらず、これでは言いたいこともまともに伝えることができない。そんなことを思いつつも、それでも必死に言葉を紡ぎ出す。
「私……、私……予防接種だって……っ」
「……施設で注射されたのか?」
コクリと小さく頷くと、そんな私の額に手を当てたノア。
「この熱はいつからだ?」
「……昨日の、夜……」
私の返事に一瞬だけ眉間に皺を寄せたノアを見て、ツキリと痛む胸の奥。やっぱり、私なんて誰にとっても足手まとい以外の価値はない。
そんなこと昔から分かっていたはずなのに、ほんの少しでも期待してしまった自分が馬鹿みたいだ。
「ツバキを呼んでくる」
そう告げながら立ち去ろうとするノアを引き止めると、涙を流しながら笑顔を浮かべる。
「いいの……、大丈夫だから」
「…………。そうは見えない」
いつものように感情の読めない表情を浮かべるノアは、私の様子をジッと見つめる。
「どうなってもいい、から……」
「…………」
「このまま、死んだって……っ」
その言葉とは裏腹に、どうゆうわけか次から次へととめどなく流れ出る涙。
「…………」
「私もきっと、アララギみたいに……っ」
「…………」
「……っ、……私にも、あるの」
「……何の話だ?」
「…………。左腕に……っ、黒い斑点が……」
「……!」
その言葉にほんの少しだけ瞳を大きく開かせたノアは、私の袖を捲ると左腕を確認する。その行動がまるで私のことを心配しているかのようで、不覚にも嬉しく思ってしまう。
そんなわけないのに。
「私なんて……っ、どうせ、いらない子だから──」
ポツリと小さく呟くと、ついに自力で座っていることのできなくなった私は、そのままノアの胸に倒れ込むようにして意識を失った。
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