貞操逆転立志伝 〜種馬にされる前に、乱世を駆け上がる〜 作:大太一人
蛇籠は、増えていった。
最初の一本を沈めた翌日、留造の庭には、頼んでもいない竹が積まれていた。むしろを編んでいた男衆が、示し合わせたわけでもなく、めいめいに裏山から切り出してきたのだ。
編み方も、日ごとに上手くなった。留造が一度覚えた目の詰め方を、隣の男に伝え、その男がまた次に伝える。俺が手帳を開いて読み上げる回数は、日に日に減っていった。知恵は、一度誰かの手に移ってしまえば、もう俺を必要としない。それでいい。むしろ、それがいい。
十日で、崩れた水路の半分が籠で固められた。
水が、下の段の田へ、少しずつ戻り始めた。
乾いて白かった土が、黒く湿っていく。その色の変わりようを、田の持ち主の婆さんが、畦にしゃがみ込んで、いつまでも見ていた。泣いてはいなかった。ただ、動かなかった。
村を歩くと、視線の質が変わっていた。
最初の日、俺の背中を追ってきた「よそ者を見る目」は、まだ完全には消えていない。だが、そこに別のものが混じり始めていた。
◆
もっとも、村の景色に慣れるほど、俺の方が場違いになっていった。
石を詰めた蛇籠は、大人の男が数人がかりでようやく動かす代物だ。──と、俺は思っていた。
その日、崩れた水路のそばで、俺はそれを間近に見た。
里に数少ない、若い女だった。戦から生きて帰った、幸運な一人だという。彼女は、男四人がかりで沈めたあの蛇籠を、一人で担ぎ上げた。膝で受け、肩に乗せ、危なげなく歩いていく。石の詰まった、俺の胴ほどもある籠を、米俵でも運ぶように軽々と。
俺は、口を開けて見ていたらしい。
「そんなに見て、どうしたね、お客人」
女は笑った。悪気はなかった。
俺も手伝おうと近づくと、留造にやんわり肩を押さえられた。
「客人は、あっちで籠を編むのを見ていてくだされ。……こういうのは、あの子らの役目でしてな」
あの子ら、というのは、女たちのことだった。
その日の昼、井戸端でのことだ。水を汲もうとした俺の手から、通りかかった若い女が、さっと桶を奪った。片手で、だ。
「お客人が、そんな。手を痛めますよ」
悪気は、まるでなかった。むしろ親切だった。非力な者に水汲みなどさせては申し訳ない、という顔だった。
極めつけは、その夕方だった。
村の外れまで蛇籠の様子を見に行こうとしたら、お吉が血相を変えて追いかけてきた。
「一人で行くの? だめだよ、待って、あたしも行く」
「すぐそこだぞ」
「だめ。透、一人で歩いちゃだめ」
小さなの子供が、俺の袖を掴んで、本気で止めるのだ。まるで、俺の方が、守られる側であるかのように。
◆
「なあ、婆様」
その夜、俺は囲炉裏の前で、切り出した。
「一つ、聞いていいか」
「なんじゃ」
「この村……いや、この国は。──男と女が、逆なのか」
婆様の、椀を運ぶ手が止まった。
「逆、とは」
「うまく言えないんだけど。力仕事は女がやる。男は座って手仕事をする。俺が桶を持とうとすると、皆が止める。子供が、男の一人歩きは危ないと言う。……俺の元いたところは、逆だった。だいたい、逆だった」
婆様は、しばらく俺を見ていた。それから、囲炉裏の火に目を落とした。
「お前の生まれた地では、男が力を持っておったか」
「……持っていた、と思う。少なくとも、そういう建前が、まだ残っていた」
「こちらは、そうではない」
婆様は、静かに言った。
「力を持つ者が、上に立つ。この世は、それだけの理でできておる。──そして、この世で力を持つのは、女じゃ」
「力、っていうのは」
「お前がこぼし続けておる、それよ」
胸のあたりを、顎で指された。
「霊力。器の大きさは、腹の中におる時に決まる。そして、女の子は男の子より、大きな器を持って生まれる。ほとんど、例外なくな」
火が、薪を舐める音がした。
「陰陽師も、武家の当主も、大名も、みな女じゃ。理由は同じ。力が要る役目は、力を持つ者が担う。それだけのことよ。男は──」
婆様は、そこで少しだけ言葉を切った。
「男は、器が小さい。だから、戦の役には立たん。力仕事も、本来は向かん。里の男衆が手先の仕事をしておったのも、そういうことじゃ」
「じゃあ」
俺は、喉の奥に引っかかっていたものを、口に出した。
「その理屈で言うと。──器がでかい男ってのは、この世界で、何なんだ」
婆様は、答えなかった。
すぐには。
火を見つめたまま、ずいぶん長いこと黙って、それから、ようやく口を開いた。
「……珍しい、というだけじゃ。今は、そう思うておけ」
はぐらかされた、と分かった。
だが、婆様の横顔が、それ以上聞くな、と言っていた。森で拾われたあの朝、一度だけ見せた顔だった。俺の胸に手をかざして、「男でそれだけ持っておると、真っ当な死に方はできん」と言った、あの時の。
あの言葉は、脅しでも比喩でもなかったのだ。
この世界で、力は女のものだ。その理の中で、女より大きな力を持って生まれた男が、ただ「珍しい」だけで済むはずがなかった。