世界が滅びても、俺の安全とスローライフが最優先だ 作:最高司祭アドミニストレータ
文明復興財団『パナソル』の中枢であるコマンドセンターは、外界の混沌とは無縁の冷涼で静謐な空気に満たされていた。
先ほどまで楽しんでいたゴルフの心地よい疲労感を背中に感じながら、タチバナ・ケイイチは司令席の重厚な革張りソファに深く背中を預けていた。
壁一面を覆う巨大なマルチモニターには、ハッキングされた世界中の監視カメラや高高度ドローンが捉えた、リアルタイムの映像が静かに流れ続けている。
「マスター、お代わりをお持ちいたしました」
銀髪のショートヘアに紅い瞳が特徴の『作戦司令オペレーター』が恭しく一礼し、淹れたてのコーヒーをタチバナのサイドテーブルに置いた。
「あぁ、ありがとう。まったく、地上は相変わらず騒がしいな」
タチバナはモニターに映る地獄絵図とのギャップを楽しみながら、モニターの一角に映し出された新たな監視映像へと視線を向けた。青髪のオペレーターが、彼の興味を察してその映像をメインスクリーンに拡大投影する。
そこに映し出されたのは、海上に浮かぶ巨大な人工島──『床主海上空港』の滑走路だった。
アスファルトの上を焦点の合わない白濁した瞳で彷徨う「奴ら」。その異様な光景を空港施設の屋上から、一人の女性が冷徹な眼差しで見下ろしている。
漆黒のタクティカルスーツに身を包み、防弾ベストの上からでも隠しきれない圧倒的なプロポーションを持つ、紫色の髪の女。彼女の手には、長大な対物ライフルにも見えるスナイパーライフルが構えられていた。
ダァァァンッ!!
映像から少し遅れて、スピーカーから鼓膜を劈くような轟音が響く。
画面の中で、彼女が放った一弾が「奴ら」の一体の頭部を正確に粉砕し、赤い飛沫が舞い散るのが見えた。
「ほう、あれは確か国家の特殊部隊…SATか。見事な腕前だな」
タチバナは、どこか他人事のように感心しながらコーヒーを啜った。彼女が誰であろうと、自分とは違う地上の住人だ。この安全な深海の底から、アクション映画のワンシーンを眺めているような、そんな奇妙な感覚だった。
「マスター、別のエリアで大規模な衝突が発生しております」
銀髪のオペレーターが報告すると、画面は市街地を流れる大きな川にかかる「大橋」のライブ映像へと切り替わった。
橋の入り口は分厚いジュラルミンの盾を構えた警察の機動隊が幾重にもバリケードを構築し、完全に封鎖されている。
「あれは不良グループか。四人構成で、内二人はギャルか…黒ギャルなんて、久しぶりに見たな。白ギャルは珍しくないが」
カメラがズームした先にいたのは、木刀を振り回す金髪の男と、その周りで囃し立てる派手な身なりの若者たちだった。
「コラァ! 待てや! 今パンツ見ただろ!」
不良グループの一人が、全く理不尽な因縁を警察官に吹っかけている。その醜悪な光景に、タチバナは顔をしかめた。
バリケードの僅かな隙間をすり抜けようと、赤子を抱えた一人の若い母親が、警官に必死に何かを訴えかけていた。
その母親の背後から、先ほどの不良グループの一人が走り寄り、彼女を突き飛ばして自分だけが前に出ようとしたのだ。突き飛ばされた母親はバランスを崩し、赤子を抱えたままアスファルトに倒れ込みそうになる。
「うわ、クズじゃん」
タチバナの口から、素の感情が漏れた。前世でいかに凶悪な犯罪者を見てきた彼でも、女子供を盾にするような卑劣な輩には生理的な嫌悪感を隠せない。
『最終警告だ! 直ちに解散しない場合、実力行使も辞さない!』
装甲車両の上から、拡声器を使った冷徹なアナウンスが響き渡る。しかし、不良たちはそれを鼻で笑い飛ばした。
「やれるものならな! 少年法は俺たちの味方だぜ!」
「ってマジか。異常者だったか」
タチバナは、呆れて言葉も出なかった。世界が崩壊し、法も秩序も意味をなさなくなっているこの状況で、いまだに自分たちを守ってくれる法律が存在すると信じ込んでいるのか。
あるいは、この極限状態すらもゲームか何かと勘違いしているのか。
「ヤンデレ三人娘のほうがマシだぞ」
次の瞬間、装甲車両の上部から高圧放水銃が火を噴いた。
ドバァァァァァッ!!
凄まじい水圧の暴力が、不良グループを容赦なく薙ぎ払う。その衝撃でジュラルミンケースが弾け、無数の「一万円札」が虚空へと舞い上がり、泥水に濡れていく。
「金が紙くずになる瞬間ってやつだな…まったく、人間のやることは愚かだ」
タチバナは、冷めた目で地上の阿鼻叫喚を眺めた。自分だけがこの愚かな人間社会から完全に身を引き、超越した存在になったかのような優越感に浸っていた。
放水が止むと、アスファルトの上に数名の不良はいなかった。橋の下の川にドボンされたらしい。その中で一人だけ、黒ギャルの少女が水浸しになりながらも立ち上がった。
「おまわりさん! こ、こいつら私に無理やり…」
彼女は手のひらを返したように被害者を装い、警察に助けを求めようとした。だが、機動隊の反応は放水だった。
二度目の放水が、言い訳をする彼女の華奢な身体を容赦なく直撃する。
「きゃあああっ!」
吹き飛ばされた黒ギャルはそのまま橋の欄干を越え、濁流へとダイブするように落ちていった。
「仲良く放水され川にダイブされましたとさ」
タチバナがその光景を「自業自得だな」と冷ややかに見つめていると、オペレーターの一人が別のモニターを指し示した。
「マスター。藤美学園の生存者グループに動きがありました」
画面が切り替わる。映し出されたのは、紫藤先生率いる生徒たちが移動しているバスの車内…ではなく、そのバスから自らの意志で降り、危険な地上へと踏み出していく四人の生徒の姿だった。
毒島冴子、高城沙耶、平野コータ、そして鞠川静香。
タチバナは、安全なバスという移動手段を捨て、あえて危険極まりない徒歩の道を選んだ彼女たちの行動に、コーヒーカップを持ったまま首を傾げた。
「おい待て。わざわざ安全なバスを降りて、あいつらは一体どこへ行くつもりだ?」
誰かに強制されたわけでもなく、自ら進んで過酷な道を選ぶ。その心理が、徹底した自己保身と安全第一を信条とするタチバナには、全く理解できなかった。
「まったく、若い奴らは考えることが分からん」
タチバナはそう呟くと、地上の監視映像から目を離した。
オペレーターに指示を出し、モニターを深海の美しい環境映像へと切り替えさせる。外界の醜い争いを見るよりも、クラゲが優雅に泳ぐ映像を眺めている方が、よほど精神衛生に良い。
「ふむ、地上の連中も、あっちもこっちも大変な騒ぎだな。見ていて飽きないが、たまには俺自身も少しばかり『クラフター』を楽しませてもらおうか」
タチバナ・ケイイチはそう呟くと司令席を立ち上がり、ネザーゲート室に向かう。外界の凄惨なニュース映像から視線を逸らし、彼は自分だけが支配する安全圏へと足を踏み入れる。
ゲートをくぐり抜けると、そこには青い空と緑の大地がどこまでも続く『オーバーワールド』が広がっていた。
四角い太陽が燦々と降り注ぎ、ピクセル調の鳥たちが軽快なリズムでさえずる。
タチバナは大きく深呼吸をし、インベントリから「高出力水圧放水砲」を取り出した。
鉄ブロックの堅牢な基盤にピストン、レッドストーン回路、そして無限に水を供給し続ける水源を組み合わせた、彼特製の逸品である。
「よし、テストといこうか」
彼が手元のレバーを勢いよく引き下げると、装置が重低音を響かせ、勢いよく高圧の水流が噴射された。
ターゲットは、近くの村で交易を求めて立ち尽くしていた村人たちだ。
「さあいけ! 労働の報酬だ!」
勢いよく放たれた水流が、村人たちの身体を直撃する。不意打ちを食らった村人たちは、目を白黒させながら「ハァンハァン」という独特の音を立ててその場でのけぞる。
弾き飛ばされ地面を転がりながらも、彼らは懲りずにまた元の位置へと戻ってくる。そして再び水を浴び、同じ音を立てて転がる。
その滑稽な姿に、タチバナは思わず吹き出した。
「あー、面白い! 奴らはいくら水をぶっかけても死ぬこともなければ、怒り狂って襲いかかってくることもない。現世の人間とは大違いだ」
村人たちが濡れた身体を震わせ、また元の位置に戻ってきては「ハァン」と呟く。そのシュールな光景を眺めながら、彼は先ほどまでの地上の地獄絵図を脳内で反芻した。
噛みちぎられる警官、炎上する車、泣き叫ぶ避難民。それらと対照的なこの「ハァン」という音だけを響かせる、平和で無意味な遊び。その落差こそが、タチバナにとって何よりの精神安定剤であった。
誰にも傷つけられず、誰の命も奪う必要がない、この閉じた世界。彼は、自分だけが勝者であることを再確認するかのように、再び放水砲のレバーを操作した。
「ほらほらどうした! もっと楽しませてくれよ!」
彼は満足するまで放水を楽しんだ後、再びゲートを通って深海基地の司令室へと戻った。
司令室に戻ると、オペレーターの一人が心配そうに駆け寄ってきた。
「マスター、いかがされましたか? 少々表情が晴れやかですが」
「ああ、少しばかり『リフレッシュ』をしていただけだよ。気にするな」
タチバナはソファに再び深く身を沈め、モニターに映る地上の映像に視線を戻した。先ほどまで感じていた地上の惨状に対する僅かな罪悪感は、今の彼には微塵も感じられなかった