世界が滅びても、俺の安全とスローライフが最優先だ 作:最高司祭アドミニストレータ
高城邸の東側、崩れかけた塀の陰に漆黒の装甲が沈んでいた。
CXトルーパーAは、その場に蹲ったまま動かない。艶消し加工の施されたヘルメットのバイザーが陽光を一切反射せず、ただ淡々と前方の屋敷を捉えている。胸部の青いラインは減光状態。呼吸音すら聞こえない。
高城邸の敷地に多数の人影が入っていく。Aのセンサーが、その一つ一つを自動で識別し、追跡を開始した。
『対象、高城邸に到着。損傷軽微。医療処置中』
通信は短い。本部への報告は、必要最低限の情報のみで構成される。Aは報告を終えると、再び沈黙した。
屋敷の構造をスキャンし窓の位置、壁の厚さ、屋内の音響特性を把握する。医療処置が行われている部屋を特定し、壁越しの音響センサーで内部の音を拾った。
「痛いのやー!」
少女の悲鳴。複数の人間の笑い声。柔らかい布が擦れる音。
Aはそれを「負傷者の処置」と分類し、記録した。それ以上の意味はない。屋敷に潜入する必要はない。観察と記録が、Aの任務だった。
別の場所。避難民テント群の外縁、粗末な木箱の影に、CXトルーパーBが身を屈めていた。指向性マイクをテント群に向け、音声を拾う。
「殺人病なんてまるっきりの戯言。なぜ死体が人を襲うのか見極められなかった政府のこじつけ!」
「じゃあ本当に死体が動き回ってるっていうのか? 馬鹿馬鹿しい!」
「できないでしょ? なら、奴らに食われずに生き続ける。それ以上に重要なことはないわ」
Bは音声を解析し、内容を要約する。『対象の一人が「奴ら」の性質について避難民と議論。避難民側に敵意反応を確認』
Bは本部へ進言した。『排除しますか』
応答はない。Bは三秒待ち、独断で判断を下す。『監視継続』
テント群の裏手に回り込み、低い姿勢のまま移動する。沙耶の姿を、至近距離から観察できる位置につけた。
沙耶が両親への複雑な感情を爆発させたのは、屋敷に戻った頃だった。
「パパとママは凄いわ! ええそう! 私の自慢の親よ!」
少女の声が震えている。Bの音響センサーが、その周波数の揺らぎを拾う。悲鳴ではない。怒りでもない。Bはそれを「情緒不安定」と分類した。
直後、別の対象が沙耶に近づき、腕を回した。
「やめろ、沙耶!」
「お前だけじゃない、みんな同じなんだ! お前は他よりマシだ、親が生きていると分かっているだけマシなんだ!」
Bはその行為を、『身体的接触による鎮静化』と記録した。抱擁、という分類もあるにはあったが、Bはあえてそちらを選ばなかった。任務に必要な情報は、「対象が鎮静化したか否か」だけだ。
沙耶の涙と、孝の腕の動き。Bはそれを正確にデータとして記録し、次の監視ポイントへと移動を開始した。
前庭を見下ろす屋根の上。CXトルーパーAが、瓦の隙間に身を伏せていた。
フォークリフトの爪に載せられた鉄格子の檻。その中で蠢く「奴ら」。群衆の前で演説を始めた壮一郎の声が、Aの集音器に届く。
「この男の名は土井鉄太郎! 高城家に仕えてくれた旧家臣であり、私の親友でもある!」
Aは壮一郎を「対象区域の責任者」と識別していた。その男が日本刀を抜き、檻の中の個体を一閃で斬り捨てる。肉を裂く音、骨を断つ音。Aのセンサーが、その瞬間の壮一郎の心拍数と筋肉の緊張を記録する。迷いなし。
『対象区域の責任者が「奴ら」と化した元家臣を処刑。避難民に対して演説中』
Aは報告に付け加えた。『当該人物、危険。排除を推奨』
応答はない。Aは五秒待ち、独断で判断を下す。『監視対象から外す』
その判断の理由を、Aは自分でも説明できなかった。ただ、「危険=排除」という単純な図式に当てはめることが、この人物には適切ではない、という漠然とした認識があった。
だが、それを言語化する能力を、Aは持ち合わせていない。Aは再び沈黙し、壮一郎の演説の続きを記録した。
ガレージ付近の物陰。CXトルーパーCが壁に耳を当てるようにして、そっと様子を伺っていた。
「ここにいる誰よりも、僕が一番この武器を扱える!」
コータの声。壮一郎の部下たちとのやり取り。Cは盗聴した内容を要約する。
『対象の一人が武器の保持を主張。武装解除を拒否』
Cはコータの戦闘能力を、過去の記録から高く評価していた。
『味方に引き入れるべきか』
応答はない。Cは四秒待ち、独断で判断を下す。
『接触は見送り』
なぜ見送るのか。Cにも、明確な理由はなかった。ただ、この少年を「味方」として扱うには、自分たちの存在を明かす必要がある。それが任務に与える影響を考慮すれば、現状では接触しない方が合理的だ、という判断だった。
Cはその判断を記録し、次の観察ポイントへと移動した。
縁側の物陰。CXトルーパーCが、今度は壮一郎と冴子の対話を盗聴していた。
「もはやそれは貴女のものだ」
「無礼を承知で申し上げますが、正当な理由がなければいただけません」
「毒島先生のご指南を受けたことがある。そのお礼、ということで収めてもらえぬか」
Cは刀を「武器」としか認識していない。しかし会話の中に「掌中金正」「村田刀」という単語を拾い、それを報告に添えた。
『対象区域の責任者が、対象の一人に刀を贈呈。受領されました。刀種:村田刀「掌中金正」』
応答はない。Cは報告を終えると、縁側の柱の陰から静かに離脱した。
高城邸から離れた場所。バスの周囲を偵察していたCXトルーパーBが、遠距離からライフルを構え、スコープを覗いていた。
バス内には潜入できない。窓ガラス越しに、複数の人影が見える。紫藤の姿。女生徒たちの嬌声。Bはスコープ越しにその光景を捉え、『対象区域外のバス内にて、対象の一人が複数の生徒と不適切な関係を構築中』と記録した。
報告する必要はない、とBは判断した。任務に直接の影響はない。Bはスコープから目を離し、バスの周囲の警戒にあたった。
明曇の中で雨が振る中、孝と麗が個室に籠もったことをCXトルーパーAが外壁越しに確認した。
Aは屋敷の外壁を伝い、孝と麗がいる部屋の窓の下に張り付く。壁越しの音響センサーで、会話を盗聴する。
「みんな、あんたを頼りにしてきた。あんたも勇敢だった」
「あたしは、あんたといっしょにいたい! 一緒にいるためなら、どんなことでもする!」
「…ごめん。痛いんだろ? 寝てないと」
Aはその会話を、『対象の二人が個室にて会話中。身体的接触を確認』と記録した。感情が判断を鈍らせる可能性がある、という分析も添えた。
だが、その分析の意味を、Aは理解していない。ただ、麗の声のトーンと、孝の沈黙を、正確にデータとして記録した。
翌朝。屋敷の門付近の物陰から、CXトルーパーBとCが、壮一郎による紫藤の追放を観察していた。
「去れ! すでに下らぬものに染まっている。お前の教え子と共に去れ!」
紫藤が生徒たちを引き連れて、門の外へと退去していく。
Bはライフルを構え、スコープ越しに紫藤の顔を捉えた。不敵な笑み。Bはそれを『脅威度:中』と分類した。
『対象区域の責任者が、対象の一人を追放。区域外へ退去させました。当該対象、脅威度:中』
応答はない。Bは独断で『監視を継続』と判断し、スコープを紫藤の背中に合わせ続けた。
一連の観察を終えたCXトルーパーAが、潜伏先の物陰から本部への通信回線を開く。
「報告。高城邸および周辺区域の観測を終了。対象生存者グループの動向、以上。特記事項なし」
通信を切る。Aは直立不動のまま、次の命令を待った。回線の向こうから応答はない。Aはそれにも動じず、淡々と次の監視ポイントへと視線を移す。
「報告しなければ」
その呟きは、誰に向けたものでもない。ただ、任務を遂行するための、事務的な独白だった。
■
コマンドセンターの最深部。司令官専用の私室の扉を、タチバナ・ケイイチは静かに押し開けた。
室内は薄暗かった。壁面のモニターはすべて消灯し、天井の間接照明だけが、ぼんやりとした青白い光を落としている。
広い部屋の中央、ホログラム投影エリアの床面に、淡い光の輪が浮かんでいた。
「オペレーターは、下がらせたのか」
誰にともなく呟く。返事はない。当然だ。この部屋には、彼一人しかいないはずだった。
護衛の汎用執行兵二名は、扉の外で待機させている。彼らはタチバナが命じた通り、微動だにせず廊下に立っているはずだ。
タチバナは部屋の中央へと歩を進めた。そして、その足が、自然と止まる。
ホログラム投影エリアの中心。淡い光の輪の中に、一人の兵士が立っていた。
漆黒の装甲。光を吸収する艶消し加工。ヘルメットのブラックバイザーが、こちらに背を向けている。
(こいつは)
タチバナは、ごくりと喉を鳴らした。彼の背後で、扉が静かに閉まる音がした。護衛の執行兵が、外から扉を閉めたのだ。この部屋には、タチバナと、このホログラムの兵士だけが残された。
タチバナは、ゆっくりと兵士の正面へと回り込んだ。
ホログラムの兵士は、腕を組んでいた。漆黒の装甲に包まれた両腕を胸の前で組み、直立不動の姿勢を保っている。
バイザー越しの視線は、タチバナを捉えているのか、それとも虚空を見つめているのか、判別がつかない。
「CXトルーパーか」
タチバナが呟くと、兵士は微動だにしないまま、淡々と応えた。
「左様。高城邸への任務に従事していた個体です。報告のため、ホログラム通信を接続しました」
その声は事務的だった。敬語ではあるが、そこには一切の感情が込められていない。タチバナは、この兵士が「自分に忠誠を誓っている」わけではないことを、よく理解していた。
CXトルーパー。軍事部に属する隠密工作歩兵。彼らは、命令系統の上では「一時的」にタチバナのもとに貸し出されているに過ぎない。
タチバナがクラフトした汎用執行兵やオペレーターたちとは、その立場が根本的に異なる。彼らはタチバナの「創造物」ではなく、あくまで「軍事部からの借り物」なのだ。
だからこそ、その態度は事務的で冷酷で、そして──どこか掴みどころがない。
「報告を」
タチバナが短く促すと、兵士は腕を組んだまま、淡々と語り始めた。その口調からは、先ほどまでの「ですます」が消えていた。
報告事項を伝える際の、事務的な簡潔さへと切り替わっている。
「高城邸および周辺区域の観測を終了。対象生存者グループの動向、特記事項なし。ただし、いくつか補足すべき事象あり」
「聞こう」
「第一。対象区域の責任者、高城壮一郎。『奴ら』と化した元家臣を日本刀にて処刑。避難民に対して演説を実施。当該人物、危険と判断。排除を推奨したが、応答なし。独断で監視対象から除外した」
タチバナは、少しだけ眉をひそめた。壮一郎の名は、彼も前世で聞いたことがあった。右翼団体「憂国一心会」の総帥。
カリスマ性と冷徹さを併せ持つ人物。CXトルーパーが「危険」と判断するのも無理はない。
「除外した理由は」
「判断不能。だが、当該人物を排除対象とすることが、任務に与える影響を考慮し、監視継続が適切と判断した」
「…そうか」
タチバナは、それ以上問い詰めなかった。CXトルーパーの判断は、常に合理的だ。彼らには「感情」がない。あるのは、任務遂行のためのプロトコルだけ。
だからこそ、その判断は信頼できる。
…信頼できる、はずだった。
「第二。対象の一人、平野コータ。武器の保持を主張。武装解除を拒否。当該人物の戦闘能力、高と評価。味方に引き入れるべきか進言したが、応答なし。独断で接触を見送り」
「接触を見送った理由は」
「当該人物を味方として扱うには、我々の存在を明かす必要がある。任務への影響を考慮し、現状では接触しない方が合理的と判断した」
「……うむ」
タチバナは、小さく頷いた。コータの戦闘能力は、彼も映像で確認している。あのデブちんは、武器を手にした瞬間に変わる。沙耶への忠誠心も強い。味方に引き入れることができれば、心強い戦力になるだろう。
だが、CXトルーパーの言う通り、接触にはリスクが伴う。今はまだ、その時ではない。
「第三。対象区域の責任者、高城壮一郎より、対象の一人、毒島冴子に刀を贈呈。受領された。刀種、村田刀『掌中金正』」
「刀を、か」
タチバナは、少しだけ興味を引かれた。刀。日本刀。彼も前世で多少の心得があったが、今はもう、その感覚も薄れている。
壮一郎が冴子に刀を贈った、という事実。そこには、何かしらの「意味」があるはずだ。CXトルーパーには、その「意味」は理解できないだろうが。
「第四。対象区域外のバス内にて、対象の一人、紫藤浩一が複数の生徒と不適切な関係を構築中。報告不要と判断」
「報告不要、か。まあ、そうだろうな」
タチバナは、少しだけ顔をしかめた。紫藤。あの男の名前を聞くだけで、虫唾が走る。前世の警察官としての感覚が、あの男の「歪さ」を本能的に拒絶していた。
「第五。対象の二人、小室孝と宮本麗が個室にて会話中。身体的接触を確認。感情は判断を鈍らせる可能性があると記録」
「ふむ」
タチバナは、少しだけ口元を緩めた。孝と麗。あの二人の関係は、タチバナも薄々察していた。婚約者同士、ということだったが、まだ若い。感情が先走ることもあるだろう。
それが「判断を鈍らせる」というCXトルーパーの分析は、あまりにも機械的すぎる。人間の感情は、そんなに単純なものではない。
「第六。対象区域の責任者、高城壮一郎が、対象の一人、紫藤浩一を追放。区域外へ退去させた。当該対象、脅威度:中。監視を継続」
「あの男を追放した、か」
タチバナは、少しだけ考え込んだ。壮一郎の判断は、英断だろう。紫藤のような男を敷地内に置いておけば、必ず問題が起きる。
追放は、正しい選択だ。
「報告は以上か」
「以上」
兵士は、腕を組んだまま、淡々と応えた。タチバナは、しばらく黙って、そのホログラムの兵士を見つめていた。
「引き続き監視を続けろ。高城邸周辺の動向は、常に把握しておきたい」
「承知した」
兵士は、短く応えた。そして、ゆっくりと背を向ける。ホログラムの光が、徐々に薄れていく。やがて、その姿は完全に消え、部屋にはタチバナ一人が残された。
「ふぅ」
タチバナは、大きく息を吐き出した。CXトルーパーとの通信は、いつも以上に疲れる。彼らは、タチバナを「上司」とは見ていない。ただの「一時的な指揮官」として、事務的に接してくる。
それが、わかっているからこそ、タチバナも必要以上に踏み込まない。その距離感が、時折無性に寂しく感じられる。
「まあいい。俺には、俺の安全がある。それで十分だ」
タチバナは、誰にともなく呟いた。そして、部屋の隅に置かれたソファへと歩を進めようとした、その時だった。
コンコン、と扉がノックされた。
「司令官。報告があります」
護衛の汎用執行兵の声。タチバナは、足を止めて振り返る。
「入れ」
扉が開き、汎用執行兵が二人、部屋に入ってくる。そのうちの一人が、直立不動のまま、タチバナに告げた。
「先ほど大統領命令により、某領海の米軍所属•原子力潜水艦からICBMが発射されました。大統領機は燃料が尽き、某座標にて墜落した模様です」
「は?」
タチバナは一瞬、何を言われたのか理解できなかった。ICBM。大統領命令。大統領機の墜落。
情報が頭の中でバラバラに散らばり、やがてゆっくりと一つの意味へと収束していく。
「核を撃ち合うつもりか!?」
タチバナの声が、部屋に響いた。汎用執行兵はその問いにも動じず、淡々と応える。
「詳細は不明です。ですが、複数のICBMが、複数の国から発射されたとの情報が入っています」
「そ、そんな馬鹿な」
タチバナは一歩後ずさった。ゾンビパンデミック。それだけでも、世界は終わりかけている。
そこに核戦争。そんなものが始まれば、本当に、本当に何もかも終わってしまう。
「司令官。どうされますか」
汎用執行兵が、静かに問いかける。タチバナは、しばらく黙り込んだ。そして、ゆっくりと顔を上げる。
「情報を集めろ。核の飛来経路、着弾地点、被害状況。すべてだ。俺はこの目で確認するまで信じない」
「了解」
汎用執行兵が、一礼して部屋を出ていく。
「くそ。なんで、こんなことに」
タチバナは一人、薄暗い部屋の中に立ち尽くしていた。