世界が滅びても、俺の安全とスローライフが最優先だ   作:最高司祭アドミニストレータ

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通学路では、彼ら三人組と邂逅してもらいましょう。


買い物と通学路

 日本の関東圏に位置する地方都市、床主市。

 

 太平洋から吹き込む海風が、春の暖かな日差しと共に街全体を優しく包み込んでいた。

 満開を迎えた桜の木々から薄紅色の花びらが舞い落ち、アスファルトの歩道を淡く彩っている。

 

 市内の中心部にそびえ立つ高級高層マンション。その最上階に近い一室で、タチバナ・ケイイチは静かに目を覚ました。

 

 キングサイズのベッドから身を起こし、上質なシルクのパジャマのシワを軽く伸ばす。大きなガラス窓の向こうには、青く澄み渡った空と、ミニチュアのように小さく見える街のパノラマが広がっていた。

 

 

「今日も素晴らしい朝だ」

 

 

 タチバナは淹れたてのコーヒーの香りを楽しみながら、ふと自分の掌を見つめた。

 

 筋張った男の手。しかしそこにはかつて彼が「警視庁特殊凶悪犯対策課・第四係の隊長」として握っていたはずの、冷たい拳銃のタコや、数々の修羅場を潜り抜けてきた生々しい傷跡…は元より存在しないがあったことにする。

 

 彼の肉体は、あの日──理不尽極まりない凶悪事件の巻き添えを食い、呆気なく命を落としたあの日──から、根本的に作り変えられているのだ。

 

 暗闇に沈みかけていた彼の魂を掬い上げたのは、オレンジ色の髪をした『統括のアレックス01』と名乗る存在だった。

 

 彼女の手引きと『技術開発部のアレックス03』がもたらしたオーバーテクノロジーによる肉体と魂の改造手術を経た結果、タチバナは別時間軸の地球へと転生を果たし、後天的な『マインクラフター』という新たな知覚種族へと進化を遂げた。

 

 彼に世界を支配しようといった野心や、前世のように命懸けで市民を守るといった高尚な使命感は微塵もなかった。

 

 前世で痛感したのだ。他人のために血を流し正義を貫こうとしても、最後は理不尽な暴力に呆気なく命を奪われるという残酷な真実を。

 

 

「痛いのは嫌だ。死ぬのも怖いのもごめんだ。今世は絶対に誰にも邪魔されない安全圏で、ストレスフリーなスローライフを送ってやる」

 

 

 身支度を整えたタチバナは、体に完璧にフィットした仕立ての良い漆黒のオーダースーツに身を包み、マンションを出た。

 

 彼の外見は、誰が見ても「隙のないエリートビジネスマン」そのものである。涼やかな目元と整った顔立ちに背筋の伸びた立ち姿は、すれ違う人々の視線を自然と惹きつけるほどのオーラを放っていた。

 

 彼が向かった先は、駅前の大型スーパーマーケットであった。

 

 自動ドアを抜け、生活感あふれる店内へと足を踏み入れたタチバナは、迷うことなく生鮮食品コーナーへと直行した。 

 そして、陳列されているプラスチックパック入りの「鶏の卵」を、次から次へと買い物カートに放り込み始めたのだ。

 一つ、二つ、十、二十。あっという間に、カートの中は卵のパックで山盛りになっていく。

 

 

「あら? あの方…」

「業者さんかしら? でもあんな立派なスーツで…」

 

 

 周囲の主婦たちが奇異の目を向けるが、タチバナは涼しい顔で卵を回収していく。

 

 

(見ろ見ろ。これが「未来の最強軍団」と「メイドたち」の核となる素材だとは、誰も思うまい)

 

 

 タチバナが喉から手が出るほど欲している「メイド」や「兵士」をクラフトするためには、生命のコアとなる『卵』が不可欠だった。

 

 オーバーワールドでの採掘で鉄インゴットやレッドストーンといった無機物は集まるが、有機物である卵は、現実のスーパーで買い占めるのが最も手っ取り早く、安全なのだ。

 

 オーバーワールドで自動卵回収機を作ったほうがよかったかもしれない、っというツッコミはスルーすることにした。

 

 

「フッ、俺の完全なる防波堤が着々と形になっていくぞ」

 

 

 タチバナは内心で小躍りしながら、大量の卵をレジに持ち込んだ。店員の引きつった笑顔にスマートな微笑みで返し、クレジットカードで会計を済ませる。

 

 店を出て人目のつかない死角に入った瞬間、彼はその膨大な量のエコバッグを、虚空に展開したインベントリの中へとポンッと吸い込ませた。

 これで手荷物はゼロ。まさにマインクラフターならではの快適な買い出しである。

 

 

「あとはマンションに戻って、コーヒーでも飲みながらメイドの設計図でも考えるとするか」

 

 

 タチバナが鼻歌交じりに春の陽気を楽しんでいると、前方の桜並木が続く通学路から、見知った顔ぶれが歩いてくるのが見えた。

 

 藤美学園の制服に身を包んだ、三人の高校生。

 小室孝、宮本麗、そして井豪永である。

 

 

「おや、小室くんたちじゃないか。おはよう」

 

 

 タチバナが柔らかな声音で挨拶をすると、三人はこちらに気づき、パッと顔をほころばせた。

 

 

「あ、橘さん! おはようございます!」

 

 

 亜麻色の髪のサイドに垂らした触角ヘアーを風に揺らしながら、麗明るい声で駆け寄ってくる。

 彼女の隣には、少し照れくさそうに頭を掻く孝がピタリと寄り添っており、その背後から永が気さくに手を挙げている。

 

 タチバナは前世の警察官時代、麗の父親である県警幹部と仕事上で面識があった。

 その縁で、彼らがまだ幼い頃から顔見知りであり、現在のタチバナにとっては「近所に住む、頼れるカッコいいお兄さん」という立ち位置に収まっていた。

 もちろん、彼らに「マインクラフター」という裏の顔を知られているわけではない。

 

 ややこしいがこの世界の前世ではなく、前の世界での面識である。本当にややこしい。

 

 

「今日も三人一緒か。相変わらず仲がいいな」

 

 

 タチバナが微笑むと、麗は孝の腕に自分の腕を絡ませ、えへへと誇らしげに笑った。

 

 

「当たり前ですよ! 孝とは結婚を前提に付き合ってるんですから!」

「おい麗! 橘さんの前でそんなこと大声で言うなよ…!」

 

 

 孝は顔を真っ赤にして麗を制止しようとするが、その手は彼女の腕を振り払うことなく、むしろ愛おしそうに受け入れている。

 

 孝と麗は、幼少期の「大きくなったら結婚する」という約束をそのまま純粋に育て上げ、今や周囲も公認の「相思相愛の婚約者同士」であった。

 極めて健康的な愛情で結ばれた二人の間には、誰も入り込めないような甘く温かい空気が漂っている。

 

 

「朝から暑苦しいぞ、お前ら。橘さんが困ってるじゃないか」

 

 

 背後から、永が呆れたように笑いながらツッコミを入れた。

 

 

「永だって、いつもからかって楽しんでるくせにさ」

 

 

 孝が言い返すと、永は肩をすくめてみせる。三人の間にある絆はどこまでも澄み切っており、若者特有の生命力に溢れていた。

 

 そんな彼らのやり取りを眺めながら、タチバナは内心で深い安堵を覚えていた。

 

 

(平和だ。若者が恋に悩み、未来を語り合える。これこそが、社会の秩序が正常に機能している証拠だ)

 

 

 法で裁けぬ悪党や血みどろの抗争を嫌というほど見てきたタチバナにとって、彼らの放つ健康的な「日常」は何よりも尊いものに感じられた。

 同時に自分も彼らのように、メイドたちとイチャイチャする未来を築くのだと決意を新たにする。

 

 

「そういえば麗くん。お父さんの仕事のほうは最近どうだい? 相変わらず忙しそうか?」

 

 

 タチバナが何気なく話題を振ると、麗の表情が少しだけ曇った。

 

 

「あ、はい。実は、ここ数日ずっと家に帰ってきてないんです」

「帰っていない? 県警の幹部が?」

 

 

 タチバナは少し意外そうに眉を寄せた。

 

 

「ええ。何か、すごく物騒な事件が立て続けに起きているらしくて。お父さん、電話でもすごくピリピリしてて。孝も心配してくれてるんですけど」

 

 

 麗が孝を見上げると、孝は力強く頷いた。

 

 

「俺が麗を守りますから、大丈夫です。でも、麗の言う通りピリピリしてるっていうか…」

「なるほどな」

 

 

 タチバナは、顎に手を当てて思案する素振りを見せた。

 

 彼の脳内で、前世の警察官としての経験則が高速で回転する。県警の幹部が帰宅できないほどの事態。

 考えられるのは大規模な広域指定暴力団の抗争か、あるいはテロ事件の兆候。もしくは、新種の感染症などによるパニック対策か。

 

 

(まあ何にせよ、日本の警察機構は優秀だ。多少の暴動や事件が起きても、数日あれば完全に鎮圧されるだろう)

 

 

 タチバナはすぐに結論を出し、自らの心の中に湧き上がった微かな不安を打ち消した。

 

 彼はそもそも「極度の小心者」であり、自分が危険に巻き込まれる可能性を本能的に排除しようとする傾向がある。「俺には関係のないことだ」と線引きをすることで、心の平穏を保っているのだ。

 

 

「心配ないさ、麗くん。君のお父さんは優秀な警察官だ。それに、いざとなれば孝くんが君をしっかり守ってくれるだろう?」

 

 

 タチバナが優しく微笑みかけると、麗の顔にパッと明るい色が戻った。

 

 

「はい! 孝は強いですから!」

 

 

「橘さんまでからかわないでくださいよ…」

 

 

 孝が照れくさそうに頭を掻く。その横で、永が「ほら、遅刻するぞ」と二人の背中を押した。

 

 

「それじゃあ橘さん、俺たち学校に行きます!」

「ああ、気をつけてな。しっかり学んでこいよ」

 

 

 

 タチバナは手を振り、桜吹雪の中を歩き出していく三人の背中を見送った。

 

 三人の姿が見えなくなるとタチバナはゆっくりと踵を返し、自身の住む高級高層マンションへと向かって歩き出した。空はどこまでも高く、澄み渡っている。

 

 

「さて、他人の心配をしている暇はない。俺は俺の『城』を強固にするための作業を進めるとしよう」

 

 

 タチバナは、これからインベントリ内の卵を使って生み出すであろう、自分に絶対忠誠を誓う美しいメイドたちの姿を想像し、口元をだらしなく緩めた。

 

 どんな事件が起きようと、どんなパニックが起きようと、自分だけは絶対に安全な領域で快適なスローライフを享受する。そのための準備は、すでに整いつつあるのだ。

 

 春の穏やかな風が、タチバナの漆黒のスーツを軽く揺らす。

 

 床主市は今日も、何事もなく静かに一日を始めようとしていた。

 街の喧騒も、鳥のさえずりも、すべてが完璧な調和を保っている。彼が望んだ「ただの安全な日常」は、確かにそこに存在していたのであった。




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