毎日、ハーメルンで小説を読ませてもらっています。
いつの日か皆様の面白い小説に並べるように、レベルアップしていきたいと思います。
初投稿ですが、よろしくお願いいたします。
少年が、生まれてから十一年間暮らした家だった。しかし、二度と扉を通ることはできない。
癖のない黒髪に、感情の読みにくい灰色の瞳。整ってはいるが印象に残らない、群衆に紛れれば三歩で見失う類の顔立ち。
背負った袋には着替えが二枚と硬いパンが三つ。それが彼の全財産だった。
閉じられた扉の向こうには、罪悪感で縮こまった父親と、安堵の色を隠しきれない母親がいた。
少年は一度だけ扉に頭を下げて、踵を返した。
切っ掛けは唐突だった。
いや、唐突に見えただけで、予兆なら幾らでもあったのだろう。
痩せた畑。増える弟妹。日に日に薄くなる粥。食卓で自分にだけ向けられなくなった視線。
特に粥は具が減り、汁が増え、最後の方はほぼ白湯だった。家計の危機を語るものとして、あれほど雄弁なものはない。
そしてある朝、父親が目を合わせずに言ったのだ。お前は賢いから、一人でもやっていけるだろう、と。
賢いから、ときた。
口減らしを言い渡す、良い言葉だ。洗練されている。親の体裁として、追い出したのではなく、送り出したことにしたいのだろう。
どのように言い繕おうと、ここに居場所がないことに変わりはないのだが。
というか本当に賢い子供に言うことではない。賢い子供は、その本音まで読めてしまうのだから。
少年の名はレント。
この世界で付けられた名前であり、同時に、彼にとっては二つ目の名前でもある。
レントには前世の記憶があった。
といっても、断片的に思い出したとか、夢に見たとか、そういう曖昧なものではない。
前世の死後、体から意識だけが引きはがされて、痛みも温もりも重さも感じとれないまま、ふわふわ漂っているうちにこの世界にたどり着いて、赤子の体になっていた。
これが幸運なのか不運なのかは、正直なところ今でも分からない。
ただ、一度死んでみて分かったことが一つある。
死の何が嫌かといえば、痛いことでも、無になることでもない。
――探求できなくなることだ。
もっと知りたいことがあった。読みかけの本があった。見たかったもの、行けなかった場所があった。 死とはつまり、面白くなってきたところで本を取り上げられることである。
あの喪失感だけは、二度と御免だった。
世の中には「死んだら死んだで、その時はその時」と笑える豪傑もいるらしいが、心残りはないのだろうか。
そしてもう一つ、死がレントに残したものがある。
不思議なモノが、見えるのだ。
正確には、見えるし、感じられる。
そんなモノが、自分の体の内側で淡く熱を持っていた。
この世界には魔法が、存在するのだという。
だとすれば、これは魔力と言うべきなのかもしれない。
そして、それは誰にでも見えるものだと思っていた。
だが五歳の頃、母親に魔力が見えると言ったら、心底怪訝な顔をされた。
ついでに翌日、しれっと隣家のおばさんに相談されていた。うちの子がちょっと不気味な事を言うんですよ、と。
そのとき盗み見た母の顔には、困惑と、かすかな怯えの色が宿っていた。
どうやら普通は見えないらしい。そういえば、この村で魔法を見た覚えがない。
魔法使いの才能は希少なのだろうか。
以来レントは、村で魔力の話を一切しない事に決めたが、誰にも見えないことを利用して、魔力がどうなっていて、何ができるのか一人で夢中になって試していた。
農家の五歳児が、他にすることもなかったとも言える。
街道を歩きながら、レントは行き先を考える。
嘆いても現実は変わらない。切り替えていこう。
十一歳、無一文、コネなし。持っているのは前世の知識と、魔力の感覚と、他の子供とは違う大人の精神ぐらいだった。
改めて手札を並べてみると、なかなかに心細い。前世の知識といっても、この世界で蒸気機関や電気を作れるわけもないし、すぐ金になる類のものではないのだ。
だが、嘆いても仕方ない。切り替えようと決めたばかりである。
そして、行き先の候補は最初から一つしかなかった。
天道魔塔。
この地方で一番有力な魔法使いたちの学術機関だ。塔とは言うが実態は都市に近い。主塔を中心に教室棟、研究棟、工房棟、ダンジョンまでを備え、数千の魔法使いが日夜研究と修行に明け暮れているという。
無論、十一歳の農家の四男坊が入れる場所ではない。入学試験があり、合格者だけが学生の資格を得る。
だがレントの狙いは入学ではなかった。
図書館だ。
天道魔塔の図書館棟、その一階だけは外部に無料開放されている。
五歳の頃に行商から話を聞いて、いつか行ってみたいと思っていた。
なにせ本が読み放題だ。この世界の紙は高級品で、本は庶民が数年かけても買えない値段がする。それがタダで、朝から晩まで、誰にも咎められずに読める。
しかも図書館には屋根がある。冬でも凍えない。あの規模の施設なら、住み込み同然に入り浸る人間が一人や二人いても、誤差の範囲だろう。
つまり、当面の宿と情報源を一箇所で賄える。
我ながら現金な話だが、路頭に迷った十一歳に上品さを求めるのは酷というものだ。
夕暮れの街道の先に、それは見えた。
雲を貫いて、頂上が見えないほど高くそびえる白い塔。
周囲に連なる無数の棟。その全てが、人の寿命を超える魔法使いの研究と修行に関係する施設だ。
レントは足を止め、しばしそれを見上げた。
前世の彼は、ごく普通に生きて、死んでしまった。
もっと知りたいことも、やり残したこともあった。
だからこそ、この世界でその続きをしよう。
家を失い、家族にも捨てられた。
それでもレントの足取りは、本人も意外なほどに軽い。
なにせ行き先は、この地方最大の図書館だ。
「……当分、読む物に困らないな」
それが、家を追い出されたばかりの少年が漏らした言葉であった。
天道魔塔、図書館棟一階。
見上げるほどの本棚が何百列と並び、天井は吹き抜けで、梯子と渡り廊下が縦横に走る。
最高の場所である。
――と、手放しで喜べたのは、初日だけだった。
二日目、レントは司書たちの雑談から、この図書館の有名な話を耳にした。
曰く、一階の蔵書を全て読み通すには、千年以上かかる。
一階だけで、だ。
人の寿命は、長くて百年。今この瞬間から一日も休まず読み続けても、寿命の方が先に尽きる。
しかも二階から上には、さらに膨大な蔵書が眠っているという。
つまりこの図書館は――人の一生では、読み切れない。
家を追い出された日も、着いた晩の野宿で凍えかけた夜も、特に取り乱さなかったレントが、この世界に来て初めて本気で頭を抱えた瞬間であった。
目の前にご馳走の山を積み上げておいて、食べ切る前に席を立てという。何という拷問だろうか。
……いや、落ち着け。読める分だけ読めばいい。そのためにはまず、生活基盤を整えよう。
すでにレントが図書館棟に住み着いてから、ひと月が過ぎていた。
住み着く、と一言で言うが、当然ながら段取りは必要である。
まず寝床だが、図書館の閉架書庫の裏手に、資材置き場となっている半ば忘れられた小部屋を見つけた。
管理しているのは、初老の職員だった。
「この部屋を片づけるので、しばらくお借りできませんか」
「……は? 駄目に決まってるだろう。帰りなさい」
「では、明日また片づけに来ます」
「話を聞いてたか?」
翌日、レントは掃除道具を借りて、返事を待たずに小部屋を磨き上げた。十年物の埃を一掃し、雑然と積まれていた資材を種類別に並べ直し、ついでに目録まで作って渡すと、職員は目録と小部屋とレントを順番に三度見比べて、言った。
「……この部屋は好きにするといい」
「ありがとうございます」
「余計なことをして、わしの手を煩わせるなよ」
こうしてレントは寝床を勝ち取った。
次に食事だが、これは働いて買うしかない。図書館で家庭菜園を始める勇気はなかったのだ。
幸い、働き口は図書館の中にあった。
破れた本の修復と、書架整理――本棚の乱れを整える仕事である。
これが意外に人手不足だった。なにせ一階だけで数万冊ある。しかも利用者の大半は「だいたいこの辺にあった」という雑な記憶で本を戻したり、近くの適当な場所に置いたりするので、分類順に並んでいた本の位置が崩れていく。
整理しても整理しても崩れる。賽の河原のような作業である。司書たちの目が揃って遠いのも頷ける話だ。
とはいえ、一度見た本の配置を忘れないレントにとって、書架整理はただの単純作業だ。ひと月もすると、司書たちはレントを頼るようになっていた。
「『東方モンスター図鑑』の三巻はどこだっけ?」
「北側十二列、上から三段目、右から四十七冊目です」
「……そんな細かいところまで、よく覚えてるね」
――化物を見る目をされた。
失敬な。ちょっと記憶力が良いだけでしょ。
なお、この一件以来、司書たちの間で評判になり、レントの給金が少し上がった。ここまでは良かった。
問題は、噂に尾ひれがついたことである。
「あの子、一階の蔵書を全部暗記してるらしいよ」
「利用者が何を借りたかも全部覚えてるんだって」
「昨日、目が合っただけで、私が探してた本を言い当てられたの」
最後のは断じて覚えがない。むしろ人の顔を覚えるのは苦手である。本の位置なら忘れないのだが。
挙句、司書長――眼光だけで人を怯ませるような、長身の女性である――に呼び出される事態となった。給金の話だったが、心臓に悪かった。
そしてもう一つ、レントは商売を始めていた。
写本と、要点ノートの販売である。
図書館一階の本は持ち出し禁止だ。しかし入学試験を控えた受験生や試験前の学生は、図書館の外でも勉強したいと思っている。
ここに商機がある。
頻出の基礎理論書などを写本し、さらに「試験に出る要点だけを抜き出したまとめノート」を作って売る。もちろん、司書に確認して問題なかった本だけである。
紙とインク代は必要だが、自分の勉強をかねて書きまくる十一歳。実に商魂たくましい。
まとめノートは飛ぶように売れた。受験生や学生の間で「図書館の子供のノート」は静かな評判となり、レントの食事は硬いパンから、たまに肉の入るスープへと進化を遂げた。
知識がパンになる。
学問とは、かくも尊いものである。
ちなみに一度、年上の学生に「子供のノートなんか信用できるか」と言われた事がある。
その学生が、翌月にしれっと現れた。
「……一冊くれ」
「先月、信用できないと仰っていた方では」
「気のせいだ」
試験にノートの内容が八割くらい出題され、彼の友人が自慢していたらしい。
今ではテストの度にノートを買ってくれるお得意様である。正直でよろしい。
しかし、ノートの的中率が高すぎて、教員の間で「試験問題が漏れているのではないか」と小さな騒ぎになってしまった。
司書経由で「あのノートの作者は誰だ」という問い合わせが来たときは、さすがに冷や汗をかいた。
以来、要点ノートの的中率は、意図的に下げている。
作った本人としては、過去の出題傾向を調べただけなのだが、疑われてはたまったものではない。
過去の試験問題を使いまわす教員、多すぎじゃないですか。面倒でも新しい問題、作ってください。過去問も出回ってそう。
さて、生活基盤の話はここまでにして。
この世界の魔法使いとは何か。レントは本で調べていた。
すると、魔法使いは修行で魔力の格を高めることを目的とするという。
瞑想などで、魔力の『量』と『操作精度』を育成し、この二つが一定の水準――壁を超える事を、ランクアップと呼ぶ。
魔力の感知と操作が可能になれば、ランク零の魔法使いだ。
ランク一、ランク二と上がるにつれ、扱える魔法は増え、威力も上がる。
ここまでは、まあ、よくある話だ。前世の物語にも似た体系は幾らでもあった。
問題は次だ。
――ランクアップする度に、老化が十年間停止する。
最初にこの一文を読んだとき、レントは読み間違いを疑った。
この世界では、魔力の格が上がった者は、その分だけ肉体の時間が止まり、不変となる。ランクアップ一回につき十年、老いが止まる。つまり寿命が十年延びるのだ。
魔塔の学生の最高位であるランク九まで上がれば、それだけで九十年。
その上の助教、教授、賢者と階級が上がれば、停止期間はさらに跳ね上がる。
そして魔塔の頂点、ランク四十の大賢者と呼ばれる領域に至った者は、千年を超える時を生きるという。
……いや、待ってくれ。
これほどの話が、なぜ本の途中に、当たり前のように書いてあるのか。
この世界では常識なのか。知らなかったんだけど。
修行を重ね、強くなるほど、寿命が延びる世界。
強くなれない者から老いて死んでいく。
それはつまり――
レントは本から顔を上げ、本の海を見渡した。
読み通すのに千年以上かかる一階。その上の階に眠る、さらに膨大な蔵書。人の一生では決して読み切れないと、頭を抱えた。
「千年以上、生きればいいだけじゃないか」
そうすれば、すべての本を読み切れる。
この世界を、心ゆくまで知り尽くせるということだ。
しかもその道は、魔法使いの才能で決まるらしい。
それに、魔力は毎日見えている、あれのことである。
レントは本を閉じ、しばし天井を仰いだ。
……これは、ひょっとすると――
ついでに、その日は閉館まで転生に関する本を漁った。
なにせレントが転生したのだ。他にも転生している人がいてもおかしくない。
しかし、結果は芳しくなかった。
転生という概念はあるようだが、どれも記述が数ページしかなく、まだ十分に解明されていないらしい。
半日かけてようやく見つけた古びた本に至っては、目次に「第七章 魂への干渉について」とあるのに、めくってみると該当のページが丸ごとなかった。
刃物で丁寧に切り取られていたのである。
初めて小説を書いてみましたが、面白い言葉がまったく出てきませんでした……。
小説を読むのと、書くのでは、こんなに違うものなのですね。
小説でたくさんの心を動かす皆様が、レベル99くらいありそうで、高みを見上げている気がします。
え? わたし? 町中に埋もれている無数の看板の一つ(レベル1)ですかね……。
そもそも小説の設定を固めるのも難しいですが、書いてレベルアップするしかないみたいです。
追記
2026/7/24、23時に修正版を反映しました。