図書館の二階に行く資格を得るには、ランク一から二へとランクアップするしかないが、到達まで平均で四年かかるらしい。
しかも、これはあくまで平均でしかなく、ランクの壁を越えられずに退学する学生もいる。
そんなランクの壁を越えるには、魔力の「量」と「操作精度」の二つを、一定の水準まで引き上げる必要がある。
だがこのうち精度については、レントを心配するだけ無駄だった。なにせ二年間、身長を伸ばすため魔力量を増やすことなく、精度だけをひたすら磨き続けたのである。それに生まれてからどれだけ暇つぶしに魔力を扱ってきたことか。もはやランク二どころか、その先にすら届いている自信があった。
とはいえ残りの魔力量は修行でこつこつ増やしていくしかない。
毎晩、寮の自室でレントはひたすら魔力を練って器を広げていく。
なお、これは無言でやらねばならない。
こんな壁の薄い部屋で夜中に独り言を口にすれば、隣人に不審がられてしまう。それはすでに初日の晩に経験済みである。
人は失敗から学ぶ生き物だ。同じ轍は二度と踏まない。
……はずだったが、十日目の朝、寮の廊下で隣室の学生に呼び止められた。
「なあ、最近夜中に、お前の部屋から気配を感じないんだが……お前、ちゃんと生きてるか?」
「……目の前にいますよね? 静かなら、それでいいのでは?」
「静かすぎるんだよ! 寝返りの音すらしないとか、逆に怖いわ!」
無音でも駄目なんて一体どうしろというのか。我儘な隣人である。
もしかしたらこの寮で暮らすには、ほどよい生活音を演出する技術が必要なのかもしれない。
どうして人間関係はこんなに面倒なんだ。魔力操作より難しいんだが。
――たとえ興味なくとも、しっかり学ぶこと!
入学から三ヶ月と少しが過ぎた、ある朝。
主塔の連絡通路で、レントは特進科の一団と鉢合わせした。
中心にいるのは赤い髪の少年。ジークである。
……嫌な予感がする。できれば放っておいてくれ。
祈るようにレントは会釈だけで通り過ぎようとしたが、当然のようにジークは足を止めた。
「おい。レント」
「……何でしょうか?」
ジークはレントを正面から見据えた。
「俺は先週、ランク二になった」
――え。
レントの内心で、何かが軋んだ。
別に競っているわけではない。ないのだが、二階の本を先に読まれるのは、それはそれとして、なんというか、非常に、面白くない。
……ジークはそこまで本に執着してないと思うよ。
とはいえ、ランク二へ近づいているものの、まだ届きそうにない。
修行を増やすしかないか。とレントは思わずため息をつきそうになる。
「それで、決闘制度は知っているな」
「……何ですか、それは」
「知らんのか? 学生同士が教員立ち会いのもとで正式に手合わせできる制度だ。まったく、常識だぞ」
ジークが眉を寄せて答える。
そんなことレントはすっかり記憶の彼方に追いやっていた。入学してすぐに天道魔塔の学則に目を通したが、まさか自分が決闘に関わるなんて思ってなかったのである。
「もっとも、決闘が許されるのはランク五からだ。ランク四までは魔力の制御が未熟で、事故になるらしい」
「はあ……」
「だから、さっさとランク五になれ。図書館の教授とやらの弟子なら、凡才どものように三十年もかからんだろう。全力のお前を叩き潰して格の違いを思い知らせてやる」
半ば強引に決闘の約束を取り付けると、ジークは特進科の一団を引き連れて満足げに去っていった。
あの人、なんで会うたびに勝手に期待値を上げていくんだろう。
去り際に「図書館の教授とやらにも、そう伝えておけ」と言い残すのも、前回とまったく同じである。
存在しない教授への果たし状が、また一通増えてしまった。
もしかしたら、受取人不在で返送されてしまうかもしれない。
――雲がゆっくりと切れ、淡い月明かりがレントの部屋を照らす。
そこで今日も修行していたレントの魔力は限界まで器に満ち、ランクアップを阻む壁に直面していた。
とはいえ二度目のランクアップである。勝手は分かっていた。
レントは深く息を吸い、練り上げた魔力を一息に器へ流し込んだ。
あとは押し切るだけだが、魔力操作が甘ければこの壁を越えることなどできない。
しかしレントのランク一とは到底思えないほど無駄なく制御された魔力が器をわずかに軋ませる。
その軋みは音ではなく、感覚として伝わってくる。ランク零からランク一に上がったときとは桁違いの抵抗だった。
だがそれすらレントは手を一切緩めることなく壁を押し進めていた。
もはや見る影もないほど張りつめた壁が徐々に崩壊していく――そして。
壁を越えた器が、内側から広がりながら再構築されていく。魔力の質がまた一段と変わったのが分かった。
「……やっとランク二か」
レントは安堵の息を漏らした。
これで、寿命がさらに十年延びたことになる。合計すると二十年だ。
といっても千年かかる図書館の、二十年分である。
全体から見れば微々たるものだがそれを積み上げねば、千年には届かない。
そして何より――
「……ついに、二階に行ける」
二年間、ずっと夢見ていた場所だった。
レントはベッドの上で、さっそく何の本を読もうか悩んでいた。
なお翌朝。レントは隣人に呼び止められた。
「昨日の夜、お前の部屋から光が漏れてきたんだが」
「……気のせいです」
「壁の隙間から漏れてきたぞ」
「壁に隙間があるんですか」
「あるんだよ」
壁が薄いどころではなかった。音漏れが酷いわけである。
そこ、修理しといて!
ランクアップの手続きは教室棟一階の事務窓口で行う。
魔力感知で他人のランクを測るには相応の実力がいるし、学生同士では正確に測れない。
だから教員が学生の魔力を測定してランクアップを認定している。
レントが窓口の職員に用件を告げると、測定担当の教員が呼ばれてきた。白髪の、どう見ても七十歳の老人である。もちろんこの世界で外見はまったく参考にならないが。
「それで……ランク二になったと。名前は?」
「レントです」
「……レント君、入学は何年前かね?」
「四か月前です」
「…………」
教員の眉が、わずかに動いた。
「……座りなさい」
教員はレントの正面に腰を下ろして目を閉じた。魔力感知でレントのランクを測っているのだろう。
そしてその顔から、だんだんと表情が抜け落ちていった。
教員は目を開け、老人らしからぬ鋭さでレントを見た。
「誰に習った?」
「図書館で勉強しました」
レントはそう言った瞬間、はっとした。
自分の失敗を悟ったのだ。
この言葉は、以前も同じ結果を生んでいる。
「ああ。噂の、図書館の教授かね」
「……あの、教授というのは」
「安心しなさい。私は詮索せんよ。ランク二まで四年かかるはずなのに、君をたった四か月で育て上げるなど、信じられないほど優れた師がいるものだね。……礼を言っておきなさい、その人に」
違います。
色々間違ってます。本当は師匠も教授もいないんです。
そんな訂正の言葉を、レントは飲み込んでしまった。
……どうせ何を言っても弟子扱いされるのだ。
レントを見やると、それはそれは全てを受け入れたような穏やかな表情だったとさ。
そして教員は書類に何かを書き込み、レントの学生証を受け取ると、その表面に指を当てた。淡い光が走り、学生証に一本の線が刻まれる。
「これで天道魔塔の二階に入れるはず。……ああ、それと、今年の新入生で君は二番目だ。一番は特進科のジーク君。半月ほど早かった」
「……半月」
「悔しいかね」
「いえ。……ただもっと早く本を読みたかっただけです」
「……君は、面白いことを言うね」
教員はくつくつと喉の奥で笑って、レントを送り出した。
なおこの後すぐに、「図書館の教授の弟子、入学四ヶ月でランク二」という噂が普通科の端から端まで広まっていた。あまりに早すぎる。
他人のことなんてどうでも良くないか? なんでここまで噂になるんだ!
世の中ままならないものである。
教室前の廊下に今日も普通科の学生が座り、授業が始まるのを待っていた。
そこでレントは青髪の少女クラリスに捕まってしまう。
「レント! ランク二ですって!?」
「……耳が早いですね」
「みんな噂してるわよ! ……四ヶ月って何よ、四ヶ月って。私だって結構真面目に修行してるのに、まだ全然手ごたえがないのよ」
「そうなんですね」
レントはただ頷いていた。
苦々しく息を吐いたクラリスは、じろりとレントを睨んだ。
「アンタ、他人事だと思ってるでしょ!」
誤魔化すようにレントは視線を逸らしてしまった。
表情には出してなかったはずだが。どうしてわかったのだろう。
「……ねえ。何かコツがあるなら教えなさいよ」
クラリスが助けを求めるような目でレントに尋ねてきた。
「……魔力量より先に、魔力操作の精度だけを限界まで上げることですかね。十年くらい」
「十年!? 結局時間かかってるじゃない!」
「なので、あまり参考には……」
「聞いた私が馬鹿だったわ……」
しゅんと肩を落とすクラリスに、レントは少し考える素振りを見せ、付け加える。
「ただ、精度の修行自体は今日から始められますよ。一階にある演習室に行けば実技試験で使った羽根の魔道具を借りられるそうなので」
「……アンタ、そういうところは詳しいわよね」
言った手前もあり、その日の授業後、レントはクラリスの修行に付き合うことになった。
演習室の隅で、クラリスが眉間に皺を寄せて魔力を込めた羽根の魔道具を睨む。羽根はふらふらと蛇行しながら、三つ目の輪の縁に引っかかって落ちた。
「〜〜っ、なんで曲がるのよ!」
「途中で魔力の制御が粗くなってます。羽根は軽いので、置きにいく程度の魔力を通わせて一定に保ってください」
「置きにいく……こう?」
「そうです。……ああ、今のは良かったですね」
「ほんと!?」
ほどなくして、クラリスの操る羽根は三つ目の輪をするりと抜けた。
クラリスが両手を上げて喜び、その拍子に羽根が天井まで吹っ飛んでいったのは、ご愛嬌である。
……壊れてないよね? それ、借り物なんだけど。
それから彼女は、思い出したように声を潜めた。
「そういえば、あんたお金は大丈夫なの? 普通科でランク二になったなら、ダンジョン棟に入れるわよ」
「ダンジョン棟、ですか」
「そう。そこで素材を取ってきて売るのよ。一階はランク一のモンスターだけだから、ランク二なら安全に狩れるわ。羊皮紙の原料も、杖や魔法薬の素材も、魔法石のもとも、全部ダンジョンのモンスターや草木なんかから手に入るの。あんたが雑用当番で行ってる工房棟の素材倉庫でも買い取ってもらえるわ。貧乏な普通科の定番の稼ぎ口ね」
「そんなことまで、よく知ってますね」
「魔道具を作るなら素材から知るのは当然でしょ。……まあ、私はまだランク一だから、ダンジョンには入れないんだけど」
なるほど、ダンジョンは素材の産地なのか。
天道魔塔に入学するまで羊皮紙が出費の大半を占めていたレントとしては、聞き捨てならない話である。
ノートや写本の売上と今の貯金だけでは、いずれ心許なくなる。
レントは普通科なので学費は免除されているが、生活のためにそれ以外にもお金が必要となるのは言うまでもあるまい。
寮費や食費は無料ではないし、羊皮紙やインクなどの消耗品も当然自腹である。
稼ぐ手段はどれだけあっても困らないだろう。
とはいえ雑用当番の素材倉庫整理は学費代わりなので給金は発生しない。
しかし、そこではダンジョンの素材を管理するだけでなく、学生から素材を買い取ったり、それを教員や工房に売ったりしているので、レントは次の雑用当番が回ってきたらダンジョンの素材について調べようと思った。
レントの仕事は素材倉庫の整理で素材の買取と販売は担当外になるのだが、素材の目録を閲覧できる関係で取引記録も確認できる。
どの階層のどんな素材が、どのくらいの金額で取引されるのか、それを知れば今後の指針となるだろう。
ただ、一つだけ問題がある。
ダンジョンに行くならモンスターに対する備えがないと命を落としてしまうかもしれない。
モンスターを倒す手段が必要だった。
残念ながら、羽根を叩きつけてもモンスターは倒せないのである。ぺちっ!
そして、その日の夕方。
レントは階段の前に立っていた。
その先には、ランク二以上の魔塔関係者しか立ち入ることを許されない図書館棟二階がある。
階段の入口には結界が張られていたが、そこに学生証を接触させると結界の光は波紋が広がるように一瞬揺れ、レントの身体は結界をすり抜けて通れるようになった。ランク一以下の者は、ここで押し返されて通れないらしい。
二年四か月もの間、入り口を眺めることしかできなかった階段である。
逸る気持ちを抑えながら、レントがその最後の一段を踏み越え扉を開けると──
そこに広がっていた光景にレントは息を呑んだ。
見上げるほどの本棚の列がどこまでも続き、窓から差し込む夕暮れの光が館内を赤く染めている。
常に気温や湿度は一定に保たれ、埃の匂いがしない。保存の結界が空間全体に薄く張られていた。
レントが足を進めると、その足音が果てしない空間の中へ吸い込まれていく。
……ここに、一体どれほどの本があるのだろうか。
人の一生では読み切れないどころか、百年を費やしてもそのほんの一部すら読めないのではないか。
そう思わせるほど、二階の図書館は途方もない存在感を放っていた。
さて、何から読むか。
ランク三に向けた魔導書やモンスターを倒す攻撃魔法。飛行魔法や魔道具、それとも――
「…………」
「レント?」
「…………」
「……レントっ」
「……エリシア?」
気がつくと、レントのすぐ前に見慣れた銀髪の少女が立っていた。考え込みすぎである。
エリシアはくすりと笑って、レントの隣に並んだ。
「ようやく二階に来れて嬉しいのはわかりますが、二階の蔵書は一階の四倍ほどあるそうです。慌てて読む必要はないと思いますよ」
「一階が千年かかるんだったな……四千年か」
……寿命がまったく足りないな。
大賢者の寿命が千年以上と言われているのだ。
天道魔塔の頂点に立っても、この二階の本すら読み切れない。つまりランク四十でさえ十分ではないわけだ。
普通なら、途方に暮れるところである。
だがレントは口元をわずかにつり上げていた。
……いいじゃないか。
目指すべき高みが、また一段はっきりした。それだけの話である。
「それにしても、二階に来るのが早すぎますよ。来年からご一緒できれば、と思っていたのに」
エリシアがいたずらっぽい笑みを浮かべて、すっと身を寄せてくる。
「読みたい本があったからな。少し修行を増やしたんだ」
「ふふ、レントらしいです。――では、こちらへどうぞ。二階にも、良い席があるんですよ」
エリシアが案内してくれたのは、二階の南東の隅にある席だった。
窓から夕日が差し込み、机の端には彼女の読みかけの本が置いてある。
「一階と同じ、南東の隅だな。二階も人が少ないのか?」
「はい、そうなんです。修行も必要ですが、ここで落ち着いて本を読む時間も大事にしたいので」
「同感だ」
ちなみにエリシアは週に何度か一階に降りて『東方モンスター図鑑 幻獣篇』を読み進めるそうだ。レントが贈った栞と一緒に、である。
今まで贈り物を渡したことなんて数えるほどしかなかったレントは、栞を気に入ってもらえたと知り、ほっと胸を撫で下ろした。
――エリシア以外にプレゼントしたことあったの⁉
こうして二階でもエリシアの隣の席を確保したレントが最初に向かったのは――魂に関する本の棚である。
以前、図書館棟一階で転生について調べようと思って一つだけそれらしき本を見つけたのだが、魂に関するページが刃物で切り取られてしまったようで、目次しか残ってなかったのである。
もしかしたら二階に他の本があるかもしれない、と思ったレントは司書に本棚の場所を聞いて図書館の二階にある本を見て回った。
結果は――空振りだった。
魂から魔力が生まれる。どの本も、そこまでは書いてある。
だが「魂への干渉」となると、それが一切見当たらないのだ。
一階では本の一部が切り取られ、二階では本すら見つからない。
……偶然、だろうか。
まあ、まだ本棚一つを確認しただけである。結論を出すには早すぎるし、二階はとにかく広い。急ぐ話でもない。
その問題を後回しにしたレントは、ふと目に入った別の棚に手を伸ばして一冊の魔法書を引き抜いた。
『魔力放射攻撃魔法――トラディネート』。
魔力を細く鋭く圧縮して放射し、光線のように攻撃対象を穿つ、魔法だという。
さほど興味はなかったのだが、ある一文が、レントの目を引いた。
曰く――トラディネートの威力と燃費は、術者の魔力操作の精度に大きく依存する。
……精度に、依存する。
レントは今まで磨いてきた魔力の扱いで、同じランクの魔法使い相手に負ける気がしなかった。
それにちょうどダンジョンのモンスターを倒す攻撃手段を探していたところだ。
この魔法があれば、レントの魔力操作の技術を最大限に発揮できる。
これはもう、読むしかないのでは?
「もうすぐ閉館のお時間です」
司書の声にレントが顔を上げると、窓の外はすっかり暗くなっていた。
エリシアはいつの間にか帰り支度を済ませ、こちらを見て微笑んでいる。
「……あと少しだけ読ませてくれないか」
「駄目です。本は逃げませんよ」
「逃げはしないが、続きは気になるだろ?」
「では、明日も一緒に行きましょう。楽しみは取っておきませんと」
「……それを言われると、弱いな」
レントは素直に本を閉じた。たしかに明日が楽しみである。
ランク二になったことで本にはこれまで以上に困らないだろう。
だからこそ――寿命が、いくらあっても足りないのだ。
「……次は、ランク三か」
図書館を出たレントは、夜空にそびえる白い塔を見上げて呟いた。
ランク三。多くの学生が越えられずに退学していくという、最初の大きな壁である。
だがその前に、攻撃魔法のトラディネートを習得して、ダンジョンで稼ぐ手段を増やさないと。
やることは多いが、一歩ずつ前に進むしかない。
皆様、お待たせしました!
第五話を書き終わってすぐに投稿したので、明日(8/7)の土曜日に見直して修正します!
今日はもう寝ます! おやすみなさい!
第六話の下書きは日曜に作ろうと思います。
そしてやっと主人公が魔法を覚えます!(第六話)
ジャンルは「冒険・バトル」だよね? 戦闘シーンはいつ?
……きっともうすぐですよ。(戦闘シーン書いたことないけど!)
評価とお気に入り、感想、ここすき、誤字報告ありがとうございました!