「――あっ、これも違うわ……さっきので合ってたのかしら?」
教室棟一階の空き教室で、魔法石の専門書と向き合っていたクラリスの眉間にしわが寄り、羽ペンを握る手が彷徨った。
一ヶ月前、レントのためにトラディネートに特化した杖を作ると約束したクラリスは、それからというもの毎日夜遅くまで魔法石の勉強を欠かさなかった。
それにもかかわらずクラリスは普段の授業や雑用当番、友達との交流も疎かにしてないのである。
そんな彼女の生活は、レントに読書の時間を減らして修行を増やすしかないと思わせるほど凄まじいものだった。ほんとに同じ人間か?
「……あと五ヶ月で杖を作るわけだけど、私の魔法石作りは順調よ。アンタはランク三になれそう?」
羽ペンを机に置いたクラリスが隣の席にいるレントに尋ねた。
「ああ、問題なくランク三になれると思う。魔力操作はもともとランク三以上だし、修行で魔力量も少しずつ増えてきた。五ヶ月後には間に合うはずだ」
「……私が言うのもなんだけど、アンタほんとに半年でランクアップするつもりだったのね。ランク三になるのに普通は六年くらいかかるらしいんだけど……流石ね、杖殺しさん?」
クラリスが悪戯めいた笑みを浮かべると、レントの顔が引きつった。
クラリスに連れられて間に合わせの杖を買ったあの日から、レントのことを杖殺しと呼ぶ人が増えていたのだ。
とはいえ最初は誰に杖殺しと言っているのかわからず、レントはそんな人がいるんだとしか思ってなかった。
そしてほんの数日前までそれに気づかぬまま過ごしていたレント。いくら何でも遅すぎである。
「やめてくれ、クラリスもその場にいたんだからわかってるだろ? 店主に言われた通り魔法を使っただけだって」
「でも、アンタが杖を壊したことに変わりはないじゃない」
「……そ、それはそうだが――」
言葉に詰まったレントが、ふと何かを思いついて口元を吊り上げる。
「そういえば、クラリス。他の学生から随分と慕われてるらしいじゃないか、お姉様だって?」
ささやかな意趣返しである。
「――な、ななっ、なんで知ってるのよ!? アンタそういう噂とか、図書館に引きこもってばかりでほとんど知らないでしょ!?」
椅子を蹴倒すような勢いで立ち上がったクラリスがレントに詰め寄ると、レントは彼女から逃れるように後ずさりした。
……もう少し離れてくれ、近すぎる。
「最近、クラリスと一緒にいるからな。流石に気づくさ」
両手を上げてクラリスを宥めながらレントが答えた。
レントやクラリスが入学して五ヶ月が経った。
その間にクラリスが頼り甲斐のある姿を何度も見せていたので、それに憧れた女子生徒たちの多くが妹になっていたのだ!
一体どれだけ妹を作れば気が済むのだろうか。
クラリスに用があって話しかけようとしたレントが、自称妹たちに囲まれているクラリスを目の当たりにして、諦めて立ち去るのも珍しくなかった。
「どうして私なんかを慕ってくれるのかしら……?」
「クラリスが頑張っているからだろ」
レントは「何を言っているんだ」とばかりに首をかしげた。
クラリスはいつ休んでいるのかわからないくらい忙しいのに、こうして何だかんだ付き合いがいい。
それに誰かが困ってたらすぐに手を差し伸べているようだし、妹ができるのも当然だろう。
授業後の廊下で誰とも話すことなく、図書館へ足早に向かうレントとは違うのだ。
「あー! もう、この話は終わり! 魔法石の勉強の邪魔だから、どっか行きなさい!!」
頬を赤らめたクラリスが、しっ、しっ、と虫でも払うように手を振って、レントを教室から追い出した。
「今、ダンジョンから戻りました。レントです」
「あら、レント君おかえり。……今日も一人なのに傷一つないようね」
レントはダンジョン棟一階の受付職員に、無事を伝えていた。
そこに何やら慌てた学生が、獲物を載せるソリに怪我人を乗せてやってきた。
「友達が二人、鉄角羊にやられたんだ! これから俺はダンジョンに残ってる奴を連れてくるから、誰かこいつを治療室に運んでくれないか!?」
レントは演習室の修理費を既にダンジョンの稼ぎで返済していた。
今はもう最低限の生活費を稼ぐだけで左程ダンジョンに来てなかったのだが、よりにもよって受付の職員とレントしかいないときに急患のようである。
「これ借ります!」
受付前に怪我人を寝かせたソリを置いたその学生は、新しいソリを掴み取ってダンジョンに走り去ってしまった。
「私は受付を離れられないから、レント君がその学生を治療室まで連れていってあげて。それくらいの怪我なら回復魔法ですぐに治ると思うわ」
「わかりました」
人がこれほど怪我しているのを初めて見たレントの表情は強張っていたが、怪我人を乗せたソリを慎重に引っ張りつつレントは治療室に急いだ。
怪我人を乗せたソリを引きながら治療室にたどり着いたレントは、そこで薬品を整理している少女の背に声をかけた。
「すみません、この人の治療をお願いします。ダンジョンで怪我をしたようです」
治療室の入り口にいるレントの声を聞いて、静かに振り返った銀髪の少女は――エリシアだった。
「レントが治療室に来るとは思いませんでしたが、その方の付き添いなんですね。あちらのベッドに寝かせてくれますか?」
エリシアは怪我をした学生を見ても取り乱すことなく慣れた様子でレントに指示を出した。
それに頷いたレントは杖を取り出すと、怪我をした学生には触れず、浮遊魔法でソリの魔道具からベッドへと移した。
それは毎日ダンジョンのモンスターを狩って、ソリに載せていただけの事はある安定した動きだった。
「ありがとうございます」
そう言ってエリシアは胸の前で両手を組み、祈りを捧げるように回復魔法を使う。
エリシアと怪我人の周りに無数の光が現れて舞い踊る。
そして、温かな光が学生の傷口に次々と集い――青ざめていた学生の顔に赤みが戻っていく。
……これが回復魔法か。あれほどの怪我が一瞬で治るなんて……信じられない。
とはいえ、そもそも回復魔法の世話になりたくないレントはもっと怪我に気をつけよう、と考えていた。
エリシアに看病されるのも悪くないが、怪我の痛みに耐えられる気がしなかったのである。
もし、どうしようもないくらい手遅れの人がいたら喜んで怪我を負うのかもしれないが、レントには想像もできない世界である。
――これが異世界……!
「もう大丈夫ですよ。鉄角羊の角だと思いますが、そんなに傷は深くありませんでした」
「あ、ありがとうございます……」
エリシアの治療ですっかり怪我が治った少年は起き上がって彼女に頭を下げ、それから拳を固く握り締めた。
「……くそっ! なんで俺は上手くいかないんだ!?」
唇を噛み締めて悔しげに口にした少年にエリシアは励ますように声をかける。
「ランク一の魔力防御膜では、鉄角羊の角は防げません。一階でもランク二からと言われているのは、そのためです」
「……でも杖殺しは、毎日一人でダンジョンに行っても無傷で帰ってくるんだ。同じ新入生なら俺だって……!」
治療室の隅にいたレントの肩がびくりと跳ねる。
「その方はきっと、ランク二なのでしょう。真似をしてはいけませんよ」
「そりゃそうですけど……っ! ――いや、恩人のあなたに八つ当たりするわけにはいきませんね……。杖殺しは、何でも見上げるほどでかくて、杖をつまむだけで圧し折る怪物らしいですからね。あなたも気をつけてください」
エリシアがちらりとレントを見るが、レントは視線を逸らして知らないふりをしていた。
こっちを見るな、人違いに決まってるだろう。もはや人と呼べるか怪しい化け物だったじゃないか!
「おい、大丈夫だったか?」
そう言って治療室に来たのは、怪我人の少年を運んでくれないか、と頼んできた彼の友人だった。
少年は「この人のおかげでこの通り、傷一つなく治ったんだ」と友人に無事を知らせることで、相手を安心させていた。
「さっきの奴ほど酷くないが、こいつも怪我してるんだ。回復魔法を使ってくれないか?」
「そのままじっとしててください」
友人に治療を頼まれたエリシアは、彼が運んできた二人目の怪我人にも回復魔法を使った。
そして傷がなくなった少年二人と友人は、エリシアにお礼を言って治療室を出ていった。
それを治療室の隅で見届けたレントが、椅子に座ってひと息ついているエリシアに近づいて労わるように声をかける。
「お疲れ様、回復魔法は大変そうだな」
「……そう、かもしれませんね。人の命に関わるのですから、最善を尽くさなければなりません。ですが、苦しんでいる方が少しでも笑っていられる世界にしたいのです」
エリシアの揺るぎない決意がレントにも強く伝わってくる。
いつも穏やかに本を読んでいるエリシアのその表情は、レントが一度も見たことがないものだった。
思えば、今までエリシアのことをあまり知ろうとしてなかったのかもしれない。
図書館以外で、本以外で、自らエリシアに声をかけたりしただろうか……?
そんな記憶はなかった。
――エリシアには自分から話しかけるべきか。
「エリシアはここで毎日、働いているのか?」
「毎日ではありませんが、回復魔法が使える人は少ないので、一階の治療室が忙しいときはお手伝いをさせてもらってます。最近は杖殺しさんに続こうとするランク一の新入生がダンジョンに集まってしまったので、怪我人が多いんです」
「それは大変だな、無理はするなよ」
エリシアがジト目で見つめてくるが、レントは飄々としていた。
「あと図書館や治療室に行かないときは、あそこに置いてるような魔法薬を作っています。薬草を採りに自分でダンジョンへ行ってるんですよ」
エリシアの指が向けられた先には、ガラス瓶や小瓶が乱れもなく一列に並んでいた。それらに何らかの液体や粉末が入っているようだが、これが魔法薬なのだろうか。
「何年前からあんな魔法薬を作ってるんだ?」
「……二十年くらい前でしょうか?」
エリシアが生まれる前じゃないか。
そう口にしかけたレントだが、すぐに思い至る。
身近にランクアップして数十年も成長が止まった存在がいなくて忘れていたが、この地では外見と実年齢が異なるのはさほど珍しくないのだ。
レントと同じ十三歳ぐらいに見える銀髪少女が、さらっと二十年前とか言っても、それはおかしくないのである。
……いや、おかしいだろ。
とはいえ、レントもいずれそんな存在になるかもしれないのだ。ありえないことではない。
さすがに女性の年齢を聞くのは一般常識的にまずいとわかっているし、そこには触れずに話を切り上げるしかない。
「魔法薬には詳しくないんだが、何に使うんだ?」
「病気の治療にも使われますが、ダンジョンがあるので怪我を治すのに一番使われるかと思います。他にも一時的にランクを上げる魔法薬がありますよ。副作用もありますが、ダンジョンで危ないときに使えば生き残れるかもしれないので、特進科の方はよくファラリア商会というところで買ってますね」
「いくらするんだ、それ?」
「ランク一の新入生用なら金貨三十枚くらいでしょうか? 高ランクの方ほど高価なものを使わないと効果がないので、もし私が使うならその十倍以上の値段になりますね」
「そんなの特進科の学生しか買えないな。普通科では無理だ」
レントも念のためランクアップする魔法薬を買っておこうか迷ったのだが、その値段を聞いて早々に諦めた。
それを買ってしまったら、せっかく演習室の修理費を払う必要がなくなり、毎日ダンジョン日和からおさらばしたのに、そこに逆戻りである。そんな生活を続けられるわけがない。
そもそも魔法薬が必要になるほど危険な場所に行かなければいいのだ。
自分の実力にあったダンジョンの一階にしか行ってないし、そこまで追い込まれるような日は訪れないだろう。
「レントはここしばらく図書館に来るのが遅いですね。何かありましたか?」
眉を寄せたエリシアが心配そうな顔でレントに尋ねた。
レントが単純に本を読む時間を減らしたのではなく、何か問題が起きて図書館に行く時間が遅くなっているのでは、とエリシアは考えているようだ。
レントがそこまでの本好きだと思うか?
――その通りである。
「ランク三になるために修行を増やしたんだ。杖の材料集めでダンジョンの二階に行くから」
それを聞いたエリシアは意外そうに眉を上げてレントを見つめた。
「修行を増やしたのはそういう理由でしたか。私はてっきり、レントのことだから三階の本が読みたくなったのかと思いました。……たしか、レントが得意なトラディネートと相性が良さそうな魔法書もありましたよ」
「三階にそんな魔法書があるのか。二階の本もまだそれほど読めてないが、次は三階でその本を読もうかな……」
クラリスと約束してランク三を目指していたレントだが、三階の本も読みたくなったのでより一層修行にも熱が入るというものだ。
……赤い髪の少年との決闘なんて決まってなかったのである。このまま忘れてしまおう。
「レントがランク三になったら教えてくれませんか。一緒に三階の本を読みに行きましょう」
「ああ、そのつもりだ。エリシアはほどほどに頑張れよ。無茶して倒れそうだし」
どこかエリシアの顔色が優れないように見えた。
そんなに治療室の仕事が忙しいのだろうか。
それから五カ月後、ランク三になったレントはそれを天道魔塔に報告し、学生証に三階へ入る資格を刻んでもらった。
授業終わりにさっそく図書館の三階へ向かおうとするレントだったが、眉間にしわを寄せた少年がその行く手を塞いだ。
こちらを睨みつけてくるその少年になんとなく見覚えがある気がしないでもない。
レントがそうして悩んでいるうちに少年は懐から小石のようなものを取り出して廊下の四方に投じる。
すると廊下に散らばった四つの小石が光り輝いて結びつき、レントと少年の二人を周囲から隔離する結界となった。
レントの前にいる少年が取り出した小石は、どうやら魔道具だったようだ。
もうこの時点で嫌な予感がしていた。このままどこかに行ってくれないだろうか。
「悪いが、今から勝負してくれ」
いったい何者なんだーっ!? 続報を待て!!
……はい。またしばらくお待たせしておりましたが、お話の終わりが苦手だったので少し勉強してきました!
たった一行の文章を書いたり消したりしてたら――いつのまにか5時間経ってて一行も進んでない……っ !
そんな苦しみを味わいつつ執筆を続けると、だんだん面白くなってくるので不思議です。皆様にも楽しんでもらえると嬉しく思います!
あと、なんとなく第八話の執筆時間を数えてみたら……わあ、80時間もかかってる!
……四回も書き直してるせいでしょうか。
まぁ、他の作者様も信じらないくらい執筆されてそうなのでこれくらい普通ですね! 私が書くの遅いだけかもしれないけど!
今までお仕事以外の空き時間をすべて執筆に充ててたので、執筆を始めてから一ヶ月半読めてなかった本を読んだり、いろんな作品を見たりしてました。インプット大事! アイデアが枯れてしまうのです……。
――執筆に集中するなら専業になるしかない!
生活費さえどうにかできれば……!
ちょっと考えてみます!
評価とお気に入り、感想、ここすき、誤字報告ありがとうございました!