ギアッチョは一等星を知らない 作:だめポ
「君、僕と滑って」
「……はァ?」
思わず零れた声に、遠慮も警戒もない。
何を言われたのか分からない、というより、理解する気すらない顔だ。眉間に刻まれた苛立ちも、わざと隠す素振りすらなかった。
それでも不快にはならない。
どころか、今この瞬間……人生でいちばん気分がいいと夜鷹は静かに思った。
見つけたのだ。
己と同じ、氷の上でしか生きられない同族を。
ーーー
ヨーロッパフィギュアスケート選手権。
年に一度、氷の上で序列が確定する場で、夜鷹は金を手にしていた。
歓声も、フラッシュも、表彰台の高さも、彼には届かず。胸の内は波一つ立たずに凪いでいた。
なぜなら彼にとって、全て当然の結果でしかないからだ。 最適なパフォーマンスには最良の結果が伴う。 ただその繰り返しで、ここまで来ていた。
滑り、跳び、回り、着氷する。
一つひとつを最適に繋げれば、結果はついてくる。
そんな当たり前の事を周囲の人間が何故できないのかが、夜鷹には分からず。かと言って理解する気は微塵もなかった。
大会後、一人でサブリンクに立ち寄った。
宿へ戻るにはまだ早く、鬱屈とした気分を少しでも晴らしたかったからだ。
リンク周辺の照明は落とされ、観客席は闇に沈んでいる。
ただリンクの中央だけが、白く、静かに光っていた。
………先客がいる。
その事に気づいた瞬間、自身の気分がより一層降下していくのを感じる
思わずため息を着いた瞬間。
リンクの端を、影が走った。
「…なにあれ」
思わず驚愕に目を見開いた。
それは、通常のフィギュアの走りと比べ速すぎた。
まるでスピードスケートのような速度で氷を削る音が、乾いて短く響く。無駄のないエッジワーク、重心の揺れが一切ない滑走。
刹那、夜鷹は息をするのを忘れた。
青年が飛ぶ。 3アクセル。ジャンプ。
助走は短く、ブレがない。
それでいて跳躍は鋭く、高かった。
空中での姿勢はまるで、そこだけ切り取られかのように静止して見えた。正確無比な着氷は、研ぎ澄まされた刃を幻視させる、
_____美しかった
その光景に目を奪われると同時に、胸の奥が軋む。
初めての感覚に戸惑い、思わず拳を握りしめた。
爪の先がくい込み僅かに皮膚を傷つけていたが、そうでもしないと感情の波に酔いそうで。
暫くすると滑り終えた影が止まった。
もう用は無いと言わんばかりに、足早にリンクを降りようとする背中。微かに見える白い吐息だけが、夜鷹に現実味を与えた。
気づけば声をかけていた。
「…まって」
「…あァ?」
振り返った青年はやや不機嫌そうな顔をしていた。
改めて近くで見ると意外と若い、自分より幾つか歳下かもしれない。
天然パーマと言うのだろうか、クセのある青髪に、黒々とした瞳の青年をみてそう思った。
訝しげにこちらを見る相手に問いかける。
「どこのクラブ、所属は」
「…所属だァ?んなもんしてねぇよ」
「大会歴」
「ある訳ねぇだろーが」
無所属で、大会歴も無い。
——こんな滑りをしておいて?
有り得ない。そんな事は許されないし、許せなかった。
この男を連れて行かねばならない。
夜鷹の思考はその一択に塗り潰されていた。
轟々と燃ゆる様な熱情が胸を満たし、逡巡すらせずに言葉を発する。
「君、僕と滑って」
こうして唐突だが、確かな情熱がのせられた言葉が出てきたのである。
ーーーー
♢
目を開けた瞬間、ギアッチョは反射的に顔を上げた。
__新手のスタンド攻撃か!?
視界は白く点滅している。 光が滲んで、距離感が狂う。
身体がやけに重く、思った通りに動かない。それを取り繕い、回復してきた視界で周囲を油断なく伺う。
____チッ、どこのどいつの仕業だァ……!
起き上がろうとして________失敗。
腕に力が入らない。 声を張り上げたはずなのに、喉から出たのは間抜けな音だけだった。
__はァ!?
__なんだ今の声!!
混乱と苛立ちが一気に噴き上がる。
状況を確認しようとして、視界の端に映った“手”を見て、思考が止まった。
小さい。 まるっこい、柔らかそう。 それは、どう見てもガキの手だった。
__オイオイオイオイふざけんじゃねえぞッ!!
頭の中では確かに叫んでいるのに、外に出るのは泣き声だけだ。
その事実が何よりも腹立しくて、ギアッチョはもう一度叫んだ。
……時が経つにつれ、状況は否応なく理解できてしまう。
ここは夢でも幻覚でもなく、自分はあの時死に、そうして赤ん坊になっちまった、という事を。
到底受け入れられることじゃぁないが、悲しきかなそれは紛れもない現実であった。例えギアッチョが現実に置いて行かれても、身体は成長し、言葉を覚え、世界は当たり前の顔をして回り続けるのだ…。
産まれた場所は、二度目もイタリアだった。
空気も、言葉も、街並みも、知っている。
それならばと、ギアッチョは成長と共に行動し始めた。
パッショーネ。
ボス。
暗殺チーム。
_______どうなったんだ
新聞を読む。
噂話を拾う。
裏社会の影を嗅ぎ回る。
__どこだ
__どこ行きやがった
だが、何年探しても、影も形もなかった。
「ふざけんじゃねえ……」
吐き捨てるように呟いた声は、やけに静かだった。
ギアッチョは一度深呼吸し、僅かばかり頭を冷やした。
そうして最近やっと成長が追いついてきた自分の体を一瞥し、初めて“ソレ”を試すことにした。微かに指先が震えているのに目を瞑って。
怒る、怒る、怒る。
自分を取り巻く現状全ての不満を沸き上がらせ、前と同じように感情を爆発させる。
肺の奥から、全力で叫んだ。
「ホワイト・アルバムッ!!」
__来い。
__出てこい。
だが、空気は凍らない。 霜も、冷気も、何ひとつ現れない。
一瞬、時間が止まったように感じた。
__……は、
…もう一度、叫ぶ。 喉が痛むほどに。
「ホワイト・アルバムッ!!」
けれど、何も起きない。
慣れ親しんだ冷気が、自分の半身が、姿を現すことはなかった。
「……ソ……クソ……クソクソクソクソクソがァァッ!!!」
パッショーネもいない。 暗殺チームもいない。
スタンドすら、存在しない。
「ふざけんじゃねえ!!巫山戯んじゃねえぞッ!! クソッ!クソがァーーッ!!」
怒鳴る。 叩く。 喚く。
ギアッチョは気が狂いそうだった。
__誰が望んだんだ、くそったれ。
__俺はあそこで死んだんだ。
__それで良いだろーが。
なのに。
__なのにッッ……!!
怒りは確かにある。 だが、ぶつける先がこの世に存在しない。
以前までは怒りは力だった。
叫べば凍り、憎めば殺せた。
だが今では、怒りはただの雑音に成り果ててしまった。
行き場を失った感情は徐々に形を変えていく。
再び燃える事はなく、心は冷えていく。
まるで、厚い氷の下に沈んでいくみたいに。
冷たく、重く、底へ底へと落ちていった。
__ああ
__本当に、全部無くなっちまったってのか……
そう理解した瞬間、世界は一気に味気なくなった。
怒鳴る理由も、戦う理由も、存在しない。
もう何もかもどうでもいい。生きる気力すら奪われた。
それでも
それでも、ギアッチョは氷だけは失いたくなかった。
氷上に立ったとき、刃が氷を噛む音だけは前と変わらず確かに“本物”だった。冷気が肺を刺す感覚だけが、ギアッチョにとっての現実だった。前と変わらない唯一の、慣れ親しんだ感覚。
だから滑り続けた。
望むものなどもはやなかったが、ただ、氷の上にいないと、前の自分まで完全に消えてしまいそうだったから。
それは嫌だと、そう思ったから。
それからは、ただ氷の上に立つだけの日々だった。
朝が来れば目を覚まし、リンクへ向かう。
滑って、帰る。
それを何度繰り返したのかも、もう覚えていない。
季節だけが巡り、ギアッチョだけが取り残されていった。
___他に何をしていただろうか。
ギアッチョ自身、細かい所の記憶は曖昧だ。
今日も人のいないリンクで一人滑る。
誰にも見られず、誰の記憶にも残らず。
そうしてリンクを降りようとした時だった。
「…まって」
背後から呼び止められ、思わず振り返れば。
_____全身黒づくめの男が立っていた。
その男は真顔のまま言った。
「君、僕と滑って」
「……はァ?」
意味が分からねぇ
なんだコイツ?それが夜鷹という男への第一印象だった。
暗チ何でしんでまうん?(儚)
メダリストにわかです。履修するか…