……どうして、こうなった。
『選手、入場ッ!!』
片原鞘香の絶叫が、ドームの熱気を一気に沸点へと導いた。鼓膜を激しく震わせる地響きのような大歓声。眩しい太陽の光が、まるでスポットライトのように容赦なく俺の全身を晒している。
前世は男。しかし、この世界には女として転生した。
齢五つの時、鏡に映る自分の容姿が、おぞましいほど特別に整っていることに気が付いた。そのとき俺は、自らの幸運にほくそ笑んだものだ。
この極上の美貌さえあれば、大して努力せずともチヤホヤされ、イージーモードの勝ち組人生を悠々と歩んでいける。いや、絶対に歩んでいってやる。恥ずかしげもなく、本気でそう誓ったはずだった。
──本当に、どうしてこうなった。
『一年前、突如として拳願会に現れた超新星! 現在、その齢はわずか十五! 今大会ぶっちぎりの最年少美少女! 美しき戦乙女が、この絶命トーナメントに新風を巻き起こす!!』
拳願絶命トーナメント。日本の経済界を牛耳る巨大企業が最高権力である拳願会会長の座を競い、お抱えの怪物──闘技者をリングへと送り込む狂気の代理戦争。
ある者は一族の誇りを懸け、ある者はただ最強の証明を求め、またある者は底知れぬ欲望を満たすために、その拳を振るう。命のやり取りを娯楽とする、馬鹿どもの祭典だ。
そんな化け物たちの巣窟にて、なぜか俺は今、堂々と入場ゲートをくぐっている。
視線の嵐が肌を刺す。地を揺らすコールの中、観客たちの目が俺の体に釘付けになっているのが分かった。
『期待してるぞー!』
『今日もあの技を見せてくれー!』
『結婚してくださーい!』
『脱いでくれー! 一生のお願いだー!』
『おいお前ら、まだ十五だぞっ! でもエッチすぎるっ!』
数多の修羅場をくぐり抜け、限界まで引き締まった四肢。それでいて、出るべきところは出た、奇跡的なバランスで完成された肢体。冷徹な美しさを放つ整った顔。
期待と賞賛、警戒と侮蔑。そして、底なしの執着と色欲──。ありとあらゆる有象無象の視線が、値踏みするように俺の輪郭をなぞっていく。
『身長170センチ! 体重67キロ! 拳願仕合戦績、12勝0敗! 企業獲得資産、1012億6000万円──!!』
流されるがまま、おだてられるがままに突き進んできた結果がこの舞台だ。だが、ただで終わるつもりは毛頭ない。
ふっと息を吐き、闘志の塊のような鋭い視線で正面を見据える。拳を軽く握り締めれば、皮膚の裏で強靭な筋肉が爆発的なエネルギーを蓄えて脈動した。
やるからには全力でやる。そして、この会場で俺の体と顔しか見ていない、欲情に塗れた観客どもの脳裏に、圧倒的な武を刻み込んでやる。──流石に、ここまで露骨に身体目当ての目で見られるのは、反吐が出るほどムカつくからな。
『高円寺コンツェルン所属!!
割れんばかりの咆哮に背中を押され、俺は戦地へと足を踏み出した。
高円寺コンツェルン本社、最上階に位置する社長室。重厚なマホガニーのデスクを挟み、日本の経済界の一角を担う威厳ある風貌の男性と、睡蓮天那は向かい合っていた。
ふかふかの高級革のソファに深く背を預け、天那は自身の端正な顔を少しだけ歪めて息を吐き出す。
「悪かったなオッサン。一回戦で負けちまってよ」
その言葉に、社長は怒る風でもなく、むしろ満足げに口元を綻ばせた。
「いや、元々優勝する気はなかったからな。高円寺の名は売れたし、新たな企業との縁もできた。我がコンツェルンとしては十分すぎる結果だ。それに──」
社長は手元のグラスを軽く揺らし、琥珀色の液体を見つめる。
「あの『魔槍』──黒木玄斎相手にあそこまで食い下がるとは思わなかった。裏社会の生ける伝説を相手にあれだけの立ち回り、素直に感動したぞ」
「食い下がるって言っても、ほとんど稽古されてたようなもんだけどな……」
天那は苦笑交じりに、包帯が巻かれた自身の拳を見つめた。あの拳願絶命トーナメント一回戦。圧倒的な武の壁を前に、己の全てをぶつけた記憶がまだ生々しく残っている。美貌だけではない、睡蓮天那という天才的な武、その可能性を世界に知らしめた仕合だった。
「……それで、俺はこれからどうすればいい? なんもやることないなら、理人と一緒に黒木のオッサンに無理やり押しかけて、弟子入りでもしようと思ってるんだけど」
「いや、実はキミにやってもらいたいことがあってね」
社長は悪戯っぽく目を細め、一枚の書類をデスクへと滑らせた。
「私の息子がある高校に入学するんだが、キミにも護衛としてその高校に入学して欲しい。まぁ、六助なら大抵のことは自分で対処できるだろうが、きな臭い噂もある……念のためだ」
「おいおい。アイツのお守りは勘弁だぞ」
天那は露骨に嫌そうな顔をして、ソファの背もたれに頭を打ち付けた。脳裏に浮かぶのは、あの高円寺六助の、唯我独尊を絵に描いたような顔だ。
「俺、アイツのこと苦手なんだよなー。どこまでも自由人で、人の言うことなんかこれっぽっちも聞かないだろ?」
「……キミがそれを言うのかい?」
社長がジト目を向けると、天那は瞬きをパチパチとさせて、至って真面目な顔で胸を張った。
「え、そりゃ、俺は常識人だし……」
「…………そうか。まぁいい」
社長はそれ以上のツッコミを諦めたように小さく息を漏らすと、声音を少しだけ落として、天那の綺麗な瞳を真っ直ぐに見据えた。
「どうだ? 諦めていた高校生活を送れるチャンスだぞ。君の波乱万丈な人生において、三年の安寧が与えられるんだ。キミだって悪くない話だろう?」
安寧、という言葉が天那の胸に小さく波紋を広げる。前世の記憶を持って美少女に転生し、ただチヤホヤされるイージーモードの人生を望んでいたはずが、気づけば血生臭い裏社会で拳を振るっていた。
「うーん……この裏社会に入って以降、もう普通の生活は送れないって腹くくってからなー。その高校に行けば今後の人生、普通に生活できたりとかするのか?」
「できないだろうな。キミの名前はすでに広く知れ渡っている。立派な裏社会の住人だ」
社長は冷徹な現実を口にしつつも、どこか楽しげに肩をすくめた。
「でも、在学中の三年間は──キミの望む、学生としての普通の生活ができるはずだ」
「……わかった、受けるよ。護衛も引き受ける」
天那は観念したように息を吐き、デスクの書類を手に取った。
「でも、その高校ってどんな高校なんだよ。本当に護衛が必要なのか?」
「少々特殊な学校でね。実力主義を謳い、生徒間の暴力行為もある程度は容認されている」
「俺ほどの闘技者が必要になるほどの暴力が、か?」
天那の瞳に、闘技者としての鋭い光が宿る。あの拳願絶命トーナメントを戦い抜いた身からすれば、高校生の暴力沙汰など児戯に等しい。だが、目の前の男がわざわざ自分を動かすという事実が、その裏にある不穏さを物語っていた。
「さすがにそこまでではないさ」
社長は短く笑い、背もたれに体を預けた。
「しかし、ある施設で凄まじい記録を出した化け物が入学するという噂があってね。もしものことがあるかもしれない」
「さっき言ってた、きな臭い噂ってやつか。でも、そんな噂のために稼ぎ頭の俺を三年間も拘束するなんてあり得ねぇ。まだ何か理由があるんだろ?」
「…………キミに、僅かでも普通の生活を送らせてやりたいと思ってしまった、と言えば笑うかね?」
その言葉に天那は目を見開く。そして小さく息を漏らすと、書類をトントンとデスクに叩いて揃え、諦めたように笑った。
「よしわかった。六助のことは俺が守ってやるよ。三年間普通に暮らせるなら、まぁギリギリ許容範囲だ。んで、その高校の名前は?」
社長は不敵な笑みを浮かべ、その学校の名を口にした。
「──高度育成高等学校。キミにはその高校に入学してもらう」
こうして、拳願会最年少美少女闘技者──『