東京都高度育成高等学校。希望する進路のほぼ100%を叶えるという実績を誇る、国家が総力を挙げて築き上げた特異な国立高校だ。
オレ──綾小路清隆は今、その学校へと向かうバスの車内に揺られていた。
春の陽気が差し込む車内は、同じ制服を身に纏った新入生たちで過密状態にある。乗客の密度と比例するように、熱気とざわめきが立ち込めていた。
だが、その混雑の中でも乗客たちの視線──とりわけ男たちの熱を帯びた眼差しは、車内の中央付近、ある一箇所に異常なほど集中していた。
「なぁー、六助ー。優先席に座るのはよくないぞー?」
「優先席への着席はあくまで自主的なマナーに過ぎないのだよ。この私が席を譲るべき正当な義務など存在しないねぇ」
「コイツほんとに自己中だな……」
視線の先で呆れたように息を吐いていたのは、絶世の美女と呼ぶ他ない少女だった。
身長はおそらく170センチ程度。しなやかに伸びた脚と健康的な美を誇る太もも。ブレザーの上からでも容易に読み取れるキュッと引き締まった腰のラインは、それと対照的な豊満な胸と尻の存在感をいや応なしに際立たせている。
まさに、男たちの都合の良い妄想をそのまま形にしたかのような極上の肉体美だ。
彫刻のように整った顔立ちに、前髪の隙間から覗く凛とした瞳。水色のインナーカラーが鮮やかに映える黒髪のウルフカットが、揺れる車内で軽やかに跳ねている。
オレと同じ高度育成高等学校の制服を着ていることから、同じく新入生なのだろう。車内の男たちは、この同じ空間にこれほどの逸材がいるという幸運に、どこか鼻の下を伸ばしていた。
「ごめんな婆ちゃん。コイツ、性格が終わってんだよー」
「いいのよ、
「ふむ、好き勝手を言う老婆だねぇ」
「好き勝手言われるようなことをしてるからな」
天那と呼ばれた少女は、隣に座るガタイのいい金髪の男の傲慢な言動など風に流すように受け流し、車内の視線を一身に集めていた。
──かくいうオレもまた、彼女から目を離せずにいる。
だが、オレの意識を惹きつけているのは、他の男たちが群がるような彼女の肉体美ではない。いや、まぁ少しは意識してはいるものの、本質的な問題はそこではなかった。
彼女の佇まい。バスの揺れに合わせて微動だにしない体幹、一切乱れのない呼吸、全身から放たれる気配。そこには、素人が立ち入ることすら許されない絶対的な隙のなさが存在していた。
見ればわかる。あの肉体はただ魅せるために作られたものではない。数多の修羅場をくぐり抜け、極限まで磨き上げられた純粋な武の結実だ。
その戦闘能力は、間違いなく規格外。ホワイトルームであらゆる教育を受けてきたオレの直感が告げている。──純粋な戦闘において、彼女と対峙した場合、勝機を見出すのは極めて困難であると。
……一体、何者だ?
オレは深く静かに呼吸を整え、黒髪のウルフカットを揺らす天那という少女の背中を、ただ冷徹に見つめ続けていた。
だが、オレは気が付いていなかった。隣に座る少女に、冷たい視線を向けられていることを。
「……所詮男はケダモノといったところかしら」
「見られてたな……」
「何を気にしている? キミの完璧な美貌に視線が集まるのはいつものことだろう?」
「まぁそうだけどさ、一つだけ変わった視線があった。あれはたぶん、分析されてたな」
「ほう……」
天那は、自身に集まるどこか下卑た視線の群れの中に、たった一つだけ異質なモノが混ざっていたのを感じ取っていた。まるで自身の戦闘能力を品定めするかのような、冷徹で観察眼に満ちた視線。
「視線の元は……いた。あそこにいる奴だ」
天那が顎で示した先には、少し前を歩く一人の少年──綾小路清隆の背中があった。
当の本人は、自身がこの厄介な二人組の注目の標的になっていることなど露ほども気づいていない。なぜなら彼は先ほど、バスで隣の席に座っていた堀北鈴音から「少女に目を奪われるケダモノ」と手厳しい罵声を浴びせられた直後で、それどころではなかったからだ。
「ふむ。キミの秘めたる戦闘能力に気づいたということか。退屈な高校生活を送ることになるかと思えば、中々どうして面白くなりそうじゃないか」
「どうだろうなー。多少の修羅場をくぐった奴なら、誰でも気づけるレベルだと思うけど」
「……あの戦いを見せられた私からすれば、キミのその『多少』という言葉は到底信用できないねぇ」
高円寺はフッと不敵な笑みを漏らした。
広大な校内の敷地を見渡し、その規格外な規模感に感心しながら歩を進めていた天那だったが、ふと何かを思い出したかのようにポンと手を打つと、隣を歩く高円寺の首に慣れた手つきで腕を回した。
「ってかさぁ、六助よー。お前、優先席くらい譲れよなー。将来の社長様なんだから、それくらいの器のデカさを見せろって」
「……」
不意に突きつけられた言葉に、高円寺は口を閉ざす。すると天那はその沈黙を見逃さず、悪戯っぽく口元を歪めて揶揄うような笑みを浮かべた。
「なんだよ、急に黙り込んじゃってさ。もしかしてお前……俺の胸が腕に当たってドキドキしてんのか~? ぷぷっ、高円寺コンツェルンの御曹司サマも、案外初心なんだなー」
「……いや、まるで猛獣が首元にじゃれついてきているような心地でね。そろそろ離れてはくれないかねぇ? 流石の私とて、無駄に命を落とすのは惜しくてね。ちなみに先んじて言っておくと、これは照れ隠しなどではない。切実な私からの願いだ」
「おまっ! 誰が猛獣だ誰が!」
軽口を叩きながら歩を進める天那。校舎へと続く並木道、容姿端麗な美少女と距離を縮める高円寺の姿に対し、周りを歩く男子生徒たちからは、痛いほどの嫉妬と殺気立った視線が注がれていた。
新入生で埋め尽くされた校舎の廊下は、春特有の湿った熱気と興奮交じりの雑音に満ちていた。
天那と高円寺が校舎内に足を踏み入れると、人波がひと際大きくうねり、密集している場所が嫌でも視界に飛び込んでくる。壁面に設置された大きなコルクボードにはクラス分けの用紙が張り出されており、誰もが我が身の行く末を確かめようと、必死に首を伸ばし目を凝らしていた。
「ふむ。どうやらクラス分けが発表されているようだが、蟻のように群がる姿、美しくないねぇ」
薄笑いを浮かべ、どこか見下すような視線を投げる高円寺。その優雅とも取れる佇まいに、天那は小さく息を吐き出した。
「素直に見てきてくれって言えよ……。ったく、御曹司様は随分とワガママだなぁ」
肩をすくめながら、天那は人混みの中へと足を踏み出す。天那が近づくと、周囲の生徒たちが一瞬だけざわっと息を呑み、まるで潮が引くようにわずかな隙間を作り出した。
背中に刺さる幾多の視線。だが、天那はそんな周囲の過剰な反応をすでに「いつものこと」として受け流し、気にも留めずに用紙を見上げる。
黒々と並ぶ文字の中から、手際よく自分と高円寺の名を探し始める。
「おっ、六助は1年Dクラスか。俺は……げっ」
天那の視線が一箇所でピタリと止まり、その整った顔が苦々しく歪んだ。
「(……護衛対象と別のクラスになってどうすんだよ。そこはあらかじめ手を回しておいてくれよ!)」
心の中で叫びながら、もう一度、穴が開くほどその文字を見つめる。
睡蓮天那の名の横には──『1年Cクラス』の文字が刻まれていた。