「天は私に味方しているようだねぇ。もしキミと同じクラスになっていたら、息苦しいことこの上なかったはずだ」
「俺、一応お前の護衛なんだけど。……ってか、クラスが違うのにどうやって護衛すればいいんだよ」
「護衛など私には必要ないというのに。キミ達闘技者のような化け物がそこらの高校にいるわけがないだろう」
「まぁ、俺もそう思うけど。でも仕事だしなぁ」
新学期の浮き立った空気が満ちる廊下を、
高円寺コンツェルンの御曹司と、その代表闘技者。立場上、何かと行動を共にすることが多い二人だが、天那は一見いつも通りに見える高円寺の口元が、心なし緩んでいることに気がついた。
「お前なぁ……どれだけ俺と別クラスになったことが嬉しいんだよ。機嫌よさそうにしやがってよぉ」
「嬉しいねぇ。並外れた美貌にモデル顔負けのスタイル。ただでさえ目立つだけでなく、一人称も個性的だ。キミの近くには醜い者たちが群がるのさ。私には耐えられそうにない」
「へぇへぇそうですか。どうせ俺は変わってますよー」
呆れたように肩をすくめて見せる天那だったが、「俺だってこんな数奇な人生を送るつもりはなかったのになぁ……」と心中で小さく溜め息をつく。だが、目的の教室──『一年Cクラス』のプレートが掲げられたドアの前にたどり着くと、すぐに思考を切り替えて足を止めた。
「それじゃ、俺はここで。あっ、そうだ。帰りはどうする? 一緒に帰るか?」
「その必要性は感じないねぇ。自由にさせてもらうよ」
「りょーかい。じゃなー、せいぜい高校生活満喫しろよー」
「満喫するべきはキミの方だと思うがね」
すれ違う生徒たちの視線を気にも留めず、高円寺は優雅に踵を返すと、その先の『一年Dクラス』を目指して歩き出していく。天那はその背中を苦笑交じりに見送ってから、ガラガラと教室の引き戸を開け、新たな日常へと足を踏み入れた。
天那がCクラスの教室に足を踏み入れると、予想通りというべきか、教室中の視線が一斉に彼女へと注がれ、そのまま釘付けになった。
男子たちは分かりやすく鼻の下を伸ばして興奮を隠せず、女子たちでさえもその浮世離れした美しさに思わず息を漏らす。このクラスの女子たちが、一瞬にして自らの負けを悟った瞬間だった。
天那は周囲の騒ぎなどまるで気にも留めない様子で、黒板に貼られた座席表を確認すると、指定された自分の席へと向かう。歩を進めるたびに豊満な双丘が揺れ、男子たちの視線が文字通り吸い寄せられていく。
当然、天那もその下心全開の視線には気づいていたが、なにせ前世は男である。「まぁ見ちゃうよなー。誰だってそーする。俺もそーする」と、妙に寛大な心で納得し、その視線をあっさりと受け入れていた。
……なお、そのあまりに露骨な男子たちの態度に対し、周囲の女子たちが氷のように冷ややかな視線を送っていることには気づいていない。
そうして大人しく自席で時間を潰していた天那だったが、そこへ一人の男子生徒が意を決したように立ち上がった。男の名は、石崎大地。
石崎は本来、新学期初日、これほど多くのクラスメイトの視線が集まる中で、注目の女子にわざわざ話しかけに行く──そんな思い切った真似ができる人間ではなかったはずだ。
しかし、目の前にいる存在は、そんな彼の正常な理性をいとも易々と奪い去っていた。それほどまでに、という少女が纏う雌としての魅力は常軌を逸していたのだ。
「な、なぁ。今ちょっといいか……?」
「ん? 俺になんか用か?」
天那が振り返り、首を小首をかしげて応じる。その言葉を聞いた瞬間、石崎の脳内に激震が走った。
「(ま、まさかのオレっ娘……だと……!?)」
あまりの落差と破壊力に、話そうとしていた言葉が綺麗さっぱり吹き飛び、思考が一瞬で真っ白になる。まさにホワイトルーム状態であった。
「んだよ黙りこくって。なにか用があったんじゃないのか?」
「あ、あぁ! お、俺、石崎大地って言うんだ。こ、これからよろしくな!」
「なんだ自己紹介かよ。そんなガチガチに緊張することかぁー?」
「う、うっせ! 別に緊張なんてしてねぇよっ!」
「はいはい、わかったって。俺は睡蓮天那。これからよろしくな!」
そう言って、天那はどこか無防備で可愛らしい「にへら」とした笑みを浮かべた。間近でその笑顔を直撃された石崎大地は──。
「(す、好きーーーーっ!!)」
──一瞬にして、恋に落ちたのだった。
「ってか石崎よー、お前さっきから俺の胸見過ぎだっての。これじゃ胸と話してんじゃねぇか」
「む、胸って……っ!」
天那に身を乗り出すようにして突っ込まれ、石崎は思わず視線を再びその豊満な双丘へ滑らせそうになり、慌てて天井へと目を泳がせた。顔がカッと熱くなるのが自分でも分かる。
「べ、べ、別に見てねぇしっ!」
「いや絶対見てただろ」
「見てねぇって言ってんだろ!」
「いや見てたね」
傍から見れば、美少女と繰り広げる甘酸っぱい青春ラブコメのワンシーン。当然、そんな夢のようなシチュエーションを一人占めしている石崎に対し、周囲の男子生徒たちからは刺すような殺気と嫉妬の視線が集中していた。
いま遅れてCクラスの教室へ足を踏み入れた生徒が、教室内に充満する異常な空気感に「一体何事だ……?」と息をのんで立ち尽くしているほどだ。だが、今の石崎にはそんな周囲の怨嗟など一切耳に入っていなかった。
「ったく。ま、別に見ても減るもんじゃねぇからいいけどよぉー。相手が俺じゃなかったらボコボコにされてたぞ? (俺は前世男だし、許してやるけど)」
「えっ……お、俺じゃなかったら、って……」
呆れ顔で息を吐く天那の言葉を聞いた瞬間、石崎の脳内がフル稼働した。
「(俺じゃなかったらって……え、じゃあ見ていいってことか!? これって脈あり!? まさかの脈ありなのか!?)」
「ん? どうした石崎? そんな顔真っ赤にして動揺してさ」
「い、いやなんでもねぇ! なんでもねぇよっ!」
尋常じゃないテンションで首をぶんぶんと振る石崎大地。──彼は今、間違いなく人生の絶頂期を迎えていた。
石崎大地が周囲からの刺々しい視線にようやく気付き、天那の席から離れていった後、天那は時間を潰すために机の上に並べられていた学校案内を手に取った。決して誰かに声をかける勇気がなかったわけではない。そう、断じてない。ただ暇だっただけだ。
紙面の上を滑らせていた視線が、ふと校則の項目で止まる。
「(あのオッサン、特殊な学校とは言ってたけど……改めて読むとほんとに変わった学校だよな)」
『三年間、原則として敷地外への外出および外部との接触を禁ずる』という一文を、心の中でなぞる。ただの全寮制にしては締め付けが厳しすぎる校則だ。「本当に普通の高校生活が送れるのか?」と胸の奥で掠かな不安が芽生えた、その時だった。
隣の席に、すっと人の気配が滑り込んできた。視線をやると、青みがかった短髪を揺らした少女が、無駄のない動きで着席するところだった。
整った輪郭に、どこか淡く冷ややかな色を宿した瞳。距離を置くような冷たい空気を纏っている。天那が再び手元の資料へと視線を戻そうとした瞬間、急に声をかけられた。
「……ねぇ、あんた何者?」
視線だけを向けると、少女は真っ直ぐに天那の顔を見つめていた。
「何者って、どういう意味だ? 何が聞きたいんだ?」
「底が見えないから」
「底ぉ?」
問い返すと、少女はわずかに眉を寄せ、探るように天那を見つめる。
「私も少しは腕に覚えがある。でも、あんたは底が見えない気がする。強い奴なら何度も見たことがあるけど……あんたは別、だと思う」
「……へぇ。なんで別だと思うわけ?」
興味を惹かれた天那が口元を緩めると、少女は視線を少しだけ上へ逸らし、ぽつりと呟いた。
「…………直感、かな」
確固たる根拠はない。けれど、確信に満ちた声だった。天那は少女に向き直る。
「俺の名前は睡蓮天那。まずは名前を教えてくれよ」
「──伊吹澪」
彼女とは長い付き合いになるかもしれない。天那は不思議とそんな予感を抱いていた。