入学してから三日目、昼休みを告げるチャイムが校内に高く鳴り響いた。
天那はチャイムの余韻が消え切らないうちに素早くCクラスの教室を後にし、Dクラスへと足を向けた。廊下を渡る足取りは急ぎ足で、その表情は苛立ちを隠しきれず、不機嫌そうに歪んでいる。
「……ったくよぉ。六助のやつ、俺が一応護衛だってわかってんのかよ」
天那は高円寺の護衛という任務を果たすため、入学初日から彼と連絡先を交換しようと動き回っていた。
初日は入学式を終えた後、伊吹とともに生活用品を買い揃え、その足で寮やケヤキモールを散策がてら高円寺の姿を探した。
だが、相手はあの自由気ままな男だ。会えたらラッキー程度に考えていたこともあり、初日で見つからないのは織り込み済みだと、すぐに気持ちを切り替えた。
二日目、部活動説明会が始まる前にDクラスの教室を覗いたものの、すでに高円寺の姿はなかった。その際、念のため教室内に危険な存在が潜んでいないか視線を走らせたが、一通り見渡した限りでは特に怪しい人物も見当たらず、当面急ぐ必要もないと判断した。
ただ唯一、綾小路清隆だけは別だった。少なくとも戦闘面においては高円寺といい勝負をするのではないかと、天那は綾小路をそう評価していた。とはいえ、すでに彼には釘を刺して忠告も済ませている。少なくとも当分は下手な動きを見せないだろう。
しかし、いくら安全とはいえ、肝心の護衛対象と連絡先すら交わしていない状況は流石に不味い。天那は小さく溜息をつくと、三日目こそは絶対に連絡先を交換してみせると固く決意したのだった。
そして迎えた三日目。天那は朝からDクラスへ足を運んだが、またしても高円寺の姿はなかった。これには思わず額に青筋が浮かぶ。放課後にいないのならまだ理解できるが、朝のホームルーム前に姿がないのは訳が分からない。
というか、お前の護衛をしてやってるんだから、そっちから連絡先くらい聞きに来い──そんな怒りがふつふつと湧き上がっていた。そうして苛立ちを募らせたまま、昼休みを迎えたのだった。
三日目を迎えたDクラスの教室内は、授業中にもかかわらずどこか落ち着きがない。オレや堀北は授業中に私語を慎んでいる──というか、休み時間でさえまともな会話がないのだが、多くの生徒たちは緊張が解けてきたのか、日に日に私語を増やしていた。
やがて、昼休みを告げるチャイムが校内に鳴り響く。
それを合図に、教室内は一気に熱を帯びた喧騒に包まれた。しかしその直後、教師と入れ替わるように教室の前扉が勢いよく開き、その騒がしさを一瞬で切り裂いた。
姿を現したのは、底知れない戦闘能力を秘めた絶世の美女──睡蓮天那だった。昨日の放課後や今朝、Dクラス前の廊下を意味深にうろついており、すでにうちのクラスでも噂となっていたCクラスの女子生徒だ。
彼女が踏み込んできた瞬間、教室を支配していた喧騒がぴたりとやみ、静寂が広がった。直後、池や山内といった連中が息を呑むような小さな歓声を上げ、学年一の美女という突然の来訪者に、周囲の生徒たちもざわめきを隠せないでいる。
だが、当の睡蓮は教室中の視線をまるで意に介す様子もない。すっと一箇所に視線を固定すると、迷いのない足取りで教室内へ足を踏み入れ、その視線の先──高円寺の席に向かってまっすぐ歩き出した。
わずか三日足らずでクラス一番の変人として名を馳せた高円寺のもとへ、同じく三日足らずで学年一番の美女として名を轟かせた睡蓮が近づいていく。その異質なふたりの接触を前に、教室内のざわめきは一層大きな波となって広がっていった。
周囲の視線が痛いほど集まる中、睡蓮は高円寺の机の前に仁王立ちし、信じられないほどの低い声で口を開いた。
「……六助、おい六助よ。俺が来た理由、わかるよなぁ?」
「さぁ? 私に何の用かな?」
優雅に髪をかき上げながら首を傾げる高円寺。そのどこまでも他人事な返答に、睡蓮の額にピキッと青筋が浮かぶ。
「んぎぎぃっ!」
とても人間の喉から出たとは思えない、絞り出すような奇妙な金切り音が睡蓮の口から漏れた。しかし、クラスメイトたちの関心は彼女の奇怪な鳴き声よりも、高円寺を自然に『六助』と下の名前で呼んだという事実に注がれていた。
いったい二人はどのような関係なのか。オレからしても、彼女の交友関係はできる限り把握しておきたいところだ。無用なトラブルを避け、わざわざ彼女の地雷を踏み抜かないためにも。
「連絡先くらい交換しろよなぁ。さすがにそんぐらいはするべきだろ?」
「連絡先ねぇ……。その程度の用件でわざわざ昼休みに私を訪ねてきたのかい? 私の優雅な休み時間を削らないでほしいものだね」
「んぎゅぎゅぎゅうぅう゛っ! このままだとヤっちゃうかも。ヤっちゃうかもぉ……」
徐々に顔を真っ赤にし、理性のタガが外れかけて怪しい挙動を見せる睡蓮。だが、傍から見れば物騒なやり取りに見えても、二人の間に流れる空気自体はどこか妙にこなれており、決して険悪なわけではないように思えた。
「──あの、ふたりとも。ちょっといいかな?」
その緊迫と緩みが同居する空気の中へ、柔らかく通る声が割り込む。櫛田桔梗だ。あの二人に臆することなく笑顔で割って入るとは、流石はDクラスのアイドル枠といったところか。
彼女はクラス全体の思いを代弁するように、誰もが喉から手が出るほど知りたがっていた質問を投げかける。
「えっと、睡蓮さんだよね。私はDクラスの櫛田桔梗って言います」
「ん? あぁ、睡蓮天那だ。よろしくな」
「うん! よろしくね! それで、よかったら二人がどういう関係なのか聞いてもいいかな? みんなすごく気になってるみたいだし……」
天使のような微笑みを絶やさず尋ねる櫛田に対し、睡蓮はあからさまに苛立っていた表情を少し緩め、頭の後ろで手を組んだ。
「あー、まぁ……中学校からの友達って感じかなぁ」
その何気ない一言が発せられた瞬間、教室内は大きな揺れを見せた。
あの唯我独尊の変人にまともな友人がいたという驚愕、そして何より、あんな並外れた美少女と友人関係である高円寺に対する強い嫉妬の視線が、クラスの男子を中心に突き刺さっていく。
……だが、オレの目には単なる友人関係には見えなかった。それ以上の何かが存在すると、あの忠告を受けた身としては、そう考えざるを得ない。例えば、高円寺コンツェルンの関係者である、とか。
「へー、そうなんだ! それで、連絡先を交換しようとしてたんだね!」
「あぁ、だけどよぉ……六助のやつが全然俺の前に現れねぇんだよ。ほら、コイツ筋金入りの自由人だろ? 協調性が全くなくてさ。櫛田も絶対困ってるんじゃねぇか?」
睡蓮は呆れ顔で頭の後ろに手を回し、高円寺を顎でしゃくってみせる。突然振られた櫛田は、一瞬引きつった笑顔を浮かべ、戸惑いがちに苦笑いを返した。
「え、あはは……いや? そんなことない、と思うよ……?」
「しっかり思ってそうな顔だな。まぁコイツは人としては大概バカだけど、悪党ってわけでもねぇから、テキトーによくしてやってくれ」
「ふむ、散々な言い草だねぇ」
当の高円寺は意に介した様子もなく、ポケットから取り出したマイブラシで優雅に前髪を整えている。そのマイペースさに睡蓮の眉間には再びシワが寄った。
「だったらさっさと連絡先くらい交換しろや」
「これ以上、私の貴重な時間を奪われてはたまらない。──そこのプリティーガールから私の連絡先を受け取りたまえ」
「えっ、わ、わたし!?」
唐突に指をさされた櫛田が、目を見開いて自分の胸元を指差す。高円寺はそれ以上の追及を遮るように颯爽と席を立ち上がると、一歩も引かない優雅な足取りで教室内を後にしようとする。
「では、私はこれで失礼するよ」
「あっ、おい! ……ったく。えっと、櫛田だっけ? 悪いんだけど六助の連絡先教えてくれねぇか?」
「あ、う、うん! もちろん! ……あっ! じゃあ、私とも連絡先交換しようよ!」
睡蓮の苛立ちを一瞬で吹き飛ばすように、櫛田はぱっと表情を明るくして自身の携帯端末を取り出した。その小動物のような可愛さに、睡蓮は表情を緩める。
「お、そうだな。……いやぁー、やっぱさっき言った言葉は撤回するわ。あいつはロクでもない奴だから、隙があったら存分に嫌がらせでもしてやってくれ」
「ふふ、しないよ……」
前言撤回があまりにも早すぎる睡蓮の身勝手さに、櫛田は困ったような、それでいて親しみやすさを込めた苦笑いを漏らした。二人の美少女が繰り広げるその和やかなやり取りを前に、周りの男子生徒たちは幸せを噛み締めるかのような表情を浮かべていた。
「ん? あ、おい! 綾小路じゃねぇか! そっか、そういえばお前、Dクラスだったな! ってか、挨拶くらいしろよなぁ」
「頼む、今は話しかけないでくれ。まだ孤立したくない」
「あぁ? 何言ってんだお前?」
……まさか、オレをクラスから孤立させるための策略じゃないだろうな?
そんな疑念を抱いてしまうほど、今のオレはクラスの男子から厳しい視線を向けられていた。