受付で受験票を出しても、誰も僕の髪を気にしなかった。
当たり前だ。
前を歩くのは角の生えた受験生で、列の後ろには肌がピンクの受験生がいる。
個性の世界で白髪なんて没個性もいいところだ。
中学であれだけ人目を引いた僕の頭がここでは風景の一部でしかない。
──それが 想像していたよりずっと心地よかった。
ここには僕の過去を知っている人が一人もいない。
ここでは
たったそれだけで呼吸が少し軽くなり、緊張が解けた気がした。
午前は筆記試験だった。
五教科がそれはもうみっちりと。
鉛筆を走らせていると隣の席から時折うめき声が聞こえた。
気持ちはわかる。
国内屈指の進学校でもあるのだこの学校は。
僕はといえば人生二周分の貯金とこの一年の詰め込みでなんとか手応えを残せた。
実の所前世で覚えた分なんて半分も役に立っていない。
この体が父さん達に似て優秀で助かった。
最後の問題を解き終えて見直しを二周して、それでも時間が余った。
余った時間でこの後の実技試験のイメージトレーニングをした。
イメージトレーニング…良く言っているが、つまるところ妄想で想像だ。
だがそれも存外悪くない。
僕の個性はどれだけイメージ通りに赫子を動かせるかにもかかっている。
赫子の形というのは持ち主の想像力によるところが大きい。
今はまだ訓練不足で出来ていないが、そのうち赫子を装甲のように体に纏うことも……
なんて考えていると筆記試験は終わっていた。
実技試験の為、講堂へと向かうと見渡す限り人で埋まっていた。
三百倍という途方もない倍率をただの数字ではなく五感で理解する。
壇上に立ったのは縦に尖った金髪サングラスが特徴のヒーロー。
『今日は俺のライヴにようこそー!!!エヴィバディセイヘイ!!!』
壇上に立つヒーロー、
プレゼント・マイクには悪いがそれも当然だろう。
受験生は全員それどころじゃないのだ。
『こいつあシヴィー!!!受験生のリスナー!実技試験の概要をサクッとプレゼンするぜ!!アーユーレディ!?』
相も変わらず静まり返る講堂でプレゼント・マイクに憐れみを覚えながら、隣の席に目をやると受験生が膝の上で拳を握ったまま小刻みに揺れていた。
ついさっきまで緊張で吐きそうな顔をしていたが、今ではバイブレーション機能と引き換えに随分とマシになっている。
…こういう緊張の緩和が狙いだったのか?
プロヒーロー プレゼント・マイク。
前世の僕なら知らない顔だが、この一年の情報収集で流石に覚えた。
彼のやっているラジオ番組も受験勉強のお供にさせてもらったものだ。
そこからの説明は意外なほど整然としていた。
受験生は各会場に分かれて都市型の演習場で模擬戦を行う。
配置されたヴィラン役のロボットを制圧し、難度に応じた点数を稼ぐ。
制限時間は十分。
そして各会場に一体0点の大型が徘徊する。
『四種類の
そこまで説明を聞いて、配布された要項を僕はもう一度隅まで読んだ。
……採点項目に「救助」に関するモノはどこにもない。
…そうか。ないのか。
胸の奥が少しだけ冷めた。
まあいい。
誰かを助けることが点にならなくても、やることは変わらない。
こんな試験だ、きっと怪我しそうになる子は何人か出る。
受験で不利になるからと、それを見逃すことの方がよっぽど難しい。
『
***
会場についてすぐ驚かされたが、本物に近い街がひとつ丸ごと造ってある。
らしくないと感じつつも、自分の力を試せることに少し高揚感を覚えている。
門の前で開始を待ちながら僕は力の配分の最終確認をしていた。
現時点での赫子の維持は通算で五分が限界。
試験は十分。
二分展開して一分休ませ、喰種の身体能力を活かして肉弾戦。
それを繰り返して、念の為最後に一分の予備を残す。
変にこの流れを変えなければ入試順位上位での合格も夢じゃない。
自惚れでもなんでもなく、それが今の僕自身の自己評価だ。
「なあなあ!あんためっちゃ落ち着いてるな!?コツとかあんの!?」
振り向くと赤い髪を尖らせた男子が屈託なく笑っていた。
「……コツ?」
「ぶっちゃけ俺もうさっきからガッチガチでさあ!あんた一人だけ散歩行くみてーな顔してっから!」
「コツ…って訳じゃないけど、僕は頭の中で計算し続けたりしてるよ」
「へえ〜…計算ね!俺にゃあんま向いて無さそうだな……にしてもあんた、その白髪も相まってなんか仙人みてーな渋さあるな!俺、切島な!切島鋭児郎!」
あれよあれよと名乗られてしまった。
…名乗られたならこっちも名乗らなきゃ失礼だよね。
「僕は金木研。金木でも研でも、好きな方で呼んで」
「金木か!よろしくな!……あーだめだ計算してもやっぱガッチガチだわ俺!」
ぶつくさと緊張が収まらないと言いながら、切島君は右腕をゴッと硬くしてみせた。
皮膚が岩の断面のような質感に変わる。
心臓がひとつ跳ねた。
だって、それが父さんの個性によく似ていたから。
「……それが切島君の個性?」
「ん? ああ 俺の個性『硬化』! ただガッチリ硬くなるだけ!地味なもんだろ?俺は漢らしくて気に入ってるけど、周りの派手なやつ見てると焦るぜ」
「ううん、地味じゃないよ」
気づいたら口が動いていた。
「それは誰かを守れる個性だ。それに、個性は派手さよりも使いどころだと思う」
切島君は目を丸くしてそれから歯を全部見せて笑った。
「〜っお前!!いいこと言うなあ!!漢だぜ!!」
肩をバシバシ叩かれた。
いっ、いた…いたい!普通に痛い!!
…痛いのに、嫌じゃない。
こんな距離の詰め方をしてくる人に会ったのは一度目の人生を合わせても初めての事だった。
少し気圧されながらも彼のことを気に入っている自分がいる。
「ところでよ、金木の個性は何なんだ?」
「僕の個性は…あー、見てのお楽しみってことで」
「なんだよそれぇ!気になるじゃねーか!」
言ってから自分で少し驚いた。
僕は今もったいぶって笑ったのだ。
この力を見せるのが楽しみだと思っている。
そんな日が来るなんて去年までの僕は思ってもいなかった。
「お前さ、ドシッと構えてるとこがクリムゾンライオットみてーな渋さあるよな」
「くりむぞん……?」
「クリムゾンライオット知らねえの!?漢の中の漢!!」
「ご、ごめん勉強不足で」
「マジかよ!なぁ後で連絡先交換しようぜ!今度資料見せてやるよ!映像も!全部で八時間もあるぜ!!」
は、八時間……
会って十分の相手に八時間の布教を確約する男切島鋭児郎。
でも不思議とちっとも迷惑じゃなかった。
「今度」があると 疑いもせず言ってくれることが、むずがゆくて少しだけ嬉しかった。
『ハイスタートー!』
「「…え?」」
***
あまりの唐突さに一瞬全員が呆けた。
その一瞬の間に、僕と、少し遅れて切島君は駆け出していた。
走りながら、腰あたりの意識を解いていく。
ためらいは一度だけ胸をよぎった。
人前でこれを出すのは初めてだ。
気味悪がられるだろうか。
…いや、関係ない。
いつまでもただの化け物じゃあない。
僕はヒーローになりたくてここにいるんだ。
ジャージの背に仕込んだ切れ込みから、赤黒い四本の赫子が冬空へ伸びた。
左眼の状態が変わっていくのも感じる。
遅れて走り出した後方からどよめきが上がった。
「なんだあの個性!?」
「触手か!すっげ……!!」
…あ、あれ、思ってたより受け入れられてるな。
どうやら個性ってのは僕が思ってたよりもずっと多様性に満ちているらしい。
交差点の先で1P敵が三体、センサーをこちらに向ける。
『標的捕捉!』
『ブッ殺ス!』
『ハッ倒ス!』
一本目で先頭の脚を薙ぎ、二本目で二体目を壁ごと貫き、三本目と四本目で最後の一体を挟んで潰す。
今のほんの一瞬で3P。
三体仕留めるのに約四秒。
「(いいぞ、悪くない!今日はすこぶる調子がいい!)」
町並みを軽々と跳ぶ。
赫子を脚代わりに、ビルの壁を蹴って屋根から次の通りへ。
雨の河川敷で身につけた移動手段は、障害物だらけの市街地でこそ活きた。
2P敵の群れ。3P敵の砲撃。
受け止めず、逸らして関節部を断つ。
破壊よりも制圧。
自分の理想通りに、点数は淡々と積み上がっていく。
12P。17P。23P。
3P敵の砲塔を薙いだあたりで、左眼の奥が熱を持ち始めた。
「(ぐっ…!?まずい……!)」
今回のは空腹じゃない。高揚感だ。
体が、この
跳びながら数を引く。
九百九十三。九百八十六。
ジグジグと眼球を侵していた熱が瞬く間に引いていく。
「(フゥ……大丈夫、落ち着いてやれば問題ないはずだ)」
途中、敵を前にして何度か手が止まった。
瓦礫に足を挟まれた受験生を見つける度に引き抜く。
誰かの上に砲撃で吹き飛ばされた瓦礫が落ちれば赫子で受ける。
これをしても点にはならないんだよなあと頭の隅で思う。
それに、学校側もあまり酷い怪我はしないように調整しているはずだ。
そう思いながらも体は勝手に動いている。
まあいい。
点数が引かれる訳じゃないんだから。
「なぁ、金木!お前ッ、さっきから、助けてばっかだ…なッ!」
途中で切島君と背中合わせになった。
岩の様な拳でロボを殴り抜きながら切島君が笑う。
「点数大丈夫かよ!」
「はは、そっちこそ殴るだけで足りてるの?」
「うっせ!俺の個性は殴ってナンボなの!!」
軽口を叩き合いながらも、2P敵がそれぞれ赫子と拳に貫かれていた。
別に連携をとりあってる訳でもない。
でも、誰かと並んで戦うのは…悪くなかった。
『あと4分〜』
赫子の残量…あと二分と少し。
34P。
「(少し物足りないな…もうひと稼ぎ──)」
そう思った時、地面が激しく揺れた。
***
ビルの谷間から、それは姿を現した。
0P敵─────
事前に情報として聞いてはいた。
聞いてはいたが、その実情は実物を前にして初めてわかる。
ビル四つ分程もあろう巨体が、車道を巻き上げながら進んでくる。
受験生の流れが一斉に逆流した。
各々が逃げる。転ぶ。折り重なる。
巻き上げられた瓦礫が通りの先に降って、悲鳴がいくつか途切れた。
……悲鳴が上がっている所はまだいい。
途切れた場所にこそ、急がなきゃいけない。
残り時間…二分。
赫子の残りはおよそ一分半。
点を取りに行くか。
点を捨て助けに行くか。
考えるまでもなかった。
僕が雄英の門をくぐった理由は、点数の向こう側にある。
「切島君ッ!!」
「おう!?」
「手伝って!あの瓦礫の下だ!」
「〜っ!やっぱ漢だぜお前!!」
崩落の手前で眼鏡の受験生が足を抱えてうずくまっていた。
更にその奥の折り重なった壁材の隙間から助けを呼ぶ声が二つ。
声が出ているならまだ大丈夫。
まず眼鏡の彼を安全な脇道まで運んで戻る。
崩れたビルの壁面を赫子四本と腕二本でまとめて持ち上げた。
体が軋む。瓦礫が重い。腕どころか、背骨ごと持っていかれそうだ。
「今のうちに、早く出て!」
隙間から砂埃まみれの受験生が二人、這い出してくる。
切島君が硬化した腕で天井を支えてさらに奥にいた三人目を引きずり出す。
一人目と二人目は赫子でまとめて担ぐ。
三人目は切島君が担いでくれた。
「(…0P敵の足音が近いな、ここじゃまだ危険だ)」
そう思い、進行ルートから全員を出したのを目で確認した頃……
サイレンのような大音声が鳴った。
『終了〜〜!!!!』
それと同時に、赫子が音もなく霧散した。
思わず膝が曲がる。
肺が冷たい空気を求めて止まなかった。
結局のところ、点数は34Pで止まった。
上位が何点を取るのかは知らない。
ぶっちゃけ足りたのかどうかもわからない。
……それでも胸の中をどう探しても後悔はどこにも見つからなかった。
「あっ、あの!」
振り向くとさっきの眼鏡の受験生が足を引きずりながら立っていた。
「運んでくれてありがとうございました!!僕、あのままだったら……」
「あぁ、いいんだ。気にしないで。それよりもその足…見てもらったほうが」
「はい!!あの……お名前、聞いてもいいですか?」
「…別にそんな大したことしたわけじゃ」
「お願いします!!!」
「…えっと、金木。金木研」
「金木さん!僕、絶対忘れません!」
深々と頭を下げて彼は救護班のほうへ足を引き摺って歩いていった。
名前を覚えられるというのはどうもこそばゆいものだな。
悪目立ちの覚えなら中学で山ほど積んだのに覚えの種類が違うだけでこうも気分が違う。
「はいはい通りますよ〜」
小さなお婆さんのヒーローが杖をつきながら回ってきて受験生に飴を配っていた。
飴…飴?違うななんだあれ……ハリボー?
妙齢ヒロイン リカバリーガール。
「あんたもお疲れさん。ほらハリボーお食べ」
「あ、ありがとうございます」
食べられないのに断れなかった。
掌の中のハリボーを見て決めた。
これは持って帰って仏壇に供えよう。
母さん甘いもの好きだったから。
このハリボーが個包装で助かった。
***
帰り際、門のところで切島君に捕まった。
「金木ぃ!!お前ぜってー受かってるって!マジで男らしいぜ!!」
「はは…短期間でこんなに漢って言われたの人生で初めてだよ」
「ハハハ! 最後の救助も助かった!お前と組むとなんか調子出るんだよなぁ」
「こっちこそ。天井支えてくれて助かったよ、もう支える腕が足りてなかったから」
「おう、それじゃあな!また
「…うん!また、
大きく手を振って切島君は駅に向かう人混みに消えていった。
友達と呼ぶにはまだ早いのかもしれない。
連絡先も聞きそびれたし。
それでも「また会いたい」と思える相手ができたのは…さて、何年ぶりだろうな。
それに知り合いにしては仲が良すぎる気もする。
帰りの電車は受験生でぎゅう詰めだった。
「ねぇ見た? あの白髪の触手のやつ」
「見た見た瓦礫持ち上げてた人でしょ?馬力やばいよね〜」
どこかからそんな声が聞こえて僕は窓の外を見るふりをした。
耳が少し熱い。
まさか良い方の噂を立てられる日が来るとは。
窓ガラスには自然に口角を上げた白髪の男がうっすら映っている。
ふ、ふふん、ふん───
気づいたら鼻歌を口ずさんでいた。
これは、母さんがカレーの日によく歌っていた……
慌てて咳払いをして口を閉じた。
でも車窓の中の僕はまだしばらくにやけたままだった。
***
家に着く頃にはすっかり日が暮れていた。
「ただいま」
返事が返ってくることはない。
でも今日はそれが寂しいと思わなかった。
話したいことが両手いっぱいにあったから。
仏壇にハリボーを供えて、線香をあげて正座した。
「…これ、もらいもの。リカバリーガールがくれたハリボー。母さんこういうの好きでしょ?」
それから今日のことを順番に話した。
説明会のうるさいヒーローのこと。
赤い髪の声の大きい受験生のこと。
彼の個性が父さんのによく似ていたこと。
僕の触手が生まれて初めて「すごい」と褒められたこと。
0P敵のこと。瓦礫から受験生を助けた時のこと。
「……で、しきりに漢だって言われたんだ」
話しているうちに気づいた。
僕は今、笑いながら話している。
母さんの遺影の前で声を出して笑ったのは今日が初めてなんじゃないか。
線香の煙がまっすぐ上っていく。
「合格してたらまた報告するよ」
結果はおよそ一週間後に郵送で届くらしい。
風呂から上がって洗面所の鏡の前に立った。
白い髪から湯気が立っている。
鏡の中の僕が疲れた顔で…それでも笑っていた。
今日という日はたぶん僕の中で長く灯り続ける。
十年遅れてきた個性が初めて誰かに褒められた日。
化け物の力で、瓦礫の下から人を掘り出した日。
……こんな個性でも、ちゃんと使いどころはあったよ父さん。
父さんの言葉や、自分の力を信じてなかった訳じゃない。
ただ、僕は嬉しかったんだ。